【第二十二章】 残された可能性
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港は嫌な静けさに包まれている。
僕達を利用し自身の手で世界に破滅をもたらそうとしていたことを自ら告白した正体不明の男は姿を消した。
誰もが無人となった上空を見つめたまま、すぐには動けないでいる。
目の前の現実を受け入れ瞬時に思考を切り替えるのはそう簡単な話ではなく、ほとんどの者が咄嗟に口を開けずにいることが沈黙を生み出していた。
聞こえた声や音といえばセミリアさんの悔しげな声、エーデルバッハさんのお世辞にも綺麗とはいえない罵りの言葉、そしてエルが手に持った武器を地面に叩き付ける音ぐらいだろうか。
悔恨、殺意、そして憤り、それぞれが抱く感情は想像に難くなく、その他も多くが男の狙い通りにならずに済んだことを安堵すべきなのか、踊らされていたことに憤慨すべきなのか、それとも再び八方塞がりに陥った現状を嘆くべきなのか、気持ちが揺れ動き様々な思いが渦巻いていることが分かる。
僕自身もどういう感情を抱くのが正しいのかも分からず周囲の様子ばかりが気になってしまう中、こういう時いつも真っ先に食って掛かり場を取り仕切ってきたクロンヴァールさんの声が聞こえてこないことに違和感を覚え視線を向けると、どういうわけか手にしていた剣を落とし膝を突いていた。
胸に手を当て苦しげな表情で両脇からアルバートさん、ユメールさんに支えられて立ち上がろうとする様はかつてない程に弱々しく、その姿を見て初めて先程の斬撃波一つであんな状態になってしまうまでに体が衰弱してしまっていることを知った自分が愚かしくさえ感じられる。
「お姉様っ」
二人に支えられてなお足下が僅かにふらついたクロンヴァールさんをユメールさんが慌てて抱き留める。
今にも泣き出しそうなその顔は別の意味で痛々しく映るが、それでもクロンヴァールさんは押し退ける様に二人から体を離していた。
「少し力が抜けただけだ、心配はいらん」
それは本音か強がりか。
ユメールさんのみならずアルバートさんも大層心配そうに見ているものの、敢えてそうしたのかクロンヴァールさんはそれを無視してこちらに寄ってきたかと思うと、そのまま僕達の前で立ち止まる。
というよりは、ただ一人ナディアだけを見ているという感じだ。
「さて、お前達が命懸けでもたらした起死回生の策は無駄な時間を浪費しただけに終わったわけだが、何か言いたいことはあるか? コウヘイが手を打っていなければ状況を悪化させいたのだぞ」
怒っているという風でこそなかったが、批難めいた口振りに問い質される格好となったナディアもすぐには言葉が出てこない。
庇う様に割って入ったのは僕から見てナディア達とは反対側に居たセミリアさんだ。
「あの男が善人に扮していたのを見抜けなかったのは私達も同じです。縋るだけの理由は十分にあった、責任の所在を論ずることに意味はないでしょう」
「例えそうだとしても、一つはっきりさせねばならん話があることに違いはない」
そう言ったかと思うと、クロンヴァールさんは視線の向きをエルへと変える。
気まずそうに目を逸らすエルに詰め寄ろうとするのを察し、僕はすぐに二人の間に入った。
何をしようとしているのか、何を言おうとしているのか、それを想像するのはあまりにも簡単だった。
「何の真似だ」
立ち塞がる僕に鋭い目が向けられる。
例え当然の疑惑であったとしても、今この場で余計な揉め事に時間を割くのはどう考えても得策ではない。
だからこそはっきりと、僕は目を逸らさずに言葉を返した。
「この子にあらぬ疑いを掛けようとしているなら、それこそ時間の無駄です」
「お前はそいつとあの男の関係を知っているのか」
「僕は何も知りません。だけど、姿を変えていたあの人の正体が知った顔であったからといって、それを理由に責められようとしているのは理不尽というものでしょう。あの男にどういう目的や過去があったとしても、少なくともこの子がマリアーニ王やウェハスールさんに嘘を吐いたり騙したりするようなことは絶対にない」
「…………」
「…………」
クロンヴァールさんは何も言わず、ギロリと恐ろしい目で僕を見たまま動かない。
すぐ後ろではエルが「弟……」と呟いていた。
数秒ほど目を合わせたまま睨み合ったのち、渋々ながらも折れてくれたのかあちらが先に目を閉じることでその状態を崩すと、それでいて僕の背後に居るエルに変わらず疑問をぶつける。
「いいだろう、ならば尋問は勘弁してやる。だが説明の義務はあるはずだ、奴とお前はどういう関係だ」
少しばかり怖さの薄れた目が僕の背後のエルに向けられる。
答えたくない事情があるのか、すぐに返答は返らない。
無理強いするのは可哀想だと、ゆっくりと振り返ってみるといつの間にかナディアやウェハスールさんもエルを守ろうとピッタリと左右にくっついていた。
「エル、どうしても答えたくないことなら……」
「ううん、大丈夫」
僕の言葉を遮るエルは逡巡と苦悩がはっきりと表情に出ている。
それでも大丈夫だと口にしたのは、僕はともかくナディア達に迷惑を掛けたくない一心でのことなのだろう。
「あいつは犬なんとかって名前じゃなくて……カルヴァリン・ダックワースっていって、昔の知り合い……ほんとにそれだけ。ユノに行く前の……小さい頃の、生まれ育った国での話だし、それ以来一回も会ってないから何であたし達を騙そうとしたのかなんて知らない」
エルは静かに語った。
男の本名が発覚したことに加え、恐らくは口にしたくはないであろう過去に触れ思い出したくないことを思い出してまで明かしてくれた事情は何らかの辛い体験を経ていることが言外に伝わってくる程に悲しい口調だった。
「お前が生まれた国とはどこを指す」
「……メーリム王国」
「亡国メーリムの出身だったのか」
呟く様なエルの言葉を繰り返したクロンヴァールさんは顔を顰めている。
聞いたことのない国名であることに加え、亡国と確かに聞こえたが……。
「あの、メーリム王国というのは」
会話に割って入ってまで無知を晒すのも憚られ、隣に居るセミリアさんに極力小さな声で聞いてみることに。
この世界の事情に疎い僕の立場を理解してくれているセミリアさんは嫌な顔などせずに説明してくれたものの、周りが静かなせいかどう考えても筒抜けの会話になってしまっていた。
「歴史上、滅び世界から消えた国が二つある。片方はお主も知っていると思うが、この国にも関係のあるバルカザール帝国。そしてもう一つが今カエサル殿が言ったメーリムという小国なのだ。前者と違ってそう古い話というわけではなく、今より四、五年前のことになる。当時としては珍しくかのアルヴィーラ神国の友好国だったのだが、ある日数名の若者が反体制を掲げ一国家に対して戦争を仕掛けた。城は崩壊し、城下を焼き尽くし、多くの民が犠牲になったと聞く。最終的にはアルヴィーラ神国の援軍までもが参戦するに至り、抗争の末にその者達を駆逐したものの既に国は滅んだも同然の状態だったということだ。主犯とされるレオン・ロックスライトという男は【灰炎】の異名と共に全世界に知れ渡り、人相書きが出回ると同時に懸賞金が掛けられたのだが……今をもっても所在も生死も不明という扱いになっている」
「レオン……ロックスライト」
それは何度か耳にして、その度にどこかで聞いたことがある気がしていた名前。
話の流れで今ようやく思い至った。
その名前は、いつか聞いたサミュエルさんの古い知り合いの中にあった名前だったはずだ。
つまり……言い換えればエルと旧知の仲であるサミュエルさんもその男やついさっきまで僕達の前に居た男と顔見知りだということになるのだろうか。
誰かに師事していたという話で、同じ立場だったという数人の名前の中に含まれていた時点でそれは疑うまでもないのだろうけど……いつまで関わりを持っていて、どこまでを知っているのかで大きく事情が変わってきそうだ。
そもそもサミュエルさんはフローレシアの出身のはずで、その後グランフェルトに来たと聞いたはずなのだが、そのメーリム王国とやらでエル達と関わったのがどのタイミングでのことなのかが分からない以上は憶測だけで答えを出すのも簡単ではない。
「メーリムで暮らしていた頃の知り合い、本当にそれだけなのだろうな」
結局は会話の邪魔になってしまっていたらしく、セミリアさんの説明が途切れると同時に再びクロンヴァールさんがエルを問い詰める。
見ていて気持ちの良いものではないし、庇えるものなら庇ってあげたいがその情報は無関係では済まない問題である可能性が高いだけにどうすることも出来ないのがもどかしい。
「そうだよ……あいつはレオンと一緒になって国を滅ぼしたんだ。家族もみんな死んで、国もなくなって、あたし一人だけが生き残った人達と同じ船で国の外に逃がされた。あの日から一回も会ってないからあたしは何も知らない」
悲痛な告白に、またしても無言の間が生まれる。
そして、
「なるほど、奴もあの乱賊誅伐事変の首謀者の一人というわけか」
クロンヴァールさんはエルに対してというよりはどこか独り言の様に呟いた。
乱賊誅伐事変、これもまた僕にしてみれば初めて聞いた言葉だ。
出来れば知っておきたい。そういう意味を込めてちらりとセミリアさんに視線を送ると、すぐに察してくれたらしく説明をしてくれる。
「メーリム王国が滅ぶこととなったその反乱は世間一般ではそう呼ばれているのだ。レオン・ロックスライトを含む数人の実行犯達は確かに王城を襲撃し王族や城下の民を無差別に殺戮した。だがその実、真の狙いはアルヴィーラ神国だったのではないかと言われていることがその理由だ」
「狙い……ということは、その人達はアルヴィーラ神国をどうにかしようとしていたということですか?」
「うむ。そう言われるだけの根拠は二つある。一つはアルヴィーラの要人が訪問して来た日を狙ったと思われる点。そしてもう一つは『神の手先に鉄槌を下せ』という叫び声を逃げまどう城下の民が聞いている、という点だ。一国を滅ぼそうと非道に及んだ賊達、そして建国以来何度となく世に争乱をもたらしてきたアルヴィーラ神国、双方が平穏を乱す奸賊を討つという正当性を持った上での武力行使だったという皮肉めいた風評からそのように揶揄されるようになったというわけだ」
「なるほど……」
「どこまでが事実なのかは与り知らぬし、今となっては確かめようもない。全てが憶測の域を出るものではないが……現体制となってからというものアルヴィーラ神国は批難や反感を多々買っている。外部の目にはそう映っても仕方ない部分もあるのだろう」
「現体制、ですか」
「ああ、かつて天界と講和を結び戦いに終止符を打ったのちの頃は自発的に争いを生み出すようなこともなかったし、昨今で言えば国を治めていた先代皇后は積極的に五大王国を始めとする諸国とも協定を結び友好的な関係を築いていた。だが、十数年前に皇帝が入れ替わるとアルヴィーラ神国はおかしくなってしまったのだ。協定を一方的に破棄し、幾度となく武力を用いて諸国を蹂躙、支配しようと試みてきた。メーリム王国こそがその最たる例と言えるだろう。突如の侵攻によって不平等な条約を結ばされ、事実上の併合状態だったと聞く」
何とも複雑、かつ聞くに堪えない残酷な歴史があるようだ。
繰り返され、積み重なっていく争いの連鎖というのは僕が暮らす世界の過去に目を向けても同じことなのかもしれないけど、だからといって日本で生活している身としては当事者が目の前に居るような状態にはどうしたってならないだろう。
どこか後味の悪さを残しつつも、あまりこちらの都合で話を中断させるわけにもいかないので長々と説明してくれたお礼だけを短く告げて体の向きを戻す。
クロンヴァールさんはふぅと小さく息を吐き、同じく視線をエルへと戻した。
「その辺りはどうなのだ。レオン・ロックスライトは生きているのか? あの偽神父とは今も繋がっているのか? であれば其奴等は今どこで何をしている」
「そんなの……あたしが知るわけない」
エルの震える様な声が漏れる。
これ以上は時間の無駄だと、僕は再びエルの前に立った。
「もういいでしょう。今は居なくなった男のことよりもこれからどうするかの方が大事なはずです」
退かぬ意志を込めて言うと、クロンヴァールさんは数秒間無言のまま細めた目で僕をジッと見たものの、特に異論反論を口にすることはない。
既に無くなった国に居た頃に知り合いだっただけでそれ以来一度も会っていないというのなら、エルが知るはずもないだろう。
だけど……僕はついその名前を聞いたばかりだ。フローレシアの研究所跡に行った時、間違いなくラルフがその名前を口にしている。
それも、あそこで生み出された合成獣を連れ出したというのだからどう考えたって何らかのクーデターの準備をしている可能性が高い。
僕しか知らない事情なのであれば今そのことを話しておくべきか……いや、今はこの場に居ない武装集団のことよりも【人柱の呪い】をどうにかすることが優先されるべき局面のはずだ。
その人物のことについては無事に全てが終わった後でいい。
「魔法陣その物をどうにかする線はこれでなくなった。お前が持つドラゴンの血で危機を脱しようにもマリアーニ王が該当者ではないというのであれば誰とも分からん五人目を探すところから始めねばらん。考えるまでもなくそんな時間は残されていない、今後の話をしようにも手詰まりといっていい状況だと思うが?」
「いえ……そのことなんですけど、僕に一つだけ心当たりがあります」
それはマクネア王との遣り取りを思い出した時に自然と一緒に思い出した、一つの可能性。
フローレシアの城を出る前に、確かにマクネア王は僕にそれを伝えようとした。
それが人柱云々に関係のある話かどうかなんて全く分からないし、聞かされたのはほとんど単語一つみたいなものなので確かめようにも僕一人ではどうしようもない。
「心当たりだと?」
「夢見の泉、そこに行くことは出来ますか?」
「……夢見の泉? 何だそれは」
「えっと……」
そうか、普通の人には知られていないのか、向こう側のことは。さすがはノスルクさんだと言わざるを得ないな。
正式な名前は何と言ったのだったか……確か、
「あの、【異次元の悪戯】でしたっけ? それがある場所です」
「なぜそのような物が突然話に上がる、どういう根拠で言っているのだ」
「根拠も確証もありません。でも……そこに居ると思うんです、最後の人柱が」
クロンヴァールさんは少しの黙考する素振りを挟んで値踏みする様な目で僕を見るが、やはり異論反論も追求したり責めたりといったこともするつもりはないらしく顎に手を当てたかと思うと一人で結論を出していた。
「いいだろう、お前がそう思うのであれば確かめに行くとしよう。どのみち他に選択肢もない」
そこでようやくクロンヴァールさんは僕とエルのいる位置から体の向きを変える。
「全員で行く必要はない、各国とも半数はここに残す。無論サントゥアリオの二人は残って国の大事に当たれ、こちらは私とダンでいい」
「お姉様!?」
まさか置いて行かれるとは思っていなかったのか、ユメールさんが驚愕の声を上げた。
食い下がる様にクロンヴァールさんの腕を掴む。
「聞き分けろクリス、悪いが……これ以上傍でお前の泣き顔を見ているのは辛い。心配せずとも必ずや戻る」
そっと白いバンダナの巻かれた頭に手が置かれると、拗ねた表情をしているユメールさんはそれ以上何も言わなかった。
クロンヴァールさんは手をそのままに顔の向きだけを変える。
「アルバート、留守は頼むぞ。あの男が戻らんとも限らぬし、この国も苦境に立たされることになるだろう。人員も時間や金銭も何一つ惜しむことはない、協力出来ることがあれば全て実行しろ。いかなる判断もお前に任せる」
「承知しました」
「コウヘイは私と来い。言葉に責任を持たせる意味でもこれは強制だ」
「分かっています。あとはナ……マリアーニさん達も同行してもらうべきでしょう。事実ではないにせよ人柱とされたせいで巻き込まれた以上、もしも真実がそこにあるのなら立ち会う権利があるはずです」
「よかろう、ならば聖剣は残れ。こちらにも戦力は必要だ」
「しかしそれでは……」
セミリアさんはほとんど反射的に食い下がる。
情けなくもこれは毎度のことながら僕を守る人間が居ないことを憂いているのだろう。
それを口にしようとしたと思われる言葉を横から遮ったのは意外なことにウェハスールさんだ。
「勇者様、コウちゃんはわたし達が何があってもお守りするので安心してください~。守護星の方々もおりますし心配はご不要かと」
「フローレシアのガキ共も行くつもりか」
これまた横から会話を遮るのはクロンヴァールさんである。
基本的に気に食わない存在だからなのか忌々しく思う心の内を隠そうともしない。
それが余計にエーデルバッハさんを苛立たせて売り言葉に買い言葉の状況を作り出していることに何故気付かないのか。
「当然だ、我らは国王の命を受けマリアーニ女王とそこの小僧の護衛をするために遣わされたのだ。ここで別行動を取る理由もなければこの国に残って手を貸してやる義理もない」
ギロリと睨まれたエーデルバッハさんは同じぐらい挑発的な目で睨み返しながら吐き捨てる様に言った。
一気に殺伐とした雰囲気が出来上がる。
それでもキアラさんやアルバートさんが宥めてくれたおかげで喧嘩にはぎりぎりならず、すぐに出発の段取りに入ることとなった。
僕達はまた船で海域を出てからエレマージリングで例の【異次元の悪戯】とやらがあるという孤島に飛び、居残り組は一度本城に戻るそうだ。
謎だらけの存在であることに加え孤島であるのになぜクロンヴァールさん一人がワープ可能なのだろうか。
という疑問を思わず漏らした僕だったが、曰く「あの島は我が国が監視しているのだ、当然だろう。どういう意味と目的があるかが不明であるからこそ放置しておけるはずもない」とのことだった。
むしろ例のラグージャ王国のことも含め「何故お前はそんなことも知らん」とでも言いたげだっただけにこれ以上墓穴を掘らない方がよさそうな気がする。
そんなこんなでセミリアさんとキアラさん、コルト君とのみ再会と無事を誓い合う挨拶を交して港を離れ、僕達遠征組はまた船に乗り国を離れることになった。
これもまた人伝に得た不確かな推測でしかないが、どうあれこれが無駄足に終われば本当に打つ手がなくなってしまう。
誰もがそれを理解しているからこそ船上は港にいる時よりも更に緊張感、緊迫感が増していた。
今度は水軍基地まで行く必要が無い分だけ移動時間も短く、直接手を繋げと言っているわけではないのにクロンヴァールとエーデルバッハさんが睨み合うという無駄な工程を経て僕、クロンヴァールさんとハイクさん、ユノ王国の三人、守護星の四人という総勢十人はエレマージリングによって目的地へと飛ぶ。
降り立ったのは事前の情報通り、本当に四方には海しかないようなただの孤島だった。
直接上陸しているため遠目から見ることは出来ていないものの、本当に小さく何もない小島という感じだ。
外周は金網と有刺鉄線を混ぜたような柵で覆われており、人が出入りするためだと思われる大きくはない門が一箇所あるだけで門の周辺にこそ十数人のシルクレア兵が居たり軍船が二艘見えているものの見渡す限り自然らしい自然も建物も一切見当たらない荒れ果てた大地が広がっているだけの寂れた島であることが分かる。
無許可な出入りを制限しているという話だし、人が住んでいるとも思えないので当たり前なのかもしれないが……こんな所にあるそのラーク? とやらは一体どういう物なのだろうか。
疑問だらけではあるが怪しまれるのも不味いのでクロンヴァールさんが駐在している兵達と話しているのを黙って待ち、やがて門を潜って島の奥へと進んでいくことに。
隔絶されている感が強すぎる不気味な雰囲気がそうさせるのか、積極的に口を開こうとする者はいない。
僕とて会話らしい会話をしたのは不意に傍に寄ってきたエルぐらいのものだ。
「……弟」
「ん? どうしたのエル」
「あのさ、さっきはありがとね……庇ってくれて」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。妹を守るのも兄の役目だからね」
「うん………………うん?」
とまあ、こんな遣り取りがあったわけだけど、そんなことを気にして柄にもなくしおらしくなられるのは本意ではないので軽口で返してみたりした甲斐もあったのかエルは一度頷いた後に頭上に疑問符を浮かべていた。
最後の一言に違和感を抱いていながらも、では何がおかしかったのかということには気付いていないといった風の不思議そうな顔。この天然っぷりこそがエルたる所以である。
時と場合を選ばなければならないことは重々承知しているが、初めて会った日からそうだったように僕とエルの関係なんて馬鹿なことを言い合っているぐらいが丁度良い。
素直な良い子だと知った今だからこそ、そのままでいてもらうためにも大抵のことには目を瞑って甘やかしてあげるウェハスールさんやナディアの気持ちもよく分かる。
そんな会話も方々(主にクロンヴァールさんとエーデルバッハさんだが)から『なにじゃれ合ってんだよ空気読めよ』みたいな視線をヒシヒシと感じたためすぐに打ち切り、その後は特に声を発することもなく殺風景な荒野を歩いた。
違和感だらけ、というよりもむしろ違和感しかないそれを見つけるまでにそう多くの時間を必要とすることはなく。
探すまでもなければ道に迷う理由もなく目的の代物はすぐに見つかった。
扉がある。
見たままを述べるならそれ以外に説明しようがない。
建物があるわけでもなく、奥に何があるわけでもないというのに、何をどうしたらそうなるのか緑の欠片もない荒れ地にやけに凝ったデザインの鉄製の扉だけが立っているのだ。
文字で見ただけの知識とはいえ存在は知っていた。それでも異様過ぎる程に異様な光景に驚きと気味悪さで言葉が出ない。
出ないが、はっきり言ってその理由は他にあった。
扉の前に誰かが座っている。
それがより不気味さを増長させていると言っていい。
片膝を立てて座るその誰かは紺色のローブで全身を覆っており、だぶついたフードで顔を隠しているため姿形は把握出来ないものの体格から大人ではないように見える。
門を潜る時に間違いなく誰も通していないと兵士が報告しているのを聞いた。
ならばあれは誰で、どういう理由でそこにいるのだろうか。
考えられる可能性は僕が言った最後の人柱張本人であることぐらいだが、そうじゃなかった場合に良からぬ事態となることは疑いようもない。
それが分かっているからか、僕とナディア以外の全員が武器を抜いたり門を発動させられるように構えを取っている。
そんな状態でも動く気配の無い誰かは、僕達が声の届く距離まで近付いて初めて顔を上げ顔に巻いた布の奥にある目をこちらに向けた。
「何者かは知らんが、今すぐに立ち上がり両手を上げろ。言うとおりにしなければ即座に攻撃する」
先頭に居たクロンヴァールさんは見るからに不審者である誰かに剣の先を向ける。
数秒と経たずに立ち上がり言われた通りに両手を上げるその人物は思いの外小柄だったものの、外から見て分かる情報はそれ以外にはない。
「心して答えろ、貴様は誰でどういう理由でここにいる。返答によってはこの場で首が飛ぶぞ」
「そう殺気立たないでくださいよ、こちらに敵意はありませんから」
クロンヴァールさんの情け容赦ない通告に怯むこともなく、どこかおどけた口調で答えた声は明らかにあどけなさを感じさせるものだった。
背丈と声だけで判断するならばそう歳のいった人物ではないように思えるが……。
「質問にお答えする前にローブを脱いでも? この格好のままではいささか失礼でしょう、まさかあなた方が来られるとは思ってもいなかったのでね」
「動くな、貴様はそのままでいろ。ダン」
「ああ」
クロンヴァールさんが声から男であると思われる誰かを顎で指すと、ハイクさんは左手にブーメランを持ったままゆっくりと近付いていく。
両手を上げたままでいる以上いきなり攻撃されるようなことはないと思いたいが、どう楽観的に考えたって気を抜ける状況ではない。
ハイクさんは手の届く距離まで近付くと男の右肩辺りを掴み、やや強引にローブを剥がし取った。
「てめえは……」
隠れていた生身の姿が露わになろうとするその瞬間、その方向から聞こえてきたのは驚愕の声だった。
恐らく、その気持ちが分かるのはこの場に於いては僕とクロンヴァールさんだけだろう。許されるのならば僕とて同じことを言いたいぐらいだ。
「久しぶりだねハイク。それからクロンヴァール陛下にコウヘイ君も」
タキシードの様な白黒のゴシックファッションというこの世界でいう貴族みたいな格好をした僕と歳の変わらないその少年は、にこりと人当たりの良い笑みを浮かべている。
かつてサントゥアリオの戦争で行方不明となり戦死したものとして扱われていたはずのアッシュ・ジェインがそこにいた。