47 多重世界
アダリーシアの言葉に嘘はない、というのがウルスラの直感だった。
背後を振り返って、バルドリックを見上げる。彼は、判断しかねているようだった。眉間にしわを寄せ、沈黙している。
「あなたたちに私の話を聞く気があるというのなら、話してあげるわ。ただ、話を聞く気がないのなら、もう私にはかかわらないで」
「関わるな、とはどういうことだ?」
「言葉のとおりよ。死んだことになっているのなら、どうせ私の場所はもうないでしょ? どこかよその国にでも行って、平穏に暮らすわよ。今度こそ」
死ぬほどバルドリックに執着していたというのに、今のアダリーシアにはその気配は一切ない。むしろ今すぐにでもバルドリックとの関係を断ち切りたいという思いがにじみ出ている。
「関わる気がないのに、話つもりがある、だと?」
「殿下はともかく、ウルスラ・ラウラが話を聞きたそうにしているから」
すっと目を細め、アダリーシアはウルスラに顔を向ける。
「そして多分、私自身が話したいと思っているのよ。私が私であるために」
ウルスラの背後で、バルドリックが大きくため息を吐き出した。
「長くなりそうなのか?」
「詳細を知りたければね。ざっと百年くらいの時間を過ごしたから。もっとも、全部なんて覚えてはいけないけど」
ゆがんだ笑みを浮かべるアダリーシアの目が、暗い色に陰る。
「座って話そう」
そういって、バルドリックは部屋の中央の机に向かった。椅子を引いてアダリーシアを座らせてから、向かい合うようにしてウルスラと隣り合って座る。
「今日はやけに紳士的ね。殿下に椅子を引いてもらったのなんて初めてじゃないかしら?」
「今の君は、俺の知るシュティルベルトじゃないからな」
「変わる前の私、よほど嫌われていたのね。そこまで嫌な人間だったつもりはないけど」
「言葉を交わしただけで婚約成立ねと言い出す人間だった。そして、他の人間と言葉を交わすだけで浮気だとかんしゃくを起こしていた」
「……そうね。そんな人間だったわ。忘れていたけど」
「何度も人生を繰り返したとはどういうことだ?」
「そのままの意味よ。私は死ぬたび、何度もアダリーシア・アイン・シュティルベルトとして生まれ変わった」
アダリーシアが告げた言葉に、ウルスラは息をのんだ。
きつい顔立ちは最期に見た時と変わらないのに、アダリーシアの雰囲気はがらりと変わっている。これほどまでに変化するなど、どれほどの人生を過ごしたというのか。何度もというからには、一度や二度ではない。
じっと見ているウルスラに気づいたアダリーシアは、視線を向けると口元をほころばせた。元が美人なだけに、空気が一気に華やぐ。
「あなたたちとのやり取りは、昨日のことのように思い出せるけど、私にとっては遠い記憶なの。そうね、覚ええているのは嫉妬に駆られてあなたを連れ去るように指示したこと、オーディーのせいで失敗したこと、そして白い女に殺されたこと」
「白い女……エルーシアさんですか?」
ウルスラが知る白い女は、エルーシアだけだ。ウルスラの護衛についたエルーシアなら、アダリーシアを殺すこともあるかもしれない。驚きはなかったが、戸惑いはあった。
エルーシアの名前に、アダリーシアは表情を曇らせる。
「名前は知らないけど、本当にエルーシアと名乗ったの?」
「はい。シュティルベルト侯爵家の養女になったと」
「ウルスラの警護のためにタプファーに入るにあたって、シュティルベルト家の養女になるしかなかったからだ」
「その情報はどうでもいいから、いらないわ。でも、エルーシアですって?」
顎に人差し指を当てながら、アダリーシアがぼそぼそとこぼし始める。それから、睨みつけるようにバルドリックを見た。
「その様子からすると、殿下はエルーシアの名はご存じないのよね?」
「彼女以外に聞いたことはないな。ちなみに、彼女は『預言者』だそうだ」
「預言者? ヴィヴィデルクラインの言葉を伝える? でも、敵対しているでしょう?」
アダリーシアは不思議そうに首をかしげる。その口から零れ落ちた名前に、ウルスラの心臓がわしづかみにされた気がした。ウルスラは、その名前を知っている。いつ、どこでだれに聞いたのだろう。掌にじんわり汗をかく。
まったく聞き覚えのないバルドリックはアダリーシアを睨んだ。
「そもそもヴィヴィデルクラインが何かわからないのだが」
バルドリックの指摘に、アダリーシアがはっとした顔をする。
「そうだったわ。ヴィヴィデルクラインの名前が当たり前のように出てくる人生もあったから、周知の事実だと思っていたわ。知っているのは陛下と王太子くらいかしら」
「もったいぶった言い方をしないでもらいたい」
「ちゃんと話すわよ。でも、私の話も聞いてほしいの。エルーシアと名乗る女に殺されてから、私の身に起きたことを」
およそ百年分の話をしていては時間も足りないから、かなり割愛するけどね、と前置きしてからアダリーシアは語り始めた。
*
胸に剣が付きたてられたと思った瞬間、アダリーシアは目が覚めた。
見覚えのある部屋に、見覚えのあるベッドの上だった。タプファー学園の貴族寮だ。殺されるなんて嫌な夢だと思いながら身を起こす。ただでさえ泥棒猫に大切な人をとられて、腹が立つというのに。
学園での生活は、貴族とはいえ身の回りのことは自分で行わなければいけない。ベッドから降りたアダリーシアは、違和感のある部屋を見回して首をかしげた。何かがおかしい。
浄化の魔法で全身をきれいにし、髪を整え、制服を着る段階で違和感の正体に気づく。ブレザーとスカートのラインが一本だった。
「もしかして、時間逆行?」
すぐに受け入れられたのは、死んだときの感覚があまりにリアルだったからだ。
自分が特別な存在だから、神がアダリーシアにチャンスをくれたのだと思った。となればすることは一つ。ウルスラとバルドリックが出会う前に、件の少女を学園から追い出せばいい。
アダリーシアはさっそく、一年一般クラスに向かった。見覚えのある生意気な小娘たちがうじゃうじゃといる。ウルスラと一番仲のよかった、学年主席の少女を掴まえ「ウルスラ・ラウラを呼んでちょうだい」と尊大な態度で言うと、眼鏡の三つ編みの少女は、不審そうな顔で言った。
「学年を間違えておりませんか? このクラスにウルスラ・ラウラなんていませんよ」
アダリーシアは慌てて職員室で名簿を調べた。確かにウルスラ・ラウラなんて生徒はどの学年にも存在せず、代わりに聞いたこともない名前の生徒が名簿に載っていた。
いきなり人生の危機を回避できたのかと、一年を穏やかに過ごす。そして二年に進級した日、生徒会の仕事で帰るのが遅れたアダリーシアは突如現れた妖虎に切り裂かれ、死んだ。
次に目が覚めたのは、二学年開始の時だった。名簿をチェックする。ウルスラはいない。具合が悪いからと、先に帰ることによって妖虎を回避した。次の日、バルドリックにパートナーとして選ばれる。念願のパートナーに、アダリーシアは舞い上がった。
だが、初めての校外実習の日、いるはずもない巨牙熊がクラスメイト達を襲った。先頭にいたアダリーシアは、その爪の餌食となりあっさりと死んだ。
次に目が覚めたのは、パートナー選出の日。前の人生と同じようにパートナーはバルドリックだ。巨牙熊を倒す技術も身に着けた。バルドリックと協力して、巨牙熊を打倒すことに成功、クラスメイトから賛辞を受け取り、アダリーシアは浮かれた。
この後は特に何もなかったはずだと思っていたが、数日後、頭上から降ってきた鉢が頭に直撃、うちどころが悪くて死んだ。
その後も、階段から落ちて首の骨を折ったり、屋上から誰かに突き落とされたり、様々な死亡原因に見舞われた。
合成獣人に誘拐され、刺されたこともある。バルドリックに付きまとう女に閉じ込められ、ヒールで踏みつけられ、挙句の果てに餓死したこともある。アダリーシア自身が合成獣人にされたこともあった。
ほとんどの死亡原因がウルスラ・ラウラにしたことだと気が付いた。だが、あいにくとウルスラ・ラウラの気配が全くない。呪いの反作用か。だが、明らかに呪いとは違うものも混ざっていた。例えば、三百年前に滅びていたはずの魔族が隆起し、王都を襲いそれに巻き込まれるとか。禁書庫に盗みに入ったナハトを目撃した際、とばっちりを受けたとか。
いったい何が起きているのか。いつになったら解放されるのか。絶望に打ちひしがれたころ、アダリーシアは死んだにもかかわらず、すぐには目を覚まさないことに気が付いた。
そこは、灰色の空と灰色の大地が一面に広がる世界だった。
「あら。また来たんですか?」
無表情で告げたのは、白い女だった。見覚えがある。最初の人生でアダリーシアを殺した女だ。
「あなたも死んだの?」
皮肉を込めて言う。ここが死後の世界だというのは、本能で知っていた。いや、生と死のはざまとでもいうべきか。
「私は死んでおりません。ただ、ヴィヴィデルクラインの代わりにここを管理しているだけ。時々魂が抜け出していってしまうけど、私の本来の仕事じゃないのですから、仕方ありません」
そういって、白い女は通り過ぎていった。ヴィヴィデルクラインて何なの? そう聞こうと思った瞬間、また目が覚めた。
今回も二年生からだった。
ヴィヴィデルクライン。妙に頭にこびりついた単語をバルドリックに確認してみた。この時にはもう、バルドリックへの感情はさび付いていた。生きるのでもいい。死ぬのでもいい。このループから抜け出したかった。生死の繰り返しは、優に五十回を超えていた。
かつてのしつこさがなくなったおかげか、バルドリックはヴィヴィデルクラインについて調べてくれた。運よく――いや、運悪く国王の耳に入り、アダリーシアが聖女として認定された。
念願の。けれどもうどう手もいいと思っている聖女。なったからには役目を果たそうとした。けれど、バルドリックが成人した日、魔王と化したバルドリックに、アダリーシアは殺された。
「国も滅んでしまいましたよ。魔王の手によって」
灰色の世界で横たわるアダリーシアに、白い少女は告げた。
「なぜ? 聖女を殺した魔王は、次第に弱体化するはず」
しばらくの間は暴走を続けるが、国を亡ぼすほど長期間、魔力を維持できないはずだ。犠牲になるのはせいぜい、街一つのはず。
「あなたは聖女じゃありませんから。聖女と巡り合えなかった魔王が、ああも簡単に狂うとは思いませんでした」
「ということは、ウルスラ・ラウラがいない世界は絶望的じゃないの!」
「呪いを解けばよいかと。あなたは詳しいでしょう? 息を吐くように自然に呪いをかける家系の生まれなんですから」
呪術ではなく、思うだけで呪いをかける。それがシュティルベルト家の特徴だ。それによって政敵を追い詰めたり、国外の厄介な人間を追い詰めていった。呪術と違って、証拠が残らない。だから国からは重宝されていた。対価も一応払ってはいる。王を裏切った時、一族が全滅するというものだ。
「これは、夢ではないのよね」
できれば夢であってほしいと何度も願った。だが死ぬたびに襲ってくる痛みも苦しみも、どう考えても現実だ。
「ご自身がかけた呪いです。聖女がいなければいいと思ったのでは? ここは多重世界の一つ。無限にある可能性のたった一つにすぎません。どうぞ、ご自身で呪いを解いてください。あるいは魔王の呪いを解き、この地にヴィヴィデルクラインを返せば、時はまた正常に動き始めるでしょう」
白い女が無表情に告げると、アダリーシアはまた目が覚めた。二年生の初め。
聖女に選ばれ、殺される覚悟で国王にヴィヴィデルクラインの名を告げる。その名の正体を知りたいと。
何度も殺されながらも、アダリーシアはヴィヴィデルクラインについて調べた。それが、このループを抜ける鍵だと信じて。
そして、アダリーシアがたどり着いた答えは――




