メイベルの弱点
メイベルがルスランの伯父ギバルトを正式に紹介された翌日から、ルスランたちは発見されたライムーン船の調査を始めていた。
千年以上も前の遺物にメイベルも興味はあったが、彼らの仕事を邪魔するわけにはいかない。
というわけで、メイベルは女官たちと共に宿に残って休暇を楽しんでいた。
小さな島はのどかで治安も良く、警備の兵士はいるが宿の部屋には王妃付き女官ばかりで、メイベルもゆったりとした寛衣でくつろいでいた。
海の見える広いテラスで、息子のレオニートと乳母のラリサの息子イグナートが遊んでいる。最近のレオニートは友達の存在を意識するようになって、イグナートと一緒に何かをしたがるそぶりを見せるようになった。
我が子の成長を微笑ましく眺めていたメイベルは、テラスのベンチに腰かけてため息を吐く。
「王妃様。日差しが強くなってまいりました。お部屋に戻って、お休みになられてはいかがでしょう」
メイベルに付き添う女官長代理のオリガが声をかけてくる。
そうしようかな、とメイベルは頷いた。
子どもたちはまだここで遊びたいようだ。レオニートのことは乳母のラリサに任せ、メイベルは先に部屋に入ることにした。
体調は落ち着いているのだが、やはりお腹も大きくなってきたことだし、妊娠中は何かと疲れやすい。
部屋に入ると、ゆったりとした寛衣も脱ぎ肌着一枚でメイベルはベッドに横になる。
オリガは出入り口の外で控えているので部屋は静かだ。開けっ放しになった窓から、時折心地よい風が吹いてくる。
ウトウトとしていると、オリガが部屋に入って来た。
薄手の上着を手に、来客が、とメイベルに伝える。
「ギバルト団長がお越しです。特に用があるわけではなく、王妃様のお顔を見に立ち寄っただけだとおっしゃっていますが……」
仕事中のはずなのに?と首を傾げつつ、メイベルは上着を羽織り、寝室を出ようとした。
だが、それよりも先に伯父ギバルトが部屋に入ってくる。
「休んでおると聞き、入らせてもらった。そのままで良い」
メイベルの返事も待たずに入って来る男に、オリガが内心では否定的な感情を抱いているのが見えた。ギバルトもオリガが歓迎していないことは察しているだろうに、気付かないそぶりでニコニコしており、メイベルのほうが苦笑してしまう。
……この憎めない感じも、ルスランによく似ている。
メイベルが目で合図すると、オリガは頭を下げ、部屋を出て行った。
「どうぞ――このような姿で申し訳ございません」
「構わん。むしろ、そういった恰好のほうがワシの好みだ」
寝室の片隅にある長椅子をすすめると、伯父ギバルトは笑って応じた。向かい合って座ろうとしたのに、伯父はメイベルの隣にサッと座ってくる。
一応、距離を取ろうとしたのだが、手を取られ……メイベルの細い手首にギバルトが触れた。
「……うむ。少し体温が低いな。顔色は悪くない、が……子を宿しているとなれば、やはり平時よりも負担は大きかろう。無理はせぬようにな」
「お気遣いありがとうございます」
脈を確認するようにメイベルの手首に触れていたギバルトは、今度はメイベルの顔の少し下あたり……首元に触れてくる。今度はそのあたりの脈を見ているらしい。
伯父をメイベルに近づけさせたくないと言っていたルスランのことを思うと、きっと安易に身体を触らせてはいけなかったのだろうが……思いのほか、彼は真剣にメイベルのことを案じてくれているので、メイベルは伯父の手を拒まなかった。
メイベルの体調を一通り確認すると、ギバルトはメイベルの腹に視線を落とす。膨らみ始めたばかりのそこは、座ると丸みが見えた。
「あのルスランが父親にのう……。先ほど、通りすがりに遊んでおるチビを見かけた。銀髪のほうがそなたたちの子であろう?」
「息子のレオニートです。後ほど、伯父上様にも紹介させて頂きます」
「笑った顔はルスランに似ておった。幼い頃のあやつのように、なかなか腕白な小僧になりそうだ」
当然ではあるが、伯父はルスランの小さい頃も知っているらしい。
レオニートの容姿は、メイベル似だと皆が言うが……。
「伯父上様は、ルスランが小さい頃もご存知なのですか?」
「チビだった時のほうがよく知っておる。城の外で育った子だったからな。母親と共に王城に連れ戻されてからは、さすがに交流が減った」
ルスラン本人からも、彼の生い立ちは聞いている。
ルスランの生母は前王の後妻で、夫とはあまり打ち解けられなかった――それが原因で母親は王城での暮らしを好まず、ルスランを連れて地方に引きこもっていた。色々あって王城に戻されることとなって、その後、若くして亡くなったと……。
「あれには気の毒な事をした――ルスランの母親のことだ。あれと王の結婚は、ワシのせいと言っても過言ではないからな。ワシの忠誠が欲しかったヴァローナ王家と、自分が偉くなるのは御免だが好き放題できる地位が得られるのは悪くないと身勝手なことを考えたワシとの思惑が一致し、妹は生贄に差し出されたようなものだった。若い頃は、何も考えずに妹を王家に嫁がせてしまったが……妹の早世の原因は、やはりワシにもあるだろうな」
その話も、ルスランから聞いている。
ギバルトのように明言はしなかったが、自分の母親がヴァローナ王に嫁ぐことになったのは、ギバルトを手放したくないヴァローナ王家の意向と、身分が高くなり過ぎたくなかったギバルト側の折衷案だった――上級貴族になれば、貴族同士のしがらみや義務からも逃げられなくなる。ギバルトは、そういうものを面倒がっていた。
「夫は……どなたのせいでもないと考えております。誰かが悪かったのではなく、全員が少しずつすれ違っただけで……」
ルスランのその考え方は、真理に近いのだろうなとメイベルも思っている。
誰か一人に原因を押し付けてしまうのではなく、全員で向き合うべき責任――そういう考え方ができる夫は、とても強い人だ。
誰かのせいにしてしまうほうが楽なのに、自分でも責任を背負うとする人……メイベルは、そんな彼を支えられる妻でありたくて、いまもまだ頑張っている最中である。
「……ルスランは本当に良い妻をもらった。やはりあやつの女の趣味は良い」
「伯父上様にそう言ってもらえると、私も励みになります」
ルスランのことをよく知る人から肯定してもらえるのは嬉しい。メイベルが微笑み、ギバルトも笑った。
「ワシは意外と褒め上手だぞ。あやつのこともちゃんと認め、褒めているのだが……ルスランのほうが、ワシが真面目に褒めると照れて逃げ出すのだ。それが面白くてワシもついからかってしまう」
「なんだか簡単に想像できてしまいます」
ルスランもそういうことをやりがちだから。
本当に、ラリサの言っていた通り、見た目も中身もよく似た伯父甥らしい。
「そなたのことも褒めておいた。するとルスランのやつ、目を吊り上げて妻には絶対に近づくな、と怒っておった」
……なのに来たんだ、と言ってしまいそうになったのは堪えた。ギバルトがニヤリと笑い、やっぱり二人きりになっちゃダメだったな、とメイベルも反省する。
――ギバルトの感情の色が、怪しい感じになっている。
「もう……ルスランが怒ると分かっていて、このようなことをするのは感心しません」
サッと伸びてきた手が、メイベルを長椅子に押し倒す。手を払いのけることもできなかった。
気付いた時には自分は長椅子に横たわっていて、自分に覆いかぶさろうとするギバルトをただ見上げているだけ。何をされたのかも分からなかった。
薄い上着を羽織っただけの肌着一枚だから、体勢を崩されたら肌着がめくれてメイベルは足が丸出しになってしまった。肌着の裾を直そうとするよりも先に、ギバルトが露わになった足を撫でてくる……。
「そう堅いことを言うな。可愛い甥が、ワシに絶対会わせたくないほどに愛しい妻と聞けば、興味が抑えられぬのも当然というもの」
意味不明の理屈だ。
メイベルをからかっているところもあるだろうが、本気の部分もある。メイベルの足に指を這わせながら、もう一方の手がメイベルの首筋に伸ばされ、絡みつく髪を払いのけられる。
上着は肌蹴て、大きく胸元の開いた肌着が見えていた。首筋に、ギバルトが顔を埋めてくる。
いよいよ、メイベルも本気で抵抗しないとまずい状況だ。しかし、ルスランでもびくともしないメイベルの細腕では、彼よりもさらに大柄な体格をしている伯父を押し退けられるはずもなく。
メイベルの足に触れるギバルトの手がさらに上へと伸び、メイベルの肌着を剥ぎ取ろうとする寸前で部屋に激高したルスランが飛び込んできた。
「伯父上!仕事をサボって何をしているのです!」
怒鳴りながら入って来たルスランは衣服以外何も身に着けていなかったが、武器を持っていたら、剣を抜いていたのではないだろうか。
長椅子の上で肌も露わに押し倒されているメイベルと、そんな妻に覆いかぶさるギバルトを見て、ルスランの怒りは振りきっていた。
「彼女は私の妻だと言っているでしょう!女が欲しけりゃ娼館に行け!」
「人の妻ほど魅力的なものはあるまいて。しかもおまえのお気に入りならば、ワシの好みぴったりであることも間違いないからな」
「――だったら僕が気に入った女を宛がってやる!メイベルには手を出すな!」
言い合うルスランとギバルトの横をすり抜け、こそっとオリガがメイベルに近づいて来る。
彼女も王妃を助けるべきかどうか迷っていたが、相手が王の伯父となっては迂闊に手出しできない――王が飛び込んできて伯父の暴挙を止めたので、ようやくオリガも動くことができたらしい。
メイベルを起こして上着を直し、せっせとメイベルの肌を隠してくれた。
「出て行け!そして仕事に戻れ!オリガ、アンドレイ、こいつをつまみ出せ!」
ルスランは怒り狂って命令し、恐らくはルスランに同行して宿に戻ってきた将軍アンドレイが、苦笑いでギバルトの退出を乞うている。
ギバルトはわざとらしく不貞腐れて、アンドレイ、オリガに見張られながら部屋を出て行った……。
残されたメイベルは、頭から湯気が出る勢いでカンカンになっている夫を見つめ、オロオロすることしかできない。
「メイベル……君も、二人きりになった瞬間にあいつをブスッと刺してしまえ!」
「ご、ごめんなさい……」
ルスランから不貞を叱られるのは初めてで、メイベルもしゅんと身を縮こませる。
そんな妻の姿に、激怒していたルスランが必死に冷静さを取り戻そうとするのが見えた。
「――いや……僕のほうこそすまなかった。襲われた君に配慮が足りなかった……だが、やつからは必死に逃げてくれ。頼むから」
怒りに任せてメイベルに八つ当たりしてしまったと、ルスランも反省しているようだ。
でも、ルスランが怒るのも最もだと思う。ルスランがあんなに嫌がっているのを見てたのに、メイベルも警戒心が足りなさ過ぎた。
「ううん。ルスランの伯父様だと思って、私もつい気を許し過ぎちゃってた……本当にごめんなさい……」
「嫌いになれない気持ちは分かる。色々問題児のくせに憎めない男で、僕自身も伯父のことは嫌いではない。ただ、二人きりになるのだけはダメだ」
メイベルは素直に頷きながらも、でも、と言った。
「ルスランに似てるから、ついほだされちゃうのもあるかも……。声もそっくりだし、二十年ぐらい経ったらルスランもあんな感じになるのかなとか考えちゃって……」
メイベルが伯父ギバルトに弱い理由は、ルスランに似ているというのが大き過ぎる。見た目も中身もルスランに似ている男に言い寄られたら、ものすごく拒みづらい。
ルスランは沈黙して眉間に盛大に皺を寄せ、大きくため息を吐いた。
「……そういう可愛いところが心配なんだ。本当に。いまも、感情的になっている僕を前にして煽ってるのかと思いたくなるようなことばかり……!」
「ごめんなさい」
ルスランの怒りを煽ってしまったと勘違いしてメイベルは涙目になったが、そっちの意味じゃない、とルスランから反論されてしまった。
――そっちの意味じゃない煽りとは、いったい何のことだったのだろう。




