スパチャ
「よし……。おらエレナ、ちょっとあっち向いてろよ」
俺は大きな木陰に隠れながら、カバンから現実世界で着ていたお気に入りの黒パーカーとジーンズを取り出した。あの変態国王の趣味全開なレース付き寝間着を脱ぎ捨て、着慣れた私服に袖を通す。うん、やっぱりこれだよ、これ。実家のような安心感だ。
「終わりましたか? 勇者様。いつまでもお労しい姿を見せられては、こちらの目が腐ってしまいます」
「言い方ァ!w あと俺を勇者様って呼ぶの、なんか痒いからやめろ。俺の名前はハヤトだ」
スマホのインカメラを自分に向けると、案の定、コメント欄から一斉にツッコミが飛んできた。
『あー、レース寝間着モードもう終わり?』
『えーガッカリ。あのまま街行ってほしかったwww』
『てか着替えただけで視聴者5万維持してて草』
「お前らなぁ、あれで街歩いたら一発で不審者だろw。……ん? 待て、スマホに何か通知が来てるな」
画面の上部に、見れないアイコンのプッシュ通知がピコピコと点滅していた。タップしてみると、半透明のウィンドウが画面いっぱいに広がる。どうやら視聴者にも見えているらしく、コメントの速度が一段と跳ね上がった。
【プレイヤー情報】
名前:ハヤト(配信名:廃墟廃人ハヤト)
固有スキル:『編集(Edit)』
【カット(一コマ削除)】 ⇒ 解放済み
【テロップ(文字実体化)】 ⇒ ロック中
【倍速(高速移動)】 ⇒ ロック中
【モザイク(認識阻害)】 ⇒ ロック中
『うおおおマジで動画編集能力じゃん!!!』
『テロップ実体化って何だよ強そうwww』
『これ全部解放したらチート中のチートだろこれ』
「マジかよ、編集ソフトの機能がそのままスキルになってんじゃん……! じゃあ俺、これ極めたら世界そのものを一本の動画みたいにいじくり回せるってことか?w」
俺がニヤニヤしながら画面を見つめていると、不意に隣にいたエレナの耳がピクリと動いた。彼女は死んだ目のまま、静かに平原の奥を指差す。
「ハヤト様、現実逃避しているところ大変恐縮ですが、お仕事の時間です。あそこから、明らかに労働環境を害するタイプの不審者が接近しています」
「へ? ……うわ、何だあれ!?」
草むらをかき分けて現れたのは、ラグビーボール並みに巨大な角を生やした、イノシシばりの凶暴なウサギだった。目が完全に血走っている。真っ直ぐこっちをロックオンしているのが遠目からでも分かった。
「おいエレナ! お前一応、元メイド長だろ!? なんかないの!? 必殺の隠し武器とか、暗殺術とかさぁ!」
「あるわけないでしょう。私は人事と家政の専門です。戦闘は契約に含まれておりません。それ相応の危険手当が支給されない限り、私はここで見ていますので、どうぞお一人で労災に遭ってきてください」
「冷てええええ!!w」
ウサギが凄まじい風切り音を立てて突進してきた。まともに食らったら、確実にさっきの井戸の底以上の大ケガをする。死を察知した俺の脳が、強制的にフル回転を始めた。
(……待て、さっきの門の時みたいに、タイミングを合わせて――!)
俺はスマホをウサギに向け、動画のシークバーを指でなぞるようなイメージで、空間を切り取る。ウサギの身体が俺の目の前、わずか数十センチに迫ったその瞬間、全力で叫んだ。
「ここから、ここまで――『カット』!!!」
パチン、と耳元で静電気のような音が弾けた。
世界のフレームが、一瞬だけ不自然にスキップする。直前まで目の前にいたはずの巨大ウサギの姿が、かき消えるように消滅した――いや、違った。
「ぶぎゃっ!?」という短い悲鳴と共に、ウサギは俺の後方十メートルほど先にある、巨大な岩に文字通り『ワープしたように』激突し、そのまま白目を剥いてひっくり返っていた。
『おい今のフレームスキップしたぞwwww』
『突進してきた時間ごとカットされた件』
『リアルでコマ送りすなwww 敵からしたら完全に怪奇現象だろ』
『ハヤトの編集スキル、戦闘でもクソ強いな』
「はは、マジでできたわw。ウサギが俺の目の前を通り過ぎるまでの数秒間を丸ごと『カット』したから、あいつは気づいたら岩にぶつかってた、ってわけか。これ脳汁出るわ!」
「……素晴らしい手際です、ハヤト様。これなら護衛を雇う人件費も『カット』できますね」
エレナが真顔でパチパチと拍手をしてくれるが、目が全く笑っていない。さすが元社畜、実利への目ざとさが異常である。
それから一時間ほど平原を歩くと、ようやく前方に大きな石造りの壁が見えてきた。中世ヨーロッパを思わせる、活気溢れる大きな街だ。すれ違う馬車や、露店に並ぶ見たこともない果物に、俺のテンションは上がりっぱなしだった。もちろん、スマホのカメラでその光景をバッチリ配信に乗せていく。
「すげえわマジで異世界じゃん! みんな見てる? ほら、あそこの露店のおっちゃん、犬の耳が生えてるぞ!」
「ハヤト様、はしゃぐのは結構ですが、まずは当面の生活資金の調達と、今夜の宿の確保が必要です。まさか野宿を強いるようなブラックな環境ではありませんよね?」
「あー……。そういえば、お金どうすっかな。一応、現実世界の財布はあるけど……」
俺はポケットから日本の千円札と小銭の入った財布を取り出してみた。当然だが、これを見せても街の住民たちは首を傾げるだけだろう。一文無し。異世界転生して最初のリアルな壁は、ファンタジーな魔王ではなく、ただの経済苦だった。
画面のコメント欄も、待ってましたと言わんばかりに煽りを入れてくる。
『異世界転生最初のピンチが金欠www』
『さすがハヤト、期待を裏切らない無計画さ』
『配信画面に投げ銭ボタン残ってるけど、押せないの?』
「ん? スパチャ? いや、さすがに電波もないのに、そんなの使えるわけ」
俺はダメ元で、画面の隅で不自然に輝いている、見慣れた「¥」マークのスパチャボタンをタップしてみた。すると、画面に鮮やかな赤色のエフェクトが走り、同時に、
『チャリン!!! チャリン、チャリン、チャリン!!!』
「うおっ!? なんだ!?」
スマホの画面から、目も眩むような黄金の硬貨がバラバラと飛び出し、俺の足元へ次々に落ちてきた。アスファルト(いや、石畳か)の上を転がる、ずっしりとした本物の金のコイン。しかも、画面の通知には見慣れた視聴者の名前が表示されていた。
【スーパーチャット受信】
ユーザー:裏切りの田中(¥10,000)
「これで美味いもんでも食えや勇者w」
⇒ 異世界通貨:金貨10枚に変換・実体化しました。
『ファッ!?!?!?』
『マジで降ってきたんだけどwwww』
『スパチャがそのままリアルマネーになる機能とか神かよ』
『田中ナイスwww 俺も投げるわ!!!』
空間に鳴り響く、チャリンチャリンという大金の音。足元は一瞬にして黄金の山へと変わっていく。俺とエレナは、完全にフリーズしたままその光景を見下ろしていた。
「え、待って……。これ、お前らがスパチャくれたら、俺、異世界で無限に金持ちになれるってこと……?w」
「ハヤト様」
エレナが、これまでで一番俊敏な動きで俺の腕をガシッと掴んだ。その死んでいたはずの瞳には、かつてないほどのギラギラとした、熱い知的興奮(あるいはただの金欲)の炎が宿っていた。
「……ハヤト様。いえ、ハヤト社長。私、この配信業に骨を埋める覚悟ができました。次回の企画会議はいつにいたしましょうか。とりあえず、今夜は街で最高級の宿を取りましょう」
「お、おう……現金な奴だなお前w」
こうして、俺の動画編集スキルと、視聴者たちのサイフに支えられた、前代未聞の「異世界放浪配信」が本格的に幕を開けたのだった。




