調査隊 (3)
ほぼ何も得るもののなかったライムーン船調査の一件を終え、ルスランはグランオーレ騎士団とアトラチカ騎士団の親睦会にさっさと切り替えてしまっていた。
夜には宴会が開かれ、各々、無礼講で楽しんでいる。
「徒労に終わってしまったが、こちらが何か損をしたわけではないのだから良いか。これで死人でも出ていたら洒落にならん」
酒を片手に、ルスランが愚痴をこぼす。伯父ギバルトも酒を飲み、陽気に笑い飛ばす。
「それだけは不幸中の幸いであったな。たまにはこういうこともある。ワシは、ヴァローナ王の奢りで女と酒を楽しめて悪くない仕事だったと思っておるぞ――メイベル、ワシにも酌を頼む」
「――僕が選り抜いた美女を呼んであるだろう!しっかり侍らせておいて、メイベルまで毒牙にかけようとするんじゃない!」
今回の宴は、例のギバルトお気に入りの娼館を貸し切って行われていた。
この店だけでなく、町中から選りすぐった美女を呼んでギバルトを始め騎士団の兵士たちをもてなしている――ルスランと妻がいる将軍アンドレイだけは例外だ。
ルスランはメイベルを抱き寄せ、自分にぴったりとくっつかせている。伯父が手招きしてメイベルを呼び寄せようとするのを、目を吊り上げて跳ね除けていた。
「ケチくさい男だ……仕方がない。リオンで我慢しておこう」
そう言ってギバルトがメイベルの膝に座る幼子に手を伸ばせば、王子レオニートはにこにこ笑い、ギバルトに抵抗されることなく抱っこされる。ルスランは、伯父が息子に近づくことも許容しがたいらしい。
「リオンを可愛がってくれるのはいいが、悪いことを教えるんじゃないぞ」
「おまえにだって教えたつもりはなかったぞ。そっちが勝手にワシの真似をし出したのではないか」
夫が自分の伯父と睨み合っているのを、メイベルはくすくす笑って見ていた。王子レオニートはギバルトの膝でもぐもぐと甘い果物を食べている。
優れた海軍技術を手に入れられずにガッカリしているルスランには申し訳ないが、メイベルは今回の旅をとても楽しんでいた。
千年前の遺物を見て、触れて……懐かしい人たちにも再会できたし、いつか会ってみたいと思っていたルスランの身内にも会うことができた。彼らに息子のことも紹介できて、メイベルにはこれ以上ないほど楽しい休暇であった。
盛装をしたルスランの耳には、メイベルの耳についているものとよく似た耳飾り……。互いに片耳だけのそれは、大切な記念の品になりそうだ。
宴は賑やかに、そして楽しく続き、やがてギバルトの膝の上で幼い王子が大きなあくびをする。
ごしごしと目をこする我が子に手を伸ばし、メイベルが抱きかかえた。
「リオンもとても楽しくて、はしゃぎ疲れたみたい」
メイベルが抱くと、母親の肩にこてんと頭を置いて、レオニートは眠り始めた。ルスランも、眠る息子の頬を撫でる。
「君たちは先に宿に戻るといい。僕はもう一杯だけ楽しんでから帰る」
ルスランの言葉にメイベルは頷き、王子を抱いて、乳母と女官たちを連れて宿へと引き上げていく。
酒を飲みながらルスランはそれを見送って――ギバルトも手に持っていたものをぐい、と飲み、口元を拭ってルスランを見た。
「……おまえの兄が、最近、ヴァローナの国境付近で目撃されておる」
声を落とし、ルスランにだけ聞こえる声量でギバルトが言った。
すぐそばにいた将軍アンドレイや宰相ガブリイルにはその声が聞こえていたが、酔って、楽しく騒いでいる兵士たちの耳には届かない。
ルスランは伯父の話に反応しないよう努めながら、その話に耳を傾けていた。
「すぐに出て行ったがな。ヴァローナに入って数日滞在した後、通り過ぎて行った。亡くなったジェミヤン王子の妻子が突然王城を訪ねてきたと言うておっただろう。どうも彼女とも接触があったらしい」
「エリザヴェータ様が血迷ったのは、ロジオンが余計な入れ知恵をしたからということですか?」
宰相が尋ねる。
そこまでは分からん、とギバルトは首を振った。
「あやつはずっとルスランを恨んでおるからな。不当な王を王座から引きずり下ろして、自分こそがヴァローナ王にと……そのような妄想を抱き続けてきた。おまえに王子が生まれたことで、いよいよ焦り出したのではないか」
ギバルトは返事をしない甥を見る。宰相や将軍も、ルスランに注目した。
ルスランは何も言わず、酒を飲む……。
「……ひとつ、ずっと懸念していることがある」
ギバルトに侍っていた女たちはいつの間にやら全員どこかに行っており、ルスランの盃も空になっていた。しかし、人を呼ぶことはしなかった。
いまは誰も近付けたくないというオーラを、ルスランたちは発していた。兵士たちも空気を読み、何も気付かぬそぶりで楽しく宴を続けている。
「やつは私を倒すために支援者を求めている。いまのところはその目論見はうまくいっていなかったが、ここに来てやつの支援者になりそうな人間が出てきてしまった」
「ほう」
ギバルトが意外そうに相槌を打つ。
ルスランの兄ロジオンは、その資格のない弟に不当に玉座を奪われたと思い込んでいるが、誰がどう見てもヴァローナ王に相応しい資質を持っているのはルスランのほうである。
そんな小物を支援して、ヴァローナ王を敵に回そうという奇特な人間がいるはずもなく、ロジオンの野望は十年経ってもスタートすらしていなかった。
それなのに――と、ギバルトは思う。ルスランは言葉を続けた。
「黒雷だ。イヴァンカ皇帝ミハイル」
「……おまえは、ずいぶん冗談が下手になった」
「生憎と、私は大真面目だ。下手な冗談と笑い飛ばせればよかったのだがな」
将軍と宰相も互いに顔を見合わせ、ルスランの主張をすんなりとは受け入れられないようだった。
ルスランは、幼馴染みのそんな反応にも構わず言った。
「黒雷はメイベルを欲している。メイベルを手に入れる絶好の機会として、我が兄に面白半分で手を貸す可能性が出てきた」
「……王妃様をお望みならば、ノルドグレーン王のほうが手を貸す理由があるのでは?」
おずおずと、宰相ガブリイルが口を挟む。
ノルドグレーン王エリアスのメイベルに対する執着心は、去年の内に証明済みだ。すでに実際に行動に移したこともあるし、黒雷よりもよほど……と宰相も将軍も思ったのだが、ルスランは首を振る。
「ノルドグレーンにとって、ヴァローナは対等な敵だ。エリアス王の性格からしても、正面から挑んで私に勝てばいいだけなのに、ロジオンのような輩と手を組むとは思えん。その点、黒雷にとっては――勝とうが負けようがイヴァンカには何の損害もなく、命じられればロジオンならば何の躊躇いもなくメイベルを差し出してくる。私の忠誠心も、心底信頼しているわけではないだろうしな」
イヴァンカ皇帝にとって、ヴァローナ王ルスランは警戒すべき対象。それはギバルトたちも認めるしかない。
いまのところはルスランを気に入って厚遇してくれているが、いつ手のひらを返してくるかは分からない――あの男の気まぐれを、ギバルトたちも読むことができなかった。
しかし、と将軍アンドレイが口を開いた。
「ロジオンに手を貸す可能性と言っても……ただむやみやたらに陛下と戦って、あの男に勝ち目があるはずもございません。それぐらいのことは、黒雷とて予想しているはず。ロジオンが負けようともイヴァンカに何ら影響ないとはいえ、そのような無駄な消耗を許す皇帝ではありますまい」
「それはその通りだ。私も、やつに負けるなんて考えたこともない。だから、黒雷もロジオンの妄言など歯牙にもかけずに無視すると……そう思い込めたら良かったのだがな」
どうしても、不吉な予感が脳裏をかすめてしまうのだ。
裏切るはずのないノルドグレーン王の前兆を見逃してしまった経験が、ルスランにそのような不安を与えているのかもしれない。
いままでの自分だったら、ヴァローナ王ともあろう者が臆病風に吹かれたのか、と自らを叱咤して笑い飛ばしたのだが……。
「考え過ぎだ……と、いまのワシに言えるのはそれだけだな。国外にいる以上は、こちらもロジオンに手出しすることはできん」
ギバルトが言い、残った酒を一気に飲み干す。
手に持った空の盃をじっと見つめ、ルスランはそれきり黙り込んでいた。
メイベルが眠ってしまった王子と自分付きの女官たちを連れて宿へと帰る途中のこと。
同じように自分たちの宿に戻る途中であったハルモニア副宰相アルフレートとグランオーレ騎士団の団長ヴァルターと出くわし、メイベルは声をかけた。
「おまえも戻るところか――幼い子には、もう遅い時間か」
メイベルが抱きかかえている子を見て、ヴァルターが笑って言った。
「二人も宿に?二人だけ?」
グランオーレ騎士団の兵士たちの姿が見えず、アルフレートとヴァルターは本当に二人きりだ。メイベルが問うと、アルフレートが頷いた。
「兵士たちはまだ宴を楽しんでいたいようでしたから。私はああいったものを楽しめない堅物ですし」
「俺も興味はない。本来なら、あんなバカ騒ぎをしている部下を叱り飛ばす側なんだぞ」
……確かに。
グランオーレ聖堂騎士団に所属する兵士たちは一応聖職者であり、女も酒もご法度――言うまでもなく、アトラチカ聖堂騎士団も同様である。
仕事も終わったし、ヴァローナ王の厚意によるもてなしなのだから……とヴァルターも規則を持ち出すことは止めて、今晩だけは見逃してあげているのだろう。
……メイベルは、夫の提案を諫めるべきだったかもしれない。
「――冗談だ。兵士たちにもたまには息抜きも必要だ。グランオーレの兵士たちはよく規則を守っている。羽目を外しても良い時を、しっかり作ってやらなくてはな」
「ヴァルター……本当に、グランオーレ騎士団の団長として頑張ってるんだね」
メイベルが素直に感心して言えば、ヴァルターはちょっと黙り込んだ。
素直じゃないはとこはうるさく言い返してくるかと思ったのに。メイベルが意外な思いで首を傾げていると、ヴァルターが口を開いた。
「……おまえも、ヴァローナ王妃としてしっかりやってるみたいだな。アルフレートがやたら心配していたので、俺も気にはしてやっていたんだ。本当に大丈夫なのかと――」
メイベルがヴァローナに嫁ぐことになった経緯。そしてヴァローナでアルフレートと再会した時の状況。
それらを考えると、アルフレートがハルモニアに戻ってからもずっとメイベルの身を案じていたこと――そんなアルフレートの話を受けて、ヴァルターが心配するのも納得しかない。メイベルも、立場が逆だったら相手のことが心配でたまらなかっただろう……。
「アルフレートはおまえがルスラン王から酷い扱いを受けているのではないかと気にしていたが――」
ヴァルターがメイベルに顔を近づけ、声を潜めて言った。
少し離れたところにヴァローナ王妃付きの女官たちがいるので、彼女たちに聞かれないようにしたのだ。
「あいつは、おまえの目のことを知っているのか?」
ヴァルターの問いに、メイベルが小さく頷く。アルフレートもそのやり取りを見ていた。
「――そうか。なら……。アルフレート、おまえの気にし過ぎだ」
アルフレートに振り返り、ヴァルターが言った。
「ヴァローナ王がこいつを愛しているのは間違いない。おまえからすれば納得いかないやり方なのだろうが……こいつを普通の女扱いしている時点で、ヴァローナ王の愛情は本物だ。なにより、メイベルの顔を見れば答えは分かりきっている――おまえも本当は、とっくに分かっているくせに」
納得いかないような表情のアルフレートを、ヴァルターが取り成す。
昔からの付き合いだから、ヴァルターにも分かるのだ――メイベルが心配でならないアルフレートの気持ちも……ヴァローナ王を愛し、愛されて、メイベルが自分の道を定めたことも。
ハルモニアの箱入り姫の居場所ははもう、自分たちの隣にない。彼女が望むのは、ルスラン王の隣なのだ。
そのことに寂しさと痛みを感じつつも、ヴァルターははとこの決断を尊重する――彼女がどこで何者になろうとも、自分たちが望んで進む道も変わらないのだから。




