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「オーストラリア大陸のイ界ではついに、六割の地図を完成させる事に成功しました! これを受けて政府は――」「聖徒は万能なる存在ではありません。けれど、私たちの希望の光です。その光を絶やさぬ様、私たちは――」「まさに一年前の今日、日本のイ界で邪楽が見つかり激しい戦闘が繰り広げられたわけですが、その後邪楽の行方は分かっておらず――」
どのニュースキャスターも、テレビの向こうで声高に聖徒の事を読み上げていた。
「人気者だな……聖徒は」
電源を切り、部屋の中を見渡す。
元々荷物の少なかった部屋だが、何もなくなるとこうも淋しく見えるものなのかと、意外に思った。
「あれから一年……か」
服の上からそっと、肩から腰にかけて通った一本の傷跡をなぞる。
勿論、完治している。だが、今でも時々疼くのは、気のせいではないはずだ。
邪楽との勝負の後、目が覚めるとそこは、自分の部屋だった。
心配そうに見つめる隊員たちの顔をゆっくりと見渡し、気付いた。
自分は、負けたのだと。
それなのに、止めすら刺されず、情けを掛けられ、生かされているのだと。
途端、絶叫した。
声が枯れ、喉が潰れても、それでもまだ叫び続けた。
仇も打てず、その敵に情けを掛けられ。
そんな命に価値など無い、死のうと、何度も自殺を試みた。
その度、仲間が体を張って止めてくれた。どれだけの隊員を傷つけたか分からない。
どれだけの間発狂していたのか、明確に思い出す事もできない。
それでも、隊員たちは見捨てずにいてくれた。
優しく見守り慰め、時に叱咤してくれた。
今でこそ頭を下げ感謝の言葉を積み重ねる事ができるが、あの時はそんな余裕もなく、ただ感情の赴くままに毎日を過ごしていた。
ようやく落ち着き、まともな会話を交わせる様になった頃、佐伯が二枚の手紙を持ってきた。
「ぬいぐるみの首に挟まってた。宛先だけみて、中は読んでない」
可愛らしい花がらの便箋には、美しい文字が踊っていた。
それだけで一つの美術品の様だと思った。
手紙の最初は、こう始まる。
拝啓 東城幸来様――
食い入るように読み進めた。
そして、二枚目の手紙を読み終える頃、幸来は止めどなく涙を流していた。
臓腑を貫く嵐のような感情とは異なる、静かな、しかし制御できない悲しみがゆっくりと体中を満たし、嗚咽となって零れ落ちていった。
二枚目には、こう記されていた。
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……本当は、そんな風に言うべきなんでしょうね。
貴方の事を思うなら、未練を断ち切るべきなんでしょうね。
でも、私には無理みたいです。
貴方の中から、私が消える。
そう考えただけで。私の心はこんなにもかきむしられる様に鋭く痛むんですから。
もし、私の我儘を聞いてくれるなら……東城、二つ、お願いがあります。
一つ目は……私の事を、忘れないで下さい。
この願いが、どれだけ貴方の人生を苦しめるか、分かっているつもりです。
だから誰か他の人と結ばれるなとは言いません。
ただ、忘れないで欲しいのです。
そうすれば、私は、貴方の中で生き続ける事が出来る。貴方が私の事を思い出す度に、生き返る事が出来る。
それって、とっても素晴らしい事ですよね?
そして、二つ目。
きっとこれも、貴方の人生を変えてしまう様な大きな、大きな我儘です。
自分勝手な私で……ごめんなさい。
東城、どうか。
世界を、平和にして下さい。
私たちが手を取り合って生きる事のできなかった世界。
幸せになるべき人々が、それを手にする事ができない世界。そんなのは、間違っています。
私たちの様な人を、もうこれ以上出さない為に。
東城、世界を救って下さい。
歪んだ秩序の上にある今の世界を。
……不思議ですね。
手紙だと、何でも書けちゃいます。
思った事をそのまま伝えるには、手紙が一番ですね。
東城。
愛しています。
アリア・ウェルフロー・東城
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「ぐちゃぐちゃ……だな」
苦笑いしつつ、胸ポケットから歪んだ便箋を取り出す。
握りしめたせいで至る所にシワが走り、涙が染み込んだせいで所々文字は滲んでいた。
もう何度も何度も、暗記する程読んだ便箋に、そっと指を這わす。
幸来をこの世界に留めさせてくれたのは、間違いなくアリアだ。
この手紙がなかったら、どうなっていたか分からない。きっと、生きてはいなかっただろう。
「東城隊長」
部屋の扉は開けっ放しにしてあった。その開き切った扉に、佐伯が寄り掛かっていた。
「隊長じゃない。指揮官だって何回言ったら分かるんだ……」
「悪いな。だけど他の隊員もよく間違えてるだろ? 指揮官なんて呼び方、この隊だけだからな」
そう言うと、佐伯は煙草に火をつけ、白い煙を長く吐き出した。肺活量に影響するから禁煙しろと何度言っても、佐伯は聞かなかった。
「だろうな。けど、C隊を仕切るのは指揮官だ。この仕組みを変える気はない。分かったか? 佐伯指揮官」
「はっ……」
小馬鹿にした様な声を出して、佐伯は煙草を吹かし続けた。
隊長と言う肩書きは、幸来には重すぎた。
いや、今後どれだけの月日が経とうとも、彼女を越える者は現れないだろう。
だから、幸来は隊長ではなく、指揮官と名乗ることにした。隊長の名は、永遠に彼女の為にあるのだ。
そして指揮官の名も、今日をもって佐伯に託す。彼ならば自分よりも上手く隊を仕切るだろう。
「本当に……行くんだな」
「あぁ、指揮官になった時から、決めていた事だ」
今日、幸来は旅立つ。
境会を出て、遠くの世界へ。
アリアからの手紙を読んだ後、幸来はずっと考えていた。
世界の平和とは、果たして何を意味するのか。どうすれば、辿り着けるのか。
そして、邪楽は何故、自分を殺さなかったのか。
彼の話ぶりからすれば、自分の役割は既に終了していたはずだ。
強いて言うならば、あそこで殺していた方が聖徒たちは激昂し、士気は高まっていただろう。
しかし、邪楽はそうしなかった。そこには何らかの意味があるはずだ。
「目的、聞いてなかったな……教えてくれるか?」
「あぁ、構わない」
一年じっくりと考え、幸来は一つの答えに至った。邪楽は、自分に期待しているのではないかと。彼の計画は全て上手く行った。これから暫くは、世界は仮初めの安定を得るだろう。けれど、その後は? ずっとこの仕組みで、世界を回して行くのか?
邪楽自身、それが分からないのではないだろうか。だから、幸来を生かした。全てを知る者として、微かな希望を込めて。
「世界を見ようと思ってる」
真実は違うかもしれないけれど、それでも構わない。
彼女の遺志を。例え残りの人生全てを賭してでも、叶えてみせようと思った。
「色んな国を見てまわって、今の世界の在り方を全部、この目に焼き付けて……それから、考えたい。どうすれば、この世界を救えるのかを」
「でかい話だな」
「だろ?」
「あぁ、悪くない」
窓の外には青空が広がっていた。
部屋が二階になってから、キェルケゴールの函に遮られる事なく、空を仰ぐ事が出来る様になった。
「そろそろ、出発する」
「そうか」
「後は頼んだ」
「……お前の居場所くらいは残しておいてやる」
「ははっ、それはありがたい」
手首に付けた銀色のブレスレットが日の光を反射する。
アリアの使っていたRは今、幸来の手首に巻きついている。
彼女の武器と、彼女の業は、幸来が受け継いだ。
彼が破邪を振るうたびに、隊員は彼女の事を思い出す。
アリアは生きている。
いつだって、傍に居る。
「たまには連絡しろよ」
「そうだな……手紙でも書くよ」
階段を下り、外に出る。
旅立ちを祝うかのように、一陣の風が吹き抜けた。
「このご時世に、手紙か」
「悪くないだろ?」
「あぁ……」
珍しく、佐伯が笑った。明日は雨が降るかもしれない。
「悪くないな」
空は晴れ渡り、空気は澄んでいる。
この景色くらい美しい心で、世界を見よう。
復讐の炎に焙られた醜い心ではなく、誠実に、真っすぐに、世界を捉えよう。
それがきっと、明日に繋がる。
明日を、作る。
「じゃぁ、行って来る」
「元気でな」
背中越しに手を上げ、幸来は歩き出した。
明確な目的地なんてない。いつ終わるかも分からない。
(行きましょうか、隊長)
東城の呼びかけに応えるアリアの声が聞こえた、気がした。
透き通った水の様な心に彼女の遺志を乗せて。
ただ目の前に広がる広大な大地に向かって、幸来は一歩、足を踏み出した。
ひとまず完結です。最後まで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。至らぬ点が多々あったかと思いますので、お気づきになられた点等ございましたら、ご指摘いただければ幸いです。




