3-1
『ねぇねぇツラユキー』
『……何だよ』
『この写真見てよ。妹なんだー。可愛いでしょー』
『…………』
そういって得意げに差し出された写真には、一人の女の子が写っていた。可愛らしい笑顔。
『黙ってないで何か言ってよー』
『…………』
知っている。この子が、冷たくなっていっていたことも。
その原因も。自分が何をすべきだったのかも。
全て、知っている。
『ねぇってば』
『…………』
だから、何も言えない。
『ほら、早く』
『…………』
喉に小石が引っかかっているかの様に、頭の中に靄がかかっている様に。
何も言えなかった。
それから約一ヶ月間、連続殺人の被害者は増え続けた。最初の四人に幸来と讃良が遭遇した被害者を加え、結果として十名もの聖徒が謎の暴漢に屠られた。
異例の事態に、政府は秘密裏に犯人を探し出そうとしていたが、結果に繋がっていない。これ以上死亡者が増えれば、メディアに情報が漏れてしまう可能性が高くなる。何としても、早急に殺人犯を捕まえなければならないと、政府は焦りを帯びているようだった。
一方、一ヶ月に一度、キェルケゴールの函が開く日がすぐそこまで迫って来ていた。
「さて、では今回の――三日後の探索についてですが」
幸来を含めた探索に携わるメンバーは、会議室に集まっていた。四角く並べられた机の前に座り、九人の聖徒たちはホワイトボードの横で喋るアリアに目を向けている。
キェルケゴールの函に入る前にはこうして一度、隊長を合わせた聖徒十名が集まり、探索の方針を立てる事になっていた。
「会議を始める前に一つ、通達しておく事があります。つい先ほど決まったばかりの事なのですが……」
アリアの目が、幸来の隣に座った讃良に向く。
「木埜讃良。貴方は今回、探索には参加せず、ここ、境会に残っていて下さい」
「え?」
室内がざわざわと騒がしくなった。言われた讃良本人も、突然の事で戸惑っているようだった。
「理由は何なんですか?」
幸来は手を上げ、アリアに問いかけた。讃良はC隊に所属して以来、一度も探索のメンバーから外された事はなかったと聞いていた。彼女の力は、柔軟かつ強力で、探索の随所で役に立つはずだ。
「えぇ、勿論私も連れて行きたいのです。ですが、少々事情がありまして」
「事情?」
「もう皆さんもよく知っている、聖徒連続殺人の事です」
ぴたりと、話し声が止んだ。
「探索の間、聖徒の数は否応なく境会から減ります。それを、政府の方々はチャンスだと思った様です。つまり――」
「各隊から、隊長以外の隊員で腕の立つ聖徒を一人、ボディーガードとして境会に残す。という事ですか」
アリアの言葉を、佐伯がついだ。
要するに、狙われる聖徒が少ない時に、犯人を捕まえてしまおうという作戦だ。探索に当てる人員を割いてでもこの事件を終わらせたいという、政府の焦りが透けて見えた。
「その通りです。そして、このC隊から出すとなると讃良か東城、佐伯が妥当ですが……佐伯は技術面で、東城は守りの面で、私とは違う役割を持っています。そうなるとやはり……」
「隊長と役割の重複しているわたしが、一番適任と言うわけですね……分かりました」
「ありがとうございます、讃良。詳しい事はまた後でお話しします。では、改めて三日後の探索についてですが――」
聖徒連続殺人。
もしここで犯人を捕まえられなかったとしたら。
一般市民に知れ渡るのは時間の問題なのではないだろうか。
そしてもしそうなってしまった時、果たして今まで通りのシステムを保つ事は出来るのだろうか。今までにない不穏な影が近づいて来ている様に、幸来は感じた。
◇◇◇
「『Forest of Zarathustra』……ツァラトゥストラの森……」
目の前にある巨大な樹木の幹に刻まれた文字を、思わず幸来は反復した。
「これが……ディオゲネスの弾劾への入り口……」
「はい、方角的にも距離的にも、間違いありません」
自信に満ちた声で稲垣が答えた。
讃良の代わりを補欠の聖徒から補充した計十名のメンバーは、前回探索を打ち切ったカントの里を更に奥へと進み、鬱蒼と樹木が生い茂った森の前まで辿り着いていた。
ここまで来るのに、一日半程しかかからなかったのは非常に幸運な事だと、幸来は思った。キェルケゴールの函は、どの出口に出るか予想できないランダムな要塞。カントの里の場所が分からない程遠い場所に吐き出されたとしても不思議ではなかった。
「んー、今回はついてるねー、東城ちゃん」
牧瀬の言う通りだ。ここに辿り着くまでの過程で消費した食料や弾倉の数も僅かだ。うまく行けば、ディオゲネスの弾劾の半分程を調べる事ができるかもしれない。
「油断は禁物です。著名な哲学者、またはそれに関する用語が含まれた町、建造物などは総じて罠や護ノのレベルが高い事が、各国の聖徒からの報告で判明しています」
隊員全員が眼前にある文字を改めて読み直した。
「ツァラトゥストラ……ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」から来てるんでしょうか?」
「間違いないでしょう。ニーチェといえば、哲学者の中では五本の指にはいる程有名です……気を引き締めて行きましょう」
イエス・マム、という声が重複して響いた。
中が見通せない程木々の生い茂った森は、巨大な樹木を過ぎたあたりから急に始まっているようだった。そこまでは、今まで通り灰色のコンクリートの床が続いている。
「隊長」
「どうしました? 東城」
「森の中に一歩入れば、何が起こるか予想出来ません。俺が先頭に立ちます」
千年の盾を顕現し終えて言うと、アリアは暫く考えた後、頷いた。
「分かりました。ただ、貴方だけでは攻撃に転じにくいので、私も横に並びます」
千年の盾の守備範囲は、直径一メートルと約八十センチの円状になっている。いざとなれば自分よりアリアの身を優先して守れば良いと考え、幸来は了承した。
「分かりました、では、同時に入りましょう」
「えぇ……私と東城が先頭に立ちます。援護をお願いします」
後方の隊員が頷いたのを確認し、幸来とアリアは前を向いた。深緑の空間が、大きな口を開けて待っている。
「行きますよ、東城」
「はい」
二人の足が、ほぼ同時に森の中に踏み入った。
その瞬間。
「――っ!」
内臓を絞りとられっるような痛みとともに視界が歪み、周りの景色が一変した。
それは何度も経験をしたことのある感覚に、よく似ていた。
「馬鹿な……これは――」
「……エスケープ・ポッド、ですね」
イ界から脱出する際に用いるエスケープ・ポッド。一度体を原子レベルに分解しているからか、あれを使うと体に奇妙な痛みが走るのだ。
「おそらく同じ原理で動いているのでしょう。ただ、用途が違うようです。私たちは脱出用に使っていますが、護ノ達はトラップとして用いているようですね」
周囲を警戒しつつ、アリアが続けた。まわりは薄暗く、木々が鬱蒼と生い茂っている。どうやら森の入り口から中心部まで、一気に移動させられたようだ。
「他の隊員が来ないところを見ると、どうやら最初に森に踏み入ったものだけに働くトラップだったようですね……。ご丁寧に妨害電波でも飛ばしているのか、通信機器さえ役に立ちません」
イヤホンの根元に付いたスイッチをオンに入れると、砂嵐の様な音が途切れ途切れに聞こえた。確かにこれは、使い物になりそうもない。
「……どうしますか?」
「はぐれた部隊と合流するのが一番いいでしょう。二人だけでこの森の中にいるのは、危険です」
「そうですね……」
森の入り口からどれだけ移動させられたかはわからないが、たった二人でこの森を進むのはあまりにも無謀というものだろう。
しかし――
「東城、左です!」
アリアが声をあげたのとほぼ同時に、幸来は千年の盾を起動した。空中で止まった弾丸の数は三つ。僅かに聞こえる足音から察するに、他にも数名の護ノが潜伏しているだろう。だが、この程度の人数ならば問題にはならない。
「東城、迅速に制圧し、部隊との合流をはかります。十分以内にけりをつけましょう」
「了解!」
護ノはSEROと違い、痛みを感じ、言葉も喋る。捉え、拷問すればここが森の入り口とどれ程離れているのかも洗いざらいに吐いてくれるだろう。
射られた矢の如く駆けだしたアリアとは逆の方向に、幸来は走り出した。アリアの向かった先は比較的木々が多く、敵の狙撃から身を隠しやすい。対してこちら側は見晴らしがよく、銃撃を避ける術がない。
一瞬のうちにそれを判断し、戦いやすい場所へと赴く事が出来たのは、アリアという圧倒的な戦力が横に居たからだと幸来は感じた。
速度に緩急をつけ、行動を読ませない不規則な走りで敵の眼前まで迫った幸来は、右手で千年の盾をかざしつつ、逆の手で銃を発砲した。
敵の数は三人。不意を突かれたはずの銃撃を防いだことによる精神的なアドバンテージを鑑みれば、倒す事が苦にならない人数だった。
(……おかしい)
千年の盾で殴られ、数メートル吹き飛んだ敵の姿を視界の端で捉えながら、幸来は胸の奥に引っかかりを覚えた。
(弱すぎる)
轟音と悲鳴が遠くから聞こえた。音の種類から判別するに、アリアが樹木を幹から切り、護ノ達の上に倒したのだろう。最後の一人を死なない程度に気絶させ、一息つく。
こいつからは後で、情報を聞きださなければいけない。アリアの向かった先にはこちらよりも多くの護ノがいたらしく、まだ戦闘が続いていた。叫び声の声質からアリアが圧勝しているのは確実だった。
(なんだろうな……)
仮にもここはツァラトゥストラの森の中だ。これだけ大掛かりな仕掛けが施された場所にも関わらず、敵が非常に貧弱だった。
(さっきから、嫌な感じがする……)
常に背中に刃物を押し当てられている様な、無言の圧力。殺気ではない。ただそこに、何かがあるのだ。
(森の奥……?)
知らぬ間に流れていた生ぬるい汗をぬぐい、薄暗い樹木の密集した地帯に目を向けた。
呼吸が、乱れる。
(何か……光って――)
一瞬見えたかに思えた赤い光は、しかし目を凝らした頃には消えてなくなっていた。
自分の見間違いだろうか。
早まり続ける鼓動を抑えようと、深く、深く息を吸う。
「っ!」
その時。
有らん限りの力で後ろへと飛んだ幸来の行動は、半ば本能的な物だった。
自分が何故危険を感じたのか、一瞬判断がつかなかった。
しかし次いで、爆音と共に、流星の如く自分の立っていた場所に飛来した
それを見た時
(なんだ、これ……!)
幸来は自分の行動が正しかった事を悟った。
土煙の中、地面にできた無数の亀裂の上に立っていたのは、幸来より三倍以上も大きな、機械だった。
(これは……SERO……か?)
二本の足で立ち、巨大な腕を持った人型の機械は、幸来が見た事もない程の大きさと形状であったが、頭部や、装甲の具合がSEROに酷似していた。
だが、突如現れたそれを観察することが出来たのは、ここまでだった。
頭部についた、目を模倣したと思しき赤い光が幸来を捉えた瞬間、巨大なSEROが動き始めた。
「危……――!」
巨体には似合わぬ程の早さで、太い腕が的確に幸来の真上へと振り下ろされた。横へと転がり回避するが、腕と地面が激突した振動で、体勢が崩れる。
(くそ、馬鹿力がっ!)
足に力を入れしっかりと踏ん張り、左手に短刀を顕現する。これだけ頑丈そうな装甲を持った相手に、小型の銃では分が悪い。関節部分と思われる僅かに内部の構造が見えている所に、隙を見て刃物をねじ込みつつ、千年の盾で殴るしかない。
薙ぎ払われた右腕をバックステップでかわし、一呼吸と空けず地を蹴り、巨体の懐へと入りこむ。
(よし、こいつがどれくらい効くか――)
隙だらけになった腹部の関節部へ向かい、刃物を突きいれようと左腕を引き絞った。いや、引き絞ろうとした。
(違うっ!)
懐に入った事で分かった内部からの駆動音が、幸来の行動を止めた。背中に悪寒が走るのを感じ、思い切り横へと飛ぶ。
同時に、幸来が関節部だと思った場所から、赤い閃光が迸った。真横からでも見える強烈な光。間違いなく、レーザー銃だ。
(なんだよ、あの桁外れの出力……!)
レーザー光の威力など、せいぜい人の肌を焼く程度の物のはずだ。しかし今、目の前で打ち出された赤色の光は、数メートル先の木の幹を半分ほども抉り取っていた。
バランスの取れなくなった樹木が、ゆっくりと重力に引かれ、地に倒れた。その様を確認する間もなく、巨体がまた動いた。
奇妙な機械音と共に右腕を振りかぶり、
「ちっ――!」
突きだした。たったそれだけの動作で、空気を揺るがす程の速度と威力を持った機械の拳は、幸来に回避の間すら与えなかった。
左手の短刀を捨て、両手で千年の盾を構え、重心を下へと落とす。考えられる限り最高の防御姿勢。
唸りを上げて轟来した拳が、千年の盾に、触れた。
それを視認した直後、抗いきれない衝撃が幸来を襲った。
足は地を離れ、脳天は揺さぶられ、体は宙を舞った。
(化け物だ……)
たった数手の攻防ではあったが、幸来は確信した。
近づけば光線。遠ざかればあり得ない威力の拳。弾く事は出来たが、衝撃までは殺し切れない。
受身を取る事も出来ず、無様に地に叩きつけられた。
肺が酸素を求めて痙攣している。
しかし何故か、空気が気管を通らない。
なおも肺は酸素を求め、嘔吐感を伴った咳が捻りだされた。
視界は涙で歪み、体は言う事を聞かない。
思考すらままならない状態で、幸来は迫りくる大きな影を見た。
咳が、痙攣が止まらない。
(待てよ)
あと少し、あと少しで、体に力が入る。そうすればまた、戦える。
巨大なSEROは止まらない。
悶える、小さな命を刈り取ろうと近づいてくる。
巨体が足を振り下ろす度、地響きが横たわる体に伝わる。死の音が、一歩、また一歩。
やがて、波打つ視界の中、太い右腕が降りあげられた。
幸来は――眼をそらさない。
生きる希望を、まだ失ってはいない。
(かっこ悪いけどな……)
震える口が、僅かに上がる。きっと、苦笑いだ。
(助けられるのは、さ)
焦点を結び始めた先で、振りあげられていたはずの右腕が、ちぎれ飛んでいた。薄暗い森の中でも美しく輝く金髪が、さながら剣筋をなぞっているかの様に見えた。
安堵の念が、幸来を包んだ。片腕を失くしたSEROなど、アリアにとってはただの大きなガラクタに等しい。彼女は強い。本当に。
ようやく落ち着いてきた呼吸と共に、体に力を入れる。
「え?」
その時、発砲音が聞こえた。 アリアは銃を使わない。
胸が、ざわつく。
顔を上げる。
幸来が目を放した一瞬の隙に、状況が変わっていた。
片腕を振り回すSERO。片足を引きずり、それを避けるアリア。
そして、銃を構える、一人の護ノ。
(あいつは俺が気絶させたはず――)
自分の力加減が弱すぎたのか、はたまた、護ノの回復が早かったのか、それとも、思っているよりも時間が経っているのか。
そんな事はどうでもよかった。
どれでもよかった。
目の前で、SEROの左腕に吹き飛ばされたアリアを見た瞬間。
「隊長――――――――っ!」
幸来は駆けだした。こちらへ飛ばされてきたアリアを抱え、腰に付けたポーチから発煙弾を取り出し、投げつける。煙が噴出し、辺りを白く染め上げた。
さっきの自分と同じ様に咳と痙攣で喘ぐアリアを抱え、走る。
どこにこんな体力が残っていたのか疑問に思う程の早さで木々の間を走り抜け、丁度二人分程のスペースが空いた木の洞の中へと入り込んだ。




