取引相手 (1)
メイベルから経緯と事情を聞いて他の人たちは納得してくれたのに、ルスランだけはなかなかエラストを釈放することを認めてくれなくて、メイベルはしばらく夫のご機嫌取りをすることになってしまった。
そうしてようやく釈放されたエラストは、ルスラン、メイベルのもとを訪ね、頭を下げて謝罪する。
「護衛を自ら申し出ておきながら、王妃様を危険に晒したこと、申し開きの仕様もございません」
「私じゃなくてエラスト様とミラナを狙った企みだったのだから、防ぎきれないのも仕方ないことです。どうぞご自分を責めないで」
心から謝罪するエラストにメイベルはフォローするのだが、ルスランは始終険しい顔でエラストをちくちく責めている。
メイベルが困ったようにルスランを見上げても、ルスランも譲る様子はない。
「私は許したつもりはない。メイベルが取り成すから挽回のチャンスを与えただけだ。貴公を狙った企てに我が妃が巻き込まれて危険に晒されるなど言語道断であるし、守りきれなかった体たらくに非常に失望もしている」
「ルスラン、そんなに厳しく言わないであげて」
メイベルは夫を諫めたが、エラストが首を振る。
「陛下のおっしゃることはもっともです。むしろ、このような場を与えて頂いただけでもその寛大さに深く感謝すべきこと。王妃様、まことに申し訳ありませんでした」
言い訳することなくただひたすら頭を下げるエラストに、ルスランもため息を吐いた。
怒り一辺倒であった感情も、少し変化したようだ。
「……妹御には私のほうからも警護の者をつかせている。君も、しばらく身の回りには気を付けてるように。私が滞在している間は、ガストーネから命令されても王命を理由に固辞しておけ。メイベルのおかげで助かった命が失われるようなことが起きるのは、さすがの私も後味が悪い」
ルスランの慈悲に、エラストは感激している。メイベルもホッとして、夫の腕にぎゅっと抱きつく。
「しかし……君を利用して、何をさせるつもりだったのだろうな。それもわざわざ妹御をさらうという手間をかけてまで」
ルスランが疑問を口にする。
メイベルも、その疑問に対する答えは分からなかった。いまから思えば、もうちょっと自分をさらった相手の正体や目的について、探りを入れればよかったかもしれない――そんなことをぽつりとこぼせば、余計な欲をかかなかったから助かったんだ、とルスランに諫められてしまった。ごもっとも。
ルスランの疑問について、エラストのほうは心当たりがあるような感情の色を見せた。
見えたものにメイベルがかすかに反応するのを、ルスランが横目で見ている。
「君はどう思う」
問いかけられ、エラストは黙り込む。
しかし、この状況では打ち明けるしかない、という結論に至ったようで、歯切れ悪く答えた。
「私の推測でしかございませんが……ミラナをさらおうとした本来の目的は、私ではなく……私を経て、副団長を動かすことを狙ったものかと……」
「君の妹御には、イリヤを動かすだけの力があるのか」
すっとぼけたようにルスランが言った。
ルスランの口ぶりで、メイベルもミラナとスヴィルカ騎士団の副団長にどんなつながりがあるのか察した。そんな意地悪な言い方しなくても、とメイベルがルスランの横腹をつつく。
「君の妹は、イリヤの恋人だったのだな」
「……申し訳ございません」
「貞節に関しては私もひとにえらそうに言えるような人間でもないので、それについて咎めるつもりはないが……。そうか。それで昔、イリヤに団長の座を打診したら返事を渋られたのだな」
ルスランが納得したように話す。エラストはますます申し訳なさそうにしている。
聖堂騎士団は聖職者で構成された軍隊である。修道士という身分でもあるので……要するに、姦淫はご法度。
有名無実なしきたりで、愛人や庶子がいるような者も珍しくはないが。
ルスランたちから聞く限り、副団長のイリヤという男性は真面目で誠実な性格をしているようなので、やはり恋人がいるような人間が騎士団を取りしきる立場に就くことに後ろめたさを抱いているのだろう。
エラストも、そんな友人の苦悩を知っているからヴァローナ王相手であっても真実を打ち明けるのをためらった。しかも、友人の苦悩の一端に自分の妹も関わってるとなれば……。
自身も不貞をたびたび犯しているだけに、ルスランはそういうことを一切気にしていないようだが。
「しかしそうなると……今回の誘拐劇、裏にガストーネが関わっている可能性が出てきたな」
ルスランは考え込みながら言った。エラストも同意している。
「そこまで団長の名誉を貶めたくはありませんが、正直に申し上げますと、私も同意見です」
「ただ……自己保身しか考えぬ横暴で怠慢な男であることは知っていたが、こんな強引な真似をするのは意外であった。騎士団内では、珍しくないことだったのか?」
いいえ、とエラストが首を振った。
「昨年の戦の一件から続き、我々も、最近の団長はどうしたのかと首を傾げております。騎士の務めを守ってそれでも主君に忠誠を誓う者もいる一方で、その務めを疑う者もいて……騎士団内でも、立場が分かれてしまっていて……」
「まとめるべき長がそのような有様ではな。さもあらん」
ルスランはまだ考え込んでいる。メイベルはもう自分が口出しするような話ではなくなっていることを察し、沈黙して事の成り行きを見守っていた。
「いよいよイリヤを団長に就けるよう私のほうでも本格的に動くべきかもしれん。日陰者にしてしまう君の妹御には気の毒だが」
団長になってしまったら、ミラナは本当に恋人と結婚することはできなくなってしまう。
だがエラストも、それについては受け入れているようだ。
「ミラナも騎士の家に生まれた娘です。それは覚悟の上で副団長と結ばれました。幼馴染みですので、イリヤがまだ見習いの頃からの関係ではありますが……いずれ、このような日が来ることは分かっていたはず。陛下がお気になさる必要はありません」
エラストたちのほうはとっくに覚悟を決めていても、想い合う男女を引き裂くというのはルスランにとっては気が進まないことなのだろうな、とメイベルは思った。夫のそんな情の深いところが、メイベルも好きだ。
「――なんにせよ、明日、ガストーネに会わなくては話が進まない。いまのところ、こちらが勝手に推測しているばかりで証拠も根拠も何も手にしてはいないのだから。ヴァローナ王と言えど、聖堂騎士団相手ではその権威にも限りがある」
こうしてその日は終わり、夜は自分にべったりとなってしまったルスランと共に過ごして、朝を迎えた。
……とんだ誘拐劇だったが、メイベルをさらわれるという恐ろしい経験をしたことで、妻の目を盗んで女遊びに興じようとしたルスランの悪だくみが吹き飛んだことだけはありがたかった。
エラストにこっそりこの町で人気のある娼館を教えてもらっていたことを、メイベルはしっかり見抜いていたのである。
翌日の面会の約束は、午前中となった。
改めて面会を申し込んで返事が来たと思ったら、今すぐ来い(要約)、とのことだったのでルスランの機嫌は降下していたが、急いで身支度を済ませて騎士団本部となっている宿舎へ向かう。
この町の中心地。威厳あるスヴィルカ城は、王城にも並ぶ大きさだ。実際、この町は大昔に滅んだ小国の王都だったらしい。だからこの城も、王城にも劣らぬ歴史がある。
こんな状況でなければ、メイベルも城の壮大さに見惚れていたことだろう。
礼儀正しい兵士たち――騎士の称号を持つ彼らに案内され、メイベルはルスランと共に豪華な応接室でガストーネ団長を待つことになった。
壁には歴代の団長たちの肖像画が並べられ……現団長ガストーネの肖像画はこれだろうな、とメイベルは思った。他の歴代たちは同じサイズで描かれているのに、この男の肖像画だけは自分の権威を示すかのように無駄に大きい。
鎧と剣を構える姿は様になっているが、歴代たちは自然体なだけに、この並びにあってはかえって悪目立ちしている。
「……遅い」
応接室の内装をしげしげと見回していたメイベルは、上等な革張りの長椅子に腰かける夫が、イライラした様子でそう呟くのを聞いた。
いますぐにだったら面会できる、という返事を受けて訪ねてきているのだから、こんなに待たされて苛立つルスランのルスランの気持ちも分かる。メイベルも、座っているのに飽きて部屋の中をウロウロしていたところだし。
応接室にはルスラン、メイベルの他に将軍アンドレイだけが付き添い、将軍がルスランをなだめていた。
それから少し経って、ルスランと将軍が揃って部屋の扉に視線を向け、メイベルは急いで夫の隣に戻る。
予想に違わず、スヴィルカ騎士団の団長ガストーネが部屋に入って来た。
「お久しぶりにございます。陛下におかれましてはご健勝のよし、遠く離れた私は伝え聞くのみでしたので、こうして直接お会いできましたことを喜ばしく感じております」
団長ガストーネも、体躯だけならばアトラチカ騎士団の団長にも劣っていないと思う。
年齢も近いし、戦歴も……三十年ぐらい前までなら、彼と匹敵している。騎士団長となってからの実績とルスランからの信頼は、もはや比較にもならぬほどだろうが。
「昨年の戦に向けての談合のおりも、顔を合わせずじまいだったからな。貴公は部下と副団長に丸投げして、私の呼び出しに応じなかった」
「スヴィルカ騎士団はヴァローナ王国の治安維持も担っておりますゆえ、トップの私が無闇に本部を離れるのは愚策と考えた次第にございますよ。若い者に仕事を振り分けて任せるのも、長の務め」
ルスランはガストーネ団長への怒りと軽侮を隠す様子はないが、ガストーネ団長のほうも、ルスランへの侮りをまったく誤魔化せていない。
話す内容こそそれらしいことを言い繕っているが、まったく心がこもっていないのが見え見えだ。メイベルの目で感情の色を見抜かなくても、それがはっきり伝わっている。
……それでも、見えてしまうメイベルは、ここまで分かりやすい色を出すのか、と内心で驚いてしまった。ちなみに、見えたものに反応しないよう訓練を受けているので、メイベルはまったく表情を変えずに二人のやり取りを見守っていた。
「その若者に、貴公はいま仕事を与えていないと聞いた。それも昨年から今日に至るまでの長期間に及んで。その理由を聞かせてもらおうか」
本題を切り出すルスランに対し、ガストーネ団長も白々しい態度を崩さない。
内心では舌打ちしているのをメイベルが見抜きつつ、団長は釈明を始めた。




