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追う者、逃げる者 (1)


「陛下!」


騎馬隊を引き連れ、ヴァローナ将軍アンドレイがルスランたちのもとへ駆け込んでくる。

彼らには、ルスランが合図を出すまで待機と命じたはずなのだが……。


「イヴァンカ兵が続々とボクルンド城を脱出するのが確認され、我々も突入に踏み切りました。陛下の命に背き、申し訳ございません」

「……いや、おまえの判断は間違っていない」


陳謝する将軍を、ルスランが制止する。


「ファルコの話によれば、ラマンは逃亡に転じたらしい。それに合わせ、兵士たちも作戦通りに逃げ出した――最初からそういう取り決めだったに違いない。我々には、追跡している余力もないことを見通してな」


事実、ヴァローナ軍はそんなものを追っている余裕はない。ファルコが勝とうと、負けようと、この後はノルドグレーンから脱出する以外に選択肢などないのだから。


「無事に、メイベル様とレオニート様を奪還なさったのですね」


ルスランの腕の中にいる二人を見、将軍アンドレイが笑って言った。

本心では、まだ気がかりでならないことがあるだろうに……。


「アンドレイ。ラリサとミンカは城内にて身を隠しているらしい。小隊を率いて建物内に突入し、二人を必ず救出して来い。ファルコ、中の案内を引き受けてくれるか」


ルスランの言葉に、もちろん、とファルコが即答した。ファルコは将軍アンドレイと共に城内に来ていたバルシューンに声をかける。


「俺はアンドレイ将軍と行くから、ルスランとメイベルの護衛はお前がやれよ」

「お守り役かよ。仕方ねえなぁ」


舌打ちしつつも、バルシューンはファルコの頼みを引き受け、残ってファルコ隊を率いてルスランと共にヴァローナ軍の本陣に戻ることとなった。

将軍アンドレイは頭を下げ、ルスランに感謝していた。


「陛下のご厚意に報いるためにも、必ずラリサとミンカを助け出して参ります」

「急げよ。そろそろノルドグレーン側もこちらの動きに気付く頃だ」


王子レオニートの乳母ラリサは、将軍アンドレイ・カルガノフの妻。将軍もノルドグレーンに妻をさらわれた身であり、本心では彼女の無事をずっと案じていたことだろう。

ヴァローナの陸軍大将としてルスラン王の隣に並ぶ時は厳格なほどに王と国に忠誠を尽くし、ちらりともそのようなそぶりを見せなかったが。


ファルコに先導されながら建物内に突入していく将軍アンドレイを見送り、ルスランも片手で馬の手綱を握り直す。

もう片方の手で、前に座らせたメイベルの身体を抱いて支えながら。


「少し飛ばすぞ。リオンを落とさないようにしっかり抱いていろ」


ルスランが言えば、メイベルは素直に頷き、きょろきょろと周りを見回す我が子を抱きかかえ直す。


念のためにメイベルに注意を促したが、例え腕が引きちぎれようともルスランは妻と子から手を離すつもりなどなかった。




ボクルンド城から馬で駆けて一時間足らず。メイベルたちは、城へ向かうことなく待機していたヴァローナ軍の陣営に到着した。


王妃と王子を連れて戻ってきたルスラン王に兵士たちは喜び、無事に帰って来たメイベルのことをみな歓迎してくれたが、ルスランはその対応もそこそこにメイベルを馬から降ろすと妻の肩を抱いて大股で歩き、自分の天幕に向かう。


王子を抱いたままのメイベルも急ぎ足でルスランについて歩き……天幕に入った途端、強く抱き寄せられてルスランから唇を奪われた。


普段と比べて、かなり乱暴な口付けだったと思う。

でも、いまはメイベルも抵抗しなかった。その強引さを嫌だと感じなかった。


何度もキスしてくるルスランをメイベルは拒まなかったが、母親の腕に抱かれ、両親の間に挟まれてしまった息子は抗議した。

小さくも短い足で自分の胸を蹴り飛ばしているレオニートに気付き、ルスランがわずかにメイベルから離れる。


わざとらしく唇を尖らしている幼子に、ルスランが目を瞬かせた。

――あの変顔は、大人たちが反応してくれるのが嬉しくてよくやるようになったレオニートの癖だ。別に、本気で怒っているわけではない。


ルスランもふっと笑って、メイベルから息子を受け取り、ぷっくりした幼子の頬にもちゅっちゅっと何度もキスし始めた。

それも嫌だったみたいで、今度は顔をしかめてレオニートはいやいやと首を振っている。


そんな父子のやり取りを、メイベルはくすくす笑って見ていた。

愛しくも幸せな……メイベルが何よりも望む光景。


しばらくはその幸せにメイベルも浸っていたのだが、外が騒がしくなったのを感じ、ルスランと揃って天幕の出入り口を見る。

黙って天幕を出て行くルスランに、メイベルも何も疑問を抱くことなくついていく。


騒ぎの理由は、メイベルが察した通り、将軍アンドレイとファルコの帰還だった。ファルコは自分も馬に乗ったまま、器用にもラリサとミンカの乗った馬を引いている。


「ラリサ!ミンカ!」


将軍たちを出迎える兵士たちをかき分け、メイベルは二人に駆け寄った――ラリサは自分で馬から降り、ミンカはファルコに手伝ってもらって馬から降ろしてもらっていた。


メイベルの姿を見つけ、ミンカが号泣する。


「王妃様、ご、ご無事で……!本当に良かったぁ……!」


ミンカも本当はとても恐ろしくて堪らず、心細い日々の連続だったことだろう。ようやく救出された実感を得たようで、涙が止まらなくなってしまっている。

メイベルが泣き崩れるミンカを抱き寄せているのを、ラリサも苦笑しながら見ている――ラリサも、うっすら涙ぐんでいた。


「殿下もご無事で安心いたしました。陛下、本当にありがとうございました」

「礼には及ばん。当然のことだ」


王子を抱くルスラン王にラリサは礼を言い、ルスランも二人の無事を喜んでいるようだった。王子は大好きなラリサとミンカが来てくれたので、無邪気に笑っている。

――苦難の日々の中にあって明るさを失うことなくいつも笑っていてくれる王子レオニートは、メイベルたちの救いだった。


「再会を喜び、祝杯でも挙げたい気分だが、すぐに次の行動に移らなくてはならない。ノルドグレーンも、我々がブロムダールから脱出したことはとっくに気付いていることだろう」


そう語るルスランの表情は王のものであり、賑やかな空気が一変する。笑い合っていた兵士たちも気を引き締め、真剣な表情で王と向き合っていた。


「早ければ脱出したヴァローナ軍がボクルンド城付近に集結していることも、エリアスの耳には届いている頃だ。イヴァンカも派手に逃亡しているからな。察知されないはずがない。こちらの動きを見て、私がメイベルとレオニートを取り戻していることにも必ず気付く」


ルスランは、抱いていた王子をメイベルに返す。


「連中は私たちの国外脱出を何としてでも阻止したいはずだ。私が連中の国境越えを何としても阻止したかったようにな――メイベル。リオンと共に、その髪を染めてこい。君たちの髪色は嫌でも目立つ」


ルスランがそう命じるのも最もなことで、メイベルは夫お気に入りの銀色の髪を黒く染めることになった。短い時間で、手早く……とのことだったので、ちょっとまばらな黒にはなってしまったが、ひとまずは銀色を隠せていると思う。


髪が長いメイベルもそれなりに大変だったが、幼い王子はもっと大変だった。

痛くなどはないはずだが、執拗に髪を触られ、何やらもぞもぞやられ、気持ち悪い感覚におおいに機嫌を損ねたようだ。


ラリサが懸命にあやしても泣き止まず、最後は髪も乾ききらないうちにメイベルが抱っこしてご機嫌取りをして、ようやくぐずぐず泣く程度にまで落ち着いていた。


「部隊をいくつかに分けて国境へ向かう。アンドレイ将軍はルスランと別部隊だ――ラリサとミンカはそっちで移動するようルスランの命令だ」


自身も髪を黒く染め、右目に眼帯をして目立つ容姿を地味にしたファルコが、ルスランからの伝令を伝えに来る。


ノルドグレーン軍――エリアス王の狙いは、メイベルとルスラン。

どちらを優先するかはエリアス王次第なので確実なことは言えないが……いまのルスランならメイベルを手離さない――メイベルも高確率でルスランと一緒にいると、向こうも考えるに違いない。


そうなると、常にルスラン王のそばに控える将軍アンドレイも目を付けられやすい人間だ。それを逆に利用する。将軍アンドレイを別部隊で行動させれば、ノルドグレーン軍はそちらも追跡しようとするだろう。


ここはノルドグレーン王国。数では圧倒的にヴァローナ側が不利だ。少しでも向こうの戦力を分散させたい。ルスランはもう、正面から戦う気はなかった。


「メイベル、レオニートはもちろんルスランと一緒。俺もあんたたちと行く」


髪を染め終えたので、メイベルたちもルスランの待つ天幕へ向かう。メイベルたちが入って来たのを見て、天幕の中央の机に地図を広げて将軍アンドレイと険しい顔で話し合っていたルスランが、こちらに振り返った。

ルスランは何も言わなかったが、そばに来いと視線で呼び寄せられているような気がして、メイベルも話し合いに加わり、地図を見下ろす。


「分散して逃げるが、国境越えの前に合流する。国境越えが可能な場所はいくつかあるが、女子供を連れているこちらは使えるルートが限られてしまっているから……エリアスも、そこに絞って兵を先回りさせているはず」


要するに……国境付近までは、追われても逃げ切るのはそう難しくないということか。難関になるのは、国境を越える時。

ルスランの説明を聞き、メイベルは自分なりに一所懸命考えた。


メイベルがゆっくり理解していく傍らで、ルスランは構わず説明を続けている。


「エリアスの狙いがメイベルか私なのは間違いないが、ラリサ、ミンカ、君たちとて必ず逃げ切れ。君たちを人質にされて、メイベルが何の躊躇いもなく見捨てられるとは思えないからな」


きっとルスランだったら、ラリサやミンカのことを容赦なく見捨てる。個人としては情に厚い男だが、王としては冷徹な判断を下す人だ。

ラリサとミンカもその覚悟はあるだろうから……せめて、彼女たちが諦めを早めてしまわないよう、そう言ったのだと思う。


メイベルは、ルスランの話に口を挟まなかった。

自分が成すべきことはひとつ――王子と共に、絶対に逃げ切ること。そうしないと、メイベルを救出するためにしてくれた彼らのこれまでのすべてが無駄になってしまう。

――メイベルも、もうノルドグレーン王城に連れ戻されたくない。


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