迷惑な悪だくみ (2)
ルスランのもとにメイベル誘拐の知らせが届く少し前。
教会でのお祈りを終えて、メイベルは外で待ってくれていたエラストと合流する。
「思ったより早く私の番が来て良かった」
「この時間は、まだ巡礼者も少ないですから」
エラストは笑顔で相槌を打つが、彼が裏からこっそり手を回してくれたのだろうな、ということはメイベルも見抜いていた。
特別扱いしてもらわなくても大丈夫と言っていたメイベルに気付かないよう、配慮してくれたことも。
だからメイベルも、何も気付かないふりで無邪気に喜ぶ。
でも……おかげで時間が余ってしまった。ルスランのためにも、もうちょっとだけ外で時間を潰してきたほうがいいだろうか……。
「宿に戻る前に、お店を少し見て行ってもいいかな……?」
教会のそばには巡礼者向けの土産店がずらりと並んでおり、メイベルも教会へ向かう途中で気になっていた。
そわそわとするメイベルに、エラストは笑顔で頷く。
「あちらの区画は女性好みの品が多く並んでおります。メイベル様も是非――あの商店街は、教会に次ぐこの町の密かな観光名物なんですよ」
エラストの指す店は、彼の言ったとおり女性好みの衣類や装飾品が並んでいる。メイベルが特に気になるのは、可愛らしいぬいぐるみが並ぶ店だ。
「このぬいぐるみたち、服着てる。ちょっと省略されてるけど、スヴィルカ騎士団の軍服だよね?」
「はい。我々の制服を模倣した服を着せたぬいぐるみですね。うーん……この素材でこの値段とは、なかなかの暴利で売られているようですな」
巡礼客相手のぼったくり価格にエラストは眉をひそめたが、メイベルは可愛いぬいぐるみがすっかり気に入ってしまった。
どれかひとつ、お土産に買って帰ろう。
くま、うさぎ、犬……色々な動物のぬいぐるみがある。やはりここは猫だろうか。
メイベルが軍服衣装の猫のぬいぐるみを選んでいると、エラストのもとに部下の兵士が訪ねてくる。
「――彼女を宿に送ったら、すぐに本部へ戻る。十分もかからない。遅くないはずだ」
「そうおっしゃられましても……私も、すぐにエラスト隊長を呼んで来いと命令を受けただけですので……」
どうやらエラストは招集を受け、対応に困っているようだ。彼に命令を伝えに来た部下も、エラストの反発に困っている。
猫のぬいぐるみを抱え、メイベルはエラストに声をかけた。
「エラスト様。どうぞ、騎士団本部にお戻りください。ここからなら、宿まで私一人でも――」
「そうは参りません。イープカ。私は本部へ向かう。代わりにお前がこちらのご婦人を宿までお送りしろ」
メイベルが言ったので、エラストも騎士団本部へ戻るしかないと腹を括ったようだ。ただし、メイベルの護衛は考えなくてはならない。
そこで、自分に命令を伝えに来た部下に任せることにしたらしい。
イープカは頷き、礼儀正しくメイベルに礼をした。
「エラスト隊長に代わり、お送りさせて頂きます。身命に代えましても!」
「よろしくお願いします。でも、身命には代えないでくださいね」
宿まで五分もない距離。町は穏やかで、騎士団の兵士たちも巡回しているから、メイベルが提案したように、女一人で出歩いていても何も問題ない治安の良さだ。
だからメイベルも、警戒を怠っていた。
のんきに猫のぬいぐるみを買いに、メイベルは店主に声をかける――そんなメイベルを店の外で待っている間に、イープカは襲われていた。
店を出た時、自分の護衛をするはずのエラストの部下の姿がなくて。
きょろきょろと周囲を見回し、気を失ったイープカは路地裏へと引きずられていくのが見える。
あっ、とメイベルがそっちに気を取られた隙に、メイベルも背後から見知らぬ男に襲われてしまった。
あっという間に路地裏へと引きずり込まれ、目と口を布で塞がれ、縛り上げられてしまう。抵抗できなくなったメイベルは、担ぎ上げられてすたこらさっさとどこかへ連れて行かれてしまった。
――メイベルをさらう手際は非常に素早かったものの、土産物店の並ぶ路地で行われた誘拐劇は目撃者も多く、宿にいたルスランのもとにまですぐに騒ぎが届くことになったのである。
こうしてさらわれてから三十分ほど。
同じように路地裏に引きずり込まれたと思ったエラストの部下はその場に置き去りにされたらしい。この廃屋に連れ込まれたのはメイベルだけ。
荷物のように廃屋の一室に放り込まれたメイベルの拘束は、連れ込まれて割とすぐに解かれることになった。
目隠しを外されると、目の前には知らない男が複数……一人が、メイベルに見せつけるように短剣を向けてくる。
「いいか、騒ぐなよ。抵抗するならヤッちまうからな」
男に脅され、メイベルはじっとして身を縮こませる。それを承諾と受け取ったのか、別の男がメイベルの口元の布も取り、両手を縛っていた縄も解いた。
短剣を持つ男の隣に立つ男が、紙とペンを持ってくる。
「これに、俺たちの言うとおりに書け。おまえの兄貴に宛てて手紙を書くんだ」
「兄貴?」
メイベルはぱちくりと目を瞬かせた。
メイベルの兄と言えば、先代のハルモニア王コルネリウス……とうに亡くなった人だ。そんな人宛てに、いまさら何を?ときょとんとなるメイベルに、脅しつける男は苛立ったように顔をしかめた。
「とぼけんじゃねえぞ。てめえはあのスヴィルカ騎士団第三部隊隊長の妹だろう!?」
「えっ、違う……」
思わず言い返してしまったが、それだけにメイベルの本心から出た素直な反応だと向こうも感じ取ってくれたようだ。
男たちも目を瞬かせ、後ろのほうの連中は互いに顔を見合わせている。
「おまえは……ミラナだろ?エラストの妹の」
ふるふるとメイベルは首を振る。
――まさか、自分はミラナと間違われてさらわれたのだろうか。
ぽかんとすると同時に、妙に納得もしてしまう。
ヴァローナ王妃を誘拐したにしては、ずいぶんと悠長で雑な真似をしているな、とは思ったのだ。普通、一国の王妃を誘拐するならもっときっちり痕跡を消していくものだ――少なくとも、イープカを生かしたまま放置してくるなんてことはしない。
それに、誘拐現場から数十分程度の距離で満足していないで、いますぐ町を離れるレベルでメイベルを連れて逃げ出すべきである。
それに……王妃をさらう下手人としては、彼らもお粗末な相手というか。
「う、嘘を抜かすな!エラストと一緒にいたじゃねえか!」
「それは……私はこの町に初めてきた巡礼者で……町の中で迷子になっていたところを、あの人が親切に送ってくださっていたんです。兄妹なんかじゃありません。嘘をついてもこんなこと、調べればすぐに分かってしまうことです」
自分の正体はバレていない。ならば――。
メイベルは知恵を振り絞り、懸命に考えて訴えた。もっともらしいメイベルの言い分に、男たちの心は揺れている。
「おい。あの御方が来たぞ」
「もう?さすがに早いな……」
廃屋に、新たな人の到着が知らされる。
彼らの感情から見て、仲間……というには微妙な相手のようだ。彼らにとっては雇い主といったところだろうか。
その人物が入ってくると、メイベルはそう確信した。
明らかに、この人物はメイベルをさらった輩連中とは格が違っている。メイベルをさらった彼らはそのへんのチンピラっぽい風体だが、この人物は底辺に生きる彼らとは所作が違い……軍人っぽいな、という印象を受けた。
頭からマントをすっぽり羽織り、口元を布で覆って、辛うじて目元が見える程度だが。
男は、メイベルを見て目を細めた。人違い、ということを彼ははっきり認識している。
「誰だ、この女は?」
「あんたが指定した女だろう!?人相書きも……エラストっていう隊長さんと一緒にいたのも確認したんだ!」
「どこがだ!髪の色がちょっと似ているだけで、まったくの別人ではないか!」
喋るとますます、彼らの格差は浮彫りだ。雇い主は発音も教育を受けたそれだ。
雇い主の指摘した通り、髪の色こそちょっと似ているだけで、メイベルとミラナは顔も違えば年齢も体型も明らかに違う。
……染料と服を、ミラナの家から借りてきたのが災いしてしまった。いまのメイベルの髪色は、ミラナの血縁者らしい、赤みがかったものになっている。
それでも、ミラナの見事な赤毛ほどではないが。
「なんて間抜けな真似を……!しかも貴様ら、目撃者を残してきただろう!?町中で噂になっているぞ!」
「どうせすぐ知られるんだから別にいいじゃねえか。スヴィルカ騎士団の隊長に脅迫状なんか送ったら、騎士団中に知れ渡るっての」
下手人たちのずさんなやり方に、雇い主は激怒している。
……この場合、人選から始まって雇い主自身も最初から色々とミスをしている。メイベルは心の内でそう思った。
雇い主は舌打ちし、踵を返す。
「お、おい!報酬は――!」
「知るか!目的の女もさらってこれていないというのに、そんなものがもらえると思ってんのか、図々しい!」
雇い主が出て行き、メイベルを脅しつけていた男も彼を追って部屋を出て行く。
どうやら、彼がチンピラ連中のリーダーらしい。リーダーがいなくなった部屋で、残された男たちが不安そうに顔を見合わせている。
「……あの」
メイベルが声をかけると、男たちがビクッとなった。メイベルに怯えたわけではなく、メイベルの存在を忘れていたので驚いたようだ。
「私……人違いだったんですよね?だったら、もう解放してもらえませんか?あなたたちのことなんか誰も分からないですし、宿に戻ったら、そのまま町を出て行きますから……」
「……やけに必死じゃないか」
反論するが、チンピラたちも迷っている。無価値となってしまったこの女を、どうすべきなのか。
誘拐の杜撰さからも推測できた通り、彼らは頭の回転もさほどだし、決断力もない。雇い主に放り出されてしまって、ただ困惑している。
だったら、メイベルでも押し切れるかも……。
「必死になりますよ。だって、長くいればいるだけ、無駄にあなたたちのことを知ってしまって……要らない情報を知ったせいで解放してもらえなくなるかもしれない――助かる可能性がどんどんなくなっていくんだから、私だって必死なんです」
メイベルの指摘に、男たちは悩んでいる。彼女の言うとおりだ、と納得しているようだ。
時間が経てばそれだけ、自分たちにとっても厄介な泥沼にはまっていくばかり。そうなる前に、さっさと解放してしまったほうが……。
そんな彼らの内心が、感情の色からもよく見えた。
雇い主に完全に去られてしまったリーダーが、部屋に戻ってくる。チンピラたちはリーダーのもとに集まり、ひそひそと話し始めた。
何を話しているかまでは聞こえなかったけれど、リーダーの男も悩んでいるのは確かだ。
男たちは部屋を出て行き、メイベルは一人で残された。拘束も解かれたまま。
いったい彼らがどんな結論を出すか……。不安に耐えて一人待ち続けたメイベルは、ふと気付いて顔を上げる。
部屋の外の気配を探ろうとして扉に耳を当てようとしたら、扉はキーっと開いた。
そっと押して、開いた隙間から外を見る。そこには誰もいない。誰の気配もしない。
――もしかして、メイベルを残してみんな逃げた?




