【第十三章】 激動の一日
4/4 誤字修正 用意するの→用意するも
やがて日が暮れ、窓から見える外の景色は徐々に暗くなっていく。
アプサラスという名の町だか都市だかに入ることを許された僕達はウィンディーネの後に続く格好で建物の群れの中に足を踏み入れ、その中心を横断するための通りを歩いていった。
実際に足を踏み入れてみると遠目から見ていた印象と同じくスマウグとは違いしっかりと町の形をしていることをよりはっきりと理解させられる。
商店があったり石畳の通りが左右に広く続いていたり、他にも馬車が走っていたりど真ん中に馬鹿でかい噴水があったりと、むしろこの世界の基準で言えば栄えている部類だと言ってもいいだろう。
ウィンディーネと一緒に歩いているせいか行き交う人達の注目を集めてしまいとても目立っているため少々落ち着かない感じもあったが、宿と食事を提供してくれるというのだ。贅沢は言うまい。
この地を治める神なのだから耳目を集めるのは無理もないことだけど、道行く人々が気さくに話し掛けてくることやこの町を守るために僕達と戦いに来たことも含め統治者として民を尊び、民もまた彼女を信頼しているのがよく分かる光景だったと言えよう。何から何までサラマンダーとは正反対だ。
規模としてはグランフェルトの城下町より若干小さいぐらいか、一つの町としてはそれでも十分に大きく民家や店の数から少なくとも数百から千人規模の人々が暮らしていることは間違いない。
とまあ、この天界に来て以来初めて気を抜ける時間を得たということもあって暢気にも異文化の物珍しさ、目新しさに興味を示している間に目的地に到着したらしく前を歩いていた全員がほとんど同時に足を止めた。
「ここじゃ」
と、ウィンディーネが示したのはバーやショーパブ? みたいな物など、所謂夜の店が並ぶ通りの一角にある二階建てのそう大きくはない建物だった。
この天界には神と元神を合わせた数しか村や町、都市はないのだ。
町の規模に対してやや小さく質素な感じがするのは、そもそも宿屋という商売があまり繁盛しないことが理由なのかもしれない。
それを言い出すと、では流通はどうなっているんだろうかとか、都市間で人の行き来はあるのだろうかとか、色々と疑問は尽きないわけだけど……。
ともあれ、望外にも一泊する場所を与えられた僕達はその建物にゾロゾロと入っていくことに。
案内してくれたウィンディーネは「この者達の食事と寝床の世話をしてやってくれい」と、受付に居たおばさんに言い残してそのまま去っていったためあとは丸投げといった感じである。
町の一番奥に見えていた大きく立派な上に神秘的な雰囲気を持つ宮殿の様な所に帰って行ったのだろう。
立ち去る前に残していった言葉からするに、どうやら明日の出発時間には見送りに来るつもりらしい。
宿を提供してくれただけでも大助かりなのに、食事まで用意してくれるわ部屋に入るなり回復魔法が使える女性が尋ねてきて皆の傷を癒してくれるわと、本当に至れり尽くせりだ。
闘っている時は怖くても、やっぱり根は良い人なんだろうなぁとしみじみ思う。
そんな塩梅でバタバタしているうちに日は沈んでいて、天井からぶら下がっている水晶らしき何かが放つ光が室内を照らし、逆に外は月明かりと建物から漏れる光だけが通りを映しているしかにも闇夜の町並みといった様相と化していた。
二階に並ぶそう広くはない個室の一つに四人が集まって一息吐き、お茶を入れて明日以降の段取りを話し合っているうちに遣いの人達が来て回復魔法を施してもらって、その人達が帰っていった頃に丁度食事が届いたためそのまま揃って夕食を取る流れとなる。
運び込まれたのはパンと野菜のスープ、そして鶏肉のソテーみたいな物と飲み物が人数分だ。
補足というわけではないが、案の定ジャックは無遠慮に酒まで注文しわざわざ持ってきてもらっている。
さすがにこんな時ぐらい我慢して欲しいものだが、僕達が言ったところで聞き入れてはくれないので本人に代わって丁重にお礼を伝えることが精一杯の誠意だった。
「しっかし、まだ初日だってのに激動の一日だったなぁ」
勝手に乾杯を切り出し僕達のグラスに木製のコップをぶつけると、一切れの鶏肉と葡萄酒を続けて口に含んだジャックは若干モゴモゴしながら左腕で僕の肩を抱いた。
言うまでもなく他三人は水を飲んでいる。
「そうですね……覚悟の上で来たとはいえ、率直に申せば神との連戦がこうも厳しいものだとは。単体の実力で言えば我々の世界の誰が匹敵するだけの強さを持っていることやら……」
割と暢気な口調のジャックとは違い、アイミスさんは真剣に頷いている。
ちなみに虎の人は両手に持ったパンを次々に口に運んでいるだけで特に感想はない。
「そうだな、あのババアと最後までやり合ってたらマジでヤバかったろうよ。仮に勝てたとしても相打ちが精々って展開になっていた可能性が高い、まだまだ余力を残しているような口振りだったしよ」
「うん……そうだね」
ただただ同意することしか出来ない。
確かにジャックの言うとおり、勝てた戦いだったとは到底思えない状況だった。
辛うじて勝てたサラマンダーですらバーレさんの情報によると神の中でも弱い部類で、この先もウィンディーネと同等の相手と対峙しなければならないのだ。
明日もまた戦いになるかもしれない。
いや、この先出会う全ての神と戦いを回避して進むことなど出来るわけがないのだからまず間違いなくなるだろう。
その時、果たして皆が無事でいられるだろうか
「なーにしょぼくれたツラしてんだ。元から行き当たりばったりなのは承知の上だったろ? 今から必要かどうかも分かんねえことで悩んでたってしゃーねえよ」
不安や憂いが顔に出てしまっていたらしく、ジャックが僕の肩に回した腕でポンポンと背中を叩いた。
気遣ってくれているのはありがたいが、既に相当酒臭いんだけど……本当によく食べよく飲む相棒である。
「まあ……そうだね。というか、お世話になってる身でババアとか言っちゃ駄目でしょ。誰に聞かれてるかも分からないんだし」
「ババアはババアだ、アタシの方が若い。ついでに胸もデカイ」
「何を変なところで張り合ってんの……」
と、呆れるいつもと変わらないやりとりをしている横で少なからずその『難しく考えても仕方がない』という言い分を受け入れることが出来たのか、アイミスさんも固い表情を崩している。
それでも真面目な彼女は僕達の馬鹿な掛け合いに乗ってきたりはしないのだが……僕もスルーしていればいつかはジャックもツッコミ待ちの悪ノリを封印してくれる日がくるのだろうか。うん、来ないよね。
「しかし、現実問題その天帝がいるという地までどの程度の時間が必要なのかな」
「どうだかなぁ。あの野郎、神が隣にいるだけでビビって一言も喋りやがらねえ」
「うむ、だが地図を見る限りそう多くの時間は掛からんと思うがな……トラ」
「虎殿の言う通り、ここからしばらく真っ直ぐ行くと峡谷の先に洞窟があって、そこを抜けるとすぐにクロノスという神がいる神殿があるようです。そしてそこからノームという神が治めるメリアという町は近く、その向こうが楽園と呼ばれる天帝が居住する地となっている。明日の内には神殿があるフォウルカスに辿り着けるでしょうし、順調に行けば三日目には目的地に到着しているはずです」
「順調に行けば、な」
そう、全く持ってその通りだ。
そして恐らく、順調に行くことはまずないだろう。
バーレさんに情報を提供してもらってからでなければ確かなことは言えないが、きっとまた色々と困難が待ち受けている。
神との一戦然り、雪の大地を進んだ時の様に移動その物に余分な時間や体力の消費が伴うことだって大いにあるのだ。
その辺りは明日聞いてみるしかないとはいえ、答えがどうであれ選ぶ道は変わらない気もするしそれこそ結果は神のみぞ知るといったところか。
今それが出来ない理由については、この場に居ないバーレさんは別の部屋に泊まることになっているためである。
僕達の仲間ではない、ということで気を利かせてウィンディーネ側が用意してくれた……というよりも、最初に述べた通り決して大きくはない宿であるためそもそも個室が四つしかなく、言うなればその全てを僕達五人に貸してくれている状態になっているというわけだ。
ついでに言えば道案内をさせるために連れてきたことも伝えてあるため部屋の前には部下を一人見張りとして置いてくれている。
逃げられてはこの先僕達が困ることを理解した上での配慮なのだろう。何から何まで世話になりっぱなしで本当に頭が下がる。
「ふー、食った食った」
あらかたテーブルの上の食べ物飲み物が無くなった頃、ようやくジャックが腹をさすって食事の手を止めた。
最初に見た時には四人分にしては多すぎるのではないかとすら思っていたのに、ほぼ全部無くなっちゃったよ。
「飲んだ飲んだ、の間違いでは……」
空になった瓶の数にドン引きしているのはアイミスさんである。
一人で五本も空にしているのだから僕だって同じことを言いたいさ。
虎の人もしつこく勧められ途中からは多少呑んでいたようだが、それよりも食事量が凄かった。
この筋骨隆々のゴツい肉体はこうして作られているのかもしれない、なんて思ったり。
「さあて、飯も食ったしあとはとにかく休息だな。風呂入ってサッサと寝るとしようぜ。相棒、一緒に入るか? それとも夫婦水入らずの方がいいか? 好きな方を選びな」
「ではアイミスさんには申し訳ないですが、男女別ということで」
「ああん?」
風呂、という単語が出てきた瞬間にその展開は頭に浮かんでいたため即座に代案を用意するも、ジャックは不満げだ。
こっちの世界に来て夕食を共にした時は大抵そういった誘いを受けているため僕とていい加減学習した。
酔っているとことさらしつこく強引になるのだが、そこを通り過ぎて泥酔すると眠ってしまってそんな出来事も無いまま終わるのでどちらがいいかは難しいところである。
問題は二人きりの場合に拒否権が無いパターンというか、拒否しようとも無理矢理連れて行かれることにあるのだが……今はアイミスさんや虎の人もいるのでどう転ぶか。
という考察をする暇もなく大層納得がいかない風に顔を顰められているのだけど。
僕としては恥ずかしさやその他諸々の理由もあって極力女性と入浴を共にするのは遠慮したいのが本音なのだ。
それはどれだけ仲が良くとも、信頼していても、夫婦という関係になりつつあろうとも変わらないし、だからこそそう簡単に折れてはいけない。
知らず知らずの間にそれが当たり前になってしまわないためにも、それが当たり前だと思われないためにも。
「順に入ってたら時間が掛かるでしょ。早めに休むなら二人一組の方が時間効率は良いし、そうなったら男女で分けるべきじゃない」
「おい相棒、アタシを見くびってもらっちゃあ困るぜ。そんな言い訳で逃げられるとでも……」
「まあまあアネット様、今日は長旅と激戦で皆疲労困憊なのです。コウヘイの言う通り、素直に明日に備えることを優先しましょう」
こうなるとまず間違いなく簡単には引き下がらない、ということを知っているアイミスさんがジャックの腕を取って部屋の外へと引っ張っていく。
酒が入ると言い出したら聞かなくなるという性格を他の誰よりも見てきたからこそ出来る絶妙のフォローには日頃の苦労が透けて見えるようだ。
「おい、ちょ待てよ。まだ話は終わってね……」
「アネット様、もう時間も遅いのです。あまり大きな声を出しては迷惑になりますよ」
口では宥める様に言いながらもアイミスさんは問答無用で扉を開いている。
個室であり、一部屋当りの広さもそう無いため入浴は一階にある共用浴場になっているため一階に下りる必要があるからだ。
「色々と苦労をお掛けします」
せめてもの労いの言葉にアイミスさんは気にするなと言った風に微笑だけを返し、そのまま扉の向こうへと消えていった。
残されたのはたくさんの皿や空き瓶と僕に虎の人の二人。
「頼もしい奴ではあっても、あの自由人っぷりには苦労が絶えないな……トラ」
「お酒が入ると特にね。ただまあ、あれが良いところでもありますから」
いつだったか、酒があってこその人生だとか何とか言っていたし、割と自由気ままにやっているようではあるけど国王代理という大役をこなしているのだ。
度が過ぎていなければうるさく言うこともないだろう。
本当に度を過ぎてなければ、だけど……うん、まあ無理だね。あの人に自重の二文字はないものね。
その豪快さや恐れ知らずな生き様のおかげで僕は今こうして五体満足でいるのだと思うと、やっぱりそれはジャックらしさであり、ジャックの良さでもあるのだろうけど。
「どうしたトラ?」
「いえ、何でもないですよ」
ほんと、誰も彼も僕には勿体ない仲間達だ。
そんなことを考えながら、瓶に残っていた葡萄酒をラッパ飲みしている虎の人と共に二人が戻ってくるのを待つのだった。
○
少々熱いぐらいのお湯に包まれる至極の快感が全身を駆け巡る。
あれから三十分ほどしてアイミスさんとジャックの入浴が終わり、入れ替わりで虎の人と共に風呂場を訪れて間もなく。
僕達は二人並んで湯船に浸かっていた。
大浴場という程ではないにせよ四、五人が同時に使っても十分なぐらいの広さがあるためゆったりとくつろぐには十分の空間と言えるだろう。
肩まで浸かって足を伸ばすと、体から力が抜けていくようだ。
暖かくて、気持ち良くて、一気に疲れが抜けていく形容し難いこの感覚はこれ以上の極楽が存在するのだろうかとさえ思わされる。
「…………」
ちらりと横目で虎の人を見てみる。
僕と同じく腰にタオルを巻き、腕を組んだままこの温もりを堪能している様に見えるのだが、ここにきて捨て置けない疑問が一つ。
……なぜマスクを着けたままなんだ?
「マスターよ」
「はい?」
指摘してみていいものかと悩んでいると、ふと虎の人がこちらを向いた。
見られているのが気になるのかとも思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
「入ってきて早々で済まないが、妹が自分も風呂に入らせろと煩いので代わらせてもらう。あいつもマスターには懐いているトラ、騒がしい奴だが妹を頼む」
「……え?」
なぜこのタイミングで?
そんな真っ当な指摘も声にはならずに消えていく。
理由は簡単、既に虎の人の巨体が見る見るうちに縮んでいっていたからだ。
ちょっと待ってと口に出す代わりにストップを掛けようと伸びた手が止まる。
静止の言葉は全然間に合っておらず、目の前いるのは既に虎の人ではなく人格も肉体も少女化した妹の方だった。
「ん~……にゃっ! にゃは、直接喋るのは久しぶりにゃご主人」
サイズが合わなくなったマスクを無理矢理引っ張ることで脱ぐと、ラルフは暢気に片手を挙げた。
歳は十五歳、背丈は僕と似たようなもので兄とは違い華奢とまではいかなくとも細身の少女。
彼女こそが実験体として融合させられた兄妹の妹であり、肩に触れないぐらいの黒髪には実験の名残というか後遺症というか、虎の魔獣の物である獣の耳が生えているあどけなさを感じさせる無邪気な性格の女の子である。
マスクがそのままになっていたことからも分かる通り、格好自体は虎の人がそのまま縮んで女の子になっただけなので湯船に浸かっているとはいえタオルを腰に巻いている以外は剥き出しのままなんですけど……。
「うん……久しぶり、はいいんだけどさ」
思わずツッコもうとするも、当のラルフは一人で湯船から出ると入り口の戸を開き手に持っていたマスクを適当に外へ放り投げた。
扱いが雑だな……あと人の話を聞いて?
「ラルフってば」
「にゃ?」
そのまますたすたと戻ってきたラルフは何ら気にすることなく再び浴槽を跨いで隣に腰を下ろした。
これも体格の差のせいか、腰に巻いていた手拭いもその際に落下してしまっている。
男の僕と同じ湯に浸かっているというのになぜこうも平然としていられるのか。
「毎度毎度同じことを言いたくはないんだけど、僕は男なんだからさ……体を隠すとかした方がいいんじゃないかな」
「にゃーは気にしないにゃ。初めて会った時からして全裸だったんにゃし、別にご主人になら見られても平気にゃ」
「うーん、気にするとかしないじゃなくて……はぁ、もういいか」
そういう問題ではなく乳房もお尻も局部も丸見えの状態でいられると目のやり場に困る上にこっちが恥ずかしいから言ってるんだけど、あんまり僕一人が言っても聞く気なさそうだし、この子はお兄さんと違って奔放だからなあ。
本人的には大した問題ではないのか湯船の暖かさ、心地よさにうっとりとしながら『極楽にゃ~』とか言ってるし。
「ああ、そうだ。もう一つ言いたいことがあるんだけどさ」
「にゃ?」
「なんでお兄さんはお風呂でもマスク着けてるの?」
「ん~……どう説明したものかにゃあ。あれは癖というか拘りというか、兄者は出来るだけ素顔を晒したくないみたいなのにゃ。無理に隠そうとしているわけではにゃいし、そりゃ頭や顔を洗う時には外すんにゃけど、にゃー達はこんな体、こんな存在にゃ。兄者は人間だった頃の自分と今の化け物としての自分を切り分けて考えたいんだと思うにゃ」
「そっか……」
それは、確かに複雑な心境だろうし不用意に本人に聞かなくてよかったのかもしれない。
人格が同一であるからといって、それを意識すればする程に普通の人間との違いをより強く自覚してしまうから。という理由なのだろうか。
ある種の自己防衛本能とでもいうのか、そうでもしないと正気を保っていられないことだって大いにあり得たぐらいに、こうして笑顔を向けてくれることが奇跡であるとさえ思わされるぐらいに非人道的な実験の被害者なのだから。
「そういうことなんだと思うにゃ。ま、先々その素顔が何らかの伏線になっていた、なんて展開にはならにゃいことをにゃーが約束するから安心するにゃ」
「……何の話をしてるの?」
「にゃはは、気にするにゃ」
なんて無邪気に笑って、『ご主人と洗いっこするにゃ』とラルフは湯船から出て備え付けの椅子がある方へと歩いていく。
先程出た時には目を背けていたため分からなかったが、後ろ姿が見えたことでその細い体にあるはっきりとした違和感に気付いてしまった。
どういう意味があるのかは不明だけど、お尻に何らかの文字が書かれているのだ。
英数字の組み合わせに見えたが……あれは何だ?
「ねえラルフ」
早く来るにゃ、と手招きするラルフに従い僕も湯船を出てシャワーの方へと向かうも、ほとんど無意識に名前を呼んでしまう。
虎の人のマスク以上に、聞かずにはいられなかった。
「なんにゃ?」
「ちょっとお尻を見せてくれる?」
……あれ?
この言い方じゃもの凄い誤解をされてしまうんじゃ……。
「にゃはは~、そんな可愛い顔しててもご主人もやっぱり男なのにゃ~。まあ、にゃーとしてもご主人の頼みは断れんにゃ、好きなだけ見ていいにゃ。何なら触ってもいいにゃ」
「うん、ごめんね。今のは僕の言い方が悪かったね」
これじゃあただの変態じゃないか。
「そうじゃなくて、何か文字が見えた気がしたから」
「にゃ? ああ、これのことにゃ」
誤解は解けたようだが、だからといって平気でお尻を見せてこられるのもどうかと思うが……ともあれ改めてこちらの背中を向けたラルフの臀部に目をやると、やはりそこには拳大の黒い文字が描かれていた。
【R8】
と間違いなく読めるその文字は見ようによってはタトゥーみたいにも見えるが……まさかこの二人がわざわざお尻にそんな物を施すだろうか。
「これは何なの?」
「にゃー達にもさっぱり分からんにゃ。この体になった時からあったにゃ、大方にゃー達被験体に振ってあった番号だろうにゃ」
「あ~、なるほど」
勝手に人体改造された上に番号で管理されていたとは……本当に胸くそ悪い話だ。
自分から質問しておいて言いたくはないけど、答えを聞く度に気分が沈んでいくよ本当。
駄目だ駄目だ、二人が前向きに今を生きようとしているのに僕がどんよりしていてどうする。
「どうしたにゃ?」
「ううん、何でもないよ。気になるとつい口を突いちゃうのも困ったものだなあと思って」
「よく分からにゃいけど、いい加減にゃーの頭を洗うにゃご主人。交代ずつにゃ」
「はいはい」
幸いにも落ちかけたテンションは取り繕うことが出来たようで、猫耳をピクピクさせながらせかすラルフの要望に応えることで僕はこの話題を終わらせることにした。
それからは特にこれといって中身のある話をするでもなく、他愛の無い冗談や軽口に付き合いつつどうにか体を見てしまわないように頭や背中を流し合って入浴の時間を終えるのだった。
余談があるとすれば部屋割りの変更ぐらいだろうか。
最初に述べた通りこの宿には個室が四つしかない。
見張り付きのバーレさんが一部屋、残る三部屋を僕、アイミスさん、ジャック、虎の人で使うのだが、風呂を出ても再交代するつもりがないらしいラルフの登場により男女で分けることが出来なくなったためだ。
当初は僕と虎の人で一部屋を使うはずだったのだけど、こうなった以上女性側に二人組を作ってもらうしかなかろう。
なんてごく自然に考えていた僕だったが、なぜか議論の余地もなく当たり前の様に僕とアイミスさんが同じ部屋にされてしまった。
これは入浴だけではなく睡眠にも緊張が伴いそうだと憂う気持ちも何のその、色々ありすぎて疲れ切っていたのか布団にかぶってからの記憶が無いぐらいにすぐに眠りに落ちたようで、振り返る時間を経ることなくジャックの言う激動の一日は終わりを迎えた。