【第二十章】 主従タッグ
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緑色の巨大な鶏は上空四、五メートルの位置で翼をばたつかせ、三人を見下ろしている。
ほんの数分前までとは打って変わって目は見開かれ、『通してはならない侵入者』ではなく『排除すべき敵』へと認識が変化したことがはっきりと分かるだけの殺気が感じられた。
魔法という手段が精々ラルフの吐く凍り付く息ぐらいであるこちらにはあの高さの敵を攻撃する手段が斬撃波ぐらいしかない。
それとて空中を自由に移動出来るコカトリスにはそう簡単に通用しないだろう。
ならばどうするべきかと考えた時、否応なく相手の攻撃に備えつつ出方を窺うという選択肢が最善の策となってしまう。
その特性が生んだ優劣を利用しようという考えがあったのかそれ以外の思惑があったのか、睨み合う十秒そこらの時間を挟んで先手を打ったのはコカトリスの方だった。
もう何度目になるか、鳥類独特の甲高い鳴き声を響かせると翼の上下運動をより一層激しく、そして大きなものへと変える。
何をしようというのかと警戒する三人の前でひたすらに繰り返されるその動きはやがて真っ赤な羽を射出し、マシンガンの如く数十、数百にも及ぶ赤き刃を降り注がせた。
刺されば軽傷では済まず、また躱そうにも数が多すぎて全身を切り裂かれること必至の無茶苦茶な攻撃は数だけではなく広範囲に乱射されており逃げることすらも封じられている。
こんな時、盾役にだけはなれるのに後方で控えているばかりの自分が毎度毎度もどかしくて仕方がない。
何かあればすぐに駆け付けるつもりではいても、敵からの攻撃へ僕が割って入るには機動力や反射神経、皆無な察知能力や経験値まで全てが足りていないので現実的に無理がある。
結局は下がっていろと言われてしまう僕の立場に問題があるのだろう。
よ予期せぬ戦闘であればまだしも、最初から争いになると分かった上で同行している以上は信じて見守るだけの立ち位置でいたくないと思っているからこそ、そんな自分に嫌気が差す。
「二人とも後ろへっ」
そうは言っても、百戦錬磨の勇者二人を僕などが心配するのも烏滸がましい話なわけで、いつだって命懸けで闘っている中で直面する生死を左右しかねない状況を打破してきた数々の培ってきた物が、ここでも危機的状況を回避する力へと変わっていた。
叫ぶ様な声を上げたアイミスさんは不自由にされた足の状態から自分が動くより二人に動いてもらった方が早いと判断したのか、自分の背後に回る様に指示を出す。
そして両手で握った剣を顔の横まで持ち上げると、少しも引く気配を見せず聞き慣れない言葉と共に迫り来る無数の羽へと斬り掛かった。
「第二の奥義……嵐華連斬」
目の前で繰り出されるはまさに神業。
普段よりも更に早い、目にも止まらぬ斬撃が幾十と繰り出される。
アイミスさんの神髄とも言える剣術と速さを合わせた超絶技巧によって右に左に縦に横にと華麗に舞った刃は、降り注ぐ無数の羽を次々と散らせていった。
数秒して攻撃が止む。
奇跡的に傷を負った者は居らず、コカトリスにとってもそれは予想外だったのか更に怒りを増した形相で再び正面から三人に向かって特攻を始めた。
戦術や駆け引きがあるとは思えぬ、ただの体当たりでもしようというのかという速度での急降下だったが、僕には気付けなかった一度目と微かながら確かに把握出来た二度目とは違いその両目が強い光を放っている。
光という回避しようのない手段に対抗する術は見つけられておらず、まともに浴びたアイミスさんとジャックは体が硬直してしまっているらしく不自然に窮屈そうな動きで苦しげな声を漏らした。
「くっ……マジかよ」
「やはり全身に効果を及ぼすだけの力が……ある」
二人は手から剣を落とし、思い通りに動かない状態であるらしい四肢を震わせている。
そしてその間にもコカトリスは迫り、ミサイルの如く嘴を突き出して突っ込んできていた。
僕の盾なら、ただぶつかられるだけのことであればあれだけの重量であっても問題にはしない。
今度こそ僕が行くべきだったのではないか、そんな後悔は後の祭り。
出しかけた足が遅すぎることを悟って止まった時、またしても予想外の光景が目に飛び込んできた。
「ん~……にゃっ」
声の主はラルフだ。
アイミスさんの後ろから先頭にスルリと躍り出ると、龍の銅像を突破した際に見せたコールド・ブレスと本人が呼ぶ白い冷気の息を噴き出している。
今にもボーリング状態で固まっていた三人を蹴散らそうとしていたコカトリスは炎をも凍らせる気体に触れた瞬間、嫌がる様に角度を変えてほとんど真上に上昇していった。
その思い掛けない行動に驚きを隠せないのは僕だけではない。
「猫娘っ、お前平気なのか!?」
「平気なわけないにゃ、どこもかしこも重くて動き辛いったらないにゃん。でも普通の人間よりは多少平気にゃ、合成された魔物のおかげで効果耐性があるからにゃ」
「効果耐性……」
その言葉を聞いて、無意識に声が漏れる。
そうだ、それなら確か……僕にもあったはず。
かつては門の作用すら無効化した、随分と前に妃龍さんに与えられた身を守る力だ。
ラルフにも備わっているというのは、今にして思えば昔シェルムちゃんとの決戦に挑む直前の戦いの報告で耳にした記憶があるにはあるが、自分にそれが備わっていることを実感する要素や機会がないだけに自覚が難しい。
といっても龍の鱗を飲み込んだことで得られた能力? の持続性を僕は知らないのだけど……変わらず今も残っているのだろうか。
いや、そんなのは検証しようがないから今は考えるな。そこは信じるしかない。
どうにか貢献したい、守られるだけではなく助けになりたい。
その意志が思わぬ角度から湧き上がった新たな覚悟と合わさり、自然と一度止まった足を前へと押しやった。
今度こそ迷い無く、コカトリスが遠ざかっている時間を利用して僕は皆の元に向かう。
その上で何をすべきか、何が正解なのか、必死に考えながらゆっくりと、それでも確実に。
「……コウヘイ? どうしたのだ」
数メートルにまで近付くと、足音に気付いたアイミスさんが振り返った。
続けて他の二人もこちらを向くが、一様に不思議そうな顔をしている。
「今ラルフが言った効果耐性というのが突破口になるかもしれないのなら、今ばかりは僕も役に立てるんじゃないかと思いまして」
「相棒……盾のことを言ってるんだろうが、無茶すんのはまだ早いんじゃねえのか?」
「そんなことないよ。僕だってラルフと同じ、いつも見ているだけじゃ一緒にいる意味がないと思うからさ。叱責は後でゆっくり聞くからやるだけやらせてよ、ってことでラルフ」
「にゃ」
「比較的まだ動ける可能性が高い僕達で隙を作って二人が動けるようになるまでの時間稼ぎと、その後に攻撃するための隙を作りたいんだ。といっても僕はどの程度平気でいられるかも全然分からないんだけどさ、効果耐性のこと自体ほとんど理解出来てないぐらいだし」
「にゃるほど、了解にゃ……って言ってる間にまた来てるにゃっ」
「おっと」
ラルフが指差す先を見て、慌てて身構える。
ぐるぐると上空を旋回していたコカトリスは、僕の参戦をきっかけとしたのかどうかは定かではないながら今一度行く手を阻む様に降下しながら前方へ回り込み、羽音を鳴らしてこちらを睨み付けていた。
とはいえまだ距離はそれなりにあって、今までみたくいきなり突っ込んでこない辺りあちらも不用意に近付くのを避けたのかもしれない。
もしくは別の手段で攻撃することを選んだ……その可能性もある。
少々お喋りの時間が長すぎたか。
なんて心の準備をする時間を経ることなく訪れたその時に対し、慌てて冷静になるんだと言い聞かせながら身構える。
羽が降ってきたら盾で皆を守る。
それ以外の攻撃ならラルフと二人で最善の選択を最短の時間で選択し実行、指示する。
頭にあるのはそれだけだ。
さて何を仕掛けてくるかと、ラルフと並んで一番前で動向を窺う中、高さを半分程にまで落とし縦にも横にもこの空間の中心付近で僕達を見下ろしているコカトリスはもう一度大きな鳴き声を響かせ、両目から強い光を放った。
「にゃ……性懲りもなく」
隣に立つラルフが苦しげな声を漏らす。
僕自身は初めて受けるが、確かに光っているだけ、眩しいだけではなく全身に光を浴びている感覚に包まれていることははっきりと自覚出来た。
「ラルフ、大丈夫?」
「体が重く感じるだけで二人と違って動けない程ではないにゃ。と言っても万全とは言えないけどにゃん」
アイミスさん達ですらまともに身動き出来ないぐらいの強力な技なのだから動けるだけでも大助かりといったところか。
というか、やっぱり僕の体は何ともない様に感じるのだけど、ということは効果耐性の効力は普通に残っていると考えてよさそうだ。
それどころかラルフと違って体が重いとかもないし、率直に言えば石化と表現する異変がどういうものかも何となくですら分からないレベルに体の状態は何も変わっていない。
これなら仮に攻撃を防ぐだけの役割であってもどうにか果たすことは出来そうだ。
そんな感想を抱く中で、見た目から効果の有無や度合いを判断することは出来ないのかコカトリスは続けて口から何かを吐き出した。
短い時間で判断出来たのは光の筋であるということぐらいで、過去に何度かは見たことのある光線の類の攻撃であることだけは瞬時に頭が理解する。
壁役、盾役になるためにはどう動くべきか、何を想定すべきか、そればかりを考えてきた僕にとって、正面から飛んでくる光の筋に対処するだけのことに動揺や気後れは無かった。
「……フォルティス」
そう頻繁に口にすることのない発動の合図は、思いの外すんなりと声へと変わる。
翳した手から伝わる表現し難い感覚は確かに目に見えない何かが存在することを確信させた。
過去に何度もこの身を救ってきてくれたノスルクさんがくれた力だ。
怖さはあっても、不安はない。
下手に怖がって目を逸らしたり体を動かす方が危険であるため意地でも動くまいと足にグッと力を込める。
仕様の通り目の前ほぼゼロ距離で、僕達に向かって真っ直ぐ飛んできた直径二十センチ前後の光の筋は何かにぶつかったかの様に直進を止め、破裂するが如く膨張して一瞬だけ輝きを増したがそれも束の間のこと。
傍目にも自分の目にもこの右手に直撃した様にしか見えない敵の攻撃は重みや衝撃すらも感じることのない盾の前で、痛みや熱を刻むことなく眩しさが薄れていくとそのまま消えて無くなった。
表情から鳥類、或いは化け物の感情なんて汲み取ることなんて出来るはずもないが、コカトリスはそんな僕にでもはっきりと分かるぐらいの動揺を浮かべている。
が、驚いているのは敵だけではなかった。
「コ、コウヘイ……体は何ともないのか?」
背後からアイミスさんの心配そうな、かつ不安そうな戸惑いの声が聞こえる。
改めて指や手足といった部位を動かしてみるも、やっぱり何の変化もない。
「はい、一切不自由さや重さみたいなものは感じませんね」
言って、両手足をぶらぶらと動かしてみせる。
同じ効果耐性を持つラルフですら万全には程遠い状態にされているというのに、僅かにも影響が無いのだから妃龍さんの与えてくれたそれがどれだけ強力なのかを思い知らされるな。
思い起こせばあの時、当人もドラゴンは他の魔物よりも強い耐性を持っていて、更にはその長たる妃龍さんのものであればより強い効果を得るだろうと言っていたけど……ここまでの完全無効化って本当に凄いぞ。
それだけの物を与えてくれたというのにビビって何も無いことを祈っていた自分が心底恥ずかしい。
「マジかよ……どうなってんだそりゃ」
続いたジャックも唖然としている風だ。
妃龍さんとの出会い自体は後に話しているけど、龍鱗云々までは話していなかったように思う。
効果耐性というのは通常ただの人間に備わっていることはなく、また努力や鍛錬で身に付くものでもないらしいので驚かれるのも無理はない。
そういった理由から未だ心配そうだったり何かを言いたそうにしている二人を敢えて無視して体の向きを戻し、そして腹を括った。
「説明は後でゆっくりするよ。さてラルフ」
「ほいにゃ」
「さっき言った通り、僕達で引き付けて二人の体が元通りになる時間を稼ぎたいんだけど、僕は直接的な攻撃をされるとどうしたって対処出来ないだろうからその辺を任せたいんだ。頼めるかな?」
「手足が多少重たいぐらいで動く分には問題無いにゃ、何とかやってみるにゃ。無謀でも無茶でもご主人の頼みとあれば断るわけにはいかないからにゃん。バズール戦以来の主従タッグにゃ」
「いや、僕は別に僕達の間に主従関係があるとは思ってないんだけど」
「そこは言いっこなしにゃ、にゃー達がそれで満足ならそれでいいのにゃ」
「まあ何でもいいけどさ、無理を言ってるかもしれないけど頼むね」
「任せるにゃ。って、具体的にはどうするつもりなのにゃ?」
「今度は僕が扉に向かって走る。そうすれば阻止しに追い掛けてくるはずだから、二人から注意は逸れるでしょ? 盾があるとはいえ、僕だけじゃ闘う技術も能力も知識もないからその後の対処が厳しいってわけ。防ぐだけなら一度や二度なら出来ても、それだけでどうにかなるとは思えないからさ」
「にゃるほどにゃるほど。それならご主人、にゃーに良い考えがあるにゃ」
「逆に聞くけど、具体的には?」
「口で説明するよりやって見せた方が早いにゃ、ご主人は扉にダッシュにゃ!!」
「よく分からないけど……信じるよ?」
「にゃ」
にゃ、とだけ言われても正直そこに込められた真意は計りかねるが、ラルフが信じろと言うなら僕は信じるだけだ。
もたもたしているとまたコカトリスが攻撃を仕掛けてきてしまうだろう。
どんな危険も最初から覚悟だけは出来ている。
どんな選択であっても仲間の決断に命を預ける決心は城を出た時から出来ている。
「ふぅ……」
と、小さく呟き揺るぎない決意を胸に僕は駆け出した。
一心不乱に、扉に向かって。
後ろからは僕を追って走ってくるラルフの気配がしている。
しかし、それが狙いとはいえ真下を走り抜けていく僕達をコカトリスが放置するはずもなく、激しい羽音が背後から近付いてくる音も、同時に耳に届いていた。
「はぁ……はぁ……」
そう長い距離ではないのに、既に息が切れそうだ。
魔法の影響を受けていないはずなのに、足が重い。
追い付かれたら殺される。
そんな鬼ごっこをしているのだ、まともな精神状態でいられるはずがない。
「まんまと追ってきたにゃ! 猫耳奥義第二弾……白夜、にゃ!」
背後で聞こえるそんな声。
直接目にしてしまうと化け物が迫り来る恐怖心がより鮮明になってしまって尚のこと体の動きが鈍りそうなので無理をしてでも振り返らないようにしている僕は、気にはなっても後ろに目を向けることが出来ない。
奥義第二弾、と確かにラルフは言った。
銅像の炎を凍らせた技を第一弾としての二つめの妙技ということか。
名前はアイミスさんのパクりっぽいけど……というか猫耳奥義って何だ。
いや、今は名前なんてどうでもいい。
問題はそれがどういう奥義なのか、だが……。
「……え?」
頭に浮かんだ疑問は、声にするまでもなく視覚が理解させた。
急激に皮膚が肌寒さを感じ始めたかと思うと、周囲一帯がまるで霧に包まれる様に薄白く変わっていったのだ。
まるで明け方の森の中みたく視界の確保に困るぐらいの濃度があり、それだけではなく凍える程の冷気を伴う気体が見る見るうちに辺りを覆っていく。
冷たさという性質を持っている以上はこれがラルフの能力なのだろうが、周囲がほとんど見えなくなっているせいでこのままでは扉の位置すら分からない。
果たしてこれは、どういう意図あってのことなのだろうか。
「ラルフ、これは?」
「言うなれば目眩ましの技みたいなもんにゃ。ダメージを与える類の技じゃないにゃけど、これならあの鳥も正確にこっちの居場所を捕らえきれない上に直視することが出来ない分、石化も使い辛いというわけにゃん」
「なるほど、ラルフ凄いじゃない」
思っていた以上に色々な有効性があったことに素直に驚き、感心してしまった。
目眩ましと相手の能力を封じる効果を併せ持つとは、まさかと言う他ない。
「えっへん、にゃ!」
褒められたことに気を良くしたのかラルフの声も得意げだ。呼吸するのも精一杯の中で必死に考えてみてもやっぱり猫耳とどう関係するのかはさっぱり分からないけど……。
「あとはとにかく扉に走るにゃ、ギリギリまで引き付けるのにゃっ」
「分かった!」
正直、今やもうどこもかしこも真っ白になっているので扉までの距離なんてもうさっぱり分からない。
だけど走れと言われたなら、何が見えようと見えまいと突っ走るだけだ。
「ふっ……ふっ……」
空間の広さや直前まで見ていた光景からしてそう離れてはいないはず。
その証拠と言えるかどうか、耳に届く翼の音はどんどん大きくなっていて、追い付かれたら死ぬと絶えず頭で繰り返しながら痛む肺を抑え、考える余裕すら失って尚ただただ真っ直ぐに走り続けた。
「ご主人っ、真横に飛ぶにゃ!!」
「え? 横!?」
何で?
もう追い付かれてるの?
馬鹿か、考えたり確認してる暇はない!!
信じろ!!
「っ!!」
状況は一切不明なまま、言われた通り僕は真横にダイブする。
全力疾走から別方向に跳躍して華麗に着地出来る運動神経は僕にはなく、無様にも片足が地面に触れた途端にバランスを崩してそのまま地面を転がってしまった。
ずっこけている場合かと焦る気持ちが危機感に変わるが、起き上がろうとする目に飛び込んできた光景がそんなものを軽く吹っ飛ばしてしまう。
まず向かって左側にジャンプすると同時に凄まじい風圧を浴びた僕の視界に入ったのは猛スピードで通過していく巨大な影だ。
まさに間一髪。
あと二、三秒でも飛ぶのが遅れていたらまともに突進を食らっていただろう。
それだけでも背筋が凍るというのに、更にその直後に爆撃でも起きたのかという轟音が響き渡り、それに伴って地面が揺れたことで現状の把握がより困難になっていた。
一瞬どころか三瞬ぐらい何がどうなっているのかと混乱するも、誰の姿も見えず影だけが周囲の状況を伝えてくる中でコカトリスが壁に突っ込んだことによる衝撃と揺れであることをやや遅れて理解した。
憶測の域を出るものではないが、僕の位置は自分で思っていた以上に扉までの距離が近く、同じくそれを把握出来ていなかったコカトリスが僕に向かって突っ込んできた結果そのまま壁に激突したということだと考えて間違いないだろう。
これだけの音に加え地面を揺らすだけの勢いだ、まずコカトリスも無事では済まないはず。
しかしそれ以上に考えるべきは、飛ぶことを躊躇していたらその体当たりを僕がまともに受けていたということである。
分かっていたこととはいえ、食らってれば確実に死んでいた。
「…………」
驚くやら末恐ろしくなるやらで思考回路と感情ががごちゃごちゃになりつつあるが、それでもどうにか立ち上がると影だけが見えている巨体が数メートル先でよろめいている姿が目に入った。
頭から壁に突っ込んだのだとしたら、ここまでの戦闘において最大のダメージを負ったと考えていい。
勝機を見出すならこのタイミング以外に無いが……アイミスさん達の状態はどうなっているだろうか。
「今がチャーンスっ、にゃ」
ようやく後ろを振り返るも、冷気の霧のせいでアイミスさん達の姿に関しては影すらも見えない。
その視界の端を、どうやってコカトリスの特攻をやり過ごしたのかラルフが猛ダッシュで駆け抜けていった。
かと思うと、その小さな影はぴょんぴょんっと軽快な動きで大きな鳥の影に向かって飛び付いた……という様に見える動きがぎりぎりこの目に映り込む。
当初に比べると徐々に霧は薄れつつあるが、まだはっきりと姿が確認出来るまでには至っていない。
影だけで判断するならば首にしがみついている様にも見えるが……一体あの子は何をしようとしているのだろうか。
「か・ぎ・を・寄越すにゃ~」
痛みに悶えているのか、或いはラルフを振り落とそうとしているのか、体や頭部を大きく暴れさせているコカトリスの上で、ラルフも振り落とされまいと必死に堪えている。
まともに勝負して倒すことは出来ずとも鍵を奪えば目的の半分が果たされると分かっているからこそ、ラルフは最初からそれだけを狙い続けていたのだろう。
決して簡単ではないその至上命題を見事にやり遂げたことへの称賛と純粋に危険な状況に身を置いていることへの心配、対照的な感情が渦巻きとにかく助けに向かわなければという結論に達するも、最悪なことに殊勲者である猫耳の少女を含めた二つの影が合わさった塊は僕の目の前で地面を離れていってしまった。
「にゃにゃにゃ!?」
コカトリスの大きな影は両翼で羽ばたく音を残して上昇していく。
まだ飛べるだけの余力があったことにも驚きではあるが、それよりも一緒に離れていくラルフが気になって別のことを考える余裕はない。
すぐにコカトリスは晴れつつある霧の上にまで飛翔すると、影を追って見上げる先で改めてその巨体を晒した。
その首元にしがみつくようにして、あからさまに『ヤバイどうしよう』みたいな顔をしているラルフも勿論セットだ。
いやいやいや、鍵を取ろうとしたのは分かるけど一緒に飛んで行ってどうすんのさ。こうなってしまうと僕じゃどうやっても手出し出来ないぞ。
「ラルフ!! 早く下りなって!!!」
「無茶にゃ~、着地出来る状態じゃないにゃっ」
飛び立つ前からコカトリスは首を振り回しながら抵抗していることもあって上手く飛び降りるのが困難らしく、ラルフはむしろ落ちないように両腕でがっつりしがみついているため相手にしてみると首を絞められているのと変わらない状態と化し、それによってコカトリスも余計に暴れるという悪循環が起こっているようだ。
その手には既に鍵が握られていて、時間稼ぎという当初の目的どころか鍵まで奪取したのにこのままではラルフを助け出さない限りどちらも意味を失ってしまう可能性すらある。
どうする。
飛び降りてもらって僕が受け止めるか?
無理だ、既にコカトリスは十メートル近い高さにいる。
僕の腕力では無事に下ろせないどころか、それ以前に落下点に回り込むことすら運任せになってしまうだろう。
ならば……、
「待たせたな、二人ともよくやってくれた」
真上を見上げ、ひたすらに考える短い時間は周囲から得る情報に意識が向かなくさせていたらしく、後ろから肩に手を置かれて初めて誰かが近付いてきていたことに気が付いた。
言うまでもなく、振り返る先に居たのはアイミスさんとジャックだ。
「もう大丈夫なんですか?」
「ああ、動くことに不自由はない」
「あとは任せときな相棒。アイミス、いけるか?」
「ええ。幸いラルフのおかげでこちらに意識が向いていません、外す道理は無い」
共に上空で暴れている敵へと目を向けると、二人はそんな遣り取りを最後に再び戦闘モードの鋭い目付きで武器を持つ手に力を込める。
そしてアイミスさん一人が剣の先端を動き回るコカトリスに向けると、何の躊躇いもなく本日二度目となる必殺技を放った。
「今一度味わえ……牙龍翔撃!!」
例によって直径が何倍にも増した槍状の斬撃波が飛ぶ。
ラルフに当たったら大変なことになるんじゃ……なんて不安は当然のこと無用なもので、勢いよく飛んでいった渾身の一撃は見事にコカトリスの右翼に直撃し、赤く大きな翼に巨大な穴を空けるとそのまま根本の辺りから引き千切れる様に本体から離れ明後日の方向を舞わせた。
鳴き声ではなく叫び声に近い大きな声を上げ、飛行能力を失ったコカトリスは巨体を回転させながら落下していく。
それだけではなく、その遠心力によってラルフも吹き飛ばされ全然違った方向に飛んでいってしまった。
こうなるパターンを全く想定していなかった愚かな僕は急激に冷や汗が流れるが、慌てて行動に移そうとするも先にジャックが走り出しているため見守ることしか出来ない。
「おいおい、今度はアタシがこの役目かよ! それなら先言っとけっつの!」
文句を言いながらも僕がやるよりも断然素早く落下点まで近付くと、そこで剣を捨てたジャックはタイミングを合わせて滑り込みながら落ちてきたラルフを受け止めた。
芝生に近い地面だからこそ実現したスライディングキャッチは傍目に見ても双方が無事であることが分かる。
事実、ラルフはホッとした顔で額を拭っている……ジャックの上で。
「ふ~、助かったにゃ」
「いてて……おいこら、無事ならサッサとどいてくれ」
聞こえてくる会話は相変わらずの二人という感じだが、無事で済んだなら何だっていいか。
と、気が緩んだことで釣られて安堵の息が漏れた時。
続けて聞こえてきた鳴き声と大きな衝撃が一気に緊張感を引き戻した。
その正体は言うまでもなくコカトリスが落下したことで生まれる物だ。
「コウヘイ」
完全に意識が他に向いていたせいで一人でビクッとなっている横で、アイミスさんが僕の名を呼んだ。
慌てて平静を装うも特にその先に言葉が続くでもなく、アイミスさんはそのままコカトリスの方へと歩いていく。
なるほど、ついてきてくれという意味か。
そう勝手に解釈し、黙って後ろを歩く先はコカトリスの元だ。
あの末恐ろしかった怪鳥も、片翼を失い完全に戦意喪失しているのか起き上がることもせず怯えた目でこちらを見ているだけで動く気配はない。
まさかとどめを刺すつもりではあるまいなと少し不安になったけど、アイミスさんは武器を構えていないしそういうわけでもなさそうだ。
そうしてすぐ傍にまで寄っていくと倒れているコカトリスを見下ろし、そして告げる。
「悪く思うな、こちらにも退けぬ理由があるのだ。その体では追っては来れないだろう、我々はあの扉を通り抜けはしない。命は取らぬゆえそれを落としどころとさせてもらうぞ」
それだけを口にして背を向けると、アイミスさんは僕の肩を抱きジャック達の方へと歩いていく。
「コウヘイ、これでよいだろう?」
「はい、勿論」
短く答えると、言葉ではなく微笑が返される。
どこか確かめ合わずとも意志や考えを共有出来ている様に感じることが誇らしくて、気持ちと足取りの両方が軽くなった気がした。
こうして三つめの鍵もどうにか全員が無事なまま手に入れることが出来た僕達は霧が晴れつつある緑の溢れる空間を後にし、最後の刺客に挑むべく元の扉へと戻るのだった。