原稿用紙 裏
さて、昔話を始めましょう。
私には妹がいました。小さくてコロコロとよく笑う、とても可愛らしい子でした。
人当たりが良く、小学校に入ると本当に友達を百人作って私たち家族を驚かせたものです。
学校でも人気者でした。学年が上がるにつれ、あの子は大人びた魅力を兼ね備える様になり、中学生になる頃には学校のアイドルみたいになっていました。
そんな自慢の妹は、他の誰よりも私や、家族を大事にしてくれました。いつだって私たちを優先してくれました。皆の憧れである妹が私たち家族を一番に好いてくれている。どこか優越感にも似た幸せを、私は感じていました。
けれど、幸せはあっという間に手の中から零れ落ちて行きました。
幸せと辛いという漢字が、たった一本の線の違いしか無い様に、幸福な日常は簡単に崩れ去ってしまったのです。
妹は死にました。
とても不幸なことが重なったのです。
学校の帰り道、左折した車が妹のこいでいた自転車に軽く接触しました。よろめいた妹はアスファルトに強く頭をうち、大量の血を流しながら、気絶しました。
運転手は気付かず、そのまま走り去ります。
しばらくして通りがかりの人が呼んでくれた救急車は中々受け入れ先を見つける事ができず、ようやく搬送された時にはもう、手遅れでした。
接触した車の運転手は何度も謝ってくれました。
大量のお金もくれました。決して危ない運転ではなかったようですし、それから毎年お墓参りに来てくれていましたから、いい人なんだと、思います。
いい人って罪ですよね。
ところで、妹が生死の境目をさまよっている時、一人の知り合いがその場面に遭遇しました。
その人は私の友達で、妹の事もよく知っていました。
けれど、その子は何もせず、その場から走り去り、家に帰りました。
後から聞いた話ですが、怖かったそうです。沢山血が出ていて、いつも元気な妹がぴくりとも動かなくて、どんどんと冷たくなっていくのが、手に取るように分かるようで。
仕方がありませんよね。私たちはまだ、子供ですから、正しい選択を常に取る事なんて、できません。
しかし私は、思わずにはいられません。もしあの時、少しの勇気を持って、救急車を呼んでくれていれば、妹は助かったのではないかと。
妹に怪我を負わせたのは、運転手です。
でも、私の友達も間接的に彼女を死にいたらしめたのではないでしょうか?
どうなんでしょうね?
分かりません。
分かりません、分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません分かりません。
誰が悪いのですか?
誰が悪なのですか?
一体私は、誰を恨めばいいのですか?
妹が倒れた時に気付かなかった運転手?
恐怖に負け、何も知らないふりをして逃げ帰った友達?
中々受け入れ態勢が整わないような病院?
誰を裁くべきなのか、それすら曖昧なこの国の法?
そこまで考えて、私は思いました。
もし、妹を殺したのが、絶対的な悪であったなら、どれ程よかったかと。
それだけを憎み、恨み、負の感情をぶつけるだけで良かったのではないかと。
何度でも言いましょう。
議論の余地も無く、それこそ、百人に聞けば百人が悪だと答える存在が、この世には必要なのです。
私の様な人間を、これ以上生み出さない為にも。




