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◇◇◇
『見てみてツラユキー』
『…………』
夏の空に浮かぶ雲の様に白いカッターシャツに、赤い可愛らしいリボン、そして、紺色の清楚なスカート。
紛れもない女物の制服に身を包み、俺の目の前でくるりと回る。
『どう? 似合う? 妹の制服を着てみたんだー』
『…………』
化粧をしてその辺を歩いていれば、何の違和感もないだろう。
写真で見た妹は違う、怪しげな美しさがあった。
『ねぇ、どう? どう思う?』
『…………』
『もう……。最近ツラユキってばだまってばっかり。つまんなーい』
『…………』
『僕ね、引っ越す事になった』
スカートを翻し、唐突に言った。
『前から少しやってたお父さんの仕事のお手伝いを、本格的にやる事にしたんだ。えへへ、僕が手伝い出してから調子いーんだよー』
『そ……うか……』
悲しみと、そして同時に安堵が、胸中に飛来する。
それは、決してごまかす事ができない程に、大きな感情だった。
『あは、そんなに悲しそうな顔しないでよ』
きめ細やかな手が、頬に触れる。
和やかな笑顔で、何処か艶かしい唇が言葉を紡ぐ。
『また、会えるから』
そして親友は姿を消した。
中学最後の、春だった。
ディオゲネスの弾劾への突破口が開かれた事。
更にそこに、哲学の城なる建造物があった事は全聖徒を震撼させた。
アリア、幸来の負傷、及び主戦力の一人である讃良がいなかった為、C隊はツァラトゥストラの森突破後の探索は断念せざるを得なかった。
だが、報告を受けた政府により、来る一ヶ月後の探索において、全二十四隊の中でも戦闘面、並びに技術面において選りすぐりの十隊を選出し、ディオゲネスの弾劾を探索する事が決定した。
哲学の城発見の功を買われ、C隊は既にこの探索メンバーへの加入が約束されていた。その為、この報告があった頃から隊内の士気は今までに類を見ないほど高まっていた。
「なんか凄いねー。こう、空気がむわっとしてるって言うか……」
「邪楽発見に繋がるんじゃないか、って騒がれてる重要な探索だからな。皆、落ち着かないんだろ」
いつもよりも何倍も騒がしい食堂の端で、幸来は讃良に言った。あの怪物との戦いを終えてから三日。まだ体中にぴりぴりとした痛みが残っているものの、日常生活に支障がない程度には回復していた。
「そう考えると凄いよね! これで世界が平和になるかもしれないんだから!」
「……そう、だな」
「だよねー! わたしもどきどきしてきちゃった!」
平和。その言葉を、ゆっくりと、咀嚼する様に幸来は口の中で繰り返した。
『ねぇねぇ知ってる? 平和って言うのはさ――』
ふいに脳裏に蘇った光景を振り払う様に、大きく被りを振る。
(今考えても……仕方のない事だ)
気分を落ち着かせる為、しっかりと冷えた麦茶で喉をうるおす。そんな幸来を見て、讃良が訝しげに声をかけた。
「どうしたの東城君? 具合悪いの?」
「いや、何でもない……そんな事より、そっちはあんまり進展がなかったみたいだな」
「え? あ、うん。そうなんだよー」
探索が順調に進んだ一方で、連続殺人犯は未だ捕まっていなかった。それというのも、探索中に殺人事件が起こる筈だ、という政府の予想が見事に外れた為だった。
その政府の関心も、今やディオゲネスの弾劾と哲学の城に向かっているように見えた。
「早いとこ捕まえないと……まずい気がするんだけどな」
「うーん。まぁ、あんだけ警戒されてたら殺したくても殺せないと思うなー。あーあ、わたしもそっちについて行きたかったよー……だってね、一日目なんか――」
ぶつぶつと不満を言い続ける讃良を適当にあしらいつつ、幸来はこの事件について考えていた。
最初に死人が出たのは今から約一カ月と二週間前。殺された聖徒の数は十名。特に頻度に差はなく、殺された聖徒に関連性もない。
今回の探索の間に殺人が起こると予想した政府の見解は、あながち間違っていなかったように思える。探索に出ていない補欠の聖徒は比較的戦闘経験が乏しく、殺しやすいはずだ。
(強い聖徒を殺したいのか? いや……今までの被害者を見る限り、そう言う訳でもない……)
犯人は恐らく、この殺人を通して、何かを訴えかけたいのだろう。その為に、多くの聖徒を殺そうとしている。しかし、狙い目のはずの探索期間は、動きはなかった。
そうなると、犯人は今回の探索の間、実力ある聖徒がボディーガードとして残っているという事を知っていた、という仮説がたてられるのではないだろうか。
(いや……これは流石に早計か……しかし……)
「もーしもーし、東城くーん?」
「ん、どうした?」
一端考えを中止し、讃良に笑顔を向ける。
「ちゃんと聞いてるから。ほら、続きを話せよ」
「違うってばー。大体東城君が途中からなーんにも聞いてなかったのは、バレバレなんだからね? そうじゃなくて、時間。大丈夫なの?」
驚くほどに不機嫌な顔で、讃良が腕時計をとんとんと叩いた。二時十分前。そろそろ境会が影に覆われる頃合だ。
「もうこんな時間か……じゃぁそろそろ行くか、讃良」
「は? なんで?」
いつものほんわかとした喋り方からは考えられないくらいの強い口調に、幸来はたじろいだ。
おまけの様にくっ付いてきたじっとりとした目線に、居心地の悪さを感じる。
「な、何でって……隊長のお見舞い、行かないのかよ?」
「わたし、もう行ったから。一人でどーぞ」
「え? もう? いつの間に――――」
「あーもう、ごちゃごちゃうるさい! わたしは昨日行ったの! だからもう行きたくないの! 何か文句ある?」
ざわついていた食堂内にすら響き渡る大きな声に反応して、近くに居た何人かの隊員が振り返った。これは傍から見たら相当シュールな光景なのではあるまいか、と場違いな考えが脳裏をかすめる。
「ない……です、けど……」
「じゃぁ早く行きなさい! …………隊長、待ってると思うから……」
話をしっかりと聞いていなかったのが癪に障ったのだろうか。それとも他に、苛立つ様な出来事があったのだろうか。普段とは違う、取りつく島もない讃良の様子に大きく首をかしげつつ、幸来は食堂を出た。
扉をノックし、返事を待ってから中に入ると、ベッドの上で上半身を起こしたアリアが、こちらを向いて微笑みかけた。
「来てくれたのですね、東城」
「もちろんです。遅くなってしまって、申し訳ありません」
柔らかな色の寝巻に身を包み、本を持っている姿は、隊を仕切り、先陣を切って敵をなぎ倒している時からは考えられないほど淑やかで、可憐だった。
窓から差し込む日差しが鮮やかな金髪を一層輝かせ、さながら一枚の絵画の様に思えた。
「遅れて……? 約束の時間通りですが……」
「いえ、讃良はもうお見舞に来たとさっき知って。本来なら昨日来るべきだったと思いまして」
「あ、彼女なら、私が目を覚ましてから直ぐに呼んだんです。誰よりも先に話したい事があったので……。讃良を除けば、貴方が最初ですよ?」
讃良に話したかった事とは、連続殺人の事だろうか。目を覚まして何よりも先に聞く事が仕事の内容とは。やはり、責任感の強い人だと思った。
「体の具合は、いかがですか?」
「そうですね……肋骨にひびが入っていると思っていたのに、ただの打撲で助かりました。咄嗟に破邪で守った事と、横に飛んで衝撃を殺した事で、威力が弱くなっていたようです。一ヶ月後には万全な状態に戻れると言われました。足が撃ち抜かれているので、暫くの間は上手く歩けませんが……それも、じきに治ります」
想像していたよりも軽傷だった事に、幸来は安堵の息をもらした。あの状況下で威力を削るほどの回避行動を取れるアリアは、やはり自分とは段違いの実力を持っている。
「良かったです……本当に……」
「ここに居られるのは東城、貴方のおかげですよ。本当にありがとう」
「俺は別に……」
「お礼は、素直に受け取るものですよ?」
「………………はい」
「ふふ」
顔が熱い。頬に赤みが差していないかどうかが、とても不安だった。
日が傾き、アリアの顔を照らし始めた。慈しむように空を仰いだ後、細い指がそっとカーテンを動かす。
「…………『絶対に、守り切ってみせるから』」
「ぐっ……!」
「この言葉、覚えていますか?」
「……………………はい」
この場から逃げ出したい衝動に駆られた。恥ずかしさで、気がどうにかなりそうだ。そんな幸来の方には顔を向けず、カーテンの端を握ったまま、アリアは続けた。
「嬉しかったです。とても……。私はいつも、皆を守る立場にいますから」
「隊長……」
皆を守る立場。アリアのそれは、幸来の様にただ千年の盾で敵の攻撃を防ぐのとは違う、もっと重い、隊員全員の命を預かる役割だ。
「私よりも弱くて、頼りなくて……でも、人一倍努力をしていた。そんな貴方に、守る、って言われて……肩の荷が下りた気がしました」
きっと、自分たちが思っているよりもずっと、アリアは苦しんでいたのだろう。
人の命を預かる、隊長と言う立場に。
けれど、そんな事には誰も気づかない。
何故なら彼女は、とても、とても、強いから。
「あの時、だけでしたね……」
「はい?」
「口調が変わったのは……」
鼓動が早まる。出来る事なら、あの時の自分を殴りたい。切実に。
「あ、あれは一過性の物と言うか何と言うか……隊長は……隊長なので、つまり何が言いたいかと言うと――」
「もう、守ってはくれないのですか?」
カーテンの閉まった窓の方を向き、たっぷりとした金髪に隠れてしまって、アリアの表情を読む事は出来ない。けれど、この質問には、自信を持って答える事が出来た。
「守りますよ。絶対に」
「……………………嬉しい」
アリアの握る、水玉模様のカーテンが揺れた。
静寂が訪れる。扉の外から聞こえる仄かな喧騒は、まるで、別世界から聞こえてくるかのようだ。しばらくして、小さな、とても小さな声でアリアが呟いた。
「……そう言ってくれるのは……私が隊長だから……なんでしょうか……」
「え?」
「――――っ! な、なんでもありません!」
遮断されていたはずの日の光が、細く、部屋を照らす。
アリアの口から出た言葉は、ゆっくりと部屋の中を漂った。自分の感情に翻弄され分からなかったが、金髪の隙間から僅かに見えるアリアの目は潤み、横顔は、朱に染まっていた。
(あれ……?)
そう気付いた時、幸来は自分の中で、今まで抑えていた物が取れた事を悟った。
(あぁ、そうか……)
それは自分を律する為に付けた枷。憧れや、尊敬と言う形に昇華させ、知らぬ間に押し殺していた感情は今や、何にも縛られてはいなかった。
(限界、か)
声もなく笑う。
後の事が考えられないほど、溢れだしてきている。
もう止められない。止めるつもりもない。
いつになく小さく見えるアリアに向かって言った。
「隊長」
「ほ、本当になんでもないんです! だから――っ!」
「もちろん。隊長だから、守るんです」
「…………っ」
けれど、と息を入れる間もなく次の言葉を繋いだ。アリアの瞳が、肩が、小刻みに震える。
「……他の理由も、あります」
留まる事を知らない感情の波に乗せ、紡ぐ。
「俺は貴方を守りたい。貴方だから、守りたい。いつでも、どんなところでも、いかなる場合でも。たとえそれが――戦場では、なかったとしても」
しわだらけになったカーテンから手を放し、布団を鼻先まで引き上げて、アリアはまた問いかけた。
「それは……つ、つまり……」
「えぇ」
ここまできたらもう引き返せないのだ。だから、言おうと思った。
「貴女を、愛しています」
がばっ、という大きな音と共に、アリアは布団の中に姿を消した。ベッドの上に布団が丸く乗っかっていて、とても可愛らしかった。
「……し…………あ……」
その中から、小さくか細い声で、アリアは返答した。
「私も……………………そ、その……あ……あぃ……」
「……あ?」
「あ……あ、貴方が……好きです……」
それから境会が影に包まれ、更には日が落ちるまで、彼女は布団の中から顔を出さなかった。




