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辺りには人が溢れ返っていた。
C隊宿舎から商店区へ行く途中にあるガラス製の時計台は、待ち合わせ場所として使われている。主にC隊の隊員、それから隣接した場所に宿舎があるB隊とD隊、加えて、付近に住む一般市民もよく利用していた。
ここ数日の快晴に誘われてか、時計台の下には沢山の待ち人がいた。ゆっくりと本を読む者、終始髪の毛を触っている者、せわしなく辺りを見渡す者。待ち方によってその人の心理状況が分かるものだと、幸来は思った。
(落ち着け……)
自分は周りからはどんな風に見えているのだろうかと心配しながら、幸来は時計台を囲う様に置かれたベンチに座っていた。
(何度も死線を掻い潜ってきたんだ……これくらい余裕。そう、余裕だ)
幸来にはデートの経験がなかった。
それ以前に女性と付き合った事もないのだから、当然の事だ。
アリアを見舞いに行ったあの日から、二人の交際はスタートした……のだろうと幸来は思っている。
と、言うのもあれ以来彼女の部屋を訪れると、アリアは決まって、布団の中へと逃げ込んでしまうのだ。いくら話しかけてもまともな返事が返ってこないので、とりあえずリンゴなどの果物を剥き、しばらく横に座っている事が、幸来の日課になっていた。
(……くっ、思い出せ! あのSEROとの戦いを! あれに比べればこの程度……)
ようやくまともな会話が成立したのは昨日の晩。アリアが、医者に外出しても良いと言われた事がきっかけだった。
『どこかに出かけませんか? 隊長……一緒に』
『…………………………………………はい』
『明日にでも』
『…………………………………………はい』
こんな調子で待ち合わせ場所と時間を決め、何とかデートの予定を立てる事が出来た。
しかし、はっきり言って何をすればいいのかさっぱり分からなかった幸来は、恥を忍び、一番こう言う事に詳しそうな牧瀬に助けを求めた。
とりあえず、死にたくなかったら佐伯にはばれないようにしろ、というありがたい助言を皮切りに、何かと懇切丁寧に教えてくれた。やはり見た目通り、色々と遊びなれているのではなかろうか。
そんな失礼な事を考えつつ、目を瞑り、彼の助言を一から復唱していると、傍に柔らかな気配を感じた。
「と、東城……」
一際鼓動が強く脈打った。ゆっくりと目を開ける。
(こ、これは……っ!)
そこには、いつもの戦闘服ではなく、女性らしい私服に着替えたアリアがいた。淡い桜色のフレアスカートからは白い素足がすらりと伸び、手触りのよさそうな白いブラウスには、小さくリボンがあしらわれていた。重ね着した上着の隙間から、胸元にかかる桃色の飾りがついたネックレスがちらりと見えた。
「お待たせしてしまって……ごめんなさい」
(何と言う……破壊力……っ!)
走ってきたのだろう。僅かに上気した頬が艶めかしい。
「あの……変じゃ、ないですか?」
「へ、変……?」
「こんな服、めったに着る機会が無いので、その……に、似合って――」
「あっ……勿論、似合っています! すごく……すごく可愛いです」
心の底からそう言うと、アリアは横を向き、長い金髪に顔を隠した。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、本当の事ですから……。それじゃぁ、隊長」
いつまでもここに居る訳にはいかない。牧瀬のアドバイスを思い出しながら、続ける
「どこか、行きたい所はありますか?」
『何? どこへ行くか決めてない? 東城ちゃん、それは良くないよ』
『ぐっ……すまない。その場の勢いだったから……』
『まぁ、しょうがないか……。まずは当日、どこに行きたいか聞くとこから始めよう。間違いなく返答は「私は、どこでも」だけど、とりあえずね。で、その後は商店区を回ろう。体力が戻って間もない隊長には近場がいいだろうし、あそこなら話題に事欠かない。あぁ、それと――』
机に肘を突き、鼻を鳴らして牧瀬は言った。
『「貴方と一緒ならどこでもいいです」なーんて甘い台詞は、期待しちゃだめだぜー。そんな事いう女は、現実世界にはいないんだからさ』
幸来の問いかけにアリアはしばし考えた後、答えた。
「えと、私はどこでも……」
牧瀬の言う通りだった事にほっとしつつ、幸来は口を開いた。しかし、言葉を出すよりも先に、続けてアリアが言った。
「その……と、東城と一緒なら、どこでも……いい、です……」
(牧瀬――――――――――――――っ!)
心の中で叫ぶ。幸福と、混乱と、驚きとが混じり合って、脳内でタップダンスを踊っていた。
「ありがとう、ございます」
「いえ……」
「そ、そろそろ行きましょうか」
「はい……あ。あの……」
歩き始め、前に向いていたベクトルが後ろへと引っ張られた。服の裾を摘まんだアリアは、蒼い瞳を前髪に隠し俯いていた。頬が赤い。
「手を繋いで欲しい……です」
「――っ! は、はい!」
弾かれる様に左手を出し、自分よりも低い位置にあるアリアの手をそっと握った。
毎日の様に破邪を振るっているせいか、掌は少し堅くなっていた。けれど、細く小さい手は、紛れもなく女性特有の物で、それは幸来の鼓動を十二分に早めさせた。
その後のデートは、おおむね順調だったと言っていいだろう。
最初はぎこちなかった会話も、賑やかな周りの雰囲気に当てられ次第に滑らかになり、繋いだ手から伝わるぬくもりは、やがて心地よい物へと変わっていった。
唯一の失敗と言えば、昼食に頼んだピリ辛サンドイッチが予想以上に辛く、汗だくになると言う醜態をさらしたことくらいだろう。だが、その様子をアリアは楽しそうに眺めていたので、失敗とはいえないかもしれない。
「見て下さい東城! とっても可愛いですよ!」
商店区に色とりどりのランプが灯り始めた頃、ぬいぐるみ専門店の中で、アリアが柔らかそうなクマを指差した。
彼女は、ネックレスやブレスレットといった装飾品よりも、部屋に飾る事の出来る置物の方が好きだという話だ。装飾品は鍛錬や戦闘の邪魔になるし、汗で汚れてしまうからだという。
「ほら、この子の目が一番くりっとしていて、それに……ちょっと東城に似てますね」
「俺と、そのクマがですか?」
「はい。今みたいな驚いた顔と、そっくりです」
何とも言えない複雑な心境だった。そんな幸来の心境を知ってか知らずか、アリアは振り返って言った。
「決めました。この子は、私の部屋に置く事にします。名前は、『ゆきちゃん』です」
「……俺ですね」
「はい、東城です」
すっかりご満悦の表情のアリアは、『ゆきちゃん』を手に取り、レジへと歩き出した。その時、頭の中で牧瀬の声が蘇った。
『まぁ、何か買ってあげるのもいいかもな。折角の初デートだし?』
しかし、自分が払うと言っても、アリアは首を縦に振らないだろう。彼女と押し問答をして勝てる自信が、幸来にはなかった。そうこうしているうちに、アリアはどんどんとレジへと近づいて行く。
「あ、あー……そういえば」
焦った幸来は、思いついた言葉を口にした。
「讃良とここら辺回った時、髪飾りを買ってあげたなー……なんて……」
特に策があった訳ではない。だが予想外に、アリアの足がピタリと止まった。間を置かず、こちらへゆっくりと近づいてくる。
「そんな事も、あったかなーとか……つまり……」
無言で、俯きながら近づいてくるアリアの姿に、幸来は慌てた。どこか、狂気めいたものすら感じる、気がした。
「あの、隊ちょ――」
「私にも」
胸に、こつんと何かがぶつかった。仄かな甘い香りにつられ下を見ると、アリアが、小さな頭を当てていた。
「私にも……買って、くれませんか……?」
腕を組み、考える。どうしてこうなったのだろう。
戦闘服を着て千年の盾を顕現し、幸来は鍛錬所の真ん中に立っていた。
アリアも、可愛らしい服装から鞄の中から取り出したいつもの動きやすい服へと着替えを終え、ぬいぐるみの『ゆきちゃん』を鞄と一緒に、部屋の片隅に置いていた。
幸来からの初めてのプレゼントとなった『ゆきちゃん』を、アリアは大そう気に入ってくれて、帰り道、繋いだ手とは反対側の手で終始抱きしめていた。
そう、その時だ。
『行きたい所があるのですが……一緒に来てくれますか?』
ぬいぐるみの頭に顔を埋め、恥ずかしげに言ったアリアに、幸来は一も二もなく首肯した。そして、彼女に手をひかれるがままに歩き、辿り着いた着いた場所がここ。鍛錬所だった。
「えーっと、隊長?」
「はい?」
満面の笑顔で『ゆきちゃん』の頭を撫でるアリアに問いかける。
「何で、ここに連れて来たんですか?」
「ふふ、分かりませんか?」
立ち上がり、破邪を顕現し始めると、彼女は言った。
「守って、くれるのでしょう? それなら――」
激しく電気が爆ぜる音が終わると共に、長い刀身の破邪が姿を現した。
「早く、強くなってもらわないと」
「まぁ、それはそうですけど……流石に今は……」
「『俺の方が強いと思います』ですか?」
濁した語尾を的確に当てられた幸来は、頬をかいた。
「随分な自信ですね、東城。貴方の隙を作ることなんて、簡単なんですよ?」
全身に強い打撲。特に、肋骨にかかった負担は大きい。更には完全には治りきっていない右足。日常生活が送れるようになった事と、戦闘を行えるという事は、全くの別問題だ。
「やめませんか?」
「やめません」
女神の様な笑み。そんな物を向けられては、幸来は頷かざるを得なかった。
「分かりました……無理はしないで下さいね?」
「えぇ、もちろんです。それでは、始めましょう」
そう言い終わったのと同時に、アリアは破邪を床に差し、身を低くし、駆けだした。
(破邪を捨てた!)
破邪の刀身は二メートルに達するかと思われるほど長い。それだけの長さがあれば、必然的に重量も重くなる。それを捨てる事で、アリアは身を軽くし、負傷した体でも早く動ける様にしたのだ。
予想よりも遥かに早いアリアの動きに、幸来は身を引き締める。
だが、迫りくるしなやかな身体は、易々と幸来の懐に入り込み、跳ねあがった。
(くっ……躱せ――)
身を捻り、アリアの攻撃を避けようとした。しかしするりと入り込んだ腕に阻まれ、動く事はかなわなくなる。
そして
「ん……」
唇が塞がれた。
暖かな吐息。甘い香り。
柔らかな、唇。
それは、一瞬の出来事だったのかもしれない。けれど、幸来には長く、そしてとてもゆっくりとした時間に感じられた。
「隙あり」
次の瞬間、夢の様な時は過ぎ去り、体は宙を舞った。
(しまっ)
そう気付いた頃にはすでに、幸来の体は地面に叩きつけられていた。
「私の勝ちですね、東城」
屈みこんだアリアが、頬をつついた。混乱した頭で楽しそうに踊る青い瞳を見る。
「え、と……そんなに見つめないで下さい……恥ずかしくなっちゃうじゃないですか……」
「いや……今のって……」
「ふ、普通にしようとしたら恥ずかしくて出来ないと思ったので! だから、その……」
顔が真っ赤に染まり、口ごもる。
どうして、こんなにも可愛いのだろう。
「お、終わった事は、もういいんです! ほら、立って下さい! 今日は私の『八刀式』を全部見せようと思っているんですから。三の型までは見た事があると思うので、四の……んむっ!」
溢れ出る愛おしさを止めきれず、唇を奪う。一瞬の触れ合いが、胸を満たした。
「……ばか」
抱きしめた腕の中で囁かれた罵倒の言葉は、柔らかく、ふわふわとしていて、とても甘かった。
◇◇◇
流れ落ちる汗をタオルでぬぐい、大きく息を吐く。誰もいない鍛錬所の中に、その音は予想以上に良く響いた。
頬に張り付いた金髪を耳にかけ、クマのぬいぐるみ、『ゆきちゃん』の頭を撫でる。
「ふふ……可愛い」
後少し鍛錬をしたいからと言って、幸来には先に帰ってもらった。無理はしちゃダメですよ、と心配そうな顔を残し、彼は部屋を出た。
幸来の実力は、アリアが思っていた以上に伸びて来ていた。それが嬉しくて、思わず全力でかかってきそうになってしまったほどだ。
「まぁ、病み上がりの私に負ける様じゃまだまだ、ですけどね」
言葉とは裏腹に、自分の声が弾んでいる事をアリアは自覚していた。
それはきっと、今日のデートがとても楽しかったから、というのも大きな理由の一つだろうと思う。女の子らしい服を着て買い物や食事を楽しむなんて、一体何年振りだろうか。
「それに今日は……キ、キスも、しましたし」
思わず唇に触れる。体の一部が触れただけ、ただそれだけなのにどうしてこんなにも満ち足りた気分になるのだろうか。もっと話したい、もっと触れ合いたいと思うのだろうか。
今日何度目か分からない胸の高鳴りを、深呼吸をして抑え、立ち上がる。
「……ねぇ『ゆきちゃん』」
恋にうつつを抜かすのは、ここまでだ。
「今日は私、すごく調子がいいんです」
体は軽く、業は切れ、気力はこれ以上ないくらいに充実している。準備体操も、もう終わらせた。誰にも負ける気がしない。
「だから、今日私と戦う人は可哀想です……勝てないんですから」
抑える気はないのだろう。
鍛錬所の入り口から発せられた凄まじい殺気に向け、話しかける。
「残念でしたね、連続殺人鬼さん?」
そして。
無駄のない動作で部屋の中に入って来ると、それは奇麗に微笑んだ。




