ヴァローナ王の敵 (2)
父親に構ってもらって満足した王子レオニートは、またおもちゃの木馬にまたがって遊び始めた。
すぐそばの敷物の上に二人で並んで座って王子を見守りながら、ルスランはメイベルに話しかける。
「――ファルコからすでに事情は聞いていると思うが、共闘を約束していたはずのスヴィルカ騎士団が予定の時を過ぎても動かず、僕たちは撤退するしかなくなった。ガストーネのことは、話したことがあったか?」
「スヴィルカ騎士団の団長さんだよね。教皇庁の指名を受けて、よそから落下傘してきた人だって、前にルスランが愚痴を言ってた」
メイベルの答えに、ルスランが頷く。
「前任の団長は信頼も実力も十分な男だったんだが、最後の戦で負った怪我の後遺症と老齢を理由に引退して……僕が次の団長を決める前に、教皇庁がねじ込んできた。アトラチカ騎士団の団長を伯父にしたりと、聖堂騎士団をだいぶ私物化していたからな……スヴィルカ騎士団も、イリヤ・ドローニンに任せようと考えていたし……」
「アンドレイ様のいとこ……だったよね?」
陸軍大将アンドレイ・カルガノフの一族とは、ルスランも幼い頃からの付き合いだ。アンドレイのいとことも、昔からの顔なじみ。
実力も十分で、ルスランとしてはぜひにも彼に任せたかったのに……。
「いくらなんでも若過ぎたのはある。箔付けに何か手柄を立てさせてから、と僕が任命を控えている隙に、ガストーネが団長の座に収まってしまった」
「ガストーネという人も、実力と実績は十分スヴィルカ騎士団の団長の地位に相応しいって聞いたけど」
「たしかにあった。相応しい実力と実績はあり、昔は立派な軍人だった。三十年前の彼ならば、僕も喜んで歓迎した」
ルスラン王への嫌がらせと妨害が大きな目的とは言え、ガストーネとてスヴィルカ騎士団の団長に選ばれるだけの実績はあった。
若い頃は志高くも立派な騎士だったが、地位が上がって、年を取り……彼は保身に走るようになってしまった。自分の地位を守ることに固執するようになり、手柄を立てることよりも安全に生き残れる道を選ぶようになった――そうなった時点で、軍人としては引退すべきなのだが……。
「ファルコは、また臆病風に吹かれて動かなかったんだろうって言ってた」
「……アンドレイやガブリイルも同意見だ」
ルスランは違うんだね、とメイベルが呟く。
感情の色が見える彼女には、ルスランがその意見に納得できないのも見抜いているはず。隠すことなく、ルスランも真意を打ち明けた。
「僕は、やつが僕を裏切ったと考えている。僕を裏切って……誰かと取引した」
保身的なあの男がヴァローナ王を裏切るのなら、それ相応の対価が用意されてなくては――裏切りですら、あの男はそう簡単に動かない。
ヴァローナ王に代わって自分の地位を保障してくれる人間が登場しない限り……。
「メイベル。スヴィルカ騎士団領に、共に向かってくれないか。ガストーネ含め、騎士団の連中のことを君の目で見てほしい」
「それはいいけど……私の目って、見え方が中途半端だから……」
感情の色から相手の本心を見抜くが、その判別についてはメイベルが自身の経験に基づくもので、独断と偏見でしかないことが大前提だ。明確な裏切りや取引相手が分かるわけではない。
役に立てるかとメイベルは心配しているが、ルスランは気にしていなかった。メイベルの目と判断能力には十分助けられている。
「無論、君の出産が終わって、十分療養してからだ。となると、さすがに年明けか」
自分で言っておいて、ルスランも考え込む。
今日明日にも子どもが生まれるかもしれない。だからと言って、生んですぐにメイベルにスヴィルカ騎士団領まで旅をさせるわけにはいかない。
一、二ヶ月は療養に務めるとなれば季節は冬へと変わり……冬に彼女に旅をさせるのは忍びない。そうなれば雪も解けてから……。
「だったら、今年はもう戦はなし?」
「そうなるな。いくらなんでも、背信者を抱えて戦には出られん」
前面の敵と向き合うヴァローナ軍の背後から、スヴィルカ騎士団が斬りかかってくるかもしれないのだ。そんな危険を冒せるわけがない。
少なくとも真偽がはっきりするまでは――そう考えて、ルスランはため息を吐く。
今年唯一の戦だったというのに、何とも微妙な結果で終わってしまって。
ようやく手柄を立てるチャンスと意気込んでいた兵士たちもガッカリだろうが、ルスランも残念でならなかった。
そんな夫の感情を見抜き、メイベルが困ったように笑う。
「本当に深刻な状況なんだね。早く解消されるように、私も頑張る」
「……すまない。君にプレッシャーを与えるつもりはなかった」
そんなつもりはなかったが、メイベルに気負わせてしまったことをルスランは素直に詫びる。
スヴィルカ騎士団の動向と真意は気掛かりだが、彼女はもっと重要な仕事を抱えているのだ。誰がどう考えたって、そちらが優先されるべきである。
「どちらにしろ、春までは僕も大人しくするしかないんだ。君もつまらないことは忘れて、自分の身体を労わってくれ――君が無事に出産を終えることが、いまは何よりも重要だ」
ヴァローナ王の後継ぎを生む。その大役を担っている彼女に、いま話すべきことではなかったかもしれない。
抱いてしまった疑惑を話せる相手がメイベルしかいなかったものだから、つい……。また彼女の寛大さに甘えて、いまの段階では無用な心配事を抱え込ませてしまった。
メイベルを抱き寄せ、大きくなった彼女のお腹に触れる。
無事に出産が終えることこそ、何よりも重要――それは、紛れもないルスランの本心だ。
無事に出産が終わって……メイベルが無事でいてくれること。いまのルスランが望むのは、ただそれだけであった。
それから三日と経たず、メイベルの出産が始まった。
昼前に執務室でその知らせを聞いたルスランは、そうか、と答えた後、政務に戻って、軽い昼食を取り、また積み上げられた書類を片付け始めて。
……完全に上の空であることは、共に仕事をする宰相もとっくに気付いていた。
「――陛下。どうぞ休憩を取り、ゆっくり王妃様の身をご案じください。いまの陛下では仕事になりません」
ついに、見かねた宰相はそう言ってしまった。
実際、いまのルスランはミスが多すぎてちっとも仕事が進まない。
書類を書かせれば誤字脱字だらけで書き直したほうが早いレベルに修正が必要になり、書類を読ませれば同じものを何度も手に取っては書類の山に戻し、という無駄な作業を繰り返している。
今回ばかりはそうなってしまうルスランの気持ちもよく分かるので、宰相も、王に仕事をさせることのほうを諦めることにした。
「私があれこれ考えても何の役にも立たん。男の私は、部屋に立ち入ることも禁じられているし」
「役に立たないことは諦めますので、私の仕事を増やすのはご勘弁ください。好きなだけウロウロしてきてくださって結構ですから」
珍しく真面目に仕事をしているのに失礼なやつめ、と言いながらも、ルスランも役立たずの自覚はあったので執務室を出ることにした。
特にあてもなく……何ができるわけでもないが、じっとしていられない。
「これなら戦にでも行っているほうがずっと気楽だった」
一人で廊下を歩き、思わずそんなことをこぼしてしまう。
王妃付き女官たちが聞いていたら、なんて不謹慎な、と目を吊り上げて怒られていたことだろう。いまだけは、一人で愚痴をこぼすぐらいは許してほしい。
ウロウロと廊下を歩き回るルスランは、中庭で若い王妃付き女官たちと友達のイグナートに囲まれながらも、ベンチに座り込んだまましょんぼりして動く様子のない王子レオニートを見つけた。
女官たちは幼い王子に遊びを勧めているようだが、レオニートは小さく首を振るばかり。
ルスランが中庭に入ってくるのを見ると、べそべそと泣き始めた。
「ははうえ」
出産に臨むメイベルから引き離されて時間が経ち、レオニートは母親が恋しくなってきたらしい。
ルスランは苦笑して王子を抱き上げ、慰めながら言った。
「ヴァローナ王の息子ともあろうものが、そんな情けない姿を晒すんじゃない」
不安な気持ちは、よく分かるが――王になる者には、内心の不安も動揺も、表に出すことは許されない。
いずれは幼いこの子もそれを理解して、人前で涙を流すことなどなくなるのだろうか。ルスランは……最後に人前で涙を見せたのは、いつのことだっただろうか……。
「陛下」
中庭に、女官長代理のオリガがやって来る。ルスランを探していたらしい。
ルスランは彼女が声をかけてきた理由をすぐに察した。
生まれたか、と。王子を抱きかかえたままオリガに詰め寄って言った。オリガは笑顔で頷く。
「はい。おめでとうございます――美しくも元気な王子様のご誕生にございます」
「男か。メイベルは――?」
「出産は特に問題なく終わり、王妃様も陛下のご到着をお待ち申し上げておられるところです」
それだけ聞くと、ルスランはすぐにメイベルのいる部屋に向かった。
王子レオニートを抱っこしたままだったことも、すっかり忘れて。
部屋の前でレオニートも連れてきてしまったことに気付いたのだが、まあいいか、と一人で勝手に納得して部屋に入り、ラリサに出迎えられる。
ラリサに案内されてさらに奥の部屋に入れば、清潔なベッドの上で、小さな赤ん坊と共にメイベルが横になっていた。
「ルスラン……リオンも……」
入って来た夫の姿を見上げ、メイベルは幸せそうに微笑む。
父親に抱かれて部屋に入った王子レオニートは、くりくりとした目を真ん丸にして、赤ん坊を凝視している。兄弟の対面に、メイベルはくすくす笑った。
「名はユリアンだ」
レオニートを抱く手とは別の手で赤ん坊に触れながらルスランが言えば、とても良い名前、とメイベルが言った。
小さな赤ん坊はおくるみに包まれて、すやすやと眠っている。
……レオニートの時は、生まれて少し経ってからの対面だったので、ルスランは生まれたばかりの赤ん坊というものを初めて見たかもしれない。
しわくちゃだな、というのが正直な感想だった。レオニートは一目で母親似だと分かったのだが……。
「ありがとう、メイベル。ゆっくり休んでくれ」
メイベルの頭を撫でると、メイベルはもう一度ルスランを見て微笑み、あっという間に眠りに落ちる。
その様子に、出産というのがどれほどの大仕事なのか、改めて思い知らされた。
眠ってしまった母親にレオニートが手を伸ばそうとするので、ルスランはベッドから離れる。不満げな幼い息子の頬を軽くつまみ、我慢しろ、とルスランは言った。
僕も色々と我慢しているんだぞ――という一言を付け加えたら、ラリサから呆れられてしまった。




