09 星空 2
「リアン様は……コンラート様をたいそう気にかけていらっしゃいます。今まで幼少の頃よりお仕え申し上げた身ですが、傍目からもお嬢様はあまり人間というものに興味を示される方ではございませんでした。しかし、コンラート様は別でございます」
グラッドストンはセロをじっと見た。疑っているのだろうか?セロは慌てて付け加えた。
「いえ、なにもコンラート様付きの方だからとこのように申し上げているのではありません。お嬢様は本当に……私も、お嬢様の気品や教養深さ、お生まれから考えてもコンラート様以外には考えられないと存じます」
とても満足そうに相手は頷いた。
「よいお返事がいただけて何よりです。引き留めてしまい、申し訳ありません。主人にはよく申し上げておきましょう。どうかあなた様もリアン様によくお伝えください……いえ、近いうちにコンラート様から何かしらクレルモン家にお手紙か使者でご連絡があると思いますので、その時までどうかリアン様をよろしく……」
上機嫌でグラッドストンは去っていった。中庭に一人取り残されたセロは、どうしたものかと空を仰いだ。
これでいい。これで良かったのだ。お嬢様はきっと幸せになるだろう。やっと長年の夢が―――どうか幸せになっていただきたいという夢が―――叶うわけだ。
主人が幸せであることほど、仕えていて喜ばしいことはない。例えそれが自分の全ての幸せと引き替えであっても、だ。
第一、今の自分に何が出来る?一介の執事でしかない自分が、子爵家に生まれたリアンをどれ程幸せに出来るだろう?元の身分ならいざ知らず、もう公爵の地位に返り咲くことも出来なければ、エスメラルダスの名を名乗ることも出来ない。
そう思うと、彼女とコンラートが一緒になれば、必ず彼女は幸せになるだろう。コンラートが自分の代わりを務めてくれる、そう思えばいい。
だが―――割りきれない。何か心の底から、泥水よりも汚くどろどろとしたものが湧き溢れる。抑えられない。所詮その願いは綺麗事でしかないのだと知るが、だったらどうすればいい?
「父上……母上……」
また一つ流れ星が夜空を滑る。どれ程星が堕ち消えようとも、星空がその明るさを失うことはない。どの星が消えたかさえ分からないし、他の星は知る必要もない。
それと同じだ。今の自分は、まだなんとか光を保っていられるあの星のどれかだ。いつか消え失せようとも、この世界にとっていくらの価値もない。
セロは目を逸らすと、屋内へ入っていった。
こんな場所には誰もいない。そう思ったから、グラッドストンはそこを選んだのだろう。しかしセロもグラッドストンも気付かなかったが、そこにはもう一人の影があった。
彼はセロをじっと見ている。まるで観察しているかのようだ。けれど、セロが屋内に入ってしまい姿が見えなくなると、彼もそこから姿を消した。
「ああ、セロ、聞いてちょうだい!」
帰りの馬車の中、リアンは興奮気味に喋った。
「コンラート様ったら、三曲も私のお相手をして下さったの!それが、もうとても素晴らしいお方で……お話もとても面白くて!私、本当にもうこれだけでもいいわ」
心底愛しいと思った。頬を薔薇色に染め、瞳を潤ませるその姿。自分のためにこんなにも思い乱れてくれるなら、どんなにか嬉しいことだろう。しかしセロは、リアンがそんなふうに喜ぶ度に見えない傷を負っていった。
「でも……コンラート様は、いったい誰を想ってらっしゃるのかしら?私以外にも何人かの人と踊っていらっしゃったけれど」
セロはどう思う、とリアンは無邪気な眼差しを向けてきた。セロは目を伏せた。
「一介の使用人には、分かりかねることでございます」
リアンはくすっと笑った。
「前にも同じようなことを話したわね」
ええ、とセロは優しく答える。
その後もリアンは舞踏会の様子を細々と語ってくれた。話の中心はいつだってコンラートだった。それが嬉しくもあり、悲しくもあり、セロは時々曖昧な返事を返すしかなかった。
それから三日と経たないうちに、コンラートがリアンの父、ロークに手紙を送った。内容は、今度また近いうちにリアンも含めて、子爵家でお茶をしたいというものだった。それが何を意味するか、セロは分かっていた。