第6話 西の採掘場
西の採掘場で、工兵が導管の継ぎ目を締め直す。その護衛が、今日のリゼルの持ち場だった。
西門を出て半刻ほど馬を進めると、道の右手に灰色の倉庫が見えてきた。
屋根は落ちていない。壁も崩れていない。ただ扉には太い板が釘で打ちつけられ、その上から貼られた聖堂の封印札が三枚、日に焼けて桃色に褪せている。倉庫の脇から谷へ下りていく石畳の荷役道には腰の高さまで雑草が伸び、道の入口に張られた縄に木の札が下がっている。立入禁止。
壁の下のほうがくるぶしの高さまで灰色に染まっていた。
「去年の春です」
隣で馬を並べていたアディラが言った。
「西方迂回路の継ぎ目から蝕が漏れて、この谷の下まで流れました。量は多くありませんでした。それでも倉庫の荷は全部焼き捨てて、荷役道は封鎖です」
「倉庫の持ち主は」
「商売をたたんで聖都へ移りました。荷役の者たちは半分が東の主導管の工事に回って、残りは知りません」
リゼルは倉庫の扉を見た。板の隙間から中の暗がりがのぞいている。棚の影のようなものが見えた。空の棚だ。
量は多くなかった、とアディラは言った。多くない量で、これだ。
リゼルは手綱を軽く引いて、馬を先へ進めた。
*
旧採掘場は山腹に口を開けた坑道と、その下に広がるすり鉢状の盆地でできていた。
盆地の底に蝕が溜まっている。目に見えるわけではない。ただ盆地の縁に立てられた検蝕紙の杭が、内側に行くほど濃い灰色に染まっている。西方迂回路の導管は山の向こうから坑道の中を通り、この盆地へ蝕を吐き出す。
坑道の入口には鉄の弁が三基並び、その脇に、樽を横倒しにしたような黒い鉄の胴が据えられている。胴の腹に針の付いた丸い計器が嵌まっている。
「あれが蓄勢槽です」
出迎えた工兵の頭が煤だらけの手で胴を叩いた。
「環塔の予備核からの供給が切れても、しばらくはこいつが弁を動かします。年寄りですがね」
「しばらく、というのは」
「設計じゃ十四分。今どれだけ持つかは、技師長が測りたがってます」
工兵頭は肩をすくめた。
「測るには一度、供給を切らなきゃならない。巡潮の三日前に切りたいと言える度胸のある奴はいませんよ」
リゼルは計器の針を見た。真ん中より少し右で止まっている。それが多いのか少ないのか、リゼルには分からなかった。
「今日の作業は」
「坑道の中の継ぎ目を二か所、締め直します。去年漏れたのと同じ種類の継ぎ目です。日が落ちる前に終わらせたい」
「入口は私たちが持ちます。始めて」
*
坑道入口の結界に鈍い衝撃が伝わったのは、作業が始まって一刻ほど経ったころだった。
二度、三度。
リゼルは坑道の口に張った結界へ、手のひらを向けたまま振り返った。盆地の縁の岩陰から灰色の塊が這い出してくる。犬ほどの大きさで、脚が八本。背中の甲殻が導管と同じ鉛色をしている。
管喰いだ。蝕に変質した岩虫が導管の継ぎ目に溜まる霊素を嗅ぎつけて集まってくる。
「数は」
「十二……いえ、十五! 縁の向こうからまだ来ます!」
見張りの兵が叫んだ。
管喰いの群れはまっすぐ坑道の口を目指している。坑道の中に導管がある。中には工兵が八人いる。
先頭の数匹が結界に取りつき、顎を立てた。噛み砕こうとしている。リゼルは結界の厚みを増した。手のひらに石を押し返すような重さが返ってくる。
そのとき、坑道の右側の壁がひび割れた。
岩の継ぎ目から鉛色の脚が突き出している。結界を迂回して、坑道の側壁を掘り抜いてきた個体がいた。
「右坑道、退いて!」
中で工兵が工具箱を投げ捨てた。崩れた岩の向こうへ、何人かが駆け出してくる。
ひとりだけ、出てこない。
「足を挟まれてる! ハンスが!」
「私が行きます」
アディラが腰の剣を抜いた。
リゼルは坑道へ踏み出しかけた足を止めた。自分が中へ入れば、入口の結界を保つ者がいなくなる。
「お願い。私は入口を押し返す」
「承知!」
アディラが坑道の暗がりへ駆け込んでいく。
リゼルは結界を前へずらした。
光の壁が坑道の口から盆地のほうへ滑り出し、取りついていた管喰いの群れをまとめて押し戻す。甲殻が石の上を削る音がした。三匹が転がり、残りが脚を踏ん張って抵抗する。
「魔導兵、前へ! 盾は膝をついて!」
前衛が盾を地面へ打ちつけて並んだ。その後ろで魔導兵が三人、詠唱を始める。
先頭の一匹が押し戻される結界の下端に顎をかけた。地面との隙間に潜り込もうとしている。魔導兵の放った火球がその背中で弾けた。甲殻に焦げ跡が残っただけだった。
「背中は駄目。射線を上げないで、下から狙って!」
魔導兵が杖の先を下げる。
リゼルは結界の左端を、内側へ曲げた。
盆地の縁と結界の間に袋のような空間ができる。押し戻された管喰いがそこへ流れ込み、詰まった。もう一枚、右から光の壁を立てる。二枚の壁に挟まれた群れが身動きを失った。どちらの壁も、兵の並ぶ側だけは膝の高さで止めてある。
逃げ場を探して、一匹がのけぞった。低い壁の縁から腹が見えた。
「今!」
火球が三つ、続けざまに露出した腹を撃ち抜いた。一匹が裏返り、脚を縮めて動かなくなる。隣の一匹が仲間の死骸を踏み越えようとしてのけぞり、そこへまた火球が入った。
壁を一枚ずつ狭めていくと、挟まれた群れが互いの甲殻を軋ませた。
こめかみが脈打ち始めた。二枚の壁を同時に動かすと頭の芯が熱くなる。昔はもっと平気だった。
地面が大きく揺れた。
坑道の奥で岩が崩れる音がした。
「アディラ!」
「まだ生きています! あと少し!」
坑道の暗がりから声が返ってくる。リゼルは振り返らなかった。
「分かった。こっちも終わらせる!」
結界を押し込み、二枚の壁を閉じていく。挟まれた最後の数匹が甲殻ごと石に押しつけられた。爪が岩に食い込み、一本ずつ砕けていく。
最後の一匹が裏返ったのを見届けてから、リゼルは両手を下ろした。
光の壁がほどけて消える。盆地の縁に鉛色の甲殻が十八、転がっていた。
*
坑道の口からアディラが工兵を背負って出てきた。
背負われたハンスという若い工兵は、右の脛から下を布で縛られている。顔は真っ青だったが、目は開いていた。
「骨が折れています。命に別状はありません」
「よくやったわ」
アディラは返事の代わりに一つうなずき、ハンスを担架へ下ろした。それから剣の柄についた岩の粉を、黙って払った。
リゼルはハンスの脛の上に手をかざした。折れた骨の周りに霊素を通し、腫れと痛みだけを引かせる。骨を繋ぐのは聖都の医師の仕事だ。ここでやれば、曲がって繋がる。
「……聖女様」
ハンスがかすれた声で言った。
「継ぎ目は締めました。二か所とも」
「あの崩れた中で?」
「片方は、挟まれる前に。もう片方は、挟まれてから手が届いたので」
リゼルはハンスの顔を見た。青い顔のまま、得意そうに口の端を上げていた。
工兵頭が坑道から出てきて、煤だらけの顔で継ぎ目の様子を報告した。二か所とも締まっている。漏れはない。
「見事です」
リゼルは工兵頭とハンスと、坑道の口に並んだ工兵たちを順に見た。
「あなたたちの仕事で、巡潮の夜にこの継ぎ目は持つ。私の結界より、ずっと長く」
工兵たちが顔を見合わせた。誰かが鼻をこすった。工兵頭が煤の手で頭をかいて、余計に顔を黒くした。
盆地の上を風が吹いた。縁に立てた検蝕紙の杭が一斉に揺れた。
帰り支度をする工兵たちの間から、調子の外れた鼻歌が聞こえてきた。担架の上のハンスが「音、外れてます」と言い、坑道の口で笑い声が上がった。
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