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鷹狩り (1)


国境を越えてノルドグレーンに侵攻するヴァローナ軍は、アレニウスの町、レーヴェンゴード要塞を落とした勢いのままにブロムダールの砦を落としてそこを一時的な拠点とし、籠城していた。


最初は本気で王都に攻め入ってでも妻メイベルと息子レオニートを取り戻すつもりだったが、エリアス王に近いノルドグレーン貴族からルスラン宛てに密書が届き、侵攻計画を変更したのだ。


そのルスランは、自分のもとに届いた新しい密書を読んでいた。


「……奇妙な展開になったな」


すでに、ヴァローナ側もイヴァンカの介入とラマンの要求は伝わっている。この密書を届けにきたイヴァンカ兵が、手紙を差し出すと同時に口頭で伝えてきたから。


改めて密書を読んだルスランは、険しい表情のままため息を吐く。


「ボクルンド城にて待つ――要求はただ一つ、ファルコが一人で私のもとを訪ねてくること。武器はいくら所持していても構わない。王妃と王子、そして二名の女官たちの命は保障する。自分も兄の怒りは怖い。無用に彼女たちを傷つける意思はなく、私と鷹が対峙した結果に問わず彼女たちを必ず解放する」


ルスランが手紙の内容を要約して読み上げる間にも、ファルコは装備を揃え、手際よく身に着けていく。


ルスランは手紙から顔を上げて、アンドレイを見た。


「斥候の話によると、メイベル様たちが乗っていたと思わしき馬車が乗り捨てられておりました。多数の馬と乗り換えられた馬車の跡から推測するに、向かった場所はボクルンド城で間違いないかと思われます」


アンドレイの答えに、そうか、とルスランが相槌を打つ。


破竹の勢いで進軍を続けていたヴァローナ軍がブロムダールの砦に立てこもったのは、ノルドグレーン側からルスランに接触があったから。


セーデルブラード伯爵というノルドグレーン軍人から、王妃メイベル、王子レオニートをそちらへお返しする、というルスランへの協力の申し出があった。


エリアス王の意に背くことになるが、彼女たちに、自分もこの国を去ってもらいたいと強く望んでいる。そのためならば、悪魔にでも魂を売ろう。

――大仰な言いようだが、それぐらい彼も思い詰め、本気なのだろう。

セーデルブラード伯爵といえば、ホーカン将軍にも劣らぬ忠心厚い古参の軍人だ。その彼が主君を裏切って敵と通じようというのだから、並大抵の決意ではないはず。


ルスランのほうでも密かに間者を送り込んでノルドグレーン宮廷の実情を調べさせたところ、真面目で公平だったエリアス王は、毒婦メイベルにすっかり誑かされ、政務を放り出して情事に耽り、長く仕えてきたノルドグレーン貴族たちを蔑ろにするようになったらしい。

残念ながら、有能な宰相代理が目を光らせているノルドグレーン王城まで潜入することは叶わなかったので、具体的な詳細は不明だが……。


そしてセーデルブラード伯爵のもたらした情報によると、メイベルの虜となった彼は、あろうことかメイベルを戦場に呼び寄せる選択をしたとか。

……似たようなことをやらかして手痛い失敗をしたルスランとしては、エリアス王のその愚かな選択を嗤う気にはなれない。


とにかく、メイベルは宰相代理が目を光らせる王城から離れ、いままでで一番警備の薄い状況に置かれることになる。

護衛の人数、通るルート等詳細を教えるので、メイベル妃奪還に役立ててほしい――という密書を先に受け取り、王妃奪還に向けてルスランも準備を急がせていたのだが、どうやらそれを横取りされてしまったようだ。


それにしても……ここでイヴァンカが出張ってくるとは。


「ファルコ、頼まれてくれるか」


ファルコを見、ルスランが言った。

最後の銃を装備し終えたファルコが、ルスランに振り返る。


「当たり前じゃん。涙が出るほどありがたいチャンスだっていうのに、断るわけないだろ。あのくそったれ、今度こそぶっ殺してやる」


機会さえあれば、殺してやりたいと思っていた相手だ。ファルコには迷う理由のほうがない。


ラマンの要求を飲んでボクルンド城にファルコを単独で向かわせることは決定事項として――ルスランは考える。


「エリアスのほうはまだ気付いていない可能性が高い。ファルコの脱出に気付かれぬように我々は陽動に務める。その後、我々もブロムダールを出てボクルンドへ向かう」


ルスランが命じた。


ファルコが目的なら、ラマンもエリアス王の介入は迷惑でしかないはず。ノルドグレーン側には知らせていないと考えると……メイベルがボクルンド城にいることを、彼らはまだ把握していない。

イヴァンカの介入すら、エリアス王の耳には届いていないかも。


そうなると、下手にルスランたちが動いて彼らの関心を引くような真似は避けるべきだ。

メイベルをただ取り戻せば終わりではない。彼女たちを連れて、ノルドグレーンを脱出する道筋まで立てておかなくてはならないのだから。




ラマンの密書を受け取りルスランたちが動き始めた頃、メイベルはボクルンド城の一室に軟禁されていた。


部屋の外にはラマンが連れてきたイヴァンカの兵士たちが厳しく見張っているものの、室内の監視は緩い。

食事を始め、必要なものを兵士が運んでくる以外は、カシムしか自分たちを見張る者はいなかった。


給仕をしながら、カシムが微笑んで言う。


「――毒などは仕込んでおりません。ラマン様もおっしゃっていたように、メイベル様に直接的な危害を加えることは、我が主から禁じられておりますゆえ……あくまで、ファルコを呼び出すために人質の役をお願いしたいだけです」

「あなたの主は、ミハイル様?」


彼らの話すことを繋ぎ合わせていけば簡単に分かる推理とも呼べない単純な結論だ。

カシムはにっこりするだけで、返事はしない。


「ルスラン王のいるヴァローナ軍は、ブロムダール砦にいるそうです。ラマン様の密書が届き、すぐに動いたとしたら……あと一時間もすれば、誰かがこの城に到着するはず」


温かいミルクを淹れてメイベルに差し出しながら、カシムが言った。


「ルスラン王は……ラマン様の要求を飲んで、ファルコ様を一人でこの城へ向かわせるでしょうか……」

「すると思う。ラマン様の真意を探るためにも、まずは要求を飲んだふりはしないと、どうにもならない」


メイベルが言った。


あっさりと答えてしまうメイベルに、ミンカは不安そうな表情を向けてくる。でも、メイベルも彼女たちの真意を探るために、彼女たちとの会話は広げていく必要がある。

いまのところ、ラマンの目的がファルコ一人で、メイベルたちを傷ひとつつけることなく解放する意思に偽りはないようだが……。


「なるほど……。ファルコ様というのは、実にルスラン王の信頼篤い御方なのですね」

「カシムは、いつからノルドグレーンに潜入していたの?」


メイベルの問いに、カシムもあっさり答えた。


「ヴァローナ、ノルドグレーンが共同で対ダラジャドへの作戦を立ててすぐの頃からです。ノルドグレーン宮廷においては新参者だと以前もお話ししましたが、あれは事実ですよ。私、ノルドグレーンに潜り込んでさほど日は経っておりません」

「ダラジャドとの一件で、ミハイル様は貴女をノルドグレーンに忍び込ませたの?」

「はい。本当はイヴァンカとの合同部隊でヴァローナと共に戦いたかったのに、ラマン様のせいでイヴァンカ軍は介入できなくなりました。それで、監視代わりに私がノルドグレーンに――ルスラン王が相手では潜り込むことが難しそうなので、こちらを選んだのです。宰相代理のブレンダ様も厄介な相手ではございましたが……」


幼いレオニートは持っていた盃を落としてしまい、ミルクが机の上を汚す。それを素早く片付けながら、カシムは話し続ける。


「ダラジャドとの作戦が終わった後はイヴァンカへ引き上げる予定だったのが、ダリヤ様より興味深いことを聞かされたと、ミハイル陛下が引き続きの潜入をご命じになりました。ダリヤ様ご愛用の薬を、エリアス王にお渡ししたそうで」


イヴァンカ皇帝の妹ダリヤ・フォミーナ愛用の薬――それが何かすぐに察しのついたメイベルは、口を挟むことなく話を聞く。


「受け取ったエリアス王がその薬を誰に、いつ、どう使うか……。ミハイル陛下も、結末が気になったようです。私に見届けてこいと」

「つまり……ダラジャドで私の護衛役に選ばれたのは、偶然……?」

「ルスラン王はメイベル様を間者としてダラジャドに潜入させるつもりだとミハイル陛下に報告申し上げましたところ、可能ならばメイベル様に近づけとは言いつけられました。ノルドグレーンで間者を選び出す際に、ヴァローナ王妃の護衛役にこちらも女を用意すべきだという話になって、運よく私が選ばれました」


あまりにもカシムが正直にすべてを話すので、ラリサはその真意を疑っているようだった。


メイベルは、彼女が真実を話していると感じていた。

隠し立てする必要がなくなったと判断したカシムは、ただメイベルの疑問に答えているだけ。そこに何の感情も抱いていない。


話したところで、イヴァンカが特に不利になる要素もない――事実、メイベルはカシムに守られ、助けられ続けている。

イヴァンカ皇帝がノルドグレーンに彼女を潜入させていたことについて、ヴァローナはそれを非難する理由がない。このボクルンド城に来てからも、メイベルは危害を加えられているわけではないし……。


部屋の外が騒がしくなり、メイベルたちに声をかけることもなく部屋の扉が開かれた。

この城に着いて以来、無用にメイベルに近付くことのなかったラマンが部屋に入ってきて、メイベルの腕をつかんだ。


「鷹が来た。さあ、楽しい鷹狩りの時間だ――あなたには、もうしばらくだけご同行をお願いする」


ラマンは新しいおもちゃを手に入れたばかりの子どものように無邪気に喜び、目を輝かせてメイベルを引っ張って部屋を出て行こうとする。

メイベルのことは、長椅子に転がるクッション以下の認識かもしれない。


ただ残される王子や女官たちが心配でならなくて、無駄と分かっていてもメイベルも抵抗せずにはいられなかった。

一切通用することなく、引きずられていくが。


「ああ、ガキどものことが気になるのか」


廊下の先の階段まで来た時、ようやくメイベルが抵抗していることに気付いてラマンが言った。


ファルコのことですっかり頭がいっぱいになっているラマンは、メイベルに愛想を取り繕わなくなっていた。


「危害は加えないって言ったろ。興味ねえよ。本当に。俺の準備が終わるまでの足止めには使わせてもらうけど」


そう言って、ラマンは階段を上る。どうやら、屋上を目指しているらしい。


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