【序章】 サミット
9/24 誤字修正 弱さ→弱さも
「コウヘイ、聞こえているか? コウヘイ」
二度三度と僕の名を呼ぶ声が室内に響く。
部屋の中に僕以外の人間は居ない。
その声の出所はベッドのヘッドボード上部にある棚に置いているショルダーバッグだ。
「もしもし? 聞こえてますよ」
慌ててバッグを手に取りチャックは開いたままにしている中身に手を突っ込んで数ある物品の中から細い金属製のブレスレットを取りだすと、その輪っかに向かって声を返した。
本当に見た目は特に飾り気もない質素なアクセサリーだが、これは門と呼ばれる特殊な魔法アイテムだったりする。
今更説明の必要もないだろうが、僕こと樋口康平十七歳(高校二年生以下省略)はとある事情で異世界から来たという女勇者と知り合い、それをきっかけに今年の春休みから幾度となく魔法やモンスターが当たり前のように存在する摩訶不思議な世界へと行き来してきた。
一番最初は魔王とやらを倒すために。
ある時はサミットに参加する国王のお供の一人として。
ある時は種族間、民族間の戦争を何とかして止めるために。
そしてある時は世界を丸々滅ぼしてしまうような魔術によって世界中が危機に晒される中で顔見知りのお姫様を助けるために。
もはや一朝一夕では語り尽くせない程に色々とあったし、その度に危険と向き合い辛い思いばかりして、それでも仲間達のおかげでどうにか乗り越えてきた。
そんな異世界行脚をする中で僕達を支えてくれた恩人、今は亡きノスルクさんという元魔法使いのおじいさんが作ってくれたアイテムこそがこのブレスレットなのだ。
これがあれば自らの意志で異世界とこの家の周辺を行ったり来たり出来るという効果に加えて、移動先であるそのノスルクさんの家の地下にある水晶を通して会話が出来るというとんでもない代物である。
他にも魔法の盾を生み出す指輪や自作の本をたくさんもらったりして、そんなノスルクさんの亡骸をこの手で埋葬したのは今になっても心が痛くなる辛い思い出の一つだ。
そういった経緯で僕の手元にあるブレスレットのおかげで異世界にいる顔馴染みが二人ほど二、三日に一度はこうして僕と話をしに来てくれる。
そのうちの一人であり、前述の僕が異世界と関わるきっかけとなる出会いを果たした女勇者が水晶を使って僕に声を掛けているというのが今この状況というわけだ。
「思いの外早い帰国になったので心配していたのだが、在宅であったか」
「ア、アイミスさん?」
「ああ、私だ。こちらの名はまだ呼び慣れぬか?」
「いえ、そんなことは」
実はちょっとそうだけど、とは勿論声に出しては言えない。
というのもこの女性、知り合った当初からつい最近まではセミリア・クルイードという名前だった。
勇者セミリア・クルイードといえば世界に知れ渡る程の有名人物であり、英雄として多くの尊敬を集め正義の象徴とまで言われる存在でもある。
しかしそれは国を追われ名を捨てざるを得なかった悲しき過去により生まれたものであり、謂わば第二の人生を歩むに当たって用いてきた二つめの名前であることを知る者はほとんどいない。
というよりは、いなかったと言うべきか。
というのも自らその過去を公にし、そうなるに至らしめた民族間の争いも終わったということもあってつい一週間ほど前から生まれ持ったアイミス・ヴェルミリオという名前に戻すことに決めたのだそうだ。
それを聞いてから話をするのも二回目なので正直に言えばまだまだ慣れてなんていないけど、まあそのぐらいのことなら時間が解決してくれるだろう。
名前が変わったところで三日ぶりのその声を聞き間違えるはずもなければ最後に会ってから一ヶ月も経っていないので懐かしむこともないのだから当初は夢でも見ているのかと思っていた異世界の非現実感も薄れていく一方な今日この頃である。
普段は特に用が無くとも定期的に声を聞かせに来てくれて小一時間程談笑して終わりという感じなのだが、今回に至っては予めそういう理由ではないと聞いていたので突然のコンタクトというには少々事情が違っていた。
向こうの世界での主要国の代表が集まるサミットが行われることになった。
そういう話を三日前に聞かされていて、帰国後にその報告をしに来ると前もって言われていたからだ。
僕が前回あっちに行った時に起きた世界の破滅を巡る一大事件。
天界という場所にいる神と呼ばれる誰かが仕掛けた【人柱の呪い】騒動のその後のことを話し合う国際会議、というのが分かりやすいだろうか。
それが昨日今日行われるということだったので確認するまでもなくその件だろう。
以前僕が参加したサミットとは違い孤島にある会場ではなくシルクレア王国で行われるという話で、ジャックとアイミスさんが昨日のうちに移動し今日の午前に会議が予定されているという話だと記憶している。
聞いていた限りではその主立った内容は二つ。
下卑た謀を以て仕組まれた戦争を連鎖させ、多くの命が犠牲になったばかりか世界そのものを消し去ろうとした天界の神をどうするか。
当然と言えば当然の議題だろう。
多くの艱難辛苦を乗り越え世界の滅亡を阻止出来たからといってそれでおしまいという話になるはずもない。
一方的に、ほとんど大量殺戮と変わらないだけのことをされているのだ。
行き着く先はまた戦になるか、魔族との争いの時以上に可能性は低いのだろうが賠償と講和という以外に道はないということぐらい僕にだって分かる。
そしてもう一つは【天門】と呼ばれる天界に繋がる扉の鍵をどう扱うかということについてだ。
そもそも僕どころか現地で暮らすアイミスさん達ですら天界というのがどこにあるのかも知らないらしいのだが、そうまで明確な敵意を向けてくる連中が居るどこかと行き来することが出来る唯一の手段とあってはこちら側にとっての重要度は高く、取り扱いに関しては慎重にならざるを得ないのも納得のいく話である。
完全に余談ではあるが、天界とは別に魔族の暮らす魔界という場所があって、僕は向こうでは人間としてその魔界に足を踏み入れた最初の人間ということになっている……らしい。
単に拉致されて行っただけなんだけど、そのおかげで一つの争いを回避出来たのだと考えればむしろ幸いだったと今でも思う。
逸れた話はさておき、さっそく切り出されたアイミスさんの報告はまずその鍵についてだった。
「二つの鍵は最終的にシルクレア王国……というよりはクロンヴァール王が厳重な管理、保管を請け負うということで話が付いた。お主が持っていた物に関しては私とアネット様に一任するということだったが、情勢を踏まえて考えれば妥当だろうということで私達は同意することにした。異論はないか?」
「はい、お二人が決めたことなら僕は何も言うことはないですよ」
「それならばよかった。もう一つの鍵、ユノのキャミィ殿が持っていた物についても特に話が拗れることはなかったのだが、何やらユノ、フローレシアの連名で何らかの交換条件が提示されたらしい」
「交換条件とは?」
「その内容はまだ明かせぬとのことらしく私達やサントゥアリオは詳しい話は聞けていなくてな。とはいえ無事に合意に至ったということだし、クロンヴァール王も然るべきタイミングで公表すると言っておられた。いずれ分かる時が来るだろう」
「そうですか、それなら僕が首を突っ込む話ではなさそうですね。というか一つ気になったんですけど」
「うむ?」
「サントゥアリオの代表はどなたが?」
サントゥアリオ共和国。
魔族との抗争を仕組まれ、【人柱の呪い】の争いに利用され、多くの悲劇を生んだ土地でありアイミスさんの生まれた国。
その最中に国王パトリオット・ジェルタールが暗殺されるという最悪の結末を以て争いの連鎖に終止符を打った国。
それからまだそう長くの時間は経っていない。
国の立て直しも含め、戦争の傷を癒すにはまだまだ時間が必要であることは疑う余地もないだろう。
「ああ、それも報告したかったことの一つだった。此度のサミットからキアラ殿が正式に王位を継ぐことになってな、キアラ殿だけというわけでもないがコウヘイが同行していないことを残念がっておられたぞ」
「それは光栄な話ですけど、そうなると次に会うことがあればその時は気軽に話し掛けられないかもしれませんね」
確かあの国は国民の投票で国王が決まるという話だ。知名度や貢献度を考えれば順当だと言えるのだろうけど……王国護衛団の総隊長に加え、国王をも兼任するとなればキアラさんの負担や責任が増す一方な気もする。
まあ、それも僕が口を挟む問題ではないか。
「あの方はそういう区別をするような人間ではないさ。キアラ殿もコウヘイを高く評価しておられるし、ワンダー少年のお主に対する心酔ぶりも健在だったしな」
「どうしてなんでしょうね、こうも年下の子に懐かれる理由が自分でもさっぱりですよ僕は」
コルト君やカノンも然り、シロやミラも然り。
若干らしくもない面倒見の良さを発揮しちゃったのは確かだけど、こんな無愛想で無頓着な男の何が気に入ったんだろうね。
シロの場合は少々特殊なパターンかもしれないけど、僕なら絶対に僕みたいな奴に寄っていったりしないのに。本当に謎だ。
「年齢の上下など無関係にお主の人柄に触れれば誰しもが頼もしく思うものさ」
「そういうものですかねぇ」
「知らぬは本人ばかりなり、ということだな。おっと、少々話が逸れてしまったが……ここからが本題でな」
「はい」
「例の【最後の楽園計画】を仕組んだ天界の神々についてだが……やはり討伐すべきだという結論に至った。ユノ、フローレシア両国も積極的な賛成とまではいかずとも反論の余地はない、との見解だったこともあって反対意見は無しでの可決だ」
「まあ……やっぱりそうなりますよね」
「詳しい話は後でするつもりだが、その方針が固まった中で少々難儀な話になってな。こう毎度お主を頼るのは申し訳ない限りなのだが、力を貸してくれないかと頼みに参ったのが報告とは別に私に託された役目なのだ」
「僕なんかが役に立てるなら迷う理由なんてありませんし、遠慮なんてしないでください。そちらに行くのは今日のうちの方がいいですか?」
考えるまでもない。
サントゥアリオでの戦争でも、人柱を巡る戦争でも、中心とまではいかずとも僕は深く関わってきて、それなりに戦局を左右するようなこともしてきたのだ。
その僕が無関係だと逃げることは出来ないし、そんなことをすれば共に命を懸けて来た人達に、僕を助けてくれてくれた人達に顔向けが出来ない。
何よりも『今回はやめておきます』なんてふざけたことを言って見送った挙げ句、後から見知った誰かに何かあったと聞かされては絶対に後悔する。
危ない、怖い、関係ないが逃げる理由になる段階も、それが自分への言い訳になる段階もとっくの昔に過ぎ去っているのだから。
「そう言ってくれるか、出来れば今日のうちにアネット様に会って欲しい。問題があるようならば明日でも構わないが……」
「いえ、大丈夫です。すぐに用意をしてきますので一旦離れますね」
「承知した。少ししたら迎えに行く、ではまた後でな」
「はい」
そこで通信が途切れる。
迎えに来てもらわなくとも異世界に行けることは行けるのだが、過去に痛い目をみたせいもあって僕が移動系のアイテムの使用を嫌っていることを知っているからこその申し出だ。
そんなさりげない優しさに人知れず感謝しつつ、僕はすぐに準備に取り掛かることにした。
この世界とあっちの世界では時間軸が違っているらしいので数日を向こうで過ごしても連休が終わる前には帰って来られるだろう。
まだ向こうで何をするのかも分かっていないけど、過去を顧みるに無事に帰れるかどうかという問題が大いに付きまとうが……少なくともアイミスさんやジャックが僕を頼ってくるということはこんな僕にだって何かが出来ると思ってくれているからだ。
だからこそ見ず知らずの無関係な人を助けるためではなく、せめて僕を信頼してくれる人のためにと僕はいつだって必死になってきた。
その人達が僕のために必死になってくれるからこそ、少なくとも逃げずにそうすることが出来た。
それが本来いるはずのない僕が向こうの世界に足を踏み入れる意味だと信じて。
○
その後あれこれと出立の用意をして、母さんにしばしの外出の報告をし家の前で待つすこしの時間を経て僕はアイミスさんと再会を果たした。
向こうの世界にはコンクリートや排気ガスもなければ風を遮るビルやマンションも無いため夜は冷える。
というわけで上着代わりにパーカーを着て、動きやすい格好を意識してすねまでの丈のズボンにスニーカーという服装にもはやデフォルト装備みたいになっているショルダーバッグを肩から掛けているといった具合だ。
かさばる上にろくに使うこともない発信器は置いてきたし、重量のあるノスルクさんに貰った本はお城の部屋に残しているのでこれまでに比べると随分と軽装になっている。
持っていくのはライターに懐中電灯、各種錠剤、スタンガンぐらいで他はナイフや指輪を始め向こうで手に入れたものばかり。
そこに替えのシャツと下着、靴下を放り込んだだけのいかにも最低限の備えという感じであるが、使わない物をあれこれ入れていても移動が大変になるだけだし、ここ数回の遠征でバッグを肩から提げたまま馬に乗ったり何百メートルも走ったりするのがどれだけ肉体的に辛いかを痛感したので兎にも角にも無駄を省くことを第一に考えた結果だ。
「では行くとしようか」
再会の挨拶と握手を交すと、アイミスさんは繋いだ手をそのままに僕に確認の視線を向ける。
両手両足の肘と膝から先、そして胸部に着けた鉄製の防具や背に負った大剣のみならず肩胛骨の辺りまで伸びた綺麗な銀色の髪や同じ人類とは思えない美形の極みみたいな綺麗な顔、そのどれもがまだまだ明るく日の照っている静かな住宅街の一角には不似合いな異質さを放っており、そのどれもが異世界の女勇者アイミス・ヴェルミリオたる所以だ。
僕よりも一つ年上なだけなのにそうとは思えぬ誰よりも大きな勇気や強い正義感を持っていて、強さも弱さも、今も過去も含めて様々な部分を見てきて知ってきたからこそ出会った当初よりも遙かに心から尊敬出来る人物だという認識は強くなっている。
加えて言えばこのアイミスさんと真っ赤な髪の完璧超人ことクロンヴァールさん。
後者が強さも美しさも世界一だと言われているように、後にも先にもこの二人を超える美女はこの世に存在しないと断言しそうになる程の綺麗な外見をしていて、毎度毎度言いたくはないけど嫌でも会う度に天は二物を与えるんだなぁ、なんてしみじみと思うのだった。
そんなことを考えて気を紛らわしている間に瞬間移動の過程で生まれる浮遊感も収まってくる。
相変わらずの慣れない感覚に目を閉じてしまう癖はいつか治るのだろうかとそろそろ心配になってくるけど、何はともあれ日本から異世界への移動が完了した。
まだ日が暮れる時間には少し早いはず。
にも関わらずどこか薄暗いのは四方八方が木々に囲まれた森の中にいるからに他ならない。
目の前にはたった今僕達が出てきた決して大きくはない質素な小屋があって、その光景がより帰って来たんだという実感を生んだ。
ここはエルシーナという小さな町の外れにあるそれなりに広い森の中。
その中心にポツンと建つこの小屋こそが故エルワーズ・ノスルクが暮らしていた家である。
少なくとも百年、戦友との誓いを果たすために人との関わりを絶ってこの地で一人生きてきた。
そして残酷なことに、そうまでして待ち続けたその時を迎えた日にノスルクさんは帰らぬ人となった。
それを知っているからこそ、今でも悔やんでも悔やみきれない別れの一つとしてずっと胸に残っている。
この場所に来るとよりはっきりと脳裏を過ぎる記憶が涙腺を刺激する中、二人で小屋の裏手にある木を十字に組み合わせて作ったお墓に手を合わせて黙祷し、僕達は目的地であるこの国グランフェルト王国のお城に向かって出発することに。
まずは森を出て、エルシーナ町から城下の四方に設置されている関所の一つに今一度エレマージリングで移動するのがこの国に限らずこの世界での一般的な移動方法だ。
といっても一般庶民がそう頻繁にアイテムで移動することはないらしいのだが……いずれにせよ関所より内側に直接移動することは法律で禁止されているので重々気を付けることをおすすめする。
アイテムによる移動で一度痛い目をみている僕が言うんだから間違いない。
何の話だという感じになってきたけど、そんな塩梅で関所に到着した僕達は番をしている兵士さんと挨拶を交し、何の手続きもなく顔パスで通行許可を貰うとそこから歩いて城下町へと進んでいく。
そうして二十分程の移動を経てこの国で一番大きな町に到着すると、そのまま二人で城に向かうのかと思いきや大通りに差し掛かろうとする辺りでアイミスさんが不意に立ち止まった。
「コウヘイ、すまないが私はアネット様に酒の買い出しを頼まれているから先に城に行っておいてくれるか」
「へ? 買い物なら手伝いますよ?」
「いや、お主を頼るということは相応の難題を抱えているということだ。申し出はありがたいが事情を把握するのは少しでも早い方がいいだろう、アネット様も首を長くして待っているだろうし気遣いは不要で頼む」
「分かりました、アイミスさんがそう言うなら」
「うむ、私も出来るだけ早く戻る。また後ほどな」
「はい」
そう言われては買い物に行く行かないの話で時間を浪費するわけにもいかず。
一旦アイミスさんと別れ、僕は一人で通りの向こうに聳え立つ日本では到底お目に掛かれない洋風の大きな城に向かって歩くのだった。