【第十三章】 明るい家族計画進行中?
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「いただきます」
すっかり日も暮れ、あっという間に夕食の時間を迎えた。
テーブルに並ぶ出来立ての料理を前に、僕一人が両手を合わせて挨拶を口にしたところで食事が始まる。
あれから少しして四人の兵士が馬車でリズの家から荷物を運んできてくれたため僕だけで搬入を手伝い、その後すぐに荷解きを一緒にやったりしている間にイザベラさんが用意してくれた料理なのでこれらに関しては僕は何も手出ししていない。
せめてものお詫びにと食器を運んだりはしたのだけど、兵士の方々といいイザベラさんといいどうにか僕が手伝うのをやめさせようと説得してくるのは毎度のことながら本当にやめて欲しいものだ。
これはグランフェルトに居る時もそうなのだが『これが我々の仕事ですので』みたいなことを言われてもこっちが困るというか、ただ見ているだけ待っているだけでいるぐらいなら手伝った方が百倍ぐらい気が楽であるという言い分もいい加減に理解していただきたい。
といっても多分この世界の基準や価値観ではそう簡単にはいかないらしいので僕は今後も自分で出来ることは自分でやる精神を勝手に貫かせていただきますけどね。
「お口に合えばいいのですが」
と、食前の一言に対し対面に座るイザベラさんはやや遠慮がちにフォークを手に取る僕を見つめている。
鶏肉のソテー、温野菜の盛り合わせ、きのこの入ったミルクスープ、そしてバターを塗って軽く焼いたパンのスライス。
どれも見た目や匂いだけで口に入れる前から美味しいと分かるだけの出来栄えだ。
「とても美味しいです。まさにプロのお仕事といった感じですね」
ソテーを一切れ頬張り、続けてスープを口に含んでみる。
予想通りというか予想以上というか、まあ文句の付けようがない味に社交辞令ではない素直な感想が漏れた。
「勿体ないお言葉でございますわ。旦那様は本当に人格者でいらっしゃいますね、お世辞を抜きに心より尊敬に値するお人柄だとわたくしは敬服しきりです」
「いえいえ、そんな大げさなことでは」
お互いに謙遜し合っているみたいになってしまったものの、イザベラさんはにこりと微笑み僕が手を付けるまで待っていた自分の食事を始める。
慣例や常識、本人の申し出も含め使用人が主人ということになっている僕達と同席するということは本来間違ってもありえないのだが、ずっと後ろで立っていられても気を遣うし、ゆっくり食事をする気分じゃなくなってしまうからと僕が提案&お願いをして今後も食卓を共にすることに決まった。
ある意味では常識破り、型破りな光景ではあるらしいのだけど、そんな提案をどう感じたのかリズは特に異論を挟むでもなく『別にいいんじゃね?』とすんなり受け入れてくれたのは意外だったと言えよう。
聞けば元々母親と二人で暮らしていて、その後は一人暮らしだったこともあって『メイドなんざ雇ったことねえから決まり事なんざ知らねえし』とのことだ。
そんなリズは特に挨拶も感想もなくパンをかじっている。
せっかく作ってくれたのだから一言ぐらい何かあってもいいんじゃない?
という意味を込めて隣に座るリズをチラ見してみるが、そんなアイコンタクトが通じるわけもなく。
もしかすると今の『旦那様は』という台詞が暗に自分はそうではないと言っている様に聞こえて気分を害したのだろうか。
とういか……この場合イザベラさんがそのつもりで言ったのか否かの方が重要な気もするけど。
「ん? どうしたダーリン、パン食うか?」
「ごめん、何でもないです」
言いつつ、わざわざ取ってくれたパンを受け取り口へと運ぶ。
その何気ない感じからするに別段イラついたとか、そういうわけでもなく単に視線を送っただけのことでは意思疎通が出来なかったというだけのことらしい。
その一方で、出会いを含め今日が二度目の対面であるリズに伝わることはなかったというのに、初対面のイザベラさんが察してくれるという謎現象が起きていた。
「旦那様、お気遣いはならさないでくださいませ。物の味も分からぬお嬢様のお口にも合う料理と味付けをしておりますので」
「……おいこらメイド、今遠回しに喧嘩売ったよな?」
「誤解も甚だしいですわお嬢様、わたくし回り道は好かぬ質ですゆえ」
「そりゃつまりアレか? ストレートに喧嘩売ったってことだな? よし表出ろ、風呂の薪と一緒に灰にしてやっからよ」
ガン、とグラスでテーブルを叩いて立ち上がるリズは完全にイラつくのを通り越してオラついた顔になっていた。
挑発したわけではないだろうが、ちょっとした冗談でもあっさりとその気になってしまうこの気の短さは初めて会った時を彷彿とさせるな……恐らくはそれが分かった上でやっているイザベラさんも大概だけどさ。
なんだかこの感じ、アルスさんを思い出すよ。城を出る時に挨拶をしてくれたけど、みんな元気にしてるかなぁ。
いやいや、現実逃避をしている場合ではなく。
「リズ、食事中なんだから落ち着いてってば。イザベラさんも打ち解けようと冗談を言ってくれているだけだから」
「お人好し過ぎんぜダーリンはよぉ? そんなんじゃ益々図に乗んぞコイツ、早いうちにシメとかねえとよ」
「酷い偏見ですわお嬢様。わたくしはお二方とは初対面なのですよ? 旦那様の仰る通り、少しでも早く明るく笑顔の溢れる家庭を実現しようと無理をして冗句など口にしてみただけではありませんか」
「ウチ等の明るく笑顔溢れる家庭にテメエはいらねえんだよ。溢れてくんのは殺意だけなんだよテメエのせいでな。あと無理をしてとかホザいてんじゃねえ、ノリノリでやってんだろコラ」
ったく、メイドにどんな教育してんだクソ親父が。
と悪態を吐きつつもリズは素直に腰を下ろした。
この辺りは雲煙過眼というか切り替えが早いというか、お酒を飲んでいたあの時はしつこく絡んできたのに素面では大違いだ。
……ん?
そういえば今日はお酒が用意されていないみたいだけど。
「それよりもお嬢様、本当にお酒は用意しなくてよろしいのですか? 買い出しの際にいくつか見繕ってきたのですが」
ちょうどリズが水を煽ってブハーとか言ってるタイミングだったせいか、イザベラさんも同じことを考えていたらしい。
僕としても以外なことに、当の本人はキッパリとそれを跳ね除けた。
「ウチはいらねえって言ってんだろ。ダーリンが必要なら出してやってくれ」
「いや僕は普段から飲んでいるわけではないので大丈夫ですけど、リズ飲まないの?」
「ああ、ダーリンに失望されたくねえからな。金輪際酒は飲まねえ、惚れた男のために頑張るって理由がありゃ何だって我慢できる」
「……別に無理して我慢しなくてもいいんだよ? ゼロか百かで考えなくても、ほどほどに嗜むぐらいなら誰だってやってることなんだから」
「いいんだ、これがウチなりのケジメと覚悟さ。ちゃんとダーリンの嫁に相応しい女になりてぇ。自分で自分を嫌ってる様な奴に人を愛する資格なんざねぇからよ」
「そ、そう……」
そんな風にストレートに言われると普通に照れる。
恥ずかしいというかむず痒いというか、そういうことをまず最初に考えてしまうあたりが日本人気質なのだろうか。
いや、統計的なものは全く知らないので勝手な解釈だけども。
「つーかよぉ、この屋敷はいいとして飯だの酒だの買う金はどっから出てんだ? それも御姫が寄越してくれたってのか?」
「いいえ、このお屋敷の維持費や生活費は全てセラム様の遺産によって賄われております」
「遺産だぁ!?」
「はい。何時ぞやにお嬢様が相続を拒否なされた資産でございます。その時が来るまではと私が管理を命じられておりましたが、お嬢様がここで生活なさると決められた今、改めて所有権を譲渡させていただこうかと思うのですが……」
「いらねえよ、そんな腐った金なんざ。妻だガキだを蔑ろにして貯めたゼニに食わしてもらう程ウチは落ちぶれちゃいねえ、今まで通りお前が好きに扱え。なくなっても困りゃしねえし咎める理由もねえよ」
嫌悪感を隠そうともせず、リズは舌打ちを漏らしてそっぽを向いてしまった。
流石に聞くに堪えないと感じたのか、イザベラさんも大人な対応を見せることはなく呆れた様に溜息を吐くだけだ。
やっぱり親子であることを考えても、例えそうじゃなくても、リズがセラムさんの悪口を言うのを聞くのは僕だっていい気はしない。
もしかしたら反感を買うかもしれないけれど、それでも雇用主と侍女という関係上不満をぶつけるわけにはいかないイザベラさんや敢えて見て見ぬふりをしているクロンヴァールさんであったりハイクさんといった主君や同僚の方々が何も言わないのなら、そのどちらにも属さない僕が伝えるのも一つの手だろう。
というか、こっちもそろそろ聞き流すことに……いや、聞き流している自分に嫌気が指してきているので駄目元でも言うだけ言っておきたいという気持ちを抑えられない。
「……リズ」
「おー?」
「余計なお世話だと思われるかもしれないけど、聞いてくれるかな」
「なんだよ水くせえ、ダーリンの話なら何だって聞くぜウチは」
「セラムさんのことなんだけど」
「親父がどうしたよ」
「うん……リズにお父さんのことを許せと言うつもりはないんだ。でも、セラムさんのおかげで平和に過ごせる人が大勢いる、セラムさんのおかげで死なずに済んだ人が大勢いる、今なおセラムさんを尊敬して敬意を払っている人が大勢いることも事実なんだよ。だから例え身内だとしても人前で悪く言うのはやめよう、リズ自身が損をすると思うから」
「む……」
思っていたよりも、リズは苛立った様子ではなかった。
あくまで僕の感情論に近い理屈であって正論とはまた少し違うのだろうが、少しは感じ入るところがあったのだろうか。
だとすれば次にどんな言葉を選ぶのが正解か。
そんなことを考えている隙に、すかさずイザベラさんがフォローに入る。
「もしもの話ですが、道行く人々が旦那様の悪口で盛り上がっているのを耳にしてしまったらお嬢様はどう思われますか?」
「言い終わる前に爆殺する」
「旦那様はそれと同じ、ということが言いたいのです。そうですよね、旦那様」
「まあ……僕が例えに挙げられてしまうと簡単に同意するのもどうかと思ってしまいますけど、分かって欲しいのはそういうことなんだよリズ。嫌いな物を好きになれって話じゃなくて、リズにとって嫌いな物でも他の人にとってはそうじゃない場合も多々あるってこと。自分が好きな物を貶されれば誰だって気を悪くするし、それはイコールその人を嫌悪する理由になるから。リズは人にどう思われようと気にしない性格なのかもしれないけど、僕は誰かがリズのことを嫌っていると聞いたらやっぱり嫌な気分になるんだよ。だから少しだけでもそういうことも考えて欲しいなって思うんだ。勿論、僕自身セラムさんを尊敬していたし、いつかセラムさんのことを許せる日が来て欲しいとは思っているけどさ」
「わーった、次からは……ちょっとぐらい考えてみるよ」
「うん、そうしてくれると嬉しい」
「ちなみにだけどよ、ダーリンの親父はどんな奴なんだ?」
「実は僕も物心つく頃に父親とは死別しているんだ。だからどんな父親だったかはほとんど覚えてないや」
「……そっか」
悪いことを聞いた、と思っている様子ではなかったもののリズはそれ以上の質問をしなかった。
どちらかというと親近感を抱いたのかなとも見受けられたが、少しでもそれが僕の言葉を受け止める理由になってくれるのならまあ何でもいいか。
〇
「旦那様、本当にお気遣いくださらなくてもよろしいのですよ? 掃除も片付けも、家事全てがわたくしの仕事なのですから」
食事が終わり、テーブルの上から全ての食器が片付いて間もなく。
キッチンの横にあるシンクで金属製の洗い桶に貯めた水から取り出した食器を天然スポンジで磨いている最中に隣に立つイザベラさんがやや申し訳なさそうに言った。
二人で洗い物をしている、という事実がどうにも落ち着かないらしく何度も説得のお言葉をいただいたのでどうにか許してもらった今でも思い直してもらおうとはしているみたいだ。
「お邪魔しているのは分かってるんですけど、性分なもので。人に任せて自分は何もしない、というのがどうにも苦手なんです。自分のことは極力自分でやる、出来るだけ母親の負担を減らそう、という生き方をしてきたものですから」
「今日初めて会った間柄ではありますが、やはり旦那様はとても優れた人格をお持ちで、性格や人間性も含めとても尊敬出来るお方なのだと素直に感じております」
「どうしたんですか急に?」
「こうして後片付けをお手伝いしてくださるどころか侍女であるわたくしなどに食卓を共にさせようなどと、心底驚きました」
「一度言ったかもしれませんけど、僕は庶民として生きてきた身ですから。食べている間ずっと後ろに立っていられる方が落ち着きませんし、ゆっくり食事をしようという気がしなくなってしまうんですよ。それに何より、自分が偉い人間になったと勘違いしてしまう様な環境や人間関係は正直に言って好きではありません」
「無欲な方ですね。お国での名声も、この王国での待遇も、誰からも羨望の眼差しを向けられるお立場でしょうに」
「立場の話で言いますと、僕も一時期はグランフェルトのお城で使用人に似た仕事をしていましたから」
「それは存じ上げませんでした。お二方が到着なさる前にクロンヴァール陛下より受け取りました手紙によりますと旦那様はグランフェルトの宰相であると記されておりましたので」
「元々は単なる勇者の友人、ぐらいの存在だったんです。その縁で先代の国王に取り立てられて、王女の教育係みたいなことを任せられて、いつしか戦地に赴き、兵を率いることになり、気付けばそんな大層な肩書を与えられていました。これといって宰相としての仕事なんてした覚えもありませんけど、我ながらこんな波乱万丈があるだろうかと呆れるしかないですよほんと」
「ふふふ、そうだったのですね。ですがきっとグランフェルトの国王様や勇者様の、ひいてはクロンヴァール陛下やお嬢様の人を見る目は間違っていなかったのでしょう。お目に掛かってから一日足らずのわたくしですら旦那様の言動からは優しさや他者を思い遣る気持ち、誠実さや謙虚さ、それに芯の強さや正義感の様なものをありありと感じておりますし、それだけの地位や名声をお持ちの方々から必要とされ、知遇を賜り、こうして別の国でも重責を担おうとしておられるのですから」
「……そんなに褒めてもお手伝いをする以外には何も出せませんよ?」
「嫌ですわ旦那様、それではまるでわたくしが下心を抱いているかの様ではありませんか」
「…………」
うふふ、と。
濡れた手をエプロンで拭いながら微笑む姿に思わずドキッとしてしまった。
どうにも年上の女性にからかわれることへの耐性は中々身に付かないものだ。
照れちゃったことが恥ずかしくて、それを悟られまいと何気ない風を装って表情を正そうとする中、イザベラさんはふと対照的な真剣味のある表情を浮かべる。
「こうしてお二人と接してみた今、わたくしはこうも思うのです。そんな旦那様だからこそお嬢様に見初められたのだろうな、と。クロンヴァール陛下のお言葉すらも唾を吐いて返すあのお嬢様が素直に聞く耳を持ち従うなんて、内心ではそういう感想ばかりが頭を過ぎり度肝を抜かれていましたから。わたくしもクロンヴァール陛下もアルバート様も、セラム様より娘のことを頼むと遺言を受け取っております。誰にとっても困った娘ではありますが、どうかお嬢様のことをよろしくお願い致します」
イザベラさんは姿勢を正すと、深く深く頭を下げた。
笑顔や丁寧な態度、口調を携えながらもチクチクとリズを挑発したり嫌味を混ぜたりといった過激な教育を施そうとする姿は間に入るこっちが大変なので勘弁して欲しいところではあるが、そんな接し方をしていてもセラムさんの娘というのはきっと憎めない存在ということなのだろう。
もっとも……そんな改まった態度で頼まれても僕は何も約束は出来ないのだけど。
「まだ結婚云々は全然分からないんですけど、リズがこの国や世界のために必要とされるの人間であるのならどうにか出来るだけのことはやってみようと思います」
「はい。陰ながらお二人の生活をサポートし、心よりご多幸をお祈りしています」
もう一度にこりと微笑んだイザベラさんに何と返せばいいのかが分からず、間抜けにも『ありがとうございます』と咄嗟に答えたところで洗い物も完了しているため入浴を促され、僕はお言葉に甘えてキッチンを後にすることに。
その足で一度二階の個室に戻って着替えを用意し、何だか朝から晩まで色々ありすぎてやけに長く感じた一日の疲れをゆっくりと癒すべく僕は浴室へと向かうのだった。
〇
窓の外は一片の隙間もなく闇夜に覆われている。
出発の準備を済ませ、入浴と歯磨きを終えた今やるべきことは明日に備えてしっかり休むことだけだ。
これは余談だけど、この世界の歯ブラシは馬の毛が使われていて使い慣れないというか使い心地が悪いので僕は自宅から歯ブラシや洗顔用の石鹸を持参している。
本音を言えばボディータオルやドライヤーも持ってきたいところなのだが、そんなことを始めたらキリがないし荷物が増える一方なので本当に必要最低限に抑えているのが現実だ。
そんなことはさておき、僕とリズの部屋……ということになった広い個室は二本の蠟燭に照らされるだけの薄赤い明りだけが室内に光をもたらしている。
こんな状態で本を読むという暴挙は目が悪くなりそうで仕方がないけど、蝋燭の明りの元でしずかに読書に耽るというのは何だか趣があって気に入っている僕だった。
「…………」
地下にあるセラムさんの書斎から借りてきた歴史書の様な分厚い本は日本でいうところの日本史や世界史の資料集を読んでいるみたいで普通に面白いというか、何だか中断するタイミングを失ってしまうぐらいに没頭してしまっている。
とはいえそろそろ時間も時間だ。
いい加減寝ておかないと、寝不足で足を引っ張るなんて無様を晒すことになりかねない。
それだけは絶対にしてはいけない。死んでもしたくない。
「よし」
と、独り言を呟いて本を閉じベッドの脇にあるサイドテーブルに置くと枕の位置を目掛けて仰向けに倒れこんだ。
しかし、リズは何をやっているんだろう。
どうにか一緒に風呂に入ろうとしてくるのを遠慮したはいいが、明日の準備がヤベえとかいって隣の部屋に行ったきりしばらく音沙汰がない。
だから昼のうちに荷解きをやっておいた方がいいんじゃない? って言ったのに、衣類や貴重品だけバラして残りはそのうちやればいいだろとかって空いている部屋に放置するからさっそく困ったことになっているではありませんか。
もしかしたら十数箱ある木箱全部ひっくり返してるのかもしれないな……とか思うと手伝いに行ってあげた方がいいのかもしれないけど『すぐ戻るからちょっと待っててくれ』と言われてしまってはお節介をして女性の私物を漁りにいくというのはどうにも憚られるわけだ。
まさかあのリズが僕みたく旅への備えとして持っておくと便利な物や何かあった時に必要になるかもしれない物を用意して遠征に臨むとも思えず、それとなく聞いてみたところによると、
「ちなみにだけど、何を準備するの?」
「ん? 武器以外に必要なモンなんかねーだろ?」
という至極単純明快な答えが返ってきたため準備するか否かという選択肢自体最初から存在しないことが分かって何よりである。
回収に行ってくれた兵士が綺麗に仕分けしておいてくれたのに、ぐちゃぐちゃになっていそうだなぁ。
それを片付けるのがイザベラさんなのだと思うと何故か僕が申し訳なくなってしまうのはきっと本人に露程もそんな気持ちがないからだろう。
僕が手伝うぐらいのことなら全然構わないけども、だからといって口調や態度ならまだしも片づけをするだとか礼儀正しくするといった部分まで僕が口うるさく言える筋合いなのかと考えると本当に難しい関係性だと実感する。
昨日今日会った人間に偉そうにああしろこうしろと言われれば誰だって気分が悪いだろうし、という理屈とクロンヴァールさんから課せられた役目や結婚云々など、こうして同じ家で過ごしている事実、そして思いの外リズ自身が聞く耳をもってくれる現実にどこまでその理屈を超えて踏み込んでいいものかという葛藤の狭間で事あるごとに思い悩む難儀な立場であることもご理解頂きたい。
ともあれ遠慮なく接したり言いたいことを言うにはいかんせん出会ってからの時間が短すぎる、紐解いて結論を出すならそれに尽きる。
「わりぃわりぃ、随分待たせちまったな。ちっと汗掻いたから水を浴びに行っててよ」
不意に、予告なく、部屋の扉が開く。
無事に探し物が見つかったのなら何よりだと安堵しつつ、風呂もさることながらやっぱり同じベッドで眠るのはどうかと思うので用意していた言い訳を聞いてもらおうと開いた口は途中で勢いを失っていた。
「明日の用意は無事に終わったの……って何でそんな格好で!?」
毎度毎度似た様なことばかり言いたくはないが、それでも反射的に顔を背けることしか僕に出来ることはない。
湿った髪をブルブルと振り回しながら扉を閉めてこちらに近付いて来るリズは下着こそ履いていたものの、それ以外には何も身に付けていなかった。
俗にいうパンツ一丁という恥もモラルも、ついでにあられもない姿はいくら汗を流した後だといっても無秩序過ぎる。
小さな事……とは間違っても思えないが、細かい事を気にしない性格ゆえか、単に一人暮らしの時の習慣が抜けていないのか、はたまたそれを改める必要性を感じていないのか、或いは……。
「何でって、水浴びに行ったっつったろ?」
「それは聞いてたけど、だったら服を着てから上がって来てって話をしてるんだよ僕は」
「いーじゃねえか、どうせ脱ぐんならハナっから来てなくても一緒だろ?」
「どうせ脱ぐって……」
どういう理由で? とは聞けなかった。
頭に浮かんだのは『ああ……やっぱり或いはの方だった』という焦りだけだ。
グランフェルトを発つ前日から数えてまだ三日しか経っていないというのに、そう次から次に新婚生活みたいな雰囲気を作り出されてもアイミスさんやジャックに合わせる顔がなくなってしまう一方だというのに。
「あのね、リズ……」
「よっと」
ちょっと、聞いて?
大抵の事は素直に聞き入れてくれるのに、ちょいちょい耳を傾けてくれるだけでこっちの言いたいことを理解していないまま分かった風な態度を取る時があるよね君?
「ダーリン、約束通りウチの全部をやる。だからまずは女の幸せってやつをこの体に教えてくれよ」
既に制止の言葉は届いていなかった。
ほぼ素っ裸の状態で、リズはベッドに飛び乗る様に寝転がっていた僕のお腹の上に座り真っすぐに僕を見下ろしている。
性的な興奮を覚えているのか何だか恍惚とし始めていて、感情が先行し冷静さを欠いているのかもしれない。
そう考え、僕は今一度少し大きな声で待ったをかけた。といっても……リズが冷静だった場面は思い出す方が難しいのだけど。
「リズ、ストップだってば」
「おん? どうしたよダーリン。目ぇ逸らしちまって、照れてんのか?」
丸出しの乳房が目の前にあるせいで中々直視出来ない中、伸ばした右手だけが言葉以外に意思を示していた。
鎖骨の辺りに触れた感触と共に、今にも覆いかぶさろうとするリズの動きが止まる。
「とにかく待って、そして一旦降りて」
「お? おう……」
こうなってなおこちらの言いたいことが伝わっていないのか、相当に不思議そうなリアクションでこそあったが、それでもリズは僕の上から降り隣に座った。
かと思うと覗き込む様にグッと顔を近付ける。
「どうしちまったんだよ、もしかして勃たねえのか? さてはウチの体に見惚れたな、つっても胸はそんなデカくねえけど」
「うん、あのねリズ、取り敢えず下品なこと言うのはやめよう? 年頃の女の子なんだから」
「下品? 何か変なこと言ったかウチ?」
「自覚が無いなら今はいいや……あのね、気持ちは分かるけどひとまず今日だけは思い留まってくれるかな」
「何でよ」
「僕達は明日から天界に行くんだよ。命を懸けて戦うために、世界中の人達を守るために」
「そりゃ分かってっけど、それとウチの股の疼きに何の関係があんだ?」
「だからそういう下品な表現は……いや、今は置いておくとして。僕は戦ったりは出来ないけど、だからこそ全員が無事に帰れる様にするために出来ることは全部やっておきたいんだ。必死に考えて、精一杯最善の方法を、安全な手段を、勝つために、死なないために、導き出すことが僕の役目なんだよ」
「安心しろ、ダーリンのことはウチが守ってやっから」
「ありがとう。でもね、リズがそう言ってくれるからこそ僕も足を引っ張ることだけはしたくないんだ。僕が勝手に死ぬだけならまだしも、誰かを巻き添えにするのは死ぬよりも嫌だから、だから……万全の状態で旅に臨むために、今僕達がやるべきことはしっかり休んで明日に備えることだよリズ」
「だから今日はイチャコラしてねえでサッサと寝ようってか? んな大袈裟な、心配性過ぎんぜダーリンよぉ。ウチは世界最強だから神の名を騙るハナクソ共になんざ負けやしねえって」
「またそんないい加減なこと言って……神の化け物じみた強さを知らないからそんなことが言えるんだよもう」
「そりゃ神サマの偉大さなんざ無学無教養のウチの知ったこっちゃねえけどよ。そういうダーリンは知ってんのか?」
「……え? いや、それは知らない……けど、分からないから言っているんだよ。せめて万全でいられる様に寝不足や体調不良になり得る可能性は徹底的に排除しておかないと。取り返しのつかないことになってから後悔しても意味が無いんだからさ」
「そーゆーもんかぁ? まあ確かにウチは初めてだから股が痛くて歩きづれぇって副産物が発生する可能性はあるけどよ。人に聞いただけだからどんだけ痛いかは知らんけどな」
「僕が言いたかったこととは若干違っている解釈だけど……つまりはそういうことだよ。生きるか死ぬかの戦いになるからこそ、まずは最善を尽くそう」
本音が八割、誤魔化したい気持ちが二割の説得の言葉。
それでもリズは『分からんでもねえけどよぉ』と悩む素振り見せたのち、ようやく折れてくれた。
「わーったよ。ウチ等がそんな状態で行って御姫に怒られるのはダーリンだもんな、そこは顔を立てとくことにする」
「うん、理解してくれてありがとう」
「無事帰った暁には、って楽しみがあった方がこっちも燃えるかんな。今日の所は我慢する、代わりにそん時は枯れるぐれえ抱いてやっからな。覚悟しとけよ!」
「抱いてって……」
「な~に、ウチと御姫がいりゃあっという間に終わるさ」
もはや立場が逆になってますけど……とは言えなかった。
言わずもがな元に戻されても困るからだ。
しかしまあ、さっきから自分の強さに対する自信が凄いな。
「そうと決まりゃサッサと寝ようぜ」
と、リズは二本ある蝋燭のうちベッドの脇にある一本を息で消した。
残った扉の傍の物のみが照らす室内は一段階暗くなり、就寝モードへと変わる。
本来なら同じ布団で寝るところまで遠慮するはずだったが、これ以上譲歩させようとすると振り出しに戻ってしまうであろうことは火を見るより明らかだったのでそれに関してはこちらが譲歩するしかないようだ。
さー寝るか~、と僕の隣に倒れ込み布団を二人の体に被せたリズに服を着てくるという発想は無いらしく、ほぼ裸のまま僕の腕に抱き着く格好でこちらに体を向けている。
せっかく睡眠を取ると話が纏まったというのに、これでは僕が眠れないんですけど。
「人の温もりなんてガキの頃以来だ、こんなにいいもんだと思わなかったよ」
目の前にある満たされた様な笑顔に、離れてくれと告げるのが困難になっていることを否応なく痛感させられる。
リズに冷静さを求めた僕が、今度は自分が冷静になるために必死で気を落ち着け、その中で浮かんだいつか改めて聞いてみようと思っていた疑問を今一度問うた。
「あのさリズ……どうして僕なんかがいいと思ったの?」
「昼間に言った通りさ。優しくされたのも、心配されたのも、正面切って正論を突き付けてこられたのも初めてだった。この世で一人だけだ。そりゃダーリンにしてみりゃ何でこんな女とって思うかもしれねえよ、それは分かってるさ。だからウチなりに好かれる様に努力するし、ダーリンのためだったらなんでもやる。どうしたって根は悪党だからなウチは」
「悪党っていうのは……さすがに言い過ぎなんじゃない?」
「んなことはねえよ。結局は魔法も腕っぷしも気に入らない奴をブチのめすためだけに使ってきた。言い訳しようってんじゃないけど、それにもちっとは言い分ってのがあってさ」
「うん」
「ガキの時分なんて努力や才能の価値なんてわかんねえもんだろ? でも幸か不幸かウチにはその才能ってのがあったらしい、謂わば親父の遺産みたいなもんだ。物心が付いた頃、一緒に魔法を習ってたガキ共とはやっぱハナっから全然違ったよ。ウチにしてみりゃ何だってこいつ等はこんな簡単なことがいつまで経っても身に付かねんだって不思議だった。それが態度や表情に出りゃ疎まれるのも当然ってもんさ。親父の名前を持ち出してはやっかまれて、ハブられて、陰口を叩かれる。七光りだのデカいツラ出来んのは親のおかげだのってあることないことあちこちに吹き込まれて、どこにいっても除け者だった。そりゃウチだっていけ好かねえクソガキだったろうさ。だけど子供心に偉大な親父様のせいで色物扱いされて、友達の一人もいねえ、どうやって素直に育てってんだっつー話だよ。だから全員ブチのめしてやったのさ。才能を言い訳にしている奴らを、魔法なんざ使わずに拳一つでな。結果はご想像の通り、相変わらず独りぼっちのままだったけどよ、それでも文句を言う奴はいなくなった。そこで学んだのさ。力があればナメ腐った奴を黙らせることが出来るんだって。孤独は変わらないどころか増していく一方だったけど、少なくともくだらねえ真似をする奴は消えた。どうせ一人なら、誰にも文句を言わせねえ生き方をしてやるって、その時にウチは決めたんだ……軽蔑するか?」
「しないよ。僕もさ、いじめられたり仲間外れになることは幸いにもなかったけど、父親がいないことで人と違うんだって劣等感みたいなものは人知れず抱いていた時期があったと思う。それこそ小さな頃は。僕もリズも、世間からみればまだまだ若くて、まだまだ子供なんだから、成長していけばいいじゃない。僕だって人様に偉そうに説教出来る様な立派な人間じゃないし、失敗して、後悔して、それでも学んで改善して、そうやって大人になっていくんだよ。僕もリズも」
「ああ……やっぱウチは間違ってなかったよ。ダーリンを選んだのは間違いじゃなかった。やっぱりダーリンと出会えたのはこうなるためだったんだ。意地でも幸せにすっからな」
不意に体を起こしたリズは、天井を見つめる僕の唇に自分の唇を重ねた。
そして照れ笑いの様な声を微かに漏らして体勢を戻すと、そのまま目を閉じてしまう。
驚きのあまり飛び起きそうになるが腕に抱き着かれているためそれも出来ず。
リアクションを向ける先すらも見当たらない僕はバクバクと早まる鼓動の音を全身で感じ、まず間違いなく赤くなっているであろう顔を反対側に向けて隠しつつ、落ち着け落ち着けと絶えず心で念じ続け膨大なる苦労を伴いながらも意識が落ちていくまでの時間を一人静かに待つことしか出来なかった。