【第二十三章】 束の間の休息
12/12 誤字修正 私腹→至福
時の神殿だとかサンクチュアリだとかと管理者本人が言う建造物を離れた僕達は言われた通り、奥に見えていた森の中へと足を踏み入れていた。
ここにある小屋への宿泊と温泉の使用を認められている。それは僕達にとって何とありがたいことか。
闘わずして、それもすんなりとオーブを譲ってもらえただけでも望外の展開なのだ。
こればかりは相当に運の良い話の流れだったと言えるだろう。
マリアーニさんもさることながら、まさかノスルクさんの名が僕達を助けてくれるとは……というのが率直な感想といったところか。
ジャック曰く百年前から変わらない風体。
それ以前の出来事ですらまるで体験談であるかの様に記されている自身の著書の中での記述。
そして天界に知人が居るという本人の言。
その全ての裏付けを直接耳にすることになろうとは思いも寄らない。
「あ? なんで外に戻ってんだ?」
と、必死になって柱の外に運び出した僕に向けられたジャックの第一声を始め、驚く三人には出来る限りの説明を済ませてある。
この地の神、クロノスの門の力で時を止められていたこと。
僕だけが影響を受けなかったため直接対話をしてオーブを譲ってもらったこと。
ノスルクさんとの旧交のおかげであっさりと後押しを受けられたこと。
その上で他の者と顔を合わせる気はなく、そのまま姿を眩ましてしまったこと。
要約するとその辺りだ。
「そりゃまた随分な変わり者だな。戦闘を避けられたのはこれ幸いだがよ」
なんて言っていたジャックだったが、それよりも寝床や温泉の話がテンションを上げさせたらしく『ならさっそく行こうぜ、もうクタクタだ』と、すぐに移動の運びになった次第である。
神殿の向こう側、すなわち地図上の進行方向に広がるのは見るからに大きく深そうな森であったが、思いの外すぐに件の小屋とやらは見つかった。
そう大きな物ではないが、この人数が一夜を過ごすだけのことなら別段問題は無さそうだ。
中にはいると家具や日用品などは一切無く、寝るためのハンモックがいくつかあるだけなので掃除の必要もなさそうだけど、逆にそれ以外に何も無いので食料その他は自力で調達しなければならないという部分も聞いた通りだと言えるだろう。
ひとまず荷物を置いた僕達はジャックに連れられる様に外に出ると、さっそく温泉を見に行った。
こちらはわざわざ探すまでもなく小屋の後方数十メートルに見えていたのでそう労力は伴わず、それでなくともその光景が多少の疲れなど軽く吹っ飛ばしてくれた。
虎の人を除く誰もが感嘆の声を上げる。
そこあったのはまさに天然の温泉。
ここが日本であったなら旅館でも立てれば立派に商売が出来そうな程に静かで綺麗で心身を癒してくれること請け合いの光景だった。
それなりに広く、程良く湯気が立ち上る風情のある秘湯は自然に囲まれていることもあって、この疲れ切った肉体は否応なしに至福の瞬間を感じ取っている。
出来ることならすぐにでも飛び込みたいぐらいなのが本音だけど、しかしながらさすがに先にやるべきことをやっておこうということでお預けとなった。
アイミスさん、ジャックは森を進んで食料の調達に。
そして僕と虎の人は残って食事と睡眠の用意のためまずは木を集めて火を炊く準備をするこことに。
三十分ほど掛けて二人で枝やら木片、落ち葉を集めると虎の人が炎を灯してくれて、小屋の横に暖を取ったり食材を焼くための焚き火がいとも簡単に出来上がる。
本来ならサバイバルにおいて食料の調達と同じぐらい難儀するであろう火元の確保がこうもあっさり達成される辺り、文明ってなんですかと言いたくなること山の如しだ。
その後は小屋内に人数分のハンモックを設置したり、服を洗えるだけの水を確保出来た場合に干しておける様に木と木に紐を結んだりして過ごし、虎の人が椅子代わりになる切り株を運んできてくれている時間をただ待っているのもどうかと改めて地図を広げることにした。
現在地はフォウルカスの北にある森だ。
このそこそこに広く深い大きな森を抜ければ北西には【大地の守護者】なる神が治める【メリア】という町があって、逆に北東に進めば【不死の使者】と記された【ケプリ】という土地がある。
しかしそこに選択肢は存在せず、不死の使者と呼ばれていた神は今現在この天界には存在しないという話だ。
つまりは必然的に僕達の進路はメリアに限られるということになる。
もっとも、一つの理屈ではそうなるという話であって、別の理屈に照らし合わせるとそもそも最終目的地である【楽園】はメリアの向こうにあり、どう見てもそこを通り抜けない限り辿り着けないっぽいので【不死の使者】の存在がどうであれ結局はメリアに向かう必要があるため結果はあまり違わないと言えるだろう。
今まで立ち寄ってきたどの町や村よりも大きな都市メリア。その奥に一本の細い道が延びていて、それが楽園に繋がっている唯一の道であるようだ。
ここまでにサラマンダー、ウィンディーネ、クロノスと三人の神がいる三つの都市や拠点を通過してきた。
過半数である四つめのオーブまではあと一つ。
これが天帝なる神の親玉に辿り着くための最後の関門となる。
「…………」
ウィンディーネさんの話ではノームというのは天帝に従順である人物であるとのことだ。
そうなると天帝を倒すためにオーブを譲ってくれと言ったところで応じてくれるはずもない。
つまりは、また戦いになるのを避けられない前提だということになる。
大きな怪我を負っている者がいないのが奇跡と言えるぐらいに皆がボロボロになりながらやっとの思いでここまで来たというのに、この上また神と戦いその先に最終目標である天帝ケイオスがいる。
まったく……どこまでも途方もない旅だ。
「いかんいかん」
すぐにネガティブになるんだから、困った性分だ。
皆が命懸けでやっているのに、一人で不安がっていてどうする。
やめやめ、と。
敢えて言葉にして二度三度と首を振り、気持ちを切り替えて入浴の準備に取り掛かるべく布の袋を開く。
幸いにしてラルフの替えの服を十着は持参しているので寝間着代わりにはなるだろう。
他で言えば着替えの用途で持参したのは女性陣の下着ぐらいしか無いので備えは万全とは言い難いが、ズボンや服は一晩火に掛けているうちに乾いてくれるはずだ。
僕に関しては着替えの類なんて一切持ってきてないため昨夜の宿屋で用意された下着をそのまま履いてきてよかったと心底思う。
二着あれば洗って履き替えることが出来るし、寝る間だけなら多少サイズの差が違っても気にならないだろう。意外な所でラルフのための備えが役に立つものだ。
といっても……替えの服も何もラルフ兄といいジャックといい日頃からシャツすら着てないんだけどね。
「マスター」
がちゃりと、後ろで扉が開く音がする。
振り返ると虎の人が無駄に出口を塞がんばかりの威圧感と存在感で立っていた。
見る人が見ると悲鳴を上げている光景である。
「どうしました?」
「椅子の代わりは用意出来たトラ、他にやっておくことはあるか」
「うーん、ひとまずは無いと思いますので先にお風呂に入ってもらっていいですよ。今日はラルフもラルフ兄も相当にお疲れでしょう」
「マスターは良いのか?」
「ええ、僕は火の番ついでに二人を待ってますのでお構いなく。お体は大丈夫ですか?」
「意地っ張りな妹や髑髏の回復魔法のおかげもあって旅に支障はない程度には回復しているトラ。明日は存分に戦えるだろう……トラ」
「そうですか、ならよかった。温泉には治癒の効果もあるみたいですし、お先にどうぞ。その間に二人も帰ってくるでしょうし」
「ではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」
話も纏まったところで、二人揃って表に出る。
そうしてラルフ兄が温泉に入っている間は一人ポツンと火に当たりつつ、なんだか焼き芋が食べたくなってくるな~、なんて考えながら皆の帰りを待つのだった。
しばらくして、完全に日も暮れ辺りが暗闇に包まれ出した頃にアイミスさんとジャックが帰ってくると両手一杯に持たれた魚や果物、そして二匹の野ウサギを夕食としていただくことに。
「どうしたコウヘイ、火の通りが甘かったか?」
真っ暗な夜空の下、四人が火を囲んで座って食事を取るというプチキャンプ状態が出来上がって少しした辺り。
どうにも咀嚼が進まない僕に気付いたアイミスさんが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
目の前にはジャックが木を削って作った箸代わりの棒に挟まれた肉片が一つ。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
「なんだあ、肉食には程遠いお前さんの口には合わねえか?」
そんな遣り取りを見たジャックがからかう様に笑う。
完全に余談ではるが今日はお酒を飲んでいないので無遠慮に絡んできたりはしない。
「不味いとは思わないんだけどね……食べるのが初めてなだけに、味云々より警戒心が先行してしまうというか」
食べているのは何を隠そうウサギの肉である。
よもや肉が食べられるとは思ってもいなかった僕だったが、よもや現実にウサギを捌くシーンを目にすることがあろうとは思っていなかっただけに色々と複雑な気分過ぎて味なんて全然分からない。
食感は鶏肉みたいだなあという感想ぐらいは出てくるけど、前に食べた犬の時以上に体が拒絶してしまって味覚を遮断してしまっている感覚があるというかいち早く飲み込むことに意識がいっているというか、そんな感じだ。
そうは言っても贅沢を言っていられる状況ではないので極力肉を遠慮して魚や果物で腹を満たし、十分な量があった食料もあらかたなくなったところで食事の時間が終わりを迎える。
あとは風呂に入り、明日に備えて休むだけだ。
起床次第森を抜け、メリアに向かう。
そんな方針の決定と共に、虎の人は小屋で睡眠を取らず火の番と見張りをすることとなった。
どれだけ静かで人里離れた森の中といえどあくまで僕達は異物でしかない。
いつ敵が襲ってこないとも限らないからと、虎の人自身がその役目を買って出た結果だ。
昨夜と違い誰かの保護下にない今、普通に考えれば必要なポジションではあるのだろうけど、明日への影響が心配されることも事実。
ならば交代でやればよいのではという提案は、結局のところ気配とかで何者かの接近を察知出来ることもなければ現れた敵を追い払う腕っ節も無い僕が言ったところで説得力もないわけで、それも兄妹で入れ替わることで負担が半分になる上に片方は睡眠を取れるからという理由で自分が適役だという主張を覆す言葉は見つからず、それぞれが感謝を述べることで話が纏まったというわけだ。
そんなわけで女性陣の勧めもあって僕は今、温泉に浸かっている。
時と場合からするとそうあるべきではないのかもしれないが、程良く暖かく、広さもあって昨日とはまた違った開放感と脱力感に全身が包まれていた。
「ああぁぁぁ~……」
これぞ極楽と言わずして何と言う。
もうほんとそれぐらい気持ち良いし、何ならもうこのまま眠ってしまいそうだ。
天然の温泉なんていつ以来だろうか。
前回は野宿もしたし、川で体を拭いたりもしたけど、同じ星空の下で過ごす時間にも色々あるもんだ。
そりゃまあ、あの時は逃亡者みたいなものだったし、温泉どころか普通の宿にすら入れなかったので比べること自体がおかしな話だけどさ。
惜しまれるべきはタオルが無いことぐらいか。
持ってきた荷物にあったのはハンドタオルが人数分のみ。
さすがにバスタオルなんて用意していないので申し訳程度に体を拭き取り、炊いた火で体を乾かしてから眠らなければならないのが残念極まりない。
季候や気温からして湯冷めするような寒さは皆無でこそあるけど、この温もりを体に保ったまま床に就けたならどれだけ心地良いだろうかと、思わずにはいられないぐらいに温泉という物の威力を痛感させられているわけだ。
……うん、だから何だって話だね。
何を暢気に批評してんだって話だね。
そもそも足りない物を挙げ始めたら石鹸やシャンプーも無いので体を洗うことすらままならないわけで、要望が叶うならタオルなどよりまずそちらが欲しいこと山の如しだし。
「……ん?」
ふと、夜空を見上げる視線が泳ぐ。
草木を踏みしだくことで生まれる、まるで足音の様な何かが近付いてくる気配が背後から聞こえてきたことが原因だ。
仲間の誰かが様子を見に来たのだろうか。
それとも野生動物か何か?
或いは僕を襲おうとする何者かなのか……。
「…………」
なぜか嫌な予感ばかりが増していく。
指輪は常にしたままでいるけど、果たして後ろ二つであった場合に素っ裸の状態で対処出来るだろうか。
まずは姿を確認し、最悪の場合には大声を出して助けを呼び、自身は逃げるための心の準備をする。
そんな結論を即座に捻り出し、早まる鼓動で素早く振り返った。
そこにあったのは列挙した中で言えば後ろの二つに当て嵌まる誰かや何かではなかったが、本能の赴くままに行動するという意味では野生動物と似たようなもので、その上ある意味では僕を襲おうとする何者かでもある人物だった。