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瓶詰魔女  作者: 日向夏
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できれば迅速にかつ焦らずにやるべきこと

 私は運動音痴だ。多少のランニングにも息を切らし、足ががくがくになる。そして、頭の中では理解できるが咄嗟の反応ができない。そういうわけで、私は数秒後におとずれるであろう挽肉になる未来を受け止めるしかできなかった。


 たぶん水死体の次に嫌な死に方かもしれない。醜い私のミンチを他人にさらけ出すのは嫌だと思った。きっと業者に嫌がられながら片付けられていくのだろう。


 電車のライトが眩しくて目を瞑っていたのは、何秒くらいだろうか。とうに自分がミンチになり、無様に線路にこびりついているはずの時間はたったはずだった。

 一瞬にすりつぶされた私の身体に痛みはなく、その点では安楽死といえるのかもしれない、と思っていたら意外な声が聞こえた。


「だ、大丈夫か?」


 息を切らしながら言ったのはきれいな声だった。発育途中の少し出張った喉仏が見える。それから上に視線を移動すると、柔らかさを残した頬、荒い息を吐く唇、形良い鼻筋が見えた。体毛が薄いのか、それとも二次性徴の途中なのだろうか、髭らしき毛根は間近でも見えなかった。


 桜木優がそこにいた。


「もう少しだったのに」


 姫野は線路の上にたたずんでいた。私は線路脇に転がって、桜木優にくるまっていた。彼は私をかばったためか擦り傷ができていた。たぶん、数日できれいに治ると思うとほっとした。あとが残るようなものではいけない。


 私が先ほどまで立っていた場所には急ブレーキをかけた電車があった。ここは通過駅のため、スピードを緩めないまま過ぎ去っていくはずの電車は、火花を散らしてなんとか止まったらしい。金属の焼けた匂いがした。


「まあ、いいか。やりたいことはやったし」


 姫野は天然パーマがかかった髪を揺らして、駅のホームを見た。群衆の中で一人、青白い顔で地面にへばりついている女がいた。その姿はどこか見たことがあるようなないような気がした。でも、年齢がさほど私と変わらないような気がして、着ている服を制服に置換して考えたら誰だかわかった。

 先週から登校拒否しているクラスの女子、金本だった。やつれた顔とくたびれたスエットを着た姿は、クラスであれほど偉そうにしていた人物には思えなかった。


 彼女の手は、駅員につかまれており、それが何を示しているのかわかった。

 私を突き落したのは金本だった。


 姫野は体重を感じさせない動き、いや身体を浮かせた動きでホームの彼女の前に立つ。やつれた元いじめっこの顔は、さらに歪み、私が見たくもない醜悪な形になっていた。


「私じゃない、私じゃない、私じゃない!」

 

 耳を塞ぎたくなるような声は駅のホームにこだました。姫野はくすくすと笑って金本にささやく。


「うそだあ。やったでしょ? 私を川に突き落としたように。だから来たんでしょ? とどめを今度こそ刺すために?」


 川に突き落とした、その言葉に私は夏休みの事件を思い出す。台風で増水した川で溺死した事件だ。クラスメイトの顔すら覚えていない私にとって、同じ学校の誰かが死んだとしてもまったく実感がわかず、始業式の校長の話が長いとしか感じなかった。だから、記憶にとどめていなかった。


「怖かったんだよね、自分がいじめられる側の人間だって知られるのが。だから、もう一度殺そうとしたんだよね? 私と間違えて、冲方さん押しちゃったみたいだけど」


 姫野は金本のことを知っていた。金本が小学校時代はいじめられっこで、だから中学にあがってはそんなことがないように気丈に振舞っていた。逆に、ほかの生徒をいけにえにして自分がいじめる側に立っていた。学校を私立から公立にかえて、小学校時代の事を知るのは同じ私立に通っていた姫野だけだった。


 姫野の言葉にさらに顔をゆがめられた金本は、駅員に連れて行かれた。駅員の耳に姫野の声は聞こえない。姫野の姿は見えない。それどころか、周りの群衆の大半が見えていないことだろう。影のないものたちは憑代を求めて、駅員に連れて行かれる発狂する金本を追いかけていく。姫野もまたそれについていくのだ。


「助かってよかった」


 そばにいる青年の声が耳にかかった。こういう場合、お礼をいうのが普通の反応なのだろうが、私は彼の声にぼんやりと耳を傾けていた。その安堵とともに憂いをひめた表情は、今すぐ瞬間冷凍して永遠のものにしてしまいたくなる。


 思わず私の手は彼の首に手を回した。ここで彼の首を斬り落としたらどうなるのだろうか。きっと銀盆にのせてサロメのごとく接吻するに違いない。

 それもまた悪くないと思ったが、均整のとれた身体が首と離れてしまうのはもったいないと思った。それに、うまく血抜きをしないと加工には適さないので、その案は却下しないといけない。


 電車から出てきた乗客や新たに集まってきた駅関係者、そして、影のない肉体のない者たちに囲まれながら私は思った。


 本当にきれいな生き物だなあ、と。






 事故から一週間、あれから私の周りは大騒ぎになった。女子中学生が同級生を殺そうとした、そして、他に余罪があったことも警察の調べでわかってきた。私が狙われた理由というのは、姫野を殺した現場を目撃したということになっているみたいだ。ただ、船をこぎながら話を聞いていただけだったのだが、うつむきながら頷いたと関係者は思ったらしい。

助けてくれたのは芸能人だったということも、かなり大きな要因である。普段、私を毛嫌いする妹ですら、私に媚を売ってくるくらいだ。事件から、宗旨替えして桜木優のファンになったらしい。


 両親が学校を休みなさい、といったが私は三日後から学校に行き始めた。別にショックなど受けていないし、それよりもしなくてはいけないことがたくさんあった。

 事件のせいで学校中から注目されてやりにくかったが、別に方法などいくらでもある。保健室にいきたい、と言えば先生は理由を言わなくてもゆるしてくれた。むしろ顔色をうかがうように私を見ている。前の担任はしばらくお休みで、今いるのは副担任だ。私は真綿という名前でありながら、腫物のようにあつかわれている。それは、以前からあったことなので気にする必要もなく保健室にいった。

 保健室に行っても私の求めるものはなく、しかたないのでそのまま帰ることにした。そのまえに寄り道をしなくてはならない。

 呼び出されていたことを思い出した。






 家に帰る前に私は例の廃工場を目指す。時間にはまだ早すぎるが、なんとなくそこにいる気がした。

 影のない連中がうようよとこの周りに集まってきていたからだ。

 近くのコーヒーショップでアイスココアを二つ購入していく。 


 桜木優は今日も美しく廃屋にたたずんでいた。その周りには多くの人が集まっている。いや、正確には人であったものだ。影のない、実体のないそれは彼の美しさと優しさに誘引されてやってくる。

 彼の魅力に生き人も死人も関係ない。生まれついての花である彼は、たとえ芸能界なる魔窟に入らなくとも、蝶や蜜蜂を集めていただろう。問題は、それだけでなく蠅や虻まで引き寄せてしまったことだ。彼の能力は、そこから引き出されていったのかもしれない。それともまた、その能力があるからこそ、より誘引力を高めるために芸能界に入ったのかもしれない。そこには、彼なりの考えと覚悟があったのかもしれないが、私が知る必要などない。


 私もまた、彼と同じ能力を持っていた。一般的に霊能力と言われるそれだ。私の場合、他人にそれほど興味を持たないため、彼ほど日常生活が困ったことはない。むしろ、生き人と死人の差など、影があるかないかの差だ。最初、桜木が女の霊の首を絞めているときに、女を生き人と勘違いしたのは桜木のせいだった。私以外今までそれらを見える人に出会ったことがなかった。生き人が死人の首を絞めることができないという先入観からだ。

私が普通じゃない理由の一つだ。影のない人を見ることは、祖父に虚言癖と言われ疎まれた原因である。


 毎朝、図書室にいる人たちのほとんど影がない人たちで、自分から話しかけない限り相手も反応はしない。私のあまりに当たり前に死人、わかりやすく言えば幽霊を受け止めている姿は、幽霊を見えない相手だと勘違いさせるのに十分だったらしい。だから、姫野が私に話しかけていることに反応する姿を見て、ここぞとばかりに群がってきたのだろう。あわよくば道連れにしようと考えて。結局、生贄になったのは金本で、彼女がどうなろうか私にはわからない。桜木優はなにかしらやっているのかもしれないが、私には関係ない話だ。ただ、働き過ぎでやつれることだけは避けてもらいたい。

 

 彼はそういうわけで私を見捨てることはできなかったようだ。彼は仕事の合間に私を呼び寄せては、私に憑りついた霊たちを浄化させている。強行的な方法をとる場合もあれば、優しく諭す場合もある。前者はすでに終えて、今彼の周りにいるのは愚痴を聞いてもらうことで浄化をさせてもらおうとしているものたちだ。

 せっかく事件のこともあり、事務所の社長から休暇を増やしてもらったようなのに、ご苦労なことだ。

 でも私には都合がよかった。


 あの時、桜木優が女の首を絞めていたのは、強行的な浄化であった。廃工場になったこの場所でモデルだった彼女はストーカーに殺されたらしい。工場の周りにはられたキープアウトの黄色と黒の紐はそのときの名残で、彼女の遺体は自殺したストーカーとともに腐敗した状態で転がっていたという。発見したのは、廃工場をたまり場にしていた不良集団だったらしく、それからこの場所が根城として使われることはなくなったらしい。


 桜木優はアイドルになる前、モデル時代に彼女に世話になったという。彼はモデル仲間だった彼女を見つけ、どんな形であろうと浄化させてあげたかったみたいだ。


 優しい青年は、彼なりの優しさで幽霊を再び殺してやったのだ。


 私はそれを少し離れたところで眺めている。ココアを桜木優に渡し、私もそれをちびちびと飲みながら、ろう人形の本と液体樹脂の本を読む。どちらも美術書なのだが、原材料がしっかり書かれているのがよい。制作過程も書かれていればなおよかった。


 読書の合間に彼を見ると、疲れているのだろうか、それとも私の持ってきたココアを素直に飲んだためか、船をこいで眠っている。女性週刊誌で薬物をやっていると書かれていたのはデマだったようで、父からくすねてきた少量の睡眠薬でこのとおり眠った。これだけ無防備な姿だと、私が後ろから筋弛緩剤を打っても何も抵抗できないだろう。


私と彼以外は実体のないものたちだらけのこの廃工場は、作業をするにはおあつらえむきの場所に違いないのだが残念なことに材料がない。貧しい中学生の手もとにあるのは、薬局で買ったグリセリンと学校からくすねてきた塩化亜鉛くらいだ。まだまだ、処置を施すには全然足りない。道具も技術も知識も足りない。私が欲しいのは、美しい完全なものである、下手にあせって単なる肉塊を作るつもりはない。


 無駄なものをすべて排除し、きれいに固めて、瓶詰にしたい。すべての処置を終えたら、大きなガラスに入れて液体樹脂で固めるのだ。空気の泡を一つも入れないように慎重に作業しないといけない。空気に触れず風化しないそれをそっと私は眺め続けるのだ。いくつも置いたガラスの瓶の宝物の中で一番素敵なものとして。


 私は本を置き桜木優の前に立つ。寝息をたてる彼のまつげは長く、さらりとした髪が頬を撫でている。また昨日よりきれいになった気がする。いつかは衰えるはずの彼の肉体は、まだ成長過程にある。

 タイミングは大切だ、まだまだピークは先かもしれないし、今が一番いい状態なのかもしれない。できれば、もっともっと彼が美しく育って、私はそれまでに必要なものをすべて揃えられたらいいと思う。

 

 私は彼の頬に触れようとしたが、思いとどまって三センチほどの位置で指先を止める。せっかくのあどけない寝顔が少しでも歪んでしまわないか気になったからだ。

 彼の前にある傾いた棚の上に座り頬杖をついて彼を見る。瓶詰にするなら、この寝顔で固定するのがいいかなあ、と思う。


 最高の素材を前に、私はにやにやとずっと観察し続けていた。





あとがき


これは裏面のお話で、表面は昼はアイドル、夜はエクソシスト見習いの少年が悪霊退治をするお話のはず。ヒロインはきっと霊能力が強くて引き寄せてしまうけど、それを払う能力のないか弱い女の子のはずですね。


無駄なアイドル設定はこっから来ております。

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