41話・疑惑
「はあ……」
疲れた体で玄関の扉を開ける。
ようやく帰って来れた。
もう朝の八時である。
帰る時、目黒さん達は名残惜しそうにしていた。
家畜が逃げ出した牧場主のようにも見えた気がしたが、そうではないと思いたい。
一応、対価……報酬のような物は貰った。
大きなクーラーボックスに入った、肉塊。
氷魔法で瞬間冷凍されているらしい。
帰る際にこれを渡された。
とても美味しい肉と目黒さんは言っていたな。
何でも、モンスターには特定の部位をアイテムドロップとは別枠で落とす種類がいるらしい。
言うなれば、部位破壊。
殺し切る前に特定部位を斬り落とすとゲット出来る。
この肉はそういう方法で手に入れたとか。
腹が減ってるならこの肉を食べればいいだろと言ったが、協会の贈り物専用品らしく、勝手に食したら厳罰で最悪降格処分を受けると目黒さんは言っていた。
そんなリスクを犯してまで、誰も食べようとしない。
そもそも調理の段階でバレる事は確実だ。
とは言え、美味なのは間違いないと言われている。
琴音へのお土産になればいいが……
兎にも角にも、無事に帰って来れた。
琴音の体調は大丈夫だろうか?
俺なんかよりも遥かにしっかりしてるから、変なトラブルに巻き込まれてるような事は無いだろうけど。
「ただいま……」
力無い声で呟く。
絞り出すような声音だ。
琴音に届いているかどうか、分からない。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
何故ならコンマ一秒で返事がきたからだ。
「おかえりなさいませ、総司さま」
「え、琴音?」
「はい。琴音で、ございます」
彼女は既に目前に居た。
玄関口で姿勢の良い正座をしている。
口調も顔色も、いつもと変わりない。
「何してたんだ?」
「総司さまの、お帰りを、心待ちにしていました」
「いや……メール見たろ?」
今夜は帰れないと、確かに送った筈。
いつからそこに居たんだ?
まさか夜通し、なんて事は無いだろう。
彼女ならそれもあり得そうだが。
「なあ、いつからそこに?」
「今朝から、です」
「わ、悪い。そんな事しなくてもいいのに」
「琴音が、勝手にやっているだけ、です」
少なくとも、一時間以上は待って居た事になる。
何でそんな事を……
いや、彼女の性格をよく考えるべきだった。
今から帰ると、メールを送ればよかったのだ。
些細な事で、迷惑をかけてしまったな。
これからは気をつけよう。
「総司さま、上着を。お預かりします」
「あ、ああ。頼む」
彼女に上着を預け、靴を脱ぎ、家に入る。
とても久し振りな感覚だ。
一日ちょっとしか経ってないのに。
それだけ協会は過酷な労働環境だった。
今後、不用意に近付かないようにしよう。
また仕事を押し付けられるかもしれない。
お礼の仕方は沢山あるからな!
「ふああ……流石に、眠いな……」
「そうで、ございますか……」
「……?」
俺の三歩後ろについて歩く琴音。
その彼女から、強い視線を感じる。
ただの視線ではない。
タールのように粘ついた視線だ。
全身をくまなく観察されているようである。
シャワーは向こうで浴びた筈だけど……匂うのか?
「琴音? 何か用でもあるのか?」
「いえ……瑣末な、事です」
「いや、でも」
「……強いて言うならば––––」
「え?」
こちらの言葉を遮り、自分の言葉を重ねる琴音。
普段からじゃ考えられない。
そして、彼女の眼光がいっそう鋭くなる。
「昨晩は、どんな女性とお楽しみになられたので?」
「……!?」
「教えて、ください。総司さま……」
ぐいっと、壁際に追いやられる。
華奢で小柄な筈な琴音。
なのに今は、とても大きく見える。
「ま、待て待て待て! 勘違いしてるぞ、琴音!」
「勘違い……?」
「ああ! 俺は目黒さんの仕事を手伝ってただけだ!」
「……本当で、ございますか?」
「も、勿論だ!」
じーっと、見つめられる。
頭のてっぺんからつま先まで。
疑いの目は未だ晴れない。
よく見れば、彼女の雰囲気がいつもと違う。
沸々としたモノを感じる。
ストレスが溜まっているようだ。
そうか……だからか。
琴音は昨日から、例の体調不良が続いている。
その影響でストレスが溜まり懐疑的になっていた。
そこへ突然の俺の朝帰り。
今思えばメールもひどく短く乱暴だ。
彼女はこう思ってしまったに違いない。
他の女と、逢引していると––––
「ぜ、全部話すから……!」
「……」
焦りながらまくしたてる。
二階層を突破した冒険者を探しに千葉支部協会へ行き、そこで以前助けた大学生達と遭遇、訳あって彼らに手ほどきをするハメになり、その後目黒さんと会って仕事の手伝いを半ば強引にさせられて––––
全て話し終えた時、冷や汗が滝のように流れていた。
琴音から常に圧が発せられている。
浮気したら殺すと言われてる気分だ。
「ど、どうだ? 信じてくれたか?」
「……事情は、理解しました」
「そ、そうか……!」
ホッと一息を吐く。
どうやら信じてくれたみたいだ。
肩の重荷が降りる。
「それならば、もう少し、詳しく、めーるを、書き記してくれれば、琴音は、嬉しく……思いました」
「すまん、その通りだ……」
琴音は若干低いトーンで言う。
報連相が出来ていなかった。
琴音なら、言わなくても理解してくれる。
心のどこかでそう思っていたのかもしれない。
そんな事、絶対にあり得ないのに。
言わなくては伝わらない事は沢山ある。
それを放棄するのは、ただの傲慢だ。
「これからは、ちゃんと伝えるよう、努力する」
「総司さま……申し訳、ございませんでした……」
俺は真摯に謝罪する。
すると琴音は、一歩下がって頭を下げた。
「琴音は、不安、だったのです。総司さまが、他の女性の元に行ってしまうのではないか、と……」
「琴音……」
彼女をそっと抱き寄せる。
体調が悪いから、ネガティヴになっているのだろう。
それでも、そう思わせた俺に責任はある。
「悪い、俺がもっと、ちゃんとしてれば……」
「総司さま、いえ、琴音が間違っていたのです……」
「琴音––––」
彼女の口元へ顔を近づける。
ハッとした顔になる琴音。
彼女はそのまま、目を瞑る。
俺はそっと、自分の唇を彼女の唇に重ねた。
「……」
「……」
互いが互いを求め合う。
彼女を抱く力が、自然に強まる。
「……愛してる、琴音」
「総司さま。琴音も、貴方さまを、お慕いしてます。今も、これからも、ずっと、ずっと––––」
◆
三日後、琴音の体調も万全になっていた。
肌のツヤも、心なしか良い。
やっぱり三日前までは普段とはどこか違った。
そんな彼女は今、俺の目の前で土下座している。
「申し訳ございません、総司さま」
「琴音、本当にもう、いいから」
「いえ、琴音の気持ちが収まりません」
琴音は体調が元に戻ると、数日前の行動を謝罪した。
ストレスが原因で俺に強く当たってしまった、と。
「琴音、頼むからもうやめてくれ」
「しかし……」
「俺はそんなの、望んじゃいない。俺はもっと、普通にお前と暮らしたいんだ。イライラして人に強く当たる事なんて、誰にだってあることだ」
俺の中では既に解決している問題だ。
これ以上、琴音に求めるものは無い。
いつも通りの日常を送りたいのだ。
「ほら、顔をあげてくれ」
「……はい、総司さまが、そう仰ってくれるのなら」
土下座をやめる琴音。
そんな彼女に、俺は言わなくてもいい事を言った。
「俺はもう、琴音以外の女なんて興味無いよ。だから安心してくれ、な?」
「総司さま……!」
彼女は瞳を輝かせる。
柄にも無い事を言ってしまったな。
まあ、事実だし、いいだろ。
「それじゃ、今日もダンジョンへ行こう。ちょっと準備してくるよ」
「はい、琴音も、身支度を、整えます」
そう言ってから居間を出る。
廊下に出ると、俺のスマートフォンが鳴り響く。
電話か? こんな朝早くから、誰だろう。
「総司さま、すまーとふぉんが」
「悪い、取ってくれないか?」
「もちろん、お安い御用で––––」
ピタリと、琴音の動きが止まる。
彼女はスマートフォンの画面を見たまま固まった。
「どうした、琴音?」
彼女の元に駆け寄る。
その際にスマートフォンの画面が見えた。
『日陰聖奈』
「っ!? あ、いや、これにもワケが!」
「………………………………総司さま?」
「ひっ!?」
琴音の恐ろしい声を聞いたのは、初めてだった。
––––その後、俺はあらゆる手段を用い誤解を解くことに奔走するのだが、それはまた別の機会に話そう。
バカップルみたいなお話でごめんなさい……けれど二人とも、愛すること/愛されることに慣れていないので許してやってください。