【第六章】 荒くれ者の流儀
すっかり遅くなり夕食時を遙かに過ぎてしまった感が否めなさ過ぎて泣けてくるが、起きてしまったからにはこの空腹を放置してもう一度寝ることは中々に難しい。
というわけでわざわざ夜道を歩いてやって来た僕は目の前にある【Queen・Carol】に、少しの逡巡を挟んだのち足を踏み入れる。
なるほど確かに、この世界の大半を占める大衆向け食堂という感じの店や居酒屋っぽいバーとは見るからに雰囲気が違っていて、高級レストランとまではいかずともファミレスぐらいの広さや見栄えは間違いなく兼ね備えいると言えるだけの内装だった。
言うまでもなくドリンクバーやサラダバーなんて物は見当たらないが……。
「いらっしゃいませ。お一人様でございますか?」
店内を見回していると、出入り口に立っていたボーイさんみたいな若い男性が近付いてきた。
さっきのホテルといい極端にサービスのレベルが高くなっていると感じるのはゼロか百かみたいな比較をしてしまっているせいだろうか。
「はい、一人です」
「テーブルとカウンター、どちらにもご案内出来ますがいかが致しましょう」
「ではカウンターでお願いします」
「畏まりました。こちらにどうぞ」
今日だけで何度この説明を挟むのか、ボーイさんは丁寧なお辞儀を挟み先導する様に歩いていく。
仰る通り、時間が遅いこともあって二十ぐらいはあるテーブル席は半分も埋まっていない。
そして一人や二人で来た客用のカウンター席も十五ぐらいはあるのだが、こちらも数人が単身で酒を飲んでいる程度だ。
ついでに言えば来る前に聞いた通り、完全に飲み客しかいないことも疑う余地がないぐらいに明らかな光景が広がっていた。
高級レストランさながらオルガニストがいるらしく、隅っこの方でパイプオルガンを弾いている人も居て店内に穏やかな雰囲気を作り出してはいるが……まあ確かにこうなってしまえば居酒屋とまではいかずとも普通のバーと大差ないな。
「どうぞ」
案内されるなり椅子を引かれ、良いサービスだなぁと思いつつもお礼を言って席に着く。
すぐにカウンターの向こうで酒を造る係と思われる渋いおじさんが水を出してくれ、ソッとメニューを目の前に置いた。
サッと目を通してみるが、格式の高さが関係しているのかはともかく飲み物も料理も中々に種類は豊富なようだ。
時間帯のせいか、日本と違ってソフトドリンクなんて物はほとんどないせいか、飲み物が酒のバリエーションで埋まっているのはいささか年齢層に外れてしまっている気もするが、その辺りは致し方在るまい。
葡萄酒、林檎酒に始まり蜂蜜酒だのチェリーブランデーだの馬乳酒だのと耳に馴染みのない物もたくさんある。
ま、その一覧は僕には関係無いのでどうだっていいのだけど。
「いらっしゃい。何になさいますか」
といった具合にズラリと並んだメニューの一覧に目を通していると、カウンターの向こうから声を掛けられた。
何ともダンディーな髭が大人っぽさを感じさせる、確認していないので事実は分からないながらもここの店主なんだろうなと想像するには十分なそれっぽい風貌である。
何ならお酒が並ぶカウンターの向こうにいることもあって『マスター』とか呼ばれていそうなおじさん感がハンパない。
「マスター、もう一杯もらえるかい」
「はいよ」
というかもう実際に目の前でそう呼ばれていた。
事実はどうあれ、そんな落ち着き払った雰囲気を持つおじさんは手慣れた手付きでいくつか向こうの椅子に座っているお客さんへグラスに注いだお酒を差し出すと、空いたグラスを手に再び僕の前へとやってくる。
カウンター席に限らず、テーブル席のお客さんが頼んだ酒もここで造ってウェイターが運ぶシステムになっているらしく悩んでいた間にも何度か注文を伝えに来ているし、忙しそうにしていると声も掛けづらいので今の内に注文を済ませておかねば。
なんて思考に至るのは土日だけとはいえ母の手伝いで実家の喫茶店で働いてきた経験によるものなのだろうが、ともあれそもそもが何を買うかで迷ったり選ぶのに時間を掛けるのは好きではないので何となくというだけの理由で決めた二品と飲み物を注文し、一人ポツンと完成を待つ時間を過ごすことに。
よく考えてみると日本に居る時なんてこうして単独で飲食店に入ることなんて一度もなかったのに、随分とアクティブな性質を身に着けたものだ。
遊びに出掛けたり外で体を動かすよりも部屋で一人読書に耽る方が好きという少々残念な性格の僕が、この世界では一人で外食なんてしちゃうばかりか一人で船に乗って渡航するわ一人で盗賊に監禁されるわ一人でドラゴンに会いに行くわと別人の如く行動力を身に着けているのだから異世界での体験は人間としての成長に多少は関わっていると考えていいのだろうか。
まあ……どれもこれも好きでやったわけではないのでアクティブと言っていいのかどうかは分からないけど、いつかこういった経験が社会に出た時に生きるかもしれないとでも思っておかないと残念でならないよね。
そういう意味ではむしろ政治や外交に携わった経験の方が価値としては高い気もするけど、王制であり王政である以上あんまり知識としては生かせなさそうな気もするので難しいところだ。
失礼になったり不快に思われないように何気なく店内を見渡してみると、時間も時間とあってほぼ全てが個人か二人組の客だし、店の人間も含めこんな子供が一人で紛れ込んでいることなんて誰も気に留めていないのもこの世界ならではの現象なのだろう。
十五歳が成人という独自ルール……というのは、十代で兵隊になるのが珍しくもない謂わば戦国時代に似た在り方がそうさせるのだろうが、例えそうであってもこの歳の僕がこんな時間に一人でバーみたいな所に入って来たのなら周りの大人は注意するべきではなかろうか。
といっても僕は別にお酒を飲みに来たわけではないので注意されても困るのだけど。
「いただきます」
マスターすら近くにはいない状況で、届いた二皿の料理に手を合わせさっそくフォークを手に取る。
葉物を中心に色んな種類の野菜を炒めてミルクスープに放り込んだ物。
そして白身魚の切り身をバターで焼いたムニエルっぽい物。
何とも積極的に肉料理や脂っこい料理を食べようとしない僕らしいチョイスである。
別に嫌いというわけではなく、どちらかというと魚や野菜の方が好きだというだけなのだけど……この世界のもてなしの料理とかって肉類の方が多いので慣れていかないとなぁ。
馬肉とか日頃馴染みがなさ過ぎて全く手を着けようと思わないんだもの。ああ、そういえば犬の肉とかも食べたな少し前に。
「…………うん、おいしい」
なるほど確かに、王室御用達と言われてもまあ納得してしまうぐらいには満足のいく料理だ。
塩や砂糖を始め調味料、香辛料の類がそこまで安価で身近に出回っているわけではない。
というのが理由なのかは知らないが、濃い味付けをせずあっさりしているのが実に僕好みだと言えよう。
肉料理なんかは逆に濃いソースとかがかかっているのだが、大抵野菜や魚はこういう感じなので余計に僕の注文がその方面に寄ってしまうのも必然といったところか。
「オイコラ! こっちの酒が空だぞー! ったく、気の利かねえならせめて余興のファイアーダンスでも踊ってろボンクラ共がよ。うちが全身真っ赤に染めてやっからよ、ひゃっひゃっひゃ」
ふと、背後で怒鳴り声に近い声が響いた。
ひっそりと静かなメロディーを奏でていたオルガンの音を容易く掻き消す程の、入ってきた当初から耳には入っていたやけに大きな女性の声だ。
お酒が入っているから、というのは理解出来るものの何だって一人だけそんなボリュームなんだと若干モヤモヤはしていただけに更に上を行く声量にはそれを通り越してイラッとしてしまう。
少し前にも同じことを言ったが、日頃飲食店で働いている身なだけにああいう周囲や店への迷惑を考えない客はいつどこで目にしても腹立たしくなってきてしまう体質なのだ。
「お客さん、振り向いちゃ駄目だ」
思わず首を後ろに向け騒音の発生源を目で追う僕を、すぐにマスターが止めた。
ひとまず若い女性ということだけは分かったが、慌てて前を向いたものの目が合ったか合いそうになったかというレベルで危うかったのでよく声を掛けてくれたものだ。
「……よく来られる方なんですか?」
警告する、ということはつまり知った顔であるという憶測は当然働く。
かつ目で追うというだけの行為が良からぬ事態に繋がる可能性があるということだと考え、もう直球で聞いてみた。
それに対するマスターの困った様な顔が既に答えを物語っている。
「この町に住んでいるわけではないみたいだからお見えになるのは稀なんだけど、あの通りとても酒癖が悪くてね。いつしか夜のお客さんは皆近付かなくなってしまったよ。大きな声で悪態を撒き散らすし、店の人間であれそれ以外であれ文句を言おうものならすぐに暴力的になるしでどうにも手に負えない困ったお客様さ」
「そこまで迷惑になっているなら追い出せばいいのでは……」
「それが出来れば苦労はしないんだろうけど、どうやら良い家の子らしくてね。大事になる前に兵士達を呼んだところでみんな頭が上がらないみたいなんだよ。騒がしくて申し訳ないけど、しばらく喚いているうちに酔い潰れて帰っていくから少しだけ目を瞑ってもらえると……」
と、そこまで言って不自然な間でマスターの言葉が止まる。
どうしたんですかと尋ねるよりも先に、その『こりゃ不味い』みたいな表情が嫌な予感だけを伝えてきていた。
というか、それがなかったところで足音が聞こえた時点でもう何か察してしまっていた。
「ようベビーフェイス、今ウチを見て舌打ちしたよなぁオイ」
「…………」
後ろから近付いてきた誰かは、いきなり肩を組んできたかと思うと冗談めかした口調を発すると同時にグッと顔を近付けてきた。
まあ……確認するまでもなく今の今まで好き放題口汚い暴言を振りまいていた若い女性だ。
歳は僕と大差ない、十代にも見えるがそれよりも何よりも凄まじいまでの酒臭さにどれだけ飲んだらそうなるのかと末恐ろしくなる。あれだけ酒好きのジャックですらこんなにはならないだけに尚更だ。
短めの濃い茶色の髪で、外はどちらかというと肌寒いぐらいの気温なのに袖が短くへその出たシャツ一枚というラフな格好をしている。
というぐらいしかこの距離で分かる情報は無いわけだけど、全力で喧嘩腰の匂いしかしない女性はそれ以上の観察を許してはくれなかった。
「へいへい、どうしたよ腰抜け。黙りはねえだろ、ウチと話がしてえのかとわざわざ相席してやってんだぜ?」
口調や態度こそただの度を超したフレンドリーさと表現すれば身の危険を連想させる程のシチュエーションと言い切れる様なものではなかったが、肩をがっちりと組まれているため逃げるという選択は許してもらえなさそうだ。
それでいて目は明らかに敵意を孕んでいるため仄かに苛立ちみたいなものも伝わってくるが、呂律が回っていない辺り酒に酔ったテンションが元来の人間性や性格をより強く露出させ攻撃的になっているのかなと思えなくもない。
いずれにしても結論だけを言えば完全に喧嘩を売りに来ているということに他ならないわけで、果たして僕はどういう態度でいるのが正解なのだろうか。
「そう縮こまることはねえよ、こう見えて話の出来る奴だぜうちは。だからこそこうしてお前が喋れなくなる前に聞いておいてやろうと思ってやって来たんだからなぁ」
「…………」
僕はこの後喋れなくなる可能性があるのか。
ほとんど無意識に漏らした舌打ちに気付かれていたのは今世紀最大の誤算だと言わざるを得ないが、だからといって平謝りするのかと自問してみるとそれは絶対に違うと、理性がそれを拒否している。
いくら事なかれ主義の僕であっても、この状況で自分が悪かったと言うのは……色んな意味で納得が出来なかった。
「ロンド様、他のお客様の迷惑になる様なことは……」
「飯炊きジジイは引っ込んでな。こりゃウチとこいつの話だ、そうだろクライベイビー?」
「はぁ……」
せっかくマスターが止めに入ってくれたのに軽く一蹴されてしまった。
こうなってしまえばいよいよ頑なに相手にしていませんというポーズを取っている意味もなくなってしまったようだ。
だけどやっぱり平気で人に迷惑を掛ける行為への嫌悪感を拭うことは出来なくて、軽薄さや口の悪さも相俟って僕自身もそんな相手に『気に障ったならすいません』と言える状態ではなかった。
「さあてと、どんな話を聞かせてくれるんだ? 何なら場所を変えてもいいんだぜ?」
まだ何かを言おうとしたマスターを無視し、肩を組んだまま女性は更にグッと顔を近付けてくる。
酒臭いし、低い声がおっかないしと普通なら強がっていないでサッサとこの場を収めたいと思うのだろうが、酷く苛立つこの気持ち的にも人前で情けない姿を見せたくない見栄みたいな感情的にももう開き直るしかあるまい。
「言いたいことがあるなら言え、と仰るなら遠慮なく言わせていただきますけど……端から見ていてもあなたの行動言動は他の方にも店にも大変迷惑です。大きな声で汚い言葉を発して、高圧的な態度で誰彼構わず威嚇して、いい歳をした……とまではいかなくとも良識を身に着けて然るべき年齢ではあるでしょう。酔っていたから、を言い訳にするにも限度というものがあるんですから、ルールだったりマナーやモラルが守れないなら飲酒をする資格はないのでは? と思うあまり視線を向けてしまった次第です」
「なるほどなるほど、言いてえことはよーく分かったよ。世間知らずのお坊ちゃんが、勇敢にも、このウチにご高説を垂れようってわけだ。過去に似た様な台詞を吐いた奴が何人かいたが、漏れなく痛みに悶え後悔しながら帰って行ったっけなぁ。その時そいつ等がどんな教訓を得たか分かるか? そう、『臭せえ口は閉じていろ』だ」
「世間知らずかどうかはさておき僕は別にお坊ちゃんではないですし、高説を述べているつもりもないですけど、お互い気を付けるということで納得出来ないのであれば店に迷惑なのでご提案に従って場所を変えませんか?」
「なら表に出な。男らしくタイマンでケリをつけようじゃねえか」
「…………」
やっぱりそういう展開になるのか。
外で話の続きをしようというだけで、何をどう解釈すれば拳で語り合おうと聞こえるのだろう。大体あなたは女でしょうに。
そういうのは本当に勘弁して欲しいんだけど……どうあれ殴られるにしても説得するにしてもここでやると店に多大な迷惑を掛けるのは変わらない事実。
ひとまず場所を変えるべき、という点においては疑いようもない……か。
「ふぅ……分かりました、続きは外で」
「ちょ、ちょっと君……」
マスターが全力で心配そうな顔をしている。
そしてその感情は間違っていない。僕が一番この後の僕を心配しているぐらいだ。
「騒がしくしてすいませんでした」
だけど今更助けて下さいとは言えず、結局代金として銀貨五、六枚をカウンターに置き『おら行くぞ』と先に歩き出した女性の後を追うしかなかった。
食事代にしてはやや多すぎるが、恐らくあの人も飲み食い代を払わずにいるはずなのでそれ込みという意思表示だ。
なぜ酔っぱらったチンピラの飲み代を僕が負担しなければならないのかという疑問は当然あるのだけど、そもそも僕側からも煽ったみたいな格好になっているので同罪とまではいかなくとも原因の一端を担っている感は否めないので文句は言うまい。
虚しくも静止する引き留めようと伸びたマスターの右腕を横目に、出口へ向かって歩く。
当たり前ながら他のスタッフや客の視線を一手に集めているが、そこはもう気付いていないふりをするしかなかろう。僕だってみっともないと思っているさ。
そのまま外に出ると、女性はすぐ傍の角を曲がり比較的横幅のある裏手の暗い路地で立ち止まりこちらを振り返った。
店を出る段階から既に足下は覚束ないし、ひっくひっくとしゃっくりを繰り返しているしと完全に素面ではないどころか泥酔状態と言ってもいいレベルにまともではなさそうだ。
鳩尾の辺りに卍みたいな模様のある袖が短くへそが出るぐらいの丈しかない白いシャツに下は黒いショートパンツという格好は女性らしいといえばその通りなのだろうが、腰に何かを巻いているのかと思いきやよく見てみると前半分がショートパンツ、後ろ半分がミニスカートみたいになっている何とも奇抜で寒そうな格好をしていたことをここに来て初めて認識した。
すねの辺りまである白いブーツの下に黒いソックスが覗いている足下はまあ普通の女性寄りなのかもしれないけど、同じく後ろから見て初めて気付いた頭部も実は相当に特徴的なものだ。
濃いめの茶色い髪は耳が隠れるぐらいの短さしかないのに、後頭部で纏めて縛っている後ろ髪だけは腰ぐらいまでの長さがあるという、この世界の流行りだとかは知らない僕でも一般的ではないことがはっきりと分かる個性に満ちた外見をお持ちの女性であるらしい。
そんな分析に何の意味があるのかはさておき、パーカーを着ていて丁度良いぐらいなのにほんと寒くないのかな。
「生憎と喧嘩は酒と同じぐらい大好きさ。テメエみたいな枝っきれが相手であっても決闘を受けたからには手加減はしねえぜ」
両腕を広げ、いかにも好戦的で嗜虐的な表情を見せたかと思うと、女性は左右の指をパキパキと鳴らした。
話の続きを、という前提で外に出たはずなのにもう色んな意味で手遅れ感がハンパない。
それでも一応言ってみるしかないのだけど。
「いやあの、決闘を受けた覚えはありませんけど……」
「とはいえ、だ。こんな所で長々とやり合ってちゃ大騒ぎになる。つーわけでここは一発勝負ってことにしてやるよ」
「…………」
駄目だ、全く聞いてない。
そしてマスターが心配して後ろの角から覗いてるの見えてるんだけど。
これじゃあ全力で謝ってどうにか勘弁してもらうという最終手段が取りづらいじゃないか。というか心配しているのなら早く人を呼んできて欲しい。
「こちとら晩酌を邪魔されてご機嫌ナナメさ、やるならサッサと終わらせるとしようぜ。今更謝っても勘弁してやらねえかんな」
あ……最初から謝っても無駄だったみたいだ。
もうほんと、いよいよどうしたものか。
薄いリアクションとは裏腹に実は必死に考えを巡らせている僕だったが、まず話が通じない時点で逃げるしかなくない?
「……ん? あり……ああそうか、杖は持ってきてねえんだった」
何やら腰の辺りをまさぐった女性は一人で納得した風に何かに気付き、そして握った拳を前後に構えた。
途端にその両手が光を帯び始める。
「約束通り一撃勝負だ、これを食らって立っていられたらテメエの勝ちでいいぜ。ま、九分九厘そん時ゃこんがりジューシー人間焼きの出来上がりだがなぁ、ひゃっひゃっひゃ」
「ま……魔法?」
嘘でしょ。
何をしようとしているのかは定かではないが、こんな夜道で……というか町中で攻撃魔法って使っていいものなのか。
「安心しなベビーフェイス、ついでに吹き飛ぶ周囲の建物を墓標代わりにしてやっからよ。さあ弾け飛べ! 地獄葬!!」
前後に構えた二つの拳を繋ぐ様に、白く輝く光の筋が現れる。
そうなって初めて空手であるはずのその手が、まるで弓矢を構えているかの様な姿勢であったことに気が付いた。
既にその手を離れた光の矢が目の前にまで迫っている。これ以上考察の時間は無い。
しかしそれでも、怖さと驚きの中にこういう方法であるならば、殴り掛かって来られるよりは対処のしようがある分だけ助かったと考える自分がいた。
「……フォルティス」
もしもこの右手の指輪がなかったなら、本人の言う通り肉塊にでもなっていたかもしれない。
無事だったところでその事実は末恐ろしいことこの上ないが、むしろそんな状況でばかり何度も使ってきたこれまでの経験のおかげで焦りながらも『取り敢えず盾を出す』という行動だけは滞りなく出来てしまう自分に万歳である。
盾に触れた光の槍、或いは光の矢は破裂する様に爆発的な強い光を放つも、そう大きな音を出すこともなくそのまま消えていく。
やがて通りが闇夜の様相を取り戻すと、僕の目に映ったのは唖然としている女性の姿だった。
追撃で連発されたらどうしようもなかっただけに、一発勝負という宣言を守ってくれたことにこちらもホッと一息だ。
「う……嘘だろオイ」
尋常ではない鼓動の速さを感じながらも精一杯息を整える僕の前で、爆発によって生じた煙が風で捌けていく中、女性は膝から崩れ落ち、そのまま仰向けに転がった。
天を見上げ、絶望的な表情で弱々しい声音を漏らす。
「こ、こ、こんな奴にウチの最強最大の爆殺呪文が……」
「…………」
いやいや……そんなのを酔った勢いで一般人に向けて撃ったのか。殺人未遂だろもうこれ。
「チックショオオオオ!! どこまで落ちぶれてんだウチはよおおおおおおお!!!!!」
「ちょっと、声が大きいですって」
倒れたままでいる女性への多少の心配も重なって咄嗟に駆け寄り手を伸ばす。
だが、触れる前にその手は払い除けられてしまった。
「るっせえ! ゴミみたいな毎日を送って、毎日酒に溺れて、挙げ句こんな夜道でヒョロヒョロのお坊ちゃんにまで負けて……どこまで惨めになりゃいいんだよクソッタレ」
「いやだからお坊ちゃんじゃ……」
「……テメエで吹っ掛けた喧嘩だ、言い訳はしねえよ。結果はウチの負け、煮るなり焼くなり好きにしやがれ」
「はあ……だったら起き上がって、今日のところはもう引き上げてください」
「ああ? 何だって?」
「飲むなとは言いませんけど、今後はもう少しほどほどを心掛けてもらえると怖い思いをした甲斐もあったと言えますかね。周りの人間云々もそうですけど、あなた自身も危ない目に遭わないとも限らないわけですから」
「……けっ、分かったよ分かりました! 言う通りにするってんだばーか」
「ならよかったです。ほら、立ってください」
もう一度手を伸ばし、女性の腕を掴んで体を起こす。
今度は拒絶されることはなく、されるがまま女性は上半身を起こした。
「無理無理、ハナっからフラフラの状態で無理して全力で魔法力を消費したから全く力が入らねえ」
「……仕方ないな」
そんなことを言われたらこっちも帰るに帰れないでしょうに。
もう乗り掛かった船と思うことにするよまったく。
「家はどこですか? 僕にも原因がないとはギリギリ言い切れないのでそこまでは送っていきますから、背中に乗ってください」
「ん……」
歩けないならおんぶしていくしかない。
と、腰を下ろして背中を向けると、意外にも女性は素直に従い後ろから両腕を肩に回して体重を預けてきた。
肩を組むという方法もあるにはあるけど、目的地が遠くだった場合に間違いなくおんぶより体力を消耗するだろうし。
というわけで、体勢が安定するように調整し女性を背中に乗せて立ち上がると、僕はまだ後ろの角であんぐりしているマスターに会釈をしてその場を後にする。
道中これといって会話はなく、泣きわめいた後遺症なのか鼻を啜る音だけが静寂に響いていたが、二つほど角を曲がった所で女性が初めて道案内以外の言葉を発した。
「……なあ」
耳元で聞こえる声は当初と違って攻撃的でも高圧的でもなく、弱った女性らしいものだ。
よく考えると腹いせに後ろから首を絞められたりするかもしれないなと少ししてから気付いただけに、何だかそういう雰囲気はもう全くと言っていい程に失われているらしい。
「はい?」
「お前、いいのかよ……ウチなんかに優しくしてよ」
「なんか、と仰る理由は僕には分かりませんけど、魔法が使えたって喧嘩が強くたって若い女性なんですから。夜道に一人で残してはいけないじゃないでしょう」
正直、そうじゃなければ僕とてとっくに退散している。
何ならこれ以上関わりたくないとこれほど思った経験はないんじゃないかというレベル。
「こちとら魔法も喧嘩も負け知らずだったっつの……今日あんたと出会うまではな」
「まあ、あれだけの魔法を使えるわけですから僕などに心配される筋合いはないと思うのも当然でしょうけど、負けないからいいという話でもないですから。お酒の件も含めてもう少し自分のことも大事にしてください」
「…………」
返事はない。
盾のことを知らない身からするとまあ……打ち拉がれる気持ちも分からなくもないので敗者に鞭を打つみたいに思われてしまわないために敢えてこちらから話を振ることもせず、人一人見当たらない夜の裏通りを歩いていく。
それから少しして、女性はあそこだと一つの建物を指差した。
そう大きくもない、アパートみたいな木造で二階建ての宿屋だ。
「ここに住んでいるんですか?」
「いいや、仮宿だよ。この町に来た時だけ使ってんだ」
「へえ~」
「手間掛けさせて悪かったな、二階の一番奥だ」
「わかりました」
と、答えつつも人を負ぶった状態で階段を登り切れるだろうかという不安が頭を過ぎる。
とはいえ細身の女性なので思ったよりも問題なく二階に到達し、言われた通り最深部の部屋の前へと辿り着いた。
ゆっくりと背中から女性を下ろすと、ふらつきながらも施錠していなかったらしい扉を自力で開くに至る。
「これでもう大丈夫ですよね。僕はお暇しますよ」
「ちょ、ちょっと待てよ。送って貰ってそのまま返すわけにいかねえだろ」
「そう言われましても」
「茶ぐらい出すから入れよ。ほら」
「いや、ちょっと」
抗議の声も何のその。
腕を掴まれた僕は強引に部屋の中へと連れ込まれてしまった。
「ああ、そういや帰ったら飯にしようと米を買ってたんだった……飲むばかりで食わねえから腹も減ってるし、迷惑料代わりにあんたの分も用意するよ。その前に服も手足も土だらけだし先に洗い流してくるからちょっと待っててくれ」
「いえいえ、そこまで……」
と言った頃には女性は脱衣室へと消えていった。
ベッドに座らされ、いきなりポツンと独りぼっちになってしまう。
「…………」
いや、おかしいよねこの状況。
何で僕が送り狼みたいなキャラにさせられているんだ。
「うん、駄目だ駄目だ」
こんな時間に初対面の女性の家に入り込むなんて非常識過ぎる。
いっそこのまま帰ってしまおう、とも思ったが……出てきた時に勝手に消えていては失礼なのだろうかという疑問も当然あるわけで。
取り敢えず簡易キッチンに置いていた調理器具を借り、米と鶏肉をフライパンで炒めることにした。
ただボーッとしている時間に耐えられないので何かしていようという残念な理由ではあったけど、 どうせあの人もご飯を作るつもりだったのなら迷惑ではあるまい。
脂を薄く引き、米と切った鶏肉を混ぜ、インスタントに似た意味合いを持つ固形の鳥スープの素であるコンソメなのかブイヨンなのかといった用途の食材で下味を付け、ヘラで混ぜながらサッと炒めればすぐに簡単ピラフの完成だ。
冷凍の米じゃないし、具にする野菜もないので本当に五分と掛かっていない。
それを皿に盛ってテーブルに置くと、洗い物をして入り口の脇にある棚に置いてあった紙切れとペンを借り、大いに迷った結果として立ち去る旨のメッセージを皿の横に添えてやっぱり僕は気付かれる前に出て行くことにした。
ピラフは勝手にいなくなる詫びとでも思ってもらおう。正当防衛とはいえ泣き喚かせる結果にもなってしまったわけだし、何よりあんな状態で料理なんてしたら不味いに決まっている。
【見ず知らずの男が若い女性の部屋に上がり込むのは不味いと思いますので勝手ながらこのまま失礼しますね。簡単な物ですがお口に合えば幸いです。P.S.戸締まりはしっかりしておいてください】
こんなものでいいだろう。
とういか考える前にドアの向こうから聞こえていたシャワーの音が止まったし、急がねばバレてしまう。
「お邪魔しました」
と、誰にでもなく呟き、音を立てない様に玄関の扉を開くと僕はそそくさと宿屋を後にする。
見知らぬ土地の見知らぬ道であるせいで若干帰り道に迷ったりもしたが、それでもようやくホテルへ帰ることが許されたのだ。
日本であれ、異世界であれ、似合わない夜遊びなんてするものじゃないな。
そんな教訓を得た深夜の騒動だった。