3-2
出来るだけなだらかな場所にアリアを寝かし、ポーチの中から水筒を取り出す。
「隊長! アリア隊長!」
「うぐっ……げほっげほっ……と、う……じょう……?」
「ゆっくり、飲んで下さい。楽になります。吐き出しても構いませんから」
「ぐ……んく……げほっ…………はぁ……はぁ……」
背中をさすり、呼吸を促す。
千年の盾で拳自体は防ぐ事が出来た幸来と違い、アリアはあれを、その身に直接受けていた。肋骨の二、三本は逝っているかもしれない。
「東城……すいません……足を引っ張ってしまって」
それは確実に自分の方だ。あの護ノを自分が仕留めていれば、こんな事にはなっていない。
しかしそんな話をしている暇は、ない。
「隊長、どれ位動けますか?」
「たぶん、肋骨の何本かにひびが入っています……後は……右足を打たれたのが厳しいですね……うまく動けるかどうか……」
あの拳をまともに受けてそれだけで済んでいる事に、幸来は安堵した。
「東城、よく聞いて下さいね」
「はい」
自分の服の裾を破り、傷口に巻きつける。銃弾が貫通しているのは不幸中の幸いだが、止血はしっかりとしなくてはならない。
「状況は極めて悪いです。貴方も私も、万全のコンディションからは程遠い。ですから」
出来るだけ、足の付け根も縛らなくては意味がない。血の流れを出来るだけ無くすのだ。素早く、何重にも布を巻く。
「私が囮になります」
順序よく進んでいた止血の手が、止まる。そんな事には構わず、アリアは早口で喋り続けた。
「エスケープ・ポッドを渡します。それを貴方が使っている間、私が敵を引きつけます。大丈夫です、時間稼ぎくらいなら、十分出来ますから」
何が、大丈夫だというのだろうか。
傷口にあてた布が、じんわりと赤く染まって行く。
こんな状態の人間が、時間稼ぎ等できる訳がない。
「ツァラトゥストラの森の中の事は私と貴方しか知りません。誰かが伝えなくてはなりません。共倒れする訳には、いかないのです。だから」
俯いた幸来の顔を、アリアの手がそっと包んだ。
こんなにも、華奢で滑らかな、美しい手なのに、血と土で汚れていた。
それが、悲しかった。
「私を見捨てて下さい」
選択の余地はなかった。その目は、あまりにも決意に満ちていて、そして一片の躊躇いも、未練も、何一つ見られなかったから。
「……な」
そんな、蒼い、澄み渡った空の様な瞳を見た幸来は。
胸の奥で燻る感情と共に
「……ん……な……」
両手を握りしめ、彼女を見据え
「んなこと出来るわけないでしょうっ、この……大馬鹿野郎っ!」
思い切り、罵倒した。
「なっ……」
「何が私を見捨てて下さい、ですか! ふざけるのも大概にして下さい! 全っ然、格好良くないんですよ! 隊長、言ったじゃないですかっ!」
分かっていない。この人は、何も、何一つ分かっちゃいない。
「『全員が生きて帰る。それが私の隊の規則です』、って! どうなんですか?」
自分にとって、アリアの存在が、どれだけ尊いものなのか。
「その規則の中に、あなたは含まれてないっていうんですかっ!」
どれだけ、大切な人なのか。
「生きたくないんですか? 正直に言って下さい! 一緒にここから、生きて帰りましょう、って! お願いです! 絶対に――」
見捨てろという命令が、どれだけ残酷なものなのか。分かっていない。
「――絶対に、守り切ってみせるから」
簡単だ。守る事など。
大切な人を見捨てる事の、何倍も、何十倍も。
笑ってしまう程に。
「東……城……」
息を切らし、全てを言い終えた幸来を見据えたアリアは
「ぷっ……くすくす……」
口に手を当て、唐突に笑い出した。
肩を震わせ、心の底から、楽しそうに。
「な、なんで……?」
無礼な態度を詫びる準備をしていた幸来は、予想と百八十度違う反応に面食らった。
「え、あ……ご、ごめんなさい……その、嬉しくって……」
「う、嬉しい?」
「えぇ! だって」
こんな状況にそぐわない美しすぎる、それでいて無邪気な笑顔。
「やっと普通に、喋りかけてくれたんですから」
「………………はい?」
「ちょっと乱暴でしたけど、まぁそこは許してあげます」
「ど、どうも……」
「ふふ…………ねぇ、東城」
今までに見たどのアリアとも違う、何ともいえない雰囲気に、幸来はドギマギした。
「貴方の言葉で、私、死ねなくなっちゃいました」
「…………それは」
「えぇ」
だが、それはほんの一瞬の事だった。
幸来を見据えるアリアの瞳は、いつも通り知的で、冷静で
「生きて帰りましょう、一緒に」
とても、魅力的だった。
気を取り戻した護ノの方は、拍子抜けする程簡単に倒す事ができた。
発煙弾の出した白い煙の中から抜け出し、幸来たちを探していたところを背後から狙撃し、殺した。
もともと苦労なく気絶させていた相手だったのだから、当然の事ではある。
「さぁ――」
問題は、目の前にいるこの巨大なSEROを倒せるかどうか、だ。
「――来いよ、化け物」
左手に千年の盾を、そして、右手に破邪を構え、隻腕の怪物と対峙する。
「俺の帰りを待ってるお姫様がいてな……悪いけど、勝たせてもらうぜ?」
自らを鼓舞する為、そんな台詞を吐いた。勝機はある。
アリアから渡された破邪が、とても頼もしく思えた。
『破邪ならば、あの機械を切り裂く事ができます』
右腕を切った事からもそれは確実だと、彼女は言った。
『問題は、どうやって近づくか、ですね。東城』
『えぇ、あいつの拳を一回でも受けられれば、隙があるんですけどね……』
『千年の盾では無理なのですか?』
『拳自体は受けられますが……衝撃で吹き飛びます。そうなればもう勝ち目はありません』
そう、衝撃で吹き飛べば凄まじい勢いで地面に叩きつけられ、暫くの間は動く事ができない。そして、その衝撃を殺す術はない。
まるで、それが分かっているかのように、SEROは左腕を大きく引き絞り、正拳突の構えを取った。
『吹き飛ばなければ、いいのですか?』
『えぇ、まぁ……そうですね』
『それなら――』
目一杯振りかぶられた左腕は一瞬の後――放たれた。
確かな質量と勢いを持って放たれた拳は、寸分違わず幸来を捉えていた。
死を孕んだ拳が、迫る。
『何とかなるかも、しれませんね』
その拳を、幸来は受け止めた。
千年の盾に触れた拳は、弾かれ幸来は届かない。
しかし、莫大な質量の衝撃が幸来の体を襲う。
SEROの体に比べれば小さな幸来の体は、衝撃に耐え切れず紙屑のように吹き飛ぶ。
「させ……ねぇよ……」
そのはずだった。
「じゃぁ次は、俺の番だな」
吹き飛ばず、その場でしっかりと足をついて立ち、幸来は言った。
「覚悟しろ」
『破邪の刃は特殊な機能が備わっています。それは、近くの物を引き付ける、という物です』
アリアはそう言い、破邪の柄の部分を見せた。
『その引き付ける力、ファンデルワールス力は、この柄の部分で強弱を変える事が出来るのです』
時計回りに柄を回し、刃の部分を木の幹に当てた。
『どうぞ、引っ張って下さい』
『――っ! これは……!』
一寸たりとも、動かなかった。まるで元々刃が、木の一部であるかの様な感触。
引き付ける力が強いあまり、逆に刃がくっついてしまっているのだ。
『言いたい事は、もう分かりますね?』
『えぇ』
左手の盾でSEROの拳を受けとめ、その瞬間に、右手の刃を腕にくっつける。
右手に握った破邪の柄さえ離さなければ、吹き飛ぶ事はない、という事だ。
『ただ、衝撃自体が無くなる訳ではないので、体全体に相当の負担がかかります……東城』
『大丈夫です』
アリアの言葉を遮り、幸来は破邪を手に取った。
『任せて下さい』
SEROの左腕、その側面にピタリと、破邪の刃がくっついていた。
全身に駆け巡った衝撃は、一瞬、幸来の意識を持って行きそうになったが、どうにか、持ち堪える事が出来た。負けるわけにはいかない、死ぬわけにはいかない。
大切な、尊敬する人との約束が、幸来の心を支えていた。
「覚悟しろ」
右手で柄を捻り、ファンデルワールス力を緩め、破邪を解き放つ。
「食らえ」
そしてそのまま、力いっぱい振り上げる。
長い刀身は、幸来がその場から動かなくともSEROの左脇下に入り込み、バターを切るかの様に滑らかに、左腕を切り落とした。
「まだだ」
滑る様に懐に入り込み、止めを刺すべく破邪を引き絞る。
同時に、幸来の前で、SEROの腹部が駆動音を立てた。
死を告げる音を聞き、幸来はそれでも、焦らない。
「そうだな。両腕を失ったお前には、もうそれしかない……けどな」
赤い光が、溢れんばかりに迸る。
「それ、俺には効かねぇんだ」
全てを焼き尽くす閃光はしかし、幸来のかざした千年の盾に阻まれた。出力が凄まじいのか、通常の狙撃よりも大きな衝撃が左腕を襲う。
「これで……」
千年の盾を起動できる最大秒数は二・七秒。それを過ぎれば、幸来の身は焼き尽くされる。だが、それよりも早く、
「終わりだっ!」
破邪が重厚な機体の中心を貫いた。
左手にかかっていた重圧が消え、赤い光が掻き消えた。
時が止まる。
「……は、は」
ゆっくりと、目の前でSEROの巨体が倒れて行った。土煙と共に生じた地揺れが、幸来の体を揺さぶった。
「は、はは……」
もう限界だとでも言う様に、膝から力が抜けた。
「勝った……」
そこから先は、もう駄目だった。重力に逆らう余力もなく、体が地面に吸い寄せられていく。
体中が、今になって悲鳴を上げ始めた。きっと、放出されていたアドレナリンがぷつりと切れてしまったからだろう。けれど、辛くはない。満ち足りた充実感が、そこにはあった。
「勝ったんだ……っ!」
幸来の横で、破邪が日の光を反射し、きらきらと輝いていた。鬱蒼と茂った木々が遮っていたはずの光が、どうして入ってきているのだろうか。
「森が……消えて行く?」
有らん限りの力で顔を上げた幸来の視界に入ったのは、次々と消えていく森の風景だった。
「東城――っ!」
視界が金一色に染まった。それがアリアの髪の毛だと気付いたのは、艶やかな金髪が鼻先や頬をくすぐってからだった。
「隊長……これは一体?」
状況が上手く読み取れていない東城の頭を膝の上に乗せ、アリアは言った。
「貴方があれを倒したから、道が開けたんです! 森がエスケープ・ポッドで消えて行っているんです! ほら、見てください!」
張りのある、それでいて柔らかいアリアの膝に鼓動を高鳴らせつつ、幸来はアリアの指差した方向へ頭を向けた。
大きな、大きな山が、そこにはあった。
「あれが、ディオゲネスの弾劾……」
「えぇ、でも、それだけではありませんよ。そこに書かれた文字を、これで読んでみて下さい」
アリアに手渡された双眼鏡をのぞく。
ごつごつとした岩が覗く、荒れ果てた山、と言うのが第一印象だ。だがその中で一ヶ所、綺麗に整備された場所があった。地面は均され、岩は削られ、像の様な物を作っている。良く見れば、入口らしき扉の影も見えた。その横に、小さな文字が見える。
「『Castle of philosophy』……哲学の城……ですか」
「そうです、やはり存在したんです! あの山に、城が!」
「あれが……」
ついに見つけた。
ついに辿り着いた。
「本当に、邪楽がいるかは分かりませんが……重要な手掛かりがある事は、間違いありません」
いや、と幸来は心の中で否定した。あそこに居る。
邪楽は――――あそこに居るんだ。
幸来の中の確信が、そう告げていた。
「やっと……」
それ以上、言葉は出なかった。ふさわしい言葉が、見つからなかったから。
色々な感情の奔流が、胸の中で渦巻いている気がした。
「東城……ありがとう」
頭上から優しい声が降り注いだ。幸来の顔を包む手に、僅かに力が加わる。
「道を開いてくれて。私を……助けてくれて。本当に……」
遠くの方から、アリアの名を呼ぶ声が小さく聞こえてきた。きっと、森がなくなった事で佐伯たちがこちらに向かってきているのだろう。
「俺は、俺の仕事をしただけです」
呼び声の中に時々自分の名前が含まれている事が、少し嬉しかった。
「仕事、ですか?」
「えぇ」
傾きかけた日の光が、幸来たちを、山を、優しく照らす。
邪楽はもうすぐそこにいる。
「隊長の……隊員全員の命を守る。それが、俺の仕事ですから」
終わりは、近い。




