【第十九章】 天賦の才
神々の治める土地の一つであるスマウグ。
その支配者、或いは統治者であるサラマンダーという神が住む屋敷の中へと僕達は進んでいく。
不気味なまでの静けさは気味が悪く、余計に緊張感が増していく気がしてしまってとても嫌な感じがした。
他の三人も同じかどうかまでは分からないが、いずれいせよ揃って険しい顔をしている辺りただならぬ何かを感じていることは間違いなさそうだ。
僕には気だとか気配を察知する力はないけれど、相手が神ともなればそうなってしまうものなのか気を抜いたら終わる、という感覚だけは否応なしに頭が自覚している。
その要因の一つとして異様な景色を生み出しているこの中庭の存在が挙げられるだろう。
入り口である門から屋敷の間にはそれなりに広い庭があるのだが、敷地を囲む塀に沿って無数の木が立っている。
その点だけを述べるのならば何らおかしな所はない。
問題はその上部にあって、どういうわけか本来緑色の葉が生えているはずの枝の節々には火が灯っているのだ。
炎が生る木とでも言えば分かりやすいか、元々そういう物なのか何らかのアイテムや能力でそうなっているのかも一切不明で、そんな不気味な植物の存在がより一層この場の異質さを際立たせていた。
「おいおい見ろよ、木が燃えてるぜ。何でもアリかよ、見てるだけで暑苦しいっつの」
「先程の牛といいやはり我々の世界には無い物が多々存在しているようだな」
「ただ燃えているだけならいいが、物騒な使い道がないことを祈るぜ俺はよ」
感想は三者三様ながら特別危機感を抱いている様子は誰にもない。
僕にしてみれば不気味で物騒でただただ近寄りたくないという気持ちばかりが沸いてくるというのに、何なら若干鬱陶しそうにしているのだから経験値の差が計り知れない感じである。
轟々と多少の風には左右されなさそうなぐらいには強い炎が全ての枝に灯ってはいるが、確かに少し温度は高いようにも感じられるものの何かに影響しそうな程ではなさそうだ。
とはいえ揃いも揃って薄着だったり軽装なので暑さ自体は問題ないにしても純粋に炎に触れる可能性があるだけに捨て置いていい問題ではないだろう。
そうは言っても木が燃えていようといまいと魔法で同じ理屈の環境が簡単に出来上がってしまうわけだけど、そもそもここにいるのが炎の化身と呼ばれる神である以上過去最高レベルでその可能性が高いことが間違いないだけにそんな暢気なリアクションでいいのかと思う僕だった。
「な~に難しい顔してんだよダーリン。世の中考えたって分かりゃしねえもんなんざいくらでもあんだろ? 木が燃えてるから何なんだって話だぜ」
「うーん……そういうもんかなぁ」
余計なことに神経を削がれるだけ損だって言いたいんだろうけど、それはそれで楽観的過ぎるのではなかろうか。
思いつつも、一人だけ深刻な顔をしていても士気を削いでしまうかと肩を組むリズに苦笑いを返すことしか出来ない。
あれが何だとしてもこれだけ頼もしい面子に囲まれているのだから僕も目の前の戦いに集中すべきなんだろうけど……しょうがないよね、こういう性分だもの。
「そういうもんさ。どんな敵が現れてもウチが皆殺しにしてやっから心配すんな」
「うん……頼りにしてるよ。別に皆殺しにはしなくていいけど」
なぜそうも発想が物騒なのか、というのは紛うことなき僕の本音ではあるけれど、状況がそんな主張の正当性を認めてはくれない。
あくまでこれは抗争であり戦争。
つい先日までこちらの世界は人類滅亡の危機に晒されていたのだ。それを防ぐためには戦って勝たねばならないという理屈は誰に否定出来るものでもなく。
都合の良い解釈をするならば平和と繁栄のためという大義も否定する材料はない。
天帝を討つという最大の目的を果たすだけで済む問題かどうかも不確かだし、少なくとも先のバーレさんの言うところの『天帝派』とやらが僕達を敵と認定しているなら帰った後にまた残った勢力に攻めてこられてはただ憎しみと争いが連鎖するだけだ。
だからこそ一応の決着を付ける必要がある。
そう呼べるだけの結末を迎える必要がある。
少なからず修羅場を潜り相応の経験を積んできた手前僕だって理解はしているけど、それでも生理的に受け付けない部分はどうしたって付き纏うわけで、グランフェルトの仲間と違ってシビアなこの人達はあんまりそういう僕の中の常識を忖度してはくれないのが少々辛いところか。
そりゃ僕がこの世界の人間じゃないことを知らないのだから無理もないけども。
「お、さっそくお出ましだぜ」
覚悟の上で来たはずだろう。
今更葛藤などしてどうする。
あの一連の出来事がいかに悲惨だったかを忘れるな。
そんなことを幾度か心で呟きながら広い中庭を建物に向かって歩く、その半ば。
先頭を歩くリズが不意に立ち止まる。
その行動が何を意味しているのかは、隣を歩く二人が同じく歩を止めたことが答えの代わりとなった。
それだけではなくほんの一秒も間を空けずハイクさんは背中の巨大ブーメランを手に取っていたし、立ち位置もクロンヴァールさんの前へと移動している。
揃って視線はやや上へ向いていて、遅れて同じ方向を見ると十数メートル先にある母屋の屋根に今の今まで無かったはずの人影が並んでいた。
数にして九人。
年齢はまちまちだろうか、確かに来る前に聞いた情報の通りバーレさんと同じ格好をし同じ武器を持っている男ばかりが横一列に並び僕達を見下ろしている。
唯一の違いは腰から胸の下辺りまである鉄製の胴当てを装着していることぐらいだろうか。
こちら側がその集団を認識するなり互いが戦闘態勢に入り、緊張感や殺意がピリピリと空気が張り詰めていくのが分かった。
そんな中、リーダー格なのか中心に立つ黒髪の三十前後と思われる男が睨み合うことで生まれる静寂を破る。冷たい目を携えた、冷たい声音で。
「命知らずの地上の民よ、何をしに来たかは聞かん。どんな目的であろうともその命はここで終わる」
「生憎とウチは道端で踏み付けた蟻んこに手を合わせてやる高尚さなんざ持ち合わせていなくてね。一度しか言わねえからよーく聞きな、道を譲るなら不運にも踏み潰される心配はなくなる。分かったなら失せろ、蟻んこ共」
「不遜な小娘めが」
リズの挑発にも顔色一つ変えずに吐き捨てる様に言うと男は例の炎を出すことが出来る武器バーン・ロッドを構える。
するとそれに倣って残りの八人も次々に両手に持った棒をこちらに向けた。
「バーレはどうした。お前達を捕らえに行ったはずだが?」
リーダー格の男の見下ろす冷たい目が殺気に満ちていく。
未知なる存在であることや数的不利な状況も加わってそれだけでたじろいでしまいそうになる怖さがあったが、悲しきかなそれを感じているのは僕一人だったようで三人は何食わぬ様子のままでいる上にクロンヴァールさんに至っては武器すら手にしようとしない。
「バーレだあ? 天界じゃあ蟻にも名前が付いてんのかい、そいつは失敬。キョーミがねえな」
「愚者にはお似合いの粗末な知能をお持ちのようだな。では体に聞くとしよう」
「残念だったな仏頂面。この体はとっくに予約済みだ、生涯他の野郎に触れさせるつもりはねえから一人で寝てろ」
「…………」
「つーわけだ御姫、手ぇ出すなよ。嘆かわしくもアンタの手下になったことだし、挨拶がてら害虫駆除はウチ一人でやってやんよ」
「それはこの三下共の話か? そうでなくその後も含めての話か?」
「決まってんだろ、全部だよ。こちとらガチの喧嘩はご無沙汰さ、ここらでスイッチ切り替えておかねぇとうっかりヘマしてこの地で天に召されるなんてセンスの欠片もねぇギャグを披露しかねないからよ」
「私は何も約束せんぞ。黙って見ていろと言うのなら、黙って見ていようという気にさせるのだな」
「結構結構。嫌いじゃねえぜ、そういう分かりやすいリクツはよ」
「準備運動ぐらいにはなれば良いがな」
「真に強ぇ奴と出会した時は自然と体がゾクゾクしてくるもんさ。悲しきかな今ウチの脳ミソにあんのは退屈なあくびをどう我慢したもんかって算段だけだ」
「口が達者なのは昔から変わらんな。ひとまずは見ていてやるが、退屈なのはこちらも同じだ。興が乗らぬのならサッサと終わらせろ」
「それで皆ハッピーってわけだ」
全員が同じ方向を見ていたまま交わされた会話の最後にリズとクロンヴァールさんは一度だけ視線を交わし、そして再び屋根の上の連中へと顔を向ける。
そして一歩二歩と前に出ながら、リズは持っていた弓型の杖の先端でリーダー格の男を指した。
「おら、このエリザベス様がお相手してやるって言ってんだぜ? 下りて来いよ能無し共」
「……あまり人を舐めるなよ小娘共」
低く唸る様な声と共に、ただ黙して二人の会話を聞いていたリーダー格の男の表情が怒りに歪んだ。
ほとんど同時に九人が屋根の上から飛び降り、改めて行く手を阻むべく立ちはだかる様に前方を塞ぐ。
「後悔の時間は与えんぞ!」
そしてこの言葉と共に、全員が揃った動きで同時に地を蹴り一斉に襲い掛かってきていた。
息を飲んで見守る緊張の一瞬。
先の小馬鹿にした態度が効いているのか、九人はリズ一人を目掛けて突進していく。
そのまま無作為に同時攻撃に出るのかと思いきや素早く立ち位置を変える紅蓮衆は三人一組を三つ作り、それぞれ中右左に分かれる陣形を取った。
それが複数の方向から包囲する目的であると予測することは容易であったが、一対九という無茶苦茶な状況をどうするつもりなのかを予想するのは簡単ではない。
というか、そもそもクロンヴァールさんやハイクさんが黙って見ていることを選ぶ意味も分からないんだけど、目で見て相手の強さとか推し量れないので口を挟むのも簡単ではないわけで。
こうなっては見守るしかないというか信じるしかないというか、流石に危なくなったら二人も手出しするはずだと思いたいというか。
なんだか無事を祈っているのが僕一人みたいで何とももどかしいが、それが逆に杞憂であることの証明となっている気がして複雑な心境である。
そうして見守る目の前で始まろうとしている初戦とも呼べるその攻防。
三方向から迫る敵に対し、リズは先制で杖を振り魔法を放った。
冷静に考えてみると……僕にとって最も残念な現実は当のリズがやる気満々な点にある気がしてならない。
狙いは正面にいる三人だ。
何の魔法科は分からないが、杖の先端から放たれた白い球状の魔法の塊が真っすぐに飛んでいく。
だが貴賤はさておいても相手とて神の手先、目の前から飛んでくる魔法を易々と受けたりはせず、素早く軌道から外れる様に走路を逸らした。
が、リズは最初からそれを狙っていたのか無人となった地面、三人の間に着弾したその魔法は派手な音を立てて地面を吹き飛し初手にして状況を一変させる。
炎こそ上がっていなかったものの大きな爆発を起こした魔法は土を抉り、一番距離があった一人を除いた二人を地面ごと数メートル吹き飛ばした。
外傷こそ見受けられないが倒れたまま動かない仲間の姿が危機感を抱かせたらしく、すぐさま誰かの合図によって残っている左右の六人がそれぞれバーンロッドから炎の魔法を放ち容赦のない集中砲火を浴びせに掛かる。
バレーボールぐらいの火球が三つずつ、瞬く間に左右から迫るどう考えても危機的状況。それでもリズはただ鼻で笑うだけだった。
「へっ、お揃いの玩具がお気に入りですってか? ちっとは骨のあるとこ見せてくれよボンクラ共がよ!」
もはやテンションは完全に戦闘モードで、察するにどうやら彼女はこの世界における強者ならではの性質とも言える戦いを楽しむタイプの人間であるらしい。
高笑いの混ざった大きな声が響くと同時に右手に持った杖から、そして何も持っていない左手から、倍以上もある炎の塊が放出され敵の一斉攻撃をいとも簡単に飲み込み掻き消していく。
ボワンと音を立て炎と炎がぶつかり破裂する様に消えてなくなると、間髪入れずにリズが次の魔法を放っていた。
今朝聞いた用途そのままに弦の無い弓に似た形状の杖を射手の如く突き出した左手で持ち、もう一方の手を顔の横で拳に変えると両の拳を結ぶ様に現れたのは水色の光輝く矢だ。
細く長い魔法の矢は留めるなりリズの手を離れ、右側の三人に向かって飛んでいく。
弦が無くてもあんな風に飛ぶのならあのポーズにどんな意味があるのだろうかと疑問ではあるけど、本人の言うイメージというものが関係しているのだろう。
本物の矢と比べればやや速度は劣るが、それでも人の動きよりは早い青き光は今度も三人の足元へと着弾した。
相手が多人数だからそうしているのか、元々そういう魔法なのか、はたまたそれが彼女の戦い方なのか。
リズの魔法は今度もまた、躱されることを前提に放たれていることを僕は同時に理解する。
足元で弾けた魔法の矢は地面に触れた瞬間、多量の水へと変わり大きく四散した。
誰がどう見ても矢のサイズと水の量が比例していない気がしてならないがともかく、ポリバケツ一杯の水でも引っ繰り返したのかという激しい水しぶきが男達の足元で上がった時。
地面で弾んだ大量の水は瞬時に凍結し男達の足元ごとカチカチに凍らせ三人全ての動きを封じてしまう。
最初から最後まで見たことのない魔法だらけで驚きが追い付かない僕だったが、ことこの光景に限っては横の二人もそう変わらないらしかった。
「……どういう原理だありゃ」
「複合魔法、というやつだな。複雑な術式を必要とする、ゆえに本来は魔法陣を必要とするのだが」
「ほう、つまりその気になりゃ姉御にも使えるようになるってわけか?」
「一年程の時間をそれだけに費やすことが出来たなら或いは、としか言えんな。それを魔法陣どころか詠唱も無しにやってのけるとは……偉大な親父殿も真っ青だろうよ」
「…………」
やっぱリズって凄いんだなぁ~と、唖然としながら二人の会話を聞いていた。
初めて会った日の酔っぱらって暴れていたリズからは、二度目に会って以降の何やら激しく偏った思い込みで僕を運命の人とでも思っていそうな言動のリズからは想像も出来なかった大器の片鱗を目の当たりにした感じだ。
世界一とまで言われた父をも超える逸材であり天賦の才を受け継いだ魔法使い。
それが努力や野心によって培われた能力ではないというのだから世の中というのは何と不公平で不条理で理不尽なものなのだろうか。
なんて凡人を自負する僕は思ってしまうわけだけど、そんなのは妬みというか負け犬の遠吠えみたいで格好悪いのでやめておくとしよう。
リズとて決して生まれた時からそうだったわけではあるまい。
理由はどうあれこうして命懸けで戦っている者を羨んでいる暇があったら今はただ無事を祈らなければ。
なんてことを思いつつ人知れず気を引き締め直している中、リズは氷の魔法によって右側の三人を行動不能状態にするなり今度は左側の三人へと自ら突進していく。
すぐさま迎え撃つ態勢を取る紅蓮衆はここまでの流れで安易に魔法を放つべきではないと考えたのか、武器による直接的な攻撃で対抗に出た。
何故明確に相手を凌駕している魔法を使わずに接近戦を挑むのかは定かではないが、迎え撃つ態勢を取った三人は脇目も振らずに突っ込み至近距離まで迫ったリズの顔面や首元を狙って三つの突きを繰り出し動きを封じに出る。
武器の扱いに長けているこっちの二人ならまだしも、よく魔法使いでありながら進んで殴り合いをしようと思えるな……なんて不安も何のその。
リズは一本を鉄の杖で弾き、残る二本をあっさりと躱すと三人の中心に入り込み傍に居た男の顔面をその鉄の杖で殴り付けた。
ゴッと鈍い音を立て、男は吹っ飛んでいく。
何度か地面を転がったのちに静止した男は微かに動いているので死んでしまったということはなさそうだが、ピクピクと痙攣しながら起き上がる気配はない。
「…………うわぁ」
あれは……きついなぁ。
あんな鉄の棒きれで顔面をまともにブン殴られるって、僕なら即死するよ。
「とにかく動きを止めろっ」
「応っ!」
飛んでいった男に目を取られている間に別の声が響き渡る。
油断したつもりはなかったのだが、安易に余所見をしてしまったのはどこか安心感みたいなものを抱いていたがゆえであることは否めない。
一瞬たりとも気を抜くな。
改めて自分に言い聞かせ、残った二人に視線を向けると目に入ったのは今まさに両サイドから突き出したバーン・ロッドからリズ目掛けて火球を繰り出した瞬間だった。
「ガキの玩具じゃ物足りねえって言ってんだよ!」
そのどこか苛立った声は余裕の裏返しなのだろうか。
至近距離からの炎の魔法を、最初にバーレさん相手にやったのと同じく杖で振り払う様に相殺し掻き消すとリズは一瞬の動揺を見逃すことなく純粋な物理的攻撃で残りの二人も蹴散らした。
方や鳩尾に渾身の突きを見舞うことで、方や杖すら使わず顎の辺りに飛び膝蹴りを炸裂させることで。
まともにヒットした無慈悲な攻撃によって共に鈍い音と声を残して倒れ込み、二人もその場で動きを止める。
あっという間に九人のうち五人が意識を失い戦闘不能状態に陥った。
しかし、三方向に分かれた陣形にあって最初に攻撃を受けた正面に位置しながら一人爆発やその衝撃から逃れていた男が今まさに下半身を氷漬けにされていた三人の仲間を炎の魔法によって脱出させ終えようとしている。
言うまでも無くリズはその動きに気付いていて、ややよろめきながらも再び武器を構え今や明確に殺意と憎悪の念を露わにする四人に対してもやはり鼻で笑うだけだった。
「一斉に行くぞ!」
ある男の号令で四つの武器が一斉にリズへと向く。
それでも返る反応は呆れた様に笑って首を振り、大袈裟に両腕を広げ得意の挑発じみた物言い以外にはない。
「はっ、この状況で数的有利を生かす道すら捨てちまうとは、カミサマの家来ってのはよっぽど温い環境で生きてきたんだな。マッチ代わりの棒きれ一つで強くなったつもりでいるなら、百回死んで出直してきやがれ!」
既に人数差や個々の人間性が生む余裕は微塵もなく、一転して陣形も何もない一塊となっての特攻に出ようとする四人だったが相手の行動を予測しそれに応じて自らも計算して動くリズの反応や速度を決して上回りはしない。
弓を引く格好を取って魔法の矢を生み出し、拳を握る右手が開かれるまでに必要な時間は精々二秒程度。
発動にそれ以上の時間が掛かる彼らの武器では、ましてや人が走るスピードでは到底太刀打ち出来るはずがなかった。
何やら罵りの言葉らしき悪態を大声で叫び、躊躇いなくリズの魔法が放たれる。
すると今や半数以下になった紅蓮衆なれど仲間意識やチームワークが無いわけではないのか、一人の男が他三人の前に出た。
まるで自らが魔法を受けてでも仲間を庇い、残った者が敵を討てとばかりに。
「行け!」
味方に指示をしつつ、男はリズの手から離れた薄白い魔法の矢を打ち払おうと炎を纏わせた状態のバーン・ロッドを打ち付けた。
その背後では他の男達が左右に散開している。
先程の足元を狙った氷の矢とは違い直接体に向かって飛んできているからこそ彼も純粋な攻撃魔法だと踏んでそういった行動に出たのだろう。
だがそれすらも想定の範囲内であったのか、単に経験則やセンスが直感でそうさせているのか、そんな捨て身の行動すらもリズはあっさりとすり抜けて見せた。
武器を叩き付けられた魔法の矢は見た目の通りただの光であるが如く、或いは気体であるかの如く、物理的な接触を拒絶しあっさりと原型を失うと煙の様に消えていく。
その瞬間、この場の全てを薙ぎわんばかりの凄まじい突風が吹き荒んだ。
光の矢が消失したことで発生した強風……否、暴風は竜巻へと姿を変え瞬く間に渦を巻くトルネードへと進化していった。
およそ二十メートルは離れている僕ですら意識して踏ん張っていないと体が流されそうなレベルの凄まじい風だというのに、どうして横の二人は髪や衣服を揺らしているだけで普通に腕組をしたまま平気で立っていられるんだろうか。
これも足腰の、言い換えるなら鍛錬の差?
そんなことを考えている間に四人の敵はまとめて吹き飛ばされ、十数メートル先の壁に全身を打ち付けるとそのまま地面に落下し動かなくなった
今この時、九人全てが立ち上がる気配どころか意識すらなく完全にノックアウト状態だ。
「…………」
やがて風の魔法は消えていくが、そうなっても僕は言葉を失ったまま感想の一つも声に出せない。
ここに至るまでに聞いていた様々な話は全然大袈裟じゃなかった。この人やっぱりすげぇ……仮にも神の手先である精鋭達が全く問題になってないんですけど。
それも九人を同時に相手をして楽勝ムードのまま終わるって、もう超人過ぎて泣けてくる。
「けっ、食前酒にもなりゃしねえ」
倒れている紅蓮衆の一人に近寄り髪を掴んで持ち上げて気を失っていることを確認すると、無造作にその頭部を放棄し至って冷静にそう言うとリズはこちらに戻って来る。
疲れも感じさせなければ緊張からの解放や一仕事終えた風ですらなく、本心から物足りないと思っていそうなのが末恐ろしい。
「ご苦労、この程度では準備運動にもならんようだな」
「ほんとだぜ、一人でやる気満々なのが馬鹿みてえだろこれじゃあよ」
クロンヴァールさんが労いの言葉を掛けリズがそれに答えた時、二人に加えハイクさんもが寸分違わぬタイミングで体の向きを変えた。
勢いよく振り返るその視線は屋敷、というよりはその上に注がれている。
そしてほとんど同時にクロンヴァールさんが腰の剣に、ハイクさんが一度戻した背中の巨大ブーメランに手を掛けるその姿がただならぬ事態の襲来を告げていた。
慌てて同じ方向に目を遣るといつからそこにいたのか、紅蓮衆が降り立ち無人になったはずの屋根に一人の男が座っている。
見た目は三十に達するかどうかといった歳のその男は黒い短髪を剣山の如く尖らせており、足首の辺りまである長いワンピース型の白いローブに青いマントを纏い、ローブの胸の辺りには不気味な目のような模様が描かれていたり首には黒い金属と思われる輪っかが装着されていたりと神官の様な格好の中に異様さを感じさせる部分が多々見受けられた。
「なるほどなるほど、わざわざ殺されに地上からやって来るだけのことはある」
その何者かは舌を出し、嫌らしい笑みを浮かべて僕達を見下ろしている。
最早あれが誰であるかなど確認するまでもなかった。
「あんたがサラマンダーとやらかい?」
「いかにも。俺こそが神聖なるこの地を支配する選ばれし神の一人サラマンダー様だ!」
リズの問いかけに対し神を名乗るその人物は立ち上がり、両手を広げ天を見上げて高らかに己が名を宣言する。
天界に入ってまだほんの一時間程。
早くも僕達は一人目の神と相見えることとなった。