【第三十二章】 難攻不落
片膝を突き、少々ふらつきながらもどうにか立ち上がったアイミスさんを狙う天帝へとジャックが向かっていく。
痛みや衝撃の影響か、もしかすると軽い脳震盪でも起こしているのか、見るからに動きが鈍っており傍目に見ても既にとどめを刺すべく刃を向けている周囲に浮遊していた五本の剣に対抗出来る状態だとは到底思えない。
だからこそ僕が何も言わなくともジャックはそれを阻止するために無策で突っ走っていったのだ。
その甲斐あって、と言ってよいものか。今にもアイミスさんを串刺しにするのではないかという五本の剣は即座に向きを変えその全てが次なる標的を定めた。
「馬鹿め、正面から突っ込んでくるつもりか。手数ではこちらが上なのだぞ」
少なくとも吹っ飛ばされたことで多少距離が出来たことも無関係ではないだろうが、天帝も同じくジャックを迎え撃つ体勢を取る。
その背景を推し量るにアイミスさんとの距離云々だけではなく敵の接近を嫌う性質も無関係ではないはず。
盾と武器、或いは岩や炎、そういった手段で遠隔攻撃を仕掛け、近付けさせないようにし、分断する。
そういった戦術、戦法を基本線とし、かつ自分でも刺されれば死ぬ普通の人間と変わらぬ肉体であると言っていた点からもそれらの方針に重点を置いているのは明らかだろう。
もっとも、こちらにとって何一つありがたい要素とは言えず突破しなければならない困難な壁という事実は変わらないのだけど。
「っとおおい! そんなんありかよ!」
遠ざかっていくジャックの大きな声が響き渡る。
原因は言わずもがな襲い来る剣だ。
先程の槍とは違い、何と五本全てが横回転しながら飛んでくるではないか。
人の手で操る物質には到底真似出来ないブーメランの様な動きで、ジャックの正面からそれぞれが違った高さでブンブンと音を鳴らしながらジャックに迫っていく。
五本同時というだけでも厄介だというのに、回転という要素が加わってしまっては防いだり避けたりも簡単ではない。
ならばどうするのかと見守る僕の不安や心配が要らぬ世話なのか的外れなのか、そんな状況にあってもジャックが足を止めることはなかった。
速度を落とすことなく、勢いそのままにほとんどスライディングの様な素早い前転で先頭の一本躱すと起き上がるなり二本目を左手でキャッチしてしまったかと思うと、二刀流となった状態になるなり両腕を広げてその場で片足を軸にくるくると回転し、残る三本を漏れなく叩き落としすぐに全力ダッシュを再開する。
剣も自分も回転しているのによくあれだけ正確に柄の部分を掴んでしまえるな……動体視力、反射神経、身体能力、どれをとっても人間離れしすぎだ。
ともあれこれで敵の先手はひとまず潰した。
加えて元々の距離がそう長くなかったこともあってジャックは既に天帝のすぐ前にまで迫っている。
そんな中でまず選んだのはまさに返す刀とでも言うべきか、左手で受け止めたばかりの剣を投げ付けることだった。
察するにそれは様子見というよりも誘導の一手だったのだろう。
想定通り天帝はすかさず盾を自らの前に移動させ真っ直ぐに飛んでくる剣を防いだが、次の瞬間にはジャックがその盾を足場にして高く飛び上がっていた。
毎度のことながら凡そ人間の跳躍とは思えぬ高さから脳天から貫いてやるとばかりに、真上から両手で持った剣を突き立てようと落下していく。
だが、威力を上げようと高く飛びすぎたことが災いしたのか天帝もすかさず迎撃の構えを取った。
いつからそうだったのか、ジャックに向けられた聖杖には輪っかの部分を中心に炎が灯っている。
いや、見ている限りでは今急に発生した火ではない。どちらかというと先程アイミスさんに仕向けた際に一部をそのまま杖に留めておいたと考えた方が自然だろうか。
物質ならざる炎をも操る力。であれば、そんな無茶がまかり通ってしまっても不思議ではない。
さすがにこの展開を予測していたわけではないだろうが、天帝はニヤリと嫌な笑みを浮かべるとすぐさま上空に向けて炎を発射した。
過去に見た魔法や虎の人の吐く物と同じく、杖先に溜めていた体積を遙か上回る火炎放射器さながらの規模と勢いの炎が下降以外に選択の余地が無くなったジャックへと襲い掛かる。
「うおっ!」
燃え盛る木々を利用した、のではない方法で火炎を繰り出すことまでは予想していなかったのか、一瞬にしてジャックの体勢が崩される。
それでいて咄嗟に斬撃波を放つことで直撃を避けると、風圧や質量の差によって迫り来る炎の塊を割った白光の筋はそこで消えることなく眼下の天帝へと襲い掛かり、同時に追撃を仕掛けようとしていた敵を遠ざけることまでやってのけていた。
とはいえ立て直す猶予が出来たと言える程の時間を得たわけではなく、ジャックが着地する頃には再び杖が向けられている。
それを阻止したのは、二人の立ち位置とは無関係な角度から飛んできた青き光と姿を変えた刃だった。
直前で気付いた天帝は身を捩って直撃こそ避けていたものの、肩口は切り裂かれ微かに血飛沫が上がる。
出所など考えるまでもない、向かって右側でようやく武器を構えられるまでに回復したアイミスさんによる援護かつ不意打ちの一打だ。
「手数も多ければ多様性もあるのだろうが、先程と違ってそれぞれに意志や独自性がない分やはり人数差でこちらに理がある。武器や防具、岩に炎、それらを自由に操れるとしても奴自身の目が向く先は一箇所のみだからだ…………トラ」
すぐ前で背後からの攻撃の阻止役をしている虎の人が腕を組んだまま、その様を見て冷静に見解を口にする。
その言葉通り、後ろに五本の槍が控えている今この時に僕達が攻撃を受けていないことがその証明とも言えるだろう。
「なるほど……確かに」
「とは言っても、その程度の要素で勝負が決する相手だとも思えぬが……」
「ですね」
それも確かにそうだ。
相手は神の親玉、そして天界の支配者。
ちょっと凄い能力を操るだけの強い人程度で済むとは中々思えないのが本音だ。
その疑惑が事実であると示すかの様に。というのは語弊があるのだろうが、天帝とて少し切られた程度では隙を見せてはくれない。
正面のジャックと右側の少し離れた位置にいるアイミスさんは今の攻防によって多方面からの攻めに活路を見出したのか合流せずにその場で揃って剣を構えたが、その前に壁際にあった岩が二人に向かって飛んでいるのがはっきりとこの目に映っていた。
虎の人以外では防御、破壊が困難な巨大物質は天帝の前を通過する様な軌道で飛び交い、いとも簡単に回避を強いて二人を引き離す。
「クソがっ、さっきの鉄球の比じゃねえぞこんなもん!」
一度目の襲来を躱したものの、すぐさま戻って来ようとする岩の塊に苛立つだけで打つ手を見出せないようだ。
だからといってあれを無視して天帝に攻撃を仕掛けるのは無理があると判断したらしく、ジャックはそのままこちらに下がってくる。
「一発食らわそうにも一手に時間を掛けちまうと野郎に有利だ、一旦トラと代わるぞ」
「はい!」
そんな声が聞こえてくるなり『しばし離れるぞ』と一言言い残し、虎の人もすぐに僕の傍から離れ正面から天帝に向かって突っ込んでいった。
入れ替わる様にジャックが僕の所まで後退し、アイミスさんが中間付近の一直線にならない様な位置で停止する。
やはり当面は岩を素手でどうにか出来る虎の人が攻めの中心にいた方が組み立てもしやすい。そう考えローテーションをしながらも遊撃と後方支援に分かれる配置を取ったのだろう。
その目論見が功を奏したと見ていいのか天帝も先程の有り様から岩での攻撃を即座に中断し、何かを薙ぎ払う様に右手を振ると目の前に迫る虎の人へ今度は轟々と燃え盛る木々からの炎を差し向ける。
だが、アイミスさんと同じく彼にも火の類に対応出来る術があることをあの男は知らない。
そういった相手にとって欠如している情報もまた、僕達が勝つために大いに役立てないといけない要素の一つだ。
それを実践するが如く微塵も焦る様子を見せない虎の人は左方、壁際から襲い掛かろうとする杖による物よりも一回り大きな炎の塊に勝るとも劣らない規模の火炎の息を大きな口から吐き出した。
ぶつかり合った真っ赤な炎はその瞬間に破裂したかの様に肥大しその場で爆発じみた轟音を上げて火柱と化していく。
そうして相手の足止めとも取れる一手を相殺した虎の人は速度を上げ、大股で天帝へと迫った。
岩、炎といったプラスαの強みをことごとく封じられた天帝はやはりまず第一に防御、接近の回避や阻止といった思考が働くらしく、これまでに何度も見せた盾を壁にした遮断という対応を選択する。
人並み以上であることは間違いないのだろうが、タイプとして先程のジャック並の俊敏さや身軽さは持ち合わせていない虎の人はそれでも速度を落とそうという気配を見せない。果たしてどう突破しようというのか。
僕のみならず他の二人も共に見守る中で腕力最強を自負する男が選んだのは、案の定『力尽く』だった。
勢いを殺すことなく突っ込んでいく虎の人は完全に天帝の姿を隠した大盾の列に向かって全力の跳び蹴りを炸裂させる。
原理は謎とはいえ思念によって操られているだけの物質は飛んできた武器を弾いて防いできたこれまでの攻防からも分かる通り、自身を大幅に上回る重量や強い衝撃を押し返す力を発揮することは出来ず、丁度真ん中に位置する盾は物の見事に向こう側へと吹っ飛んでいった。
すかさず隙間を抜けて奥にいる天帝との距離を詰めると、今度はいかにも重そうな全力の飛び膝蹴りを見舞う虎の人だったが、食らえば昏倒必至であろう顎か顔面の辺りを狙った膝は寸前で防がれてしまう。
天帝は両手で持った杖を真横に構え、胸の前に突き出すことで咄嗟に盾としたのだ。
腕力は虎の人ほどではなく、俊敏さもあとの二人には到底及ばないがただそれだけのこと。
それは超人的な三人の味方と比べればという話であって、純粋にあの男が持つパワーも反応力も思考力も接近戦の技術も経験から生まれる戦闘能力も、やはり常人のそれとは比べものにならない領域に達しているという事実に何ら変わりはない。
「ふはははは、この神を前に随分と頭が高いな獣風情が!」
これまで接近戦を避けていたとは思えぬ余裕の態度でいかにも腹立たしさを沸き立たせる高笑いを響かせると、今にも右の拳を繰り出そうとする虎の人の腕が瞬時に向きを変えた。
両サイドから虚を突いたのは蹴散らしたのとは別の盾だ。
複数の武器、程度では有効性が低いと考えまず動きを封じに出たのか、二枚の大盾が左右から虎の人を押し潰そうと軋みながらガードしている二本の腕を圧迫し続ける。
太い双腕は力負けしている様には見えないが、少なくとも踏ん張る手足の自由が奪われている状態であることは間違いない。
その様子を見てすぐにアイミスさんが助けに向かおうとするが、そのためのタイミングは既に逸していた。
二人は一言ずつの会話を最後に奇妙な事象によって離反する。
「手温い対処策だな、この肉体が鉄程度に劣ると思ったか?」
「思っていないとも筋肉自慢。だがそんなものは関係ない……絶対反射!!」
盾による締め付けなど意に介さず、ほとんど押し返しつつある虎の人に対し、剣は疎らに散り槍は僕達の後ろで地面に刺さっている中で天帝が選んだのは意外にも直接的な攻撃だった。
魔法や特異な能力によるものではなく、手に持った聖杖の先端でがら空きの腹筋へと突きを見舞う。
杖の底は平坦ではないにせよ丸まっているため一見すると殺傷能力が備わっている様には見えない。
それでいて生半可な威力では打撃に分類される攻撃など受け付けないと思われる虎の人の体は、どう考えても物理的な法則を無視した勢いで後方に吹き飛ばされていた。
「虎殿!」
恐らくは百キロを超えているであろう虎の人は軽々と宙に浮いたまま真後ろに、言い換えれば僕達のいる方向へと高速で移動している。
どういう力が働いているのか、そんな状態で自身の横を通り過ぎていく巨漢を目で追いながらアイミスさんがその名を呼ぶが抗える状態ではないらしく大きな体は見る見るうちにこちらに迫っていた。
自分がやらなければと、ほとんど思考を経由せず反射的に飛び出そうとした時。後ろから奇妙な音が耳に届く。
「相棒っ、後ろで槍が動いてるぞ!」
続けて聞こえてきた声が事態を把握させる。それが逆に迷いを消した。
何が起きているのかさえ分かれば、その時点で今この瞬間の優先順位としては下落の一途を辿る。
「そっちは任せる!」
踏み出した足に力を込め、その場を離れると急いで虎の人の正面へと回る。
迫り来る虎の人との距離は既に数メートル。
慌てて右手を前に突き出すと、僕は小さく盾を発動するための合図を口にした。
神官との戦いで着想を得た盾とはまた違った使い方は、いくつかのパターンを頭で思い浮かべて間もないおかげで思っていたよりもすんなりと行動に反映される。
緊張と不安はあっても、疑いはない。
「くっ……」
とは言いつつも衝突の瞬間には毎度ながら目を背けたいだけの恐怖が伴うのだが、毎度ながら僕の感情など結果には何の影響もなかった。
盾を発動させる。それはすなわち僕自身が生命の危機に瀕している場面が大半を占める。ゆえにグランフェルト王国では目を閉じてしまわない様に慣れるための練習は何度もしてきた。
だからこそ虎の人を、仲間を受け止めるだけのことに覚悟なんてものは必要ない。
「ぬぐっ……」
僕の手に広がる透明の盾に虎の人の大きな背中がぶつかる。
ノスルクさん製の指輪が生み出す盾の本質は空間の断面を作り出す能力だ。
そこで空間が途切れているのだからどれだけ鋭利な刃であっても通すことはないし、魔法の威力や規模も通過する可能性がゼロである前提条件を何一つとして左右しない。
熱さも冷たさも通さないのだから、言わずもがな重さだって同じ。
虎の人は衝撃の余り少々苦しげな声を漏らしたが、そのまま地面に落下するとゆっくりながらすぐに手を突き立ち上がる。
痛くないはずはないのだろうけど、それでも大きな怪我はなさそうだ。
「ラルフ兄、大丈夫ですか!?」
この人は事実どうあれ『平気だ』としか答えないので慌てて駆け寄って肩を貸す。
その際に今更ながら背後を一瞥し確認してみると、物騒なことに地面に突き刺さっていた槍の全てがこちらに先端を向けてスタンバイしていた。
要するにあの勢いで吹き飛ばして後ろに控えている槍で串刺しにしようというのが天帝の狙いだったのだろう。
その機を確実にものにするために敢えて槍はそのままにして認識度を下げ続けていたのだとすると……やはり抜け目ないというか、末恐ろしい戦略家だ。
「う、うむ……助かったトラ」
「こんな方法ですいません、僕ではこうするしか受け止める方法がなくて。槍よりマシだと思って我慢してください」
「体は問題ない。が、なんだあの技は……触れただけで問答無用に吹き飛ばされたぞ」
「あの杖の能力か、何らかの魔法……ということでしょうね。ただの力尽くとは考え辛いですから」
そうだとしても一度見てしまえば注意、対策も出来なくはない。
今後の事を考えると、無事で済んだのなら少なくとも知らないままでいるよりはずっといい。
「ちっ、見掛けに似付かぬ怪力だな」
天帝はあからさまに気に食わなそうな顔で舌打ちを漏らした。
指輪の事を知らない身からすると僕がただ自力で受け止めた様に見えてしまうのだろう。
出来ることならここぞという時までは隠しておきたかったが、今の一場面だけで特定はされるまい。
「む、後ろだ!」
「へ?」
虎の人の大きな声に釣られて振り返ると、着地点として構えていたはずの槍の一本が僕達に向かって一直線で飛んできている。
目論見が外れた天帝は、ならばと直接仕留めに出たわけだ。
「…………」
虎の人に任せるか、それとももう一度盾を使うか。
考えるための時間は一秒か二秒かといったレベルであったが、答えを出す前に僕はサッと背に回されており、加えて到達前には速度のある槍は地面に叩き付けられていた。
虎の人を助けに行った僕を守るためにすぐ後ろに移動していたジャックが飛んでくる槍を上から踏み付け無力化したのだ。
「はっ、させるかよ馬鹿が」
「ジャック、助かったよ」
「いんや、お前さんの方こそよくやってくれた。どうにも小細工が好きなようだが、手数と手駒が多いせいでどうしてもこっちが後手に回る展開を強いられてる。そろそろ打破するとしようぜ」
「その考えには同意だが、具体的にはどうする」
「今までみたいに単体で接近しても引き剥がす戦略を多々持ってやがるあの野郎には中々通用しねえ。向こうにしてみれば最も避けたい状況なんだ、当然と言えば当然だな。つまりは、ヒット&アウェーじゃ埒が明かねえ。野郎の弱点が一人っつー点にあるなら全員で一気に行くぜ!」
長々と作戦を思案する時間を与えて貰える時と場合ではない。
だからこそ逆に相手に考える時間を与えないために、ジャックは返事を待たずに駆け出した。
もう各々が何を考え、何をしようとしているかは肌で感じ取れとばかりに。
それを理解した瞬間には虎の人が後に続いていて、遠ざかる二人の背を見て僕も慌てて後を追い掛ける。
位置関係として僕は最後尾。
つまりは後ろからの攻撃に備える役を全うすることだけを考えなければならない。全員の生き死にを左右するこのポジションを守るのが僕の責務だ。
虎の人の手には走り出す前に拾ったジャックが踏み付けた槍が持たれている。
そこに中央付近にいたアイミスさんが合流して横並びの三人プラス後ろに僕、という配置が完成するともう何度目になろうかという特攻に出た。
「よいぞ、盛り上がってきたではないか!!!」
どういった方法で人数を削ろうとしてくるか。
後方に目を向けつつ、それを予測することに頭を使っていた僕だったが……ここにきて天帝は予想を超える動きを見せていた。
一斉攻撃に掛ける人数としてはこれまでで最大であるはずなのに、まるで迎え撃ってやるとばかりに前に出てきたのだ。
それどころか戦闘が始まって以来初めて守りの要とも言える五つの盾を遠ざけ、左側から先頭を行くアイミスさんに向けて差し向け迎撃に利用するという前例の無視っぷりに憶測もろくに働かない。
いかに俊敏さを持っていても横幅がある上に密着して壁に変わる盾が相手とあってはそのまま突っ込んでいくわけにもいかず、回り込むために走路を変えようとブレーキを掛けたところを包囲されアイミスさんは停止を余儀なくされてしまった。
ただ前後左右に盾がある、程度のことであれば突破も容易だろうが相手も当然そのぐらいの計算はしている。
四方を囲む盾の外側にすかさず炎が円を描き、囲まれたアイミスさんは瞬く間に姿が見えなくなってしまった。
フォローに行くべきか、その場合どんな手立てが必要かつ有効か。
短い時間に選択を迫られることばかりで頭がパンクしそうになってしまう。
それでも自分が最良だと信じて選んだのは現状維持。
例え一時的に動きを封じられたとしても盾と炎ぐらいで窮地に陥るアイミスさんではない。
ならば危険度が最も高く、備えに限度がある後方からの不意打ちへの警戒を疎かにする方がのちの状況悪化に繋がる度合いは上だ。
そう言い聞かせて堪える前で、その光景からはある意味では予想通り、続け様に虎の人に対して五本の剣が飛んでいく。
守りを固めて安全策を取るのではなく各個撃破。それが天帝の狙いであることは明白だ。
岩を使わないのは虎の人以外を狙っても遠隔で飛ばすだけではダメージを与えるには至らないと踏んだからなのか。
いずれにせよ素手で五本の剣を相手にしては厳しいものがあったはず。今まさにそうしているように、防ぐための槍を持っていたのが幸いだと言えよう。
それでも二人があっさりと足を止められている辺り、ジャックの言う手数と手駒の多さによって常に天帝主導の展開へと持ち込まれている事実は否定のしようがない。
そんな中でも唯一攻撃の手を向けられていないジャック一人が正面から天帝へと迫っていく。
頭数で上回る前提の特攻はもはや跡形もないが、どれだけ不安や助けになりたい気持ちがあっても僕はこれ以上近付いてはならない。巻き込まれては後方支援も何もなくなってしまうからだ。
「っどらああ!」
盾も剣も槍も無い、杖一つになった天帝へと今一度ジャックが斬り掛かる。
一対一ならば接近戦でも対等以上の戦いを見せてきたあの男だけど、オプションを失った今ならば優位に立てるはず。
八割が願望で塗れたそんな見解は、しかしながらそう間違ってはいなかった。
肩口から振り下ろされた初撃が杖によって防御されると、防いだ剣を押し返して間合いを作り出した天帝は虎の人にやった様に杖の底で顔面へとカウンターの突きを放つ。
「ちっ、かってえ杖だな」
と、ジャックは難なくその一撃を躱すと、すぐに後方へ一歩飛び退き距離を置いた。
天帝は逃すまいと前屈みに姿勢を変えるが、その行動は実現に至らず静止という結果だけを残して消えていく。
原因、或いは理由は一目瞭然。飛び退いた際に腹部を切り裂かれていたことに遅れて気が付いたからだ。
やはり初見では防ぐことが困難なリフトスラッシュの効果は絶大。
敵と密着するというそうあり得ない状況でない限りは致命傷を与えられない、というのが欠点だと本人は言っていたが……それを踏まえても十分過ぎる成果だ。
「ぐ……」
天帝は空いた手で傷口を押さえよろめきながら後退る。
更にはジャックが追い打ちを掛けるよりも先に虎の人が投げた槍が飛び、僅かにしかない対処の時間さえも奪い去った。
その槍こそ体勢を崩しながら回避したものの、その瞬間を狙ったかの様な青き斬撃波が今度は肩口を切り裂き天帝の黒い装束の一部を鮮血でより濃く染めていく。
青白い光の筋はすなわちアイミスさんの放ったものであるということ。
慌てて目を反対方向に向けると、全身を青い光で覆ったアイミスさんは盾と炎の包囲を突破し大きく変わった位置で剣を振り抜いた構えで天帝を見据えていた。
どうやって抜け出したのかは追えていなかったものの、見た感じでは火傷や外傷などもなさそうだ。
虎の人も全ての剣を払い除けているし、その恐ろしいまでに高い個々の能力と相手が相手だけに言葉のチョイスには疑問が残るものの三者が別々の位置にいながらにして発揮されたまさに神懸かり的な連携で天帝は傷を負い既に目の前で渾身の一撃を見舞おうと構えているジャックに対抗出来る状態ではない。
ここで仕留めきれなかったことが後の死闘に繋がることになるとは露知らず。
両手で持った剣が繰り出されようとするまさにその時。天帝は数メートル後方に高速で移動し、刹那の差でとどめの一閃から逃れていた。
僕に見えたのは杖で地面を突いた瞬間だけで他に何かをした様子はなかったはず。
つまりは、あの虎の人を弾き飛ばした物理的法則を無視した力を利用し……自らの体を後方に飛ばしたのか。
「ちっ、往生際の悪い野郎だ」
ジャックの悔しげな声だけが静寂を濁すが、そこに宿る感情とは裏腹に仕留め損なった敵を追おうとはしない。
二、三メートル地面を滑った天帝はとっくに剣と槍、盾を自らの元に集めているからだ。
それでも計三度切られた傷は決して浅くはなく、痛みに顔は歪み、息を切らして満身創痍といって相違ない状態であることがはっきりと見て取れる。
今になってようやく余裕ぶった表情は消え去り、ゆるりと上体を起こすと敵意の籠もった恨めしい目で僕達を睨んだ。
「なるほど……さすがに多くの刺客を打ち倒しここまでやって来ただけのことはある。舐めていたわけではない……いや、舐めてはいたが……侮っていたわけではなかった。だが、ノームを破る程の輩が相手となると今の我の力では苦戦したとて無理はないといったところか」
「ああ?」
「…………」
「…………」
「…………」
「くっくっく、久しく味わうこの痛み……悪くない、これこそが命を奪い合う戦いの醍醐味だ。勝敗に拘りなどないが、淡い希望など抱くでないぞ下等種族めが。無益な挑戦の締め括りにわざわざ負けてやるほど我は慈悲深くなどない! 貴様等が勝者となる未来など永劫訪れぬわ!」
突風に見舞われたのかと思わされるだけの殺気が急激に充満していく。
傷を負ったことで生まれる危機感も、傷を負わされたことで生まれる憤りも恐らくは無関係に天帝がその気になったことが原因であると、この僕にすら分かるだけの明確なその変化が同時に戦局を一気に終末へと変えようとしていた。