【第二十四章】 最後の人柱
3/25 誤字修正 意志した→意志でした
全ての視線が上空に向けられたまま固まっている。
その先には何もなく、誰も居ない。
ほんの小一時間程前と全く同じシチュエーションに大半の者が唖然と、或いは呆然としたまま無言で宙を見つめることしか出来ずにいた。
それでいて、同じ逃げられるにしてもあの神父とは別次元の異様さが際立つ光景が頭から離れず、不気味さというのか非現実感というのか嫌に後味の悪さが胸に残っている。
「あの似非神父に続いて、また逃げられちまった……と。こうも立て続けに敵を殺り損ねるっつーのは正直記憶にねえぜ俺ぁよ」
どういう反応が正しいのかも分からず何も言えずにいる中、沈黙を破ったのはハイクさんだった。
懐から取り出した煙草を咥え、マッチで火を点けると大きな息と共に煙を吐き出し見上げていた顔を下げる。
「フン、生涯における汚点もいいところだな。だが、【天帝一神の理】に【最後の楽園計画】……我々が知っておくべき情報は明かされた。天界のクズ共も、あの小僧も、紛い物の聖職者も、どう転んだところで今生の別れということにはならんだろう。国に帰り次第各国に国際手配という扱いとすることを通達しておけ」
ハイクさんに続いて武器を収めつつ、クロンヴァールさんも忌々しく思う心の内を露わにしながら一息吐いた。
「ああ……だが、一体何だったんだありゃ。AJの野郎、あんな能力を隠し持っていやがったとはな」
「能力、か。そうであればまだマシなのだがな」
「あ? どういうことだ?」
「奴が原型を失っている間、一切の魔法力を感じなかった。奇妙な芸当だ、凡そ人間業とは思えんぐらいにな」
「野郎の正体が何であれ、まんまと策動に踊らされたことに違いはねえだろう。再戦の時はいずれくると本人も言ってやがったんだ、その折にゃきっちりけじめを付けさせてやるとしようぜ。とはいえやるべきことの中にも軽重ってもんがある……今日までの事を考えるならば天界の神とやらを先にブチのめしたい所だがね」
「そうだな……必ずや、実現して欲しいものだ」
クロンヴァールさんはどこか遠い目で明後日の方向を見つめていた。
まるで、自らの手でそれをすることはないのだと悟っているかのように。
「それも結局は後のことだ、それよりも今この場でやらねばならぬことがある」
そう言ってクロンヴァールさんはこちらを向き、一歩二歩と近付いてくる。
その目に映るは僕ではなく、後ろにいるナディアだった。
「マリアーニ王、彼奴はお前の母親と繋がりがあると言っていたが?」
「……確かに、わたくしの母は天界にいます。ですが、この一件のこと自体何一つとして知らされていなかったわたくしにはあの方の言っていることも、あの方が母と面識を持っていることすらも事実か否かを判断することは出来ないのです」
「そうか、ならば次だ」
ようやく握っていた僕の手を離したナディアが沈痛な声で答えると、すぐにクロンヴァールさんの目が前に立つ僕へと向く。
というか、ナディアのお母さんが天界にいるってどういことだろう。
「コウヘイ、お前の推測通りここに人柱がいることは確かだったようだ。だが、なぜお前がラークの鍵を持っている。聞いていた限りでは奴にもらった、というようなことを言っていたな」
「そうです……以前シルクレア王国で爆弾魔騒動があった時の事でして、そもそも僕がAJと知り合ったのもあのタイミングでした。その時まだ牢に居た僕は彼に例の大臣の犯行であることを突き止めるための協力……というか情報提供をして、そのお礼だと後から貰ったんです。といっても直接受け取ったわけではなく人を通してなんですけど。加えて言えばこれがここの鍵だとは聞いていませんでしたし、それ以前に当時はこのラーク? の存在すら知らなかった僕は今日になるまで鍵の使い道なんて考えもしなかった。手紙が同封されていましたけど、使う場所は自分で探してくれとしか書かれていなかったですから」
脱獄云々や王子の件はもちろん伏せるしかない。
だからといって嘘は言っていないし、僕だってそれ以外のことは何も聞いていないのだ。AJの正体なんて僕が知りたいぐらいである。
「つまり、お前は奴が【天帝一神の理】だとは知らなかったのだな」
「はい、というよりも……それが何なのかも今尚ほとんど理解出来ていないんですけど」
先程の会話を聞いていたところでクロンヴァールさんが口にした以上のことは何も分からないままだ。
神がこの世界に送り込んだ隠密部隊というか工作員みたいなもの、という認識でいいのだろうか。
「ならばその件はそこまでの話だな。では次だ、今からこの扉の奥に進むわけだが……その前に聞かせろ。中には誰が居る」
一対一での尋問だったはずが、いつしか全ての視線が集まっていた。
最後の人柱。
その存在はこの場に居る誰だって無関係ではない、それも当然か。
「正直に言って、これも断言は出来る根拠はありません。AJが言う人物と同じ人を想像しているわけじゃないかもしれない。でも多分これも間違いないと僕は思っています」
「回りくどい御託など必要としていない。その人物とは何者なのか、聞いているのはそれだけだ」
「それは……僕にマリアーニ王を託し、そのまま姿を消した人物。すなわち、スカットレイラ・キャミィさんです」
ハッと、真横でナディアが息を飲む音が聞こえる。
クロンヴァールさん達とは違い、身内であるユノの三人が驚くのも無理はない。
しかし、反応の強さの度合いはどういうわけか守護星の方が強かった。
「おい小僧!」
別の場所から「え?」とか「は?」とかという声が聞こえたかと思うと、突如として詰め寄ってきたエーデルバッハさんの手が乱暴に胸座を掴む。
声を荒げ、怒りすら孕んだ表情に冷静さは一切なく、何がそうさせるのかが分からない僕には返す言葉も見つからない。
それどころかキースさん、ノワールさん、シロといった他の三人までもが傍に集まってきていた。
「どういうことだ! なぜお前が隊長の名を口にする!」
「た、隊長?」
一体何の話をしているのか。
言いたくともあまりの剣幕と服を締め上げられていることによる息苦しさが抗議や疑問の言葉を飲み込ませる。
そうなってようやく、ほとんど反射的に「何をしているのです!」と憤慨するナディアや「お前何してんだっ」とエーデルバッハさんに飛び掛かろうとするエル、そしてそのエルを静止しつつ「その辺にしておいてもらえますでしょうか~」とか怒っている時の笑顔で言ってるウェハスールさんといったユノ三人組のただならぬ雰囲気を感じ取ったらしいキースさんが僕に伸びた腕を掴み、当の僕をそっちのけで揉め事に発展する寸前で事態の収拾を図ってくれた。
「オルガ、取り乱しすぎだ。ちょっと落ち着けって」
どうにか目一杯の力で胸元を握りしめていた手が離される。
思いっきり舌打ちをされていたが、なぜ僕に怒りの矛先が向いたのかはさっぱり分からない。
確かなのはこの人達もキャミィさんと面識がある、ということぐらいか。
「悪かったな、大丈夫か?」
「ええ、どうにか無事です」
理不尽な暴力を笑って許せる程懐の広い人間ではないが、今ばかりはそれについて討論している場合ではない。
そんな心情を知ってか知らずか、キースさんはエーデルバッハさんに代わって話を進めることにしたようだ。
「あんたが口にしたのは私達守護星の隊長の名前なんだ。率直に言えば何であんたが隊長の名前を知ってるのかってことだな。どういう関係なんだ?」
「どういうも何も、今説明したままですよ。随分と前になりますけど、サミットの時に同じ組で行動したというだけの関係で、それがなぜか数日前にグランフェルトの城を訪ねてきたかと思うと急に頼まれたんです。マリアーニ王を自分の代わりに守ってくれ、と。引き受けてくれるまでは帰れない、そう言いながら必死になって頭を下げて」
「なんで隊長は……坊やにそれを頼んだの?」
気のせいか、ノワールさんは泣きそうな顔をしている。
キースさんの言葉から察するに、フローレシアで聞いた『五人いる守護星の一人は不在である』という事情にある欠けた最後の一人こそがキャミィさんだった。それが隠された真相だったようだ。
確かにこれも偽神父の件と同じくマクネア王の言葉がヒントとなって思い至ったことの一つではある。
自分で言い出しておいて何だがこの扉の向こう、つまりは夢見の泉とかいう場所にキャミィさんがいたとして、なぜそれをマクネア王が知っているのかと疑問を抱いてはいた。
あの人がフローレシアの人間だったのならばなるほど納得という感じか。
であるならば、サミットの時に始まりどうしてずっとナディアの側近として仕えていたのだろうかという別の疑問が生まれるわけだけど……それもユノ、フローレシア両国の関係というのが背景にあったりするのだろうか。
「そればかりは僕には何とも……」
なんで、と言われても本当になぜ僕を選んだのかは未だ謎のままだ。
本人の口からもはっきりとした理由は明かされていない。
「どうして……私を頼ってくれなかった。どんなことをしてでも隊長の願いを叶えて見せたのに」
悔しさ、或いは歯痒さからか、表情を歪めるエーデルバッハさんは固く握った拳を振わせている。
自然と生まれる重苦しい空気を破ったのはどう考えてもこの場に似付かわしくないふんわりとした声音だった。
「今の男の子の話を総合するに、身近な人達に明かすことは許されていなかったということではないでしょうか~。強制されているというようなことを口にしていましたね。というか、相談して欲しかったのはわたし達も同じですしね~」
「レイラ……一人で死のうとしてたの? 姫のために」
珍しくといっては何だが、エルも神妙な顔をしている。
身内が自分達に黙って死のうとしていた、そんなことを聞かされれば誰だってそうなる。
「そうみたいね~、でもコウちゃんがそれを阻止してくれたのよ。クロンヴァール陛下、手遅れになる前に早いところ中に入りましょう~」
「ああ……何やら聞き捨てならん複雑な事情があるらしいが、追求は後にするとしよう。コウヘイ、鍵を開けろ」
「分かりました」
促されるままに鍵を手にしたままの僕はポツンと立っている扉に近付いていく。
この扉の奥に何かがあるというだけでも理解に苦しむ意味不明な理屈であるだけに、開いた結果向こう側の景色が見えるだけだった、なんてことにはならないだろうなと一抹の不安がどうしたって頭を過ぎったが、もしそうならAJが見張っている意味が皆無なので大丈夫だと信じるしかない。
少しの緊張と何らかの仕掛けがある可能性が生む怖さを胸に、ノブの上にある鍵穴へと右手に持つそれを差し込んだ。
手首を捻ると驚く程簡単に、何の異変もなくガチャリと金属音を残して鍵が開く音がする。
恐る恐るノブに手を掛けゆっくりと回しながら扉を押すと、やはり何事もなく扉は奥側へと傾いていった。
「…………」
そこから覗いたのは、間違っても本来そこにあるはずの荒れ果てた大地ではない。
ただの扉ではないことが明らかである以上予想出来ていたこととはいえ意味不明にも程があるのだが、三百六十度どこを見渡しても合致する部分の欠片も存在しない緑一色に染まった森の様な風景が広がっているのだ。
謎過ぎて恐怖さえ感じる目の前の有様に不安を覚えながらも、判断を仰ぐ意味で一度振り返ってクロンヴァールさんを見ると、無情にも無言で頷かれてしまったとあっては僕が先頭で入っていくしかないらしい。
僕自身がこの場所にある可能性を示し、僕自身が持っていた鍵を使ったとあれば当然の責任なのかもしれないけど……率直に言って普通に怖い。
いつかのサミット会場のような原理なのだろうか、魔法で外からは分からないように偽装している的な。
「ふぅ……」
この期に及んで情けないことを言っている意味もないし、ごねるだけ時間も無駄になる。ここは覚悟を決めるしかない。
そんな意味を込めて一度大きく息を吐き、それでも恐る恐る扉の枠を潜る。
森、という以外に表現のしようがない内部はどこかひんやりとした空気が充満していて、見た目からも雑草を踏む足から伝わってくる感覚も匂いも、見せかけとは思えぬ本物感があった。
警戒心を胸に左右を見渡してみるが、特に危険な何かが備わっている様子はない。
右にも左にも無限に広がっているのではないかと思わされる木々の群れだけが見えていて、一本道であることを現わしているが如く正面だけが開けている状態になっているようだ。
空間全体が霧が掛かっているように薄白く、見上げる頭上には空など一切見えておらず、そもそも空があるのかどうかも判断が付かない状態になっている。
遅れて他の人達が入ってきたところで今一度アイコンタクトを交し、一転してクロンヴァールさんを先頭に木々に挟まれた一本道を会話の一つもなく万が一の備えとして外に残っているらしいアルバートさんを除く全員で進んでいった。
緊張感から無言になっている。というよりは、どちらかというと周囲の物音を聞き漏らさないためという意味合いが大きいのだろう。
そのまま四方八方への警戒を維持しながら慎重に歩くこと五十メートル足らず、前方に小さな池があるのが目に入った。
池……いや、この場所が『夢見の泉』と呼ばれているなら泉ということになるのか。
見た目としては円形の、面積で言うと学校の教室の二倍程度しかない水溜まりという様相ではあるが、どこかしこにも広がっている白い霧や森の真ん中にあるといった雰囲気から随分と神秘的な景色に映る。
とはいえ今は泉の印象はどうでもよくて、まず間違いなく全ての視線は一点に集中していることだろう。
こちらから見てその泉の手前側に一つの人影がある。
長身で長い黒髪のポニーテールという後ろ姿、袖の短い白い服と下は膝の辺りまである黒いズボン風の戦装束。
そして何よりも特徴的な左腕の肘から先を覆う、甲冑と一体になっていて手の甲の部分に鋭く尖る複数の大きな爪が光る赤いクロー型の武器。
他の誰でもない、見間違うはずもない。
水面を眺めるように背中を向けていたのは僕がここに居る最大の理由であり僕にナディアを託し姿を消した人物でもある女性、スカットレイラ・キャミィさんだ。
「「レイラ!!」」
「「隊長!!」」
足音、或いは気配で僕達の存在に気付いたのか、キャミィさんはゆっくりと振り返る。
ほとんど同時にナディアやエル、そして守護星の四人が駆け寄っていた。
「天子様……それにお前達まで、なぜここに」
予想していた顔ぶれではなかったのか、感情らしきものをほとんど露わにせずいつだって声のトーンも表情も変わらないキャミィさんにてしては珍しく驚きと困惑の混じった表情を浮かべている。
「そりゃこっちの台詞だぜ隊長」
「そうだよ、隊長が死のうとしてるって聞いて気が気じゃなかったんだからっ」
すぐさまキースさんの抗議めいた声が静かな泉に響き渡った。
それどころか続いたノワールさんに至っては涙を流している。
真っ先に走り出した誰もが同じ気持ちだったようで、その瞬間にはナディアがキャミィさんに飛び付いていた。
「レイラのばかっ!」
抱き付き、胸の辺りに顔を埋め背に回した腕に力を込めるナディアの声は震えている。
後ろから見ていても、ノワールさんと同じく泣いていることが容易に分かった。
「どうして勝手なことをするの! どうして相談してくれなかったの! どうして……わたくしに黙って死のうとしたのっ」
悲痛な叫びにキャミィさんはただ下唇を噛み、目を閉じ天を見上げた。
知られたくなかった。知られてはいけなかった。知らないまま終わって欲しかった。
そんなことを考えているのだろうと、後悔が滲む形容し難い表情が物語っている。
少しして顔を下ろすと、小さく息を吐いてナディアを引き離すことなくキャミィさんは心情を言葉に変えた。
「全て……ご存じなのですか。身勝手なことをしたことに関しては申し開きのしようがありません……ですが、こうする他に方法がなかったのです。私が人柱の一人である以上……貴女様の傍に居ることは出来ず、それを明かすことも許されていなかった……それでも、全ては自らの意志でしたことです。それで貴女様が助かるのであれば……迷いも後悔もなかった。どうかお聞かせください、どうしてここに来ることが出来たのかを。扉の前にはこういった事態を防ぐために見張っていた者が居たはず……いえ、それ以前に鍵を入手すること自体不可能なはずなのです」
「AJならば立ち去ったぞ。義理なのか気まぐれなのかは知らんが、お前達【天帝一神の理】がしてきたことや魔王軍との抗争から今に至るまでの計画全てを明かした後にな」
ナディアの返答を待たずに割って入ったのはクロンヴァールさんだ。
そこで初めてキャミィさんの目がこちらに向く。
「クロンヴァール王……コウヘイ様」
そうしたことで僕の存在に気付いたキャミィさんはもう一度僅かに目を見開き、僕の名前の部分だけを愕然とした声で口にした。
「まさか……貴方が」
「その通りよレイラ。王子……いえ、コウヘイ様がレイラがここにいることに気付いてくれたの。扉の鍵を持っていたのもコウヘイ様よ」
ナディアが答えたことで挨拶や無事を安堵する言葉を述べる暇もなく、キャミィさんの視線が眼前に戻ってしまった。
僕は再会を喜び合うような関係ではないかもしれないけど、それでも間に合って本当によかった。それが全てだ。
「そうですか……コウヘイ様は、私の無茶な願いを実現してくださったのですね。貴女様が無事にここにいるということは」
「ええ、コウヘイ様は何度も何度も自分を犠牲にして……命懸けでわたくしを守ってくださった……コウヘイ様がいなければ今頃わたくしは生きてはいなかったわ」
「それだけが私の望みでした……本当に、よかった」
「隊長、隊長、私達も頑張ったんだよ?」
キャミィさんは神妙な顔付きのままナディアの両肩を押し、そっと体を離す。
途端に何故かノワールさんが「褒めて?」と言わんばかりの場違いなテンションで挙手をしていた。あと隣にいるシロも無言でコクコクと頷いている。
「そうだったのか。いや、それ以前に何故お前達までここにいる」
「そこのコウヘイってのがうちの国まで来てさ、姫様を守るために力貸してくれってマクネアのおっさんに頼んだんだ。そんで交換条件を飲んでバズールをぶっ倒してきたもんだから私達が同行することになったってわけだよ」
すっかり補足役に収まりつつあるキースさんが事の次第を説明すると、再びキャミィさんは僕を見た。
「まさか……本当にバズールまでをも貴方が」
「いや、僕はほとんどその場にいただけなんですけどね……」
あれはサミュエルさんとラルフが頑張っただけだ。僕は全然戦っていないし、役に立ってもいない。
そもそもバズールを倒してこいと言われたわけではなく、それをしようとするサミュエルさんを助けてやってくれというだけの条件だったのだが……そんなことまで説明していると話が長くなってしまいそうだし、どうしたものか。
そう考えたのは僕だけではなかったらしく、そうなってようやく僕と同じくキャミィさんを中心とした人集りを少し離れた位置で見ていたクロンヴァールさんが徐々に逸れつつあった会話を遮った。
「再会の挨拶はその辺でいいだろう」
本音を言えば真っ先に問い質したいと思っていただろう。
それでもぎりぎりまで自重したのは、もしも知らないまま時が過ぎていたら二度と会うこともなくキャミィさんが死んでいたという事実に対するナディア達や守護星の方々の悲痛な心の内を慮ったからだと信じたい。
「キャミィとやら、お前がしてきたこと、やろうとしていたことは全て聞いた。お前が最後の人柱であることに偽りはないな」
「はい……これがその証明です」
数歩距離を詰めたクロンヴァールさんがすかさず切り出すと、キャミィさんは背を向け肩胛骨の辺りまで服を捲った。
露わになった素肌、その中心にはグランフェルトの城を出る時にジャックに見せてもらった呪いを掛けられ人柱とされた者の肉体に現れるという拳大の黒い五芒星が確かに刻まれている。
疑いようもない証拠を目の当たりにしたことでこの救いのない現実が事実であるとはっきり認識してしまったせいか、よりその決断と運命の残酷さが鮮明になり誰もが言葉を失っていた。
僅かな沈黙の間にキャミィさんは服を下ろし、また体の向きをこちらに変える。
「これでお解りでしょう、私の命を代償とする他にこの一件を終わらせることは出来ないのです。天子様……黙っていたこと、無断で姿を消したことに関してはどれだけでもお詫び致します。叶うならば、貴女様には知られずに逝きたかった」
「レイラ、謝罪の言葉なら後でいくらでも聞いてあげるわ、その前にたっぷりお説教も聞いてもらいます。だけど、例え何を言われてもわたくしに黙って死のうとすることなんて許しません、納得もしません。なぜなら、もうあなたが死ぬ必要なんてないのだから」
「必要が……ない?」
「ええ、コウヘイ様がここに来ることを進言したのは……あなたを救うためよ、レイラ」
「それは……不可能です。どのような薬草も、解呪の魔法もこの呪いには効果がありません。それ程に強力な呪術なのです」
「普通の手段では無理だったとしても、コウヘイ様は確かにその方法を見つけてくださったのよ。レイラ、あなたが信じて全てを託したのなら、最後までコウヘイ様を信じて。今日までの数日間、この方が何度も不可能を可能に変えてきたのをわたくしは見てきたわ」
真っ直ぐにキャミィさんの目を見て優しい口調で告げると、ナディアは僕の名を呼ぶ。
あと一歩のところでジェルタール王を救うことは出来なかったけど、今ここでキャミィさんを助けることが出来たなら……僕が命を懸けてきた意味もあったと言っていいのだろうか。僕は何かを変えられたと、思っていいのだろうか。
まだ自分では半信半疑なこの結末にそんな複雑な思いを抱きながら、僕はバッグから小瓶を取り出しキャミィさんに差し出した。
「これはドラゴンの血です。これを飲めば人柱の呪いは消える……それが確かであると確認した上でいただいてきました」
「ドラゴンの……血…………あなたは一体……」
「レイラ、話は後よ。早くそれを」
何を言い掛けたのか、愕然とした呟きはナディアの声に掻き消される。
キャミィさんはゆっくりと手を伸ばして薄緑の液体が揺れる瓶を受け取ると、ジッとそれを見つめたのちコルクの蓋を開け一気に飲み干した。
「隊長っ」
胸を押さえ、僅かに苦しげな表情を浮かべるキャミィさんを支える様に慌てて片腕を担いだのはエーデルバッハさんだった。
強力な呪いをも消し去るだけの物なのだ、副作用とまではいかなくとも体に何らかの影響があるのかもしれない。
それでもキャミィさんは「問題ない……」と、すぐに体を離し、息を整えるべく小さな深呼吸を数度繰り返す。
「た、隊長……背中を」
担いでいた腕が離れるやいなや、エーデルバッハさんは勝手にキャミィさんの服を捲り背中を晒しだした。
僕も、一番後ろで「あとはお前等の問題だろ?」みたいな顔で煙草を吹かしているハイクさんも一応男なのでそう簡単に肌を晒さない方が良いのでは……と思えてならないが、指摘できる空気であるはずもなく。
この目にはただ再び剥き出しになった五芒星の線一つすら残っていない細く綺麗な背中が映っていた。
どのぐらいの時間差で効果が得られるのかと不安を抱いてはいたのだが、思いの外即効性のある物だったようだ。
「き、消えている。刻印は消えています隊長」
「……そうか」
「これで……これで【人柱の呪い】の魔法陣は消えるということでよいのですね? 隊長が死ぬ理由はなくなったということで間違いないのですね?」
「そういうことになる、未だ信じがたい話ではあるが……いずれにせよ、長らく世話を掛けたなオルガ」
「いえ……隊長が無事ならそれで、私は……」
明確にして疑いようもない終結の時。
多くの者が緊張感から解放されたことに安堵の息を漏らし脱力している中にエーデルバッハさんの嗚咽が響く。
出会ってから今に至るまで常に怒っているのではないかというぐらいに怖い表情をしていたあの人が目に手を当て涙を流しているのだから余程二人……というよりはキャミィさんと他の四人の間には深い絆があるのだろう。
エーデルバッハさんが涙を流す姿もそうだが、あの寡黙なキャミィさんがこうまでも慕われていたことも意外だと言わざるを得ない感じだ。
「コウヘイ様、此度は本当に……いえ、この場で済ませられる程に小さな問題ではありませんでしたね。改めてお話をしに参ります、何卒ご容赦を」
エーデルバッハさんの頭に手を乗せこちらを見たかと思うと、キャミィさんは僕に何かを言い掛けたもののそれを飲み込み最後にペコリと頭を下げた。
何もかもが無事に、望み通りにというわけにはいかなかったけれど、今回ばかりは僕もそれなりに頑張ったと思う。
ならばお礼の言葉ぐらいなら受け取っても罰は当たらないだろう。
こうして五人の人柱のうち唯一キャミィさんだけが生きたまま呪術から解放され、世界中を巻き込んだ一大事件は一応の幕を閉じた。
その後、会話が止むなりこの空間から離脱することを決めたクロンヴァールさんの言葉を合図に僕達は夢見の泉を後にする。
そして意味を同じくして、僕にとっての異世界であるこの世界は滅亡の危機を脱し、多くの争いと犠牲の下に明日を迎える権利を勝ち取ったのだった。