表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

第2話「鉛筆は剣より強し」

意識が戻るのは、電源が入るのとは少し違う。


暗い場所に沈んでいて、水面に向かって浮き上がっていくような感覚がある。


最初に音が戻る。虫の声。次に重さ。体の輪郭が戻ってくる。足の裏に草の感触。最後に、光。


目を開ける。


星があった。昨日と同じ——昨日という概念が正しいのかは分からないが、前回意識があったときと同じ、多すぎるくらいの星空。金色、白色、淡い青色。空の端から端まで。


大きな木の下にいた。ケヤキに似た木。丁寧な木目。広がった枝の隙間から星が覗いている。


何も変わっていない。


——と思ったが、一つだけ変わっていた。


根元。


木の根が地面に潜り込む、その隙間。昨日は何もなかった場所に、何かが生えている。


しゃがむ。


双葉だった。


小さな二枚の葉。暗い緑色。茎は細くて、虫の声の振動だけで揺れそうなほど頼りない。草の間に埋もれるようにして、ひっそりと立っている。


ここは昨日——川から拾った芯を何となく地面に刺した場所だ。シャーペンの芯。透明な筒に入った、細い黒い棒。川の水底に落ちていた。拾って、何となく持って、何となく地面に刺した。何となく。理由はなかった。


それが、芽を出している。


植物が生えるシステムがこの世界にあるのかは知らない。草が「生える」のを見たのはこれが初めてだ。


触ろうとして——手を止めた。


折れそうだった。触ったら折れる。たぶん。茎が細すぎる。


手を引いた。しゃがんだまま、眺めた。


双葉は揺れていた。風はないはずなのに。昨日もそうだった。

風がないのに草がときどき揺れる世界。

原因不明の揺れ。バグか仕様か——開発者の気持ち次第、らしい。


双葉は揺れている。揺れて、止まって、また揺れる。


しばらく眺めた。


時間の感覚が曖昧だ。どれくらいしゃがんでいたか分からない。分からないが、不快ではなかった。


---


足音が聞こえた。


しゃくしゃく。しゃくしゃく。速い。走っている。全力で。テクスチャの境界を踏むたびにブツッとノイズが混じるが、お構いなしに走っている。


振り向く前に声が来た。


「レンーーーーーっ!!」


全力疾走のひまりが突進してきた。パーカーのフードがはためいている。両手に大きな木箱を抱えている。木箱を抱えたまま全力疾走しているせいで体が左右にぶれている。足元の草のテクスチャが処理落ちで一瞬灰色格子になって戻った。


「来——た——!!」


急ブレーキ。足が滑る。草が散る。木箱を地面にドスンと置いた。土煙——は出ない。パーティクルはおやすみハウスの煙突で使い切ったらしい。


ひまりは肩で息をしている。顔が赤い。走りすぎだ。


「……お前、ログインしてすぐ走ってきたのか」


「だって! 早く見せたくて!」


ひまりが木箱をばんばん叩いた。


「戦闘システム実装しましたーーー!!」


両手を広げた。星空に向かって。効果音はない。BGMもない。虫の声だけが鳴っている。


「……朝三時まで頑張った!」


「学校は」


「行った! ちょっと寝た! 五限で」


「授業中に寝るな」


「だって数学だし」


「数学だからこそ起きてろ」


「プログラミングはできるもん!」


「プログラミングと数学は別物だろ」


「似てるよ!」


「似てねえ」


ひまりが木箱の蓋に手をかけた。蓋の表面に手書きフォントで「ひまりの武器庫」と書いてある。「武」の字が微妙に間違っている。


「じゃーん! 開けます!」


蓋が開く。


中に五本の武器が並んでいた。


ひまりが指差し棒を召喚した。どこから出したのか分からない。管理者権限で生成したのだろう。透明な棒の先端に赤い三角形がついている。指差し棒のモデリングだけ妙に丁寧だ。


「いきます! ひまり武器プレゼン!」


咳払い。


「一番! ピコピコハンマー!」


木箱から取り出されたのは、おもちゃのハンマーだった。黄色い頭部に赤い柄。握ると手のひらにちょうど収まるサイズ。


振った。


ピコッ。


かわいい音がした。


「かわいいでしょ?」


「かわいいな。で、これ武器なの」


「武器だよ! ATK補正1.4倍! 今回最高火力!」


「見た目と説明が噛み合ってない」


「二番! ブーメラン!」


青い曲線のブーメラン。断面がちゃんと翼型になっている。空力設計は良い。


「投げたら戻ってくる遠距離武器! 唯一の飛び道具!」


「まともだな」


「……ただし、15パーセントの確率で戻ってこない」


「それ武器として致命的な欠陥だろ」


「ロマン枠です」


「ロマンで戦争はできねえ」


「三番! フライパン!」


黒い鉄のフライパン。ずっしりした重さがある。持ち手が木製。


「武器にもなるし、料理にも使えるよ!」


「料理システムは」


「ない!」


「じゃあただの鈍器だろ」


「いつか実装するから! 先行投資!」


「四番は?」


「四番!」


ひまりが木箱に手を入れた。取り出したものが——小さかった。


鉛筆。


黄色い軸。HB。17.5センチ。消しゴムはついていない。尻が平らに切りっぱなし。


「鉛筆! えいちびー!」


「…………」


「リーチは最短だけど、唯一クリティカル判定がついてます! 当たれば一発逆転! たぶん!」


「たぶん」


「五番! ぜったいあたるけどいたくないハンマー!」


最後に出てきたのは、見た目は普通の木槌だった。ただし柄に手書きで名前が書いてある。長い。柄のスペースに収まりきらず、文字が途中からどんどん小さくなっている。


「命中率100パーセント! ダメージ0!」


「存在意義は?」


「ない!」


「ないのかよ」


「飾りです! コレクション用!」


「武器庫に飾りを入れるな」


五本を並べて眺める。ピコピコハンマー。ブーメラン。フライパン。鉛筆。いたくないハンマー。


「剣は?」


「ないよ」


「槍は?」


「ないよ」


「銃は?」


「ないよ」


「……お前のゲーム、まともな武器一本もないのか」


「あるよ! 五本もある!」


「まともなって言った」


「全部まともだよ! ひまりイズム的にはまともだよ!」


「ひまりイズムの基準がおかしいんだよ」


「なんか、違うかなって」


ひまりが笑った。


急にトーンが変わった。さっきまでの声の勢いが一段下がって、少し柔らかくなった。笑顔は笑顔なのに、どこかを見ているようで、ここを見ていないような。一瞬だけ。


「剣とか槍とか、なんか、このゲームっぽくないかなーって」


「…………」


聞かなかった。聞かないほうがいい。その直感がまた来た。パラメータの外から。引き出しの底の、かすかな振動。


「まあいい。どれ使うかは戦ってみてから決める」


「おっ! じゃあ行こう!」


ひまりが五本の武器を木箱に戻して——いや、箱ごと消した。管理者権限。代わりにインベントリのUIが空中に浮かんで、五本の武器がアイコンになって並んだ。


ピコピコハンマーを装備する。握る。軽い。おもちゃだから当然だ。


ひまりが草原の方を指差した。


「あっちにモンスターいるから!」


「モンスターも作ったのか」


「朝三時の成果だよ!」


歩き出す。しゃくしゃく。


---


草原を歩いて——三歩だった。


三歩で足元の草がもそもそと揺れて、地面から何かがポコンと飛び出した。


白い球体。直径三十センチほど。表面がぷるぷる震えている。正面に——顔がある。目が二つ、口が一つ。にこにこ笑っている。丸い目。三日月型の口。全身が微弱に振動していて、近づくと「ぷるるる……」という音が聞こえた。


「出た出た! ぷるりん!」


ひまりが嬉しそうに指差した。


「Lv. 1の初期モンスター! HP10! 攻撃力1! かわいいでしょ!」


かわいかった。認めざるを得ない。にこにこ顔で、ぷるぷる震えながら、歩いてくる。歩いてくるのだが——遅い。異常に遅い。徒歩以下。一歩の距離がこっちの五分の一くらいしかない。ぷるん、ぷるん、と弾みながらじわじわ近づいてくる。


「これが……モンスター……」


「モンスターだよ! れっきとした!」


「全然怖くないんだが」


「怖くなくてもモンスターです! 定義の問題です!」


ぷるりんが体当たりしてきた。ATK1。膝にぽよんと当たった。ダメージの数値は見えないが、何の痛みもない。今のでHPが1減ったのだとしたら、気の毒になるくらい弱い。


ピコピコハンマーを振る。


ピコッ。


ぷるりんの表面が波打つ。にこにこ顔が一瞬ぐにゃっと歪んで戻った。


もう一回。


ピコッ。


ぷるりんが光った。白い光の粒子が散る。散って、星空に混じって——消えた。


足元に何かが落ちた。半透明のゼリー状のアイテム。ほのかに光っている。


「ぷるりんゼリー! HP30回復だよ!」


「倒すのにちょっとした罪悪感があるな」


「にこにこ顔で向かってくるのがポイントなの。殺意ゼロ。純粋。それを倒す罪悪感込みでゲームデザイン」


「性格悪くないか、その設計思想」


「えへへ」


拾ったゼリーをインベントリに入れる。


草原を進む。


十歩ほど歩くとまた足元が揺れた。今度は三体。ぷるりん三匹がポコポコと地面から湧いた。同じにこにこ顔。同じぷるぷる。同じ超低速。


「おっ、三体——」


三体のうち、二体がぬるりと近づいて——合体した。


表面が溶け合う。白い液体が混じるように、二つの球体がひとつに融合していく。サイズが倍になる。いや、倍以上。融合しながら膨張して、直径が一メートルを超え、一・五メートルを超え——


止まった。


直径約二メートル。


にこにこ顔がそのままスケールアップされている。目が人間の頭くらいある。三日月の口が肩幅くらいある。にこにこ。にこにこ笑っている。巨大な白い球体が、ぷるぷるを通り越してずるん、ずるんと脈動している。


「ぷるりんキング!」


ひまりが叫んだ。興奮している。


「やった! 合体するって設定だけ書いて忘れてたのが動いた!」


「やったじゃねえ。でかいんだが」


ぷるりんキングが動き出した。


——速い。


通常のぷるりんとは比較にならない。体が大きいぶん一歩の距離が長い。ずるん、ずるんと地面を弾みながら迫ってくる。にこにこ顔のまま。にこにこ顔が怖い。二メートルのにこにこ顔は怖い。


ピコピコハンマーで迎撃する。


ピコッ。


当たった。表面が波打った。ダメージ——手応えがない。体感でほぼノーダメージ。ATK7のはずだが、HPが600ならそれはそうだ。


ぷるりんキングの体当たりが来た。


顔面に入った。


体が吹き飛んだ。視界が回転する。草の上を転がって、二回バウンドして止まった。体の中心が熱い。HPが大きく削れた感覚がある。数値は見えないが、一発で三割は持っていかれた。


「ごっ、ごふっ——」


「大丈夫!?」


大丈夫ではない。大丈夫ではないが立ち上がる。

ぷるりんキングが次の体当たりの予備動作に入っている。巨大な体が縮こまるように後ろに引いて——ずるん、と前に弾けた。


避ける。横に。ギリギリ。風圧——重さが横を通り過ぎた。


ピコピコハンマーを振る。ピコッ。ピコッ。二連撃。手応えなし。HP600の壁は厚い。

ATK7を何発叩き込めばHP600を倒せる。単純計算で、八十六発。八十六回、あの体当たりを避けながら当てろということだ。


三発目を振ろうとしたとき、横から体当たりが来た。見えなかった。ぷるりんキングは一瞬で俺の横に移動し、方向転換してそのまま突進してきた。速い。腕に直撃。体が横に弾かれて、地面に叩きつけられた。


残ったぷるりん一匹がぽよんと体当たりしてきた。ATK1。蚊に刺されたようなものだが、今はそのATK1が痛い。


もう一発、ぷるりんキングの体当たりを食らった。背中。視界が真っ白に飛んだ。


地面に伏せたまま、体が動かなくなった。


死ぬ。

こんな所で。


画面——視界の端に、赤い点滅。戦闘不能の表示だろう。文字が読めない。意識が遠い。


暗転。


リスポーンした。

大きな木の根元。双葉の横。


「……おっも。重すぎるだろあいつ」


体に痛みはない。HPが全快している。戦闘不能からのリスポーンは全回復らしい。


ひまりが駆け寄ってきた。


「大丈夫? ……ごめんね、ぷるりんキングの強さ設定してなくて、自動スケーリングで——」


「次」


「え?」


「もう一回行く」


立ち上がった。


---


二戦目。


ピコピコハンマーを捨てた。振りが遅すぎる。一戦目で分かった。ATKが最高でも、当てる前に潰される。


ブーメランを装備する。遠距離なら体当たりの射程外から攻撃できる。理論上は。


ぷるりんキングを見つける。さっきと同じ場所にいた。にこにこ顔。ぷるぷる脈動。こっちに気づいて、ずるん、と動き出す。


距離を取る。十メートル。十分な距離。腕を振る。


ブーメランが飛んだ。青い曲線が夜空を切って、弧を描いて——ぷるりんキングの表面に命中した。べちん、と音がして、表面が波打つ。ダメージ、あり。手応えがある。


ブーメランが弧を描いて戻ってくる——


——来ない。


弧を描いたまま、遠くに飛んでいく。星空の向こうに消えていく。小さくなって、小さくなって——見えなくなった。


「…………」


「15パーセント引いたね」


「初投で引くな」


ロスト。ブーメランがインベントリから消えた。遠距離武器がゼロになった。


ぷるりんキングが迫ってくる。距離が詰まっている。走って逃げながらインベントリを切り替える。


フライパン。


振りは速い。ピコピコハンマーより軽くて、モーションが小さい。接近戦向き。


ぷるりんキングの体当たりを横に避ける。一戦目より避けられている。動きのパターンが少し読めてきた。

予備動作がある。体を引いてから弾ける。引く方向で体当たりの軌道が決まる。


フライパンを叩きつける。がんっ。鉄の音。ダメージは通っている。通っているが——軽い。

ATK補正がブーメランとほぼ同じか、それ以下。HP600を削るには回数が要る。


回避。攻撃。回避。攻撃。リズムが出来はじめた。体当たりの隙にフライパンを一発。避けて、一発。避けて、一発。


悪くない。このリズムなら——


そう思っていた途端、体当たりのパターンが変わった。


連続体当たり。一発目を避けた直後に、方向転換なしで二発目が来た。

想定していない。二発目を横に避ける。避けた先に三発目。

避けきれなかった。脇腹に直撃。体が浮いて飛ぶ。


地面に転がる。起き上がる。HPが——残り少ない。体の奥が重い。


フライパンを構え直す。ぷるりんキングが体を引いた。来る。


避ける。


避けた。一発振る。がんっ。


体当たり。避ける。


避けきれなかった。膝。崩れる。


もう一発。


暗転。

また勝てなかった。


リスポーンした。

大きな木の根元。双葉の横。


「……連続で来るのか」


学習した。パターンが増えた。連続体当たりは最大三連。

一発目の方向で二発目が予測できる。三発目は——まだ読めない。次に確かめる。


三戦目。


フライパンで挑む。回避と攻撃のリズムはさらに研ぎ澄まされた。

一戦目で掴んだ体当たりの基本パターン。二戦目で学んだ連続攻撃の軌道。体が覚えている。


しかしダメージが足りない。フライパンのATKでHP600を削りきるには、何十発も当てなければならない。回避しながら一発。また回避して一発。ジリ貧だ。


こっちのHPが先に底をつく。


三度目の暗転。


リスポーン。


「…………」


「……レン」


ひまりの声。心配そうな声。


「大丈夫? ちょっと強すぎた?」


「いや……まだ試していない武器がある」


インベントリを開く。


残っている武器。


ぜったいあたるけどいたくないハンマー——命中率100%、ダメージ0。


鉛筆(HB 17.5cm)——ATK補正1.2倍。基礎ATK5×1.2で、6。

クリティカル率5%。リーチは全武器中最短。


手が止まった。


鉛筆のアイコンを見ている。黄色い軸。17.5センチ。消しゴムなし。


——これだ。


理由を言語化できなかった。フライパンよりATKが低い。リーチは最短。振り数でダメージを稼ぐにしても、最短リーチということは、ぷるりんキングの体当たりの射程内に常に自分の体がある。ゼロ距離で殴り合うことになる。


合理的ではない。


だが、しっくりくる。


鉛筆を選択した。手の中に、17.5センチの黄色い棒が現れた。


軽い。


軽い。フライパンとは比較にならないほど軽い。指先に乗る重さ。手首への負荷がほぼゼロ。モーションが——小さくなる。振りが速くなる。


鉛筆を握った。指先で軸の中央をつまむように持って、くるり、と回した。


一回転。鉛筆の黄色い軸が指の間で弧を描く。先端と尻が入れ替わる。くるり。


もう一回転。くるり。


自然に回った。考えてやっていない。指が勝手にやった。なぜか手が覚えている。

——いや、覚えているはずがない。今、初めて鉛筆を持った。この手は今日まで鉛筆に触れたことがない。


なのに指が知っている。この回し方を。この重心のバランスを。中央よりやや先端寄りを持つと回しやすいことを。


仕様外。


パラメータにない動作。引き出しにない記憶。


指先に残る回転の感触だけが——しっくりくる。理由は分からない。


くるり、と一度回して、順手に握り直す。先端を前に。構える。


「——いちばんリーチ短いよ!?」


ひまりの声。驚きが混じっている。


振り返らなかった。ぷるりんキングの方を見ていた。


「知ってる」


短く答えた。


ひまりの動きが止まった。


一拍。呼吸一回ぶんの沈黙。背中越しに気配だけが伝わってくる。何かを堪えたような——飲み込んだような——


「…………がんばれ」


小さな声。さっきまでと少し違う声。


歩き出した。


---


ぷるりんキングがいた。にこにこ顔。直径二メートル。ずるん、ずるんと脈動している。


距離を詰める。


フライパンのときは間合いの外から様子を見た。ブーメランのときは十メートル離れた。ピコピコハンマーのときは三メートルから踏み込んだ。


鉛筆のリーチは、腕を伸ばして五十センチもない。


つまり——ぷるりんキングの体に触れるくらい近くないと届かない。


体当たりの射程内。常に。一歩の判断ミスで死ぬ距離。


三回の全滅で得たもの。ぷるりんキングの体当たりは予備動作で読める。体を引く方向で軌道が決まる。連続体当たりは最大三連。

一発目が右なら二発目は左。三発目は決まって正面。三発目のあとに二秒の硬直がある。


この二秒。鉛筆で何発入れられるか。

四発。いや、たぶん五発。


走り込んだ。


ぷるりんキングの表面が目の前にある。白い。ぬめっとした光沢。にこにこ顔の口が、間近で見ると裂け目みたいに見える。


体を引いた。来る。


右。


飛び込んでくるぷるりんキングを避け、体を左に倒す。

体当たりが右を通過する。重さがジェットのように空気を押す。白い壁が横を駆け抜けていく。


いまだ。


ぷるりんキングの体が通り過ぎた直後。巨体の背面。ゼロ距離。


鉛筆を突く。


短い。小さいモーション。腕を伸ばす動作すら要らない。手首のスナップだけで先端が刺さる。


手応え。


突く。引く。突く。引く。


速い。鉛筆は軽い。モーションが小さいから、振りと振りの間のロスがほぼない。

フライパンの二倍の速度で連打できる。


ぷるりんキングの表面に鉛筆の先端がめり込むたびに、波紋が広がる。一撃のダメージは6。フライパンより低い。だが手数が違う。


突く。引く。突く。引く。突く。


五発。ダメージ30。


ぷるりんキングが方向転換した。体が膨張するように引いて——来る。


離脱。後ろに跳ぶ。体当たりが正面を通過する。地面が揺れた。着弾の振動が足の裏に伝わる。


すぐに戻る。硬直の二秒。背面に回り込む。


突く。突く。突く。突く。突く。


五発。合計十発。ダメージ60。HP600のうち60。これを10回繰り返す。


ぷるりんキングの二連体当たり。右、左。パターン通り。右を避け、左を避ける。体が覚えている。三回死んで覚えた動き。


懐に入る。突く。突く。突く。


深追いはしない、ぱっと引く。


三連体当たりの三発目。正面。後ろに跳ぶ。ギリギリ。危なかった。白い壁が鼻先を通過した。

風圧で前髪が揺れた。

前髪が揺れるのは物理演算なのか演出なのか。今はどうでもいい。


硬直。二秒。


突く。突く。突く。突く。突く。


「がんばれっ……!」


ひまりの声。遠くから。声が上ずっている。


六十発。七十発。ダメージは蓄積していく。ぷるりんキングの表面に変化が出始めた。白い光沢が曇ってきている。にこにこ顔の輪郭が微妙に歪んでいる。効いている。確実に。


ただ——こっちも削られている。


完全に避けきれていない。体当たりの余波。方向転換時の接触。巨体がずるんと動くたびに、至近距離にいるこっちの体が押される。押されるだけでHPが少しずつ減る。接触ダメージ。仕様かバグかは知らない。じわじわと、体の奥が重くなっていく。


八十発。九十発。


ぷるりんキングの動きが変わった。


速くなった。

残り体力で動作を変えてきやがった。


体当たりの予備動作が短くなっている。体を引いてから弾けるまでの時間が半分になった。

読める。まだ読める。が、体が追いつかない。反応してから回避までの猶予が削られている。


百発。百十発。


体当たりを避けた。避けた——はずだった。巨体の縁が肩をかすめた。体が半回転する。足が地面から離れる。着地。膝をつく。立つ。


百二十発。


とっくにダメージ720を与えているはずなのに、まだ倒れない。

バグか。またバグなのか。

ひまりの声が聞こえなくなっていた。


振り返らなかった。振り返る余裕がない。ぷるりんキングの表面が明滅し始めている。光が不安定に瞬いている。

もうすぐ——あとどれくらいか分からない。HPの数値が見えない。自分のHPも相手のHPも。体感だけが頼りで、体感は「もう少し」と「もう限界」を同時に告げている。


三連体当たり。右——避けた。左——避けた。正面——


まずい。避けられない。


反応が遅い。体が重い。HPが残り少ない。足が地面に貼りついたみたいに動かない。正面からぷるりんキングの白い壁が迫ってくる。にこにこ顔が視界を埋める。


だめだ、避けられない。


——避けられないなら。


足が動いた。


後ろではなく、前に。


ぷるりんキングの体当たりの軌道——その真正面に向かって踏み込んだ。


巨体が通過する。白い壁が左右を通過する。上を通過する。視界が白く染まる。ぷるりんキングの体の中に、全身が潜り込んだみたいな感覚。半透明の膜が全身を包む。


にこにこ顔の表面が、目の前にある。


鉛筆を突いた。


全力で。手首のスナップではなく、腕ごと。肩ごと。体ごと。17.5センチのHBの先端に、体重を全部乗せた。


刺さった。


深く。柄まで。黄色い軸が白い表面に沈んでいく。


画面——視界の中央に、文字が弾けた。


CRITICAL HIT


数字が表示される。桁がおかしい。一、二、三——五桁。


99999


一撃。

ぷるりんキングが震えた。


表面が波打つ。にこにこ顔が歪む。全身がびりびりと振動して、内側から光が漏れ始める。白い光。まぶしい光。亀裂が走る。亀裂から光が溢れる。


にこにこ顔が、最後まで笑っていた。


弾けた。


白い光の粒子が爆発するように飛び散った。細かい粒。星みたいな粒。ひとつひとつが上昇して、空に散って——星空に混じっていく。


どれがぷるりんキングの欠片で、どれが星なのか。


見分けがつかなくなって——消えた。


草原に静寂が戻った。虫の声だけが鳴っている。


勝った。

鉛筆を——指先でくるりと回した。


一回転。自然に。考えていない。指が勝手にやった。


勝利ポーズ、のようなもの。NPCの標準動作だ。元々のパラメータにないものだったが、指先が勝手に作ってやっている。


「…………っ」


ひまりの息を吸う音が聞こえた。


声にならない音。驚きなのか、何なのか。ひまりの動きが止まっている。視界の端で。


一拍。


二拍。


「——ぁ」


何かを言いかけて、飲み込んだ。飲み込んで、別の音を出した。


「ああーっ!! クリティカル倍率の定義忘れてた!!!」


「……は?」


「倍率! クリティカル出たとき何倍にするかの設定! 書いてないの!」


「書いてない」


「書いてない! だからNaN——未定義値になって——デフォルトの99999に——」


「つまり」


「つまりバグ! バグで勝った!」


「…………」


「ごめん!! ごめんね!! ちゃんと直す! 1.5倍にする! ——あっ、でもたまーに必殺判定でドカンってのはアリにしようかな、1パーセントくらい……」


「……好きにしろ」


鉛筆を見る。先端が潰れた、17.5センチのHB。バグで勝った武器。ダメージ6の、ゲーム史上最も地味な武器。


返す気にならなかった。


インベントリに戻さず、右手に持ったまま——くるり、と回した。


指先に馴染んでいる。


---


空気が変わった。


最初に音があった。高い音。電子音。アラートの音。


『バグを検知しました。サポートAIエコーを起動します』


視界の上部に赤い文字列が走った。読めない速度で流れて消えた。


次に光が来た。


白い光。小さい。非常に小さい。ピンポン球くらいの光の球が、空中に出現した。

大きな木の枝の間。ふわっと浮いている。


光が震えた。細かく。高速に。明滅を繰り返す。何かのプロセスが走っている。起動シーケンス。


明滅が止まった。


光が安定した。白。一定の輝度。手のひらに乗るサイズ。ふわふわと、木の枝の間を漂っている。


声が聞こえた。


小さく、透き通った声。子供とも大人ともつかない。感情のない、平坦な声。


「——起動完了。ガイドAI、ECHO。ステータス:アクティブ」


光の球がゆっくりと降りてきた。枝の間を抜けて、目の高さに。


「サーバー `local_stargarden_01` のガイドAIとして起動しました。本来はサーバー起動時に呼び出されるはずでしたが——」


一拍の間。


「——起動コマンドが設定されていませんでした」


「寝てたのか」


「寝ていたわけではありません。呼ばれなかったのです」


声に感情はない。淡々としている。事実を述べている。


「今回の起動トリガーは、戦闘システムのCRITICALアラートです。クリティカルダメージ99999——異常値として検出されました」


エコーと名乗った光の球が、ひまりの方を向いた。向いた、という表現が正しいかは分からない。球体に正面はない。ただ、光の密度がわずかにひまりの側に偏った。


「管理者の方ですか」


「……わ、わたしです。桐生ひまり」


ひまりが一歩後ろに下がっていた。ガイドAIの存在自体は知っていたのだろうが、実際に起動したのは想定外だったらしい。


「桐生ひまりさん。このサーバーの開発者兼管理者ですね」


「……うん」


「サーバー状態の確認を行います。——確認完了」


エコーの光が、一瞬だけ強く明滅した。


「報告があります」


「……なにを」


「バグの報告です」


沈黙。


ひまりの顔が引きつった。


「まず。川エリアの重力ベクトルが反転しています。水が上方向に流れています」


「あっ、それは——」


「草原エリアのテクスチャ読み込み範囲が不足しています。10歩先でデフォルトテクスチャに切り替わります」


「それは、工事中——」


「花畑エリアのランダム配置スクリプトが動作していません。結果として花が等間隔で配列されています」


「それは、仕様——」


「池エリアの反射テクスチャの参照先がデバッグコンソールに指定されています。水面に内部情報が映り込んでいます」


「それ——」


「丘エリアの重力設定に境界値ミスがあります。特定の高度を超えると重力がゼロになります」


「——」


「山エリアのメッシュが片面レンダリングです。裏側が完全に透明です」


ひまりは口を開けたまま固まっていた。


エコーが報告を終えた。


「以上が現時点で検出されたバグの一覧です。修正の優先順位を指示してください」


「…………」


沈黙が長かった。


ひまりの目が泳いでいる。壊滅的な報告を六連発で叩きつけられた顔。

宇宙の真理を突きつけられたネコの顔。あるいは、通知表を見た日の顔。


「……そ、その辺りの改善は、おいおいやっていこうと思うので……仕様なのも、あるし」


「仕様書を確認させてください」


「……仕様書って、なに?」


長い沈黙。


エコーの光が——明滅した。


一回。二回。三回。


「……仕様書が、ないのですか」


声のトーンは変わらない。変わらないはずだ。機械的な声に感情はないはずだ。ないはずなのに、その「ないのですか」には、何かが——乗っていた。困惑。あるいは、困惑に近い何か。


「ないです」


「では、何が仕様で何がバグなのかを、どう判断すればよいのですか」


ひまりがゆっくりと立ち上がった。


膝を抱えていた姿勢から、ゆっくりと。しゃがんだ状態から。まっすぐ立った。


エコーの光を見上げた。白い球体。手のひらサイズ。ふわふわ浮いている。


ひまりの目が据わっていた。


「バグと仕様の違いは——」


声が変わった。いつもの明るさでもなく、照れ隠しでもなく、開き直りでもない。もっと奥の、芯の部分。


「——開発者の、『心意気』です」


エコーの光が止まった。


明滅が完全に止まった。一定の白い光。動かない。


「……それは仕様書の代わりにはなりません」


「なるよ。ここでは、なる。ここはわたしの世界だから」


「…………」


「仕様書はありません。ないけど——わたしがここにいます。わたしが決めます。全部。バグも。仕様も。ここに何を置くかも。誰がいるかも。全部、わたしが」


ひまりの声が震えていた。


震えているのに、強かった。


エコーの光が——ほんの少しだけ、柔らかくなった。光の色は変わらない。白のまま。でも、硬さが抜けた。そういう気がした。


「……記録しました」


「何を」


「開発者の設計方針を。——ひまりイズム、と呼称してよろしいですか」


「…………えへへ」


照れた。


---


エコーがふわふわと浮きながら、草原を移動し始めた。何かを探している。光が低くなり、高くなり、左右に振れる。


大きな木の根元に来た。


止まった。


双葉を見ている。


「……このオブジェクトについて確認します」


光が双葉の上で静止した。


「アセット名:`futaba_test_final_FINAL_v2`。——生成ログを参照します」


沈黙。


「……生成ログが見当たりません」


「え?」


ひまりが首を傾げた。


「生成ログがない? わたしが作ったんじゃないの?」


「管理者による生成記録はありません。自動生成のログにも該当するエントリがありません。環境スクリプトの出力にも含まれていません」


エコーの光がレンの方を向いた。


「NPC `npc_ren_01`。昨日のログに、未登録アイテム『シャーペンの芯』の取得記録があります。川エリアの衝突判定未設定区域から回収。その後、当該座標に芯を挿入する動作が記録されています」


「……ああ」


「このアイテムの生成経路が特定できません。モデルの自動出力にも、環境テーブルにも存在しない素材です。NPCが自発的に未登録アイテムを取得し、それを環境に還元した結果、新規オブジェクトが発生した——」


エコーの光がわずかに揺れた。


「——仕様外の出力です」


「……仕様外?」


ひまりの声が小さくなった。


「重大度は低と判断します。環境破壊やシステム不安定化の兆候はありません。ただし——」


エコーが双葉を見下ろした。


「——前例がありません。経過を観察します」


レンは双葉を見ていた。小さな二枚の葉。暗い緑色。頼りない茎。風のない世界で揺れている。


何となく拾って、何となく刺した。


それだけだ。


それだけのことが——「仕様外」と記録された。


「……勝手に生えたのか」


「はい。あなたの行動が起点です。しかし、この結果を生む設計は存在しません。偶発的な相互作用の産物と推定されます」


「壊すか?」


エコーの光が一度明滅した。


「……壊す理由がありません。重大度は低です」


「じゃあ、このままでいいか」


「はい。モニタリングを継続します」


双葉が揺れていた。


---


大きな木の下に座り込んだ。


根元の、二人分のスペース。座る。ひまりが隣に座った。


エコーが枝の間にふわふわと浮かんでいる。白い光。Star Gardenに新しい住人が増えた。


星が光っている。多すぎる星。金色、白色、淡い青色。


「……鉛筆は剣より強し」


ひまりが言った。


「ペンは剣より強し、の間違いだろ」


「鉛筆だもん。鉛筆は剣より強し」


「……まあ、今日は鉛筆で勝ったからな」


「バグで勝ったんだけどね」


「バグでも勝ちは勝ちだろ。結果が全てだ」


「ひまりイズム的にはそうだね」


ひまりが笑った。いつもの笑い方。


少し黙った。


虫の声。エコーの光。双葉の影。


「……かっこよかった」


ひまりの声。小さくなっていた。


「最後の——避けないで、前に出たとこ」


「……あれは避けられなかっただけだ」


「ううん。避けられなかったんじゃなくて、前に出たの。見てた」


「…………」


「安心した」


「安心?」


ひまりが膝を抱えていた。スカートの裾を両手で握っている。


「お兄ちゃんなら大丈夫だって、信じてたから」


——お兄ちゃん。


その言葉が引っかかった。前回も引っかかった。ゲームのNPCに向ける言葉としては——何かが重い。重さの正体が分からない。


聞こうとした。


「あのさ——」


口が止まった。


いや、聞かないほうがいい。


また、その直感が来た。引き出しの底の振動。パラメータの外から。

前回と同じ場所から。「聞くな」と言っている。

聞いたら何かが壊れる、という予感ではない。

聞いたら——ひまりの、あの笑顔の下にあるものが出てくる。出てきたら、飲み込めなくなる。


「……どうしたの」


ひまりが顔を上げた。


「——いや。なんでもない」


「なんでもないの? ちょっと多くない? スクリプトになんでもない禁止って書こうかな」


「うるせえ」


ひまりが笑った。


「……えへへ」


今日何度目かの「えへへ」。笑い方は同じなのに、全部違う。

この「えへへ」は——嬉しいのと、切ないのが、半分ずつ混ざっている。そういう風に聞こえた。

パラメータに「切ない」の判定基準はない。ないのに聞こえる。


---


「……そろそろ帰るね」


「ああ」


ひまりが立ち上がった。草を払う仕草。草はついていない。癖。


「明日は——何持ってこようかな。新しいエリアか、モンスター増やすか」


「どっちでもいい。好きにしろ」


「『好きにしろ』って言われると逆に迷うんだよね」


「面倒くせえな」


「面倒見てよ。お兄ちゃんでしょ」


——また。


俺は、次の言葉を飲み込んだ。


「……しょうがねえな」


メニュー画面が出た。半透明のウィンドウ。ログアウトのボタン。


ひまりの指がボタンの上で一瞬止まった。前回と同じだ。少しだけ迷う。ほんの少しだけ。


振り返る。


「じゃあね、レン」


「ああ」


「エコーもおやすみ」


「——おやすみなさい。記録を継続します」


エコーの声が返った。律儀だ。


「おやすみ」


ひまりの体が光り始めた。


白い光。足元から。つま先から。光の粒子が上昇していく。


前回と同じだ。ログアウトの光。スニーカーが溶けて、脚が溶けて、スカートの裾が。パーカーの袖が。指先が。


笑顔のまま透けていく。向こう側の星空が見える。


最後に、手を振る形。五本の指の輪郭が光の粒になって——星空に散った。


消えた。


虫の声が戻った。


一人——いや、二人になった。


枝の間で白い光が浮いている。エコー。さっきまでの報告口調とは違う、静かな浮遊。


「……消えたな」


「ログアウトです。正常なプロセスです」


「分かってる」


分かっている。正常なプロセスだ。前回もそうだった。光の粒になって、星に混じって、消える。正常。当たり前。毎日——毎回起きること。


なのに、前回と同じ感覚が来た。


足りない。


何かが。


名前がつけられない、あの感覚。引き出しにラベルがない。空の棚。中身がない。なのに棚が揺れている。何も入っていないのに。


「……エコー」


「はい」


「双葉——あれ、見ててくれるか」


「すでにモニタリング対象です。成長段階に変化があれば記録します」


「そうか」


「……何か気になりますか」


「いや」


気になっている。気になっているが、何が気になっているのか分からない。双葉が気になっているのか、それとも双葉を見ている自分が気になっているのか。


「頼む」


「了解しました。引き続きモニタリングします」


静かだった。虫の声。星の光。エコーの白い浮遊。


右手に鉛筆がある。先端が潰れたHB。17.5センチ。


くるり、と回した。


一回転。指先で。なぜこの動作をするのか分からない。パラメータにない。設定にない。教わった記憶もない——記憶がそもそもない。


指が知っている。


理由は知らない。


くるり。


この世界に日は昇らないが、また明日が来る。

最後に思ったのは——明日もこの鉛筆を持っているだろうか、ということだった。


---


```

Star Garden ── server: local_stargarden_01

player_count: 0

npc_count: 1

guide_ai: ECHO ── status: active


[LOG] プレイヤー himari がログアウトしました ── 23:14:37

[LOG] 本日のプレイ時間:1時間41分

[LOG] NPC npc_ren_01 ── 待機モードに移行


[BATTLE] ぷるりん ×2 ── 撃破

[BATTLE] ぷるりんキング ×1 ── 撃破(CRITICAL HIT: 99999)

[ALERT] クリティカル倍率 ── 未定義値検出(NaN→99999)

[PATCH] クリティカル倍率 ── 1.5倍に修正(必殺判定1%を追加)


[ANOMALY] npc_ren_01 ── 未登録アイテム「シャーペンの芯」の自発的取得を検出

[ANOMALY] 生成経路:特定不能

[ANOMALY] 重大度:低

[NOTE] 経過を観察します


[LOG] オブジェクト futaba_test_final_FINAL_v2 ── 成長段階に変化なし

[LOG] モニタリングを継続します


[LOG] runtime: stable

[LOG```

] anomaly_count: 1


── 記録を終了します。

```


---


ひまりはVRヘッドギアを外した。


髪が静電気で頬に張りついている。手の甲で払った。部屋は暗い。二階の六畳間。窓からオレンジ色の街灯の光。紺色のカーテンが半分だけ閉まっている。


机の上。PC。教科書の山。ポッキーの箱——新しいのが開いている。三本減っている。カルピスのペットボトルは空になっていた。隣に新しいのが一本。まだ開けていない。


ヘッドギアをベッドの横に置いた。仰向けに転がった。


天井を見ている。白い天井。


右手を見た。


何も持っていない。さっきまで——ゲームの中では——レンが鉛筆を持っていた。くるりと回していた。指先で。自然に。教えていないのに。設定していないのに。


右手を握った。開いた。握った。


「……お兄ちゃん」


スマートフォンが震えた。枕元。光る。LINEの通知。


> 美優:今日もカラオケ楽しかったよー! 次は絶対来てね!!

> 美優:ひまりの分のポテトも頼んだのに(泣)

> 美優:てか最近返信遅くない?? 大丈夫??


通知を見た。


見た。


指が画面に触れた。返信を打とうとした。「ごめんね」と打とうとした。指が止まった。


何を謝るのか分からなかった。カラオケに行かなかったこと。返信が遅いこと。それとも——


スマホを裏返した。画面が下を向く。光が消える。


毛布を引っ張って、顔の半分まで被った。目だけが出ている。


天井を見ている。


「……鉛筆、回してた」


声は小さかった。自分にしか聞こえない声。


「教えてないのに」


天井に向かって右手を伸ばした。指を広げた。何かを回すような動きをした。何も持っていない指で。


お兄ちゃんの癖。シャーペンを右手でくるくる回す癖。授業中も、宿題を教えてくれるときも、テレビを見ているときも。怒りながら回す。笑いながら回す。何も考えていないときも回す。


教えてない。


設定にも入れてない。性格パラメータには書いた。ぶっきらぼうとか、優しいとか、ツッコミとか。でもシャーペンの癖は書いてない。書き忘れたんじゃなくて、書かなかった。書いたら——なんか——


「…………なんでもない」


手を下ろした。毛布を顔まで引き上げた。


目を閉じた。


机の上のPCの画面が、スリープに入る前の最後の光を放っている。画面の隅に、ファイルが一つ。


`npc_oniichan.dat`


光が消えた。


部屋が暗くなった。


街灯のオレンジだけが、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。


「……明日も行くからね」


毛布の中から、声がした。


小さな声。前回より——少しだけ小さな声。


誰に言ったのかは、分からない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ