存在しないもの
君たちは考えすぎだよ。僕は死んでない。僕は不死身で、しかも最高にセクシーな存在で…彼女が必要なんだ。僕は自分の国の女の子たちが大好きなんだ!!お願いだから…せめて一人だけでも僕の彼女になってくれ。
「この野郎! よくも三笘に手を出しやがったな!」
男は声を張り上げながら、こちらに向かって突進してきた。
だから、俺はそいつの顔面に拳を叩き込んだ。
「黙れ!」
一歩、前に踏み出す。
「警察に通報してやるからな、このクソガキ!」
「先に手を出したのはお前らだろうが!」
二人の男は、相変わらず俺に向かって言い訳を並べ立てていた。しかも、その内容は口にするたびに馬鹿馬鹿しさを増していく。
その間、こいつらの自称ボスは、俺のたった一発のパンチを食らって、路上に伸びたままだった。
俺はそいつの頭を、もう一度軽く小突いた。
「痛っ!」
「黙れ! 自分が何をしたのか、わかってんのか?!」
二人は互いに顔を見合わせ、それから再び俺のほうを向いた。
まったく、最近の人間はどうなっているんだ?
こんな馬鹿どもが、そこら中にいやがる。
俺は道路脇に立っている電柱を指さした。
「お前ら、あれを見て何が見える?」
二人はしばらく電柱を見つめた。
「……何も?」
俺は目を閉じ、深く息を吸い込んだ……どうして俺ばっかり、こんな目に遭うんだ。
「いい加減にしろ!」
今度は、すぐそばに横倒しになっているゴミ箱を指さした。
「じゃあ、あれは? 何に見える?」
「ゴミ箱……?」
「誰が倒した?」
「……俺たちです」
「そうだろうが!」
俺は二人の襟首を、左右の手でそれぞれ掴んだ。
「だったら、ふざけた言い訳なんかしてんじゃねえ! 俺がこのまま見逃すとでも思ってんのか? 自分たちがここをどんな有様にしたのか、ちゃんと見てみろ! この国は、真面目に働く人間たちが築き上げてきた国なんだ! お前らみたいなチンピラが好き勝手に遊び回るための場所じゃねえんだよ! それなのに、よくもまあ、そんな言い訳ばかり並べ立てられるな! その腐った根性、今すぐ叩き直せ!」
「す、すみません! どうか許してください!」
二人が急に態度を改めたのを見て、俺は満足し、襟首から手を離した。
二人はよろめきながら後ずさると、脱兎のごとく逃げ出した。
地面に倒れたままのリーダーを、振り返りもしなかった。
薄情な仲間たちだこと。
そいつのすぐそばには、金属バットが転がっていた。
危なかったな。
先にあいつをぶっ倒していなかったら、今頃こっちが相当痛い目を見ていたかもしれない。
俺はバットを拾い上げ、試しに何度か振ってみた。
悪くない。
練習用の新しいバットが手に入った。まったく、運がいい。
「はあ……最悪の朝だ。せっかくの散歩が台無しじゃねえか」
バットを肩に担ぎ直し、俺は再び電柱へと歩き始めた。
ああ、そうだ。まずは自己紹介をしておこう。
俺の名前は東ユウスケ。
十五歳の高校生で、見たところ、ごく普通の少年だ……まあ、だいたいはな。
口は悪いが、この年頃なら珍しくもないだろう。それに、俺は自分の口の悪さを気に入っている。
他人にどう思われようが、知ったことじゃない。
ただし、普通の高校生とは少しだけ違うところがある。
俺には秘密があるのだ。
それを知っている人間は、ほんの一握りしかいない。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
俺は電柱の前で足を止めた。
そこには、小さな女の子が立っていた。彼女は明るい笑顔を浮かべながら、俺を見上げている。
一見しただけなら、ごく普通の女の子に見える。
仮に誰かから"この子はお前の妹だ"と言われたとしても、俺は疑いもしなかっただろう。
だが、彼女は俺の妹ではない。
以前、初めて彼女のような存在と出会ったとき、俺は同じ間違いを犯した。
しかし、今ではもう、見た目だけで判断するほど愚かではない。
彼女の額からは、血が流れていた。
そして、その身体は電柱に拘束されていた。
「礼なんか言わなくていい。あいつらを殴ったのは、お前が俺の髪にケチをつけたからだ。お前のためにやったわけじゃねえよ」
「でも、お兄ちゃんの髪、かっこいいよ!」
「……お、おう。ありがとな」
女の子は、ますます嬉しそうに笑った。
俺は黙って彼女を見つめた。
彼女の身体には、六本の鎖が繋がっていた。
両手首に二本、両足首に二本、首に一本。そして、心臓のあたりから伸びているものが、もう一本。
それらは、普通の鎖のように彼女の身体に巻きついているわけではなかった。
まるで彼女の身体そのものから生えているかのように伸び、電柱へと繋がっている。
あたかも、目に見えない力によって、彼女と電柱が一つに結びつけられているかのようだった。
彼女は人間ではない。
幽霊だ。
そして、それこそが俺の秘密だった。
俺は生まれつき、普通の人間には見えないものを見ることができる。
正確に言えば、死者だ。
死んだ人間。死んだ動物。そして、死んだ植物でさえも。
俺には、そのすべてが見える。
だが、最も奇妙なのは、それだけではなかった。
俺には、生きている人間の周囲に浮かぶ、色のついた線も見えていた。
細く、ほとんど目立たないものもあれば、遠くからでも目を引くほど太く、鮮やかなものもある。
その線が何を意味しているのか、俺は今でも完全には理解できていない。
だが、それについて話すのは、また別の機会にしよう。
今の俺には、もっと差し迫った問題があった。
俺は女の子を見下ろした。
「なあ。お前、どうやって死んだんだ?」
彼女の笑顔が消えた。
「……わからない」
少女は静かな声で答えた。
「道を走っていたら、車が来て……。それで、気がついたら、ここにいたの」
彼女は目を伏せた。
「ほかの子たちと遊ぼうとしたけど、誰も相手にしてくれないの。それに……お母さんにも会いたい。お母さん、もうボールも買ってくれないんだもん……」
言葉の終わりに近づくにつれ、その声は小さくなっていった。
彼女はうつむき、鼻をすすった……泣いているのか?
俺は頬を掻いた。
俺は子供の相手が得意なほうではない。特に、こんな目で見つめられると、どうしていいのかわからなくなる。
「お、おい。大丈夫だって」
女の子は、ゆっくりと顔を上げた。
「よかったら、これから毎日ここに来て、一緒に遊んでやるよ」
彼女の目が大きく見開かれた。
「ほんと?! 本当に一緒に遊んでくれるの?」
俺は頷いた。
彼女はしばらく、ただ俺の顔を見つめていた。
そして――
「やったあ!!」
彼女は飛び跳ね始めた。
小さな顔は、喜びで輝いていた。
俺は思わず笑みをこぼした。
子供というのは、不思議な生き物だ。
世界が絶望する理由をいくら与えようとも、ほんの些細なことに希望を見つけることができる。
生きていようが、死んでいようが、そんなことは関係ない。
この子のような子供が、こんな場所に一人きりで取り残されていいはずがなかった。
少しの時間を一緒に過ごすだけで、この子が笑顔になれるのなら、俺がそうしてやらない理由もない。
どうせ、ほかにやることがあるわけでもないのだから……そう思っていた。
「……ん?」
背筋に、冷たいものが走った。
俺の笑みが消えた。
何かがおかしい。
女の子は跳びはねるのをやめた。
表情を変え、慌てて俺のほうへ駆け寄ってくる。
そのとき、俺の耳に音が届いた。
甲高く、細い音。
最初は、耳鳴りかと思った。
だが、その音は次第に大きくなり、静かな朝の空気を切り裂いて、頭蓋骨の内側まで震わせるように響き始めた。
ブブブブブブブブ――
羽音だ。
虫の羽音。
「お兄ちゃん!」
女の子は俺の背後に駆け込み、脚にしがみついた。
その気持ちは、よくわかる。
俺だって、今すぐ逃げ出したかった。
これまで、俺は数え切れないほどの幽霊を見てきた。
奇妙なもの。恐ろしいもの。悪夢からそのまま這い出してきたとしか思えないようなものまで。
だが、これは……こいつは、何かが違う。
「な……なんだ、あれ……?」
視界の中に、それが現れた。
巨大な昆虫が、道路の上空に浮かんでいた。
羽はあまりにも速く震えており、もはや輪郭すら判別できないほどだった。
その大きさは、ほとんど人間と同じくらいあった。
あまりにも現実離れした光景に、俺の頭は一瞬、思いつく限りの答えをひねり出した……巨大なハエ?
いや。
違う。
目の前にあるものを、どう説明すればいいのかさえわからなかった。
確かに、形だけを見れば昆虫に似ている。
だが、本能が叫んでいた。
これは、普通の生き物なんかじゃない。
羽音が、さらに激しくなった。
耳の奥が痛いほど鳴り響く。
足元の世界が傾き、視界がぼやけ始めた。
「な、何が起きてるんだ!?」
俺は両手で耳を塞いだ。
だが、何の意味もなかった。
音は、あらゆる方向から同時に聞こえてくるようだった。
頭の中へと侵入し、ほかの思考をすべてかき消していく。
そいつが、こちらへ近づいてくる。
どうしてだ?何が目的なんだ?
俺は後ずさろうとした。
だが、脚が震えて、思うように動かなかった。
この生き物は、何かが決定的におかしい。
ただ恐ろしいというだけではない。
まるで、この世界に存在してはならないものを目の当たりにしているようだった。
胸が締めつけられた。
呼吸が乱れ、足元の道路が、嵐に揺さぶられる船の甲板のように揺れている気がした。
こんな経験は、今まで一度もなかった。
どうすればいい?あんなものを、どうやって相手にすればいいんだ?
動けない。
何も考えられない。
俺は――羽音が止まった。
突然訪れた静寂は、あの騒音と同じくらい恐ろしかった。
それと同時に、耳鳴りも消えていった。
残されたのは、奇妙なほど空虚な静けさだけだった。
心臓が、激しく脈打っている。
次の瞬間、俺の脚から力が抜けた。
俺は地面に倒れ込んだ。
視界が闇に呑み込まれていく。
何も見えない。
何も聞こえない。
地面に触れている感覚さえ、なくなっていた。
まるで、誰かが一つずつ感覚のスイッチを切り、世界そのものを消し去っていくかのようだった。
これが、死ぬということなのか?
「へへっ……ちょうどいいところに来れたみたいやね」
暗闇の中に、声が漂ってきた。
誰かが話している。
かすかに聞こえる。
まるで、分厚い壁の向こう側から語りかけられているようだった。
「かわいそうに。あとほんの一瞬でも遅れとったら、あんたも次の犠牲者になっとったばい」
声には、どこか面白がっているような響きがあった。
「あんたの命、うちが救ってあげたっちゃけんね。感謝せんといかんばい」
俺は目を開けようとした。
だが、何も起こらなかった……誰なんだ、この人は?
声は滑らかで、優しかった。
それなのに、どこか冷たさを感じさせ、俺の背筋に奇妙な震えを走らせた。
あの昆虫が現れたときに感じた、鋭く異質な寒気とは違う。
これは、まったく別のものだった。
そして、疑いようもなかった。
この声の主は、女性だ。
何が起きたのか、彼女に尋ねたかった。
あの昆虫はどこへ行ったのか。
あの女の子は無事なのか。
どうして俺は動けないのか。
知りたいことは、いくらでもあった。
だが、言葉を一つ発することさえできないうちに、再び闇が俺を包み込み始めた。
聴覚が薄れていく。
身体は、まったく反応しない。
思考さえも、ゆっくりと鈍くなっていった。
一つ、また一つと、考えが遠ざかっていく。
やがて、自分が何を考えようとしていたのかさえ、ほとんど思い出せなくなった。
最後に聞こえたのは、あの女性の声だった。
そして、すべてが静寂に包まれた。
俺の意識は、そこで途絶えた。
この章をお読みいただき、ありがとうございました!SodaKun Out ☆!




