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メイベルの秘密 (3)


「ミハイル皇帝は僕より二つ年上だったかな。見た目だけならばかなり評判はいい。実際、かなりの美形だっただろう?」

「そうかな。そうなのかな……私は、ルスランのほうがかっこいいと思う」

「君は僕の喜ばせ方をよく知っている」


どうやら人をオーラの色で見てきたメイベルは、人の美醜にいささか疎いようだ。不思議そうに首をかしげる妻の頭を、ルスランはよしよしと撫でた。


「真っ黒な髪は綺麗だけど、髪がかすむぐらい真っ黒な色してる人だった」

「黒雷が見せた色は、ドス黒い赤では?」

「ルスランを見てた時はね。私を見た時は、真っ黒で……死の色以外で、あんなに真っ黒なの初めて見た」


メイベルは何気なく話しているが、ん、とルスランは引っかかる。


「私と君とで、黒雷が向けた感情が異なっていたということか?」

「うん。ルスランに対しては、かなり明確な殺意の色だと思う。私のは……なんだろう。執着、かな?色の動き方はそんな感じだったけど、あんなに不気味な黒色を見るのは初めて」

「執着」


ルスランが呟く。そして考え込んだ。

ハルモニアまで侵略して、さらに領地拡大させたことがイヴァンカ皇帝の逆鱗に触れたものだと思っていたが、彼には別の思惑があったのだろうか。メイベルに執着している……。




イヴァンカ皇帝を歓迎する宴には、メイベルは参加しなかった。部屋で休んでいていいとルスランに言われ、甘えることにした。


ラリサたちに身体を洗ってもらいながらゆっくり風呂に入って。

休んでいいと話したルスランは、何か企んでるようだったな、と考える。あれはメイベルのことを純粋に気遣ってくれている色ではなかった。色で感情が分かってしまうと言ってるのに……分かっていて言ったのだろうか。だとしたら、何を企んでいるのだろう。


誰かに相談できるはずもなくて一人考え込むメイベルに対し、ラリサはてきぱきと身支度を済ませていく。


湯浴みを終えると丁寧に髪を拭き、夜着に着替える――この季節に着るには、ずいぶんと薄手のものに。ルスランの寝室へ向かうのであれば、こういう衣装になるのも分かるが……。

まさか、イヴァンカの皇帝も訪ねてきているこの状況で、ルスランと共寝すると思われたのだろうか。ルスランもそれどころじゃないだろうし、さすがに非常識では。


しかし、ラリサはメイベルをルスランの部屋へ案内する様子はなかった。もともとラリサは出しゃばるようなタイプではないし、メイベルの意思を尊重してくれる。メイベルが行くと言わなければ、ラリサもメイベルの決定に従うはず。

ベッドの用意をさせ、メイベルは大人しく自分の部屋で就寝するつもりだった。


ドレッサーの前に座り、鏡越しにメイベルの下ろした髪を梳くラリサを見る。


女官長というだけあって、彼女も意外と一筋縄ではいかない女性だ。いつも静かな色をしていて、見極めるのが難しい。他の女官たちは表情は平静を装っていても、はっきりと色を出しているので分かりやすい。

たぶん、ルスランたちからの信頼度も彼女だけ格が違う。だから彼女の色には特に注視していた――ラリサも、何かを隠している。


「女官長」


女官のオリガが、ラリサに声をかけてきた。


オリガは王妃付きの女官としては二番手の格に当たる女性だ。ラリサがメイベルにつきっきりになりやすいので、女官長に代わって王妃付き女官たちをまとめる役割を引き受けることもあった。

厳格さと冷静さを絵に描いたような女性で、いつも完璧なまでの礼儀を持ってメイベルに接してくれる。

……そんな彼女も、色の見やすさでは他の女官に劣らない。


いつもと変わらぬ様子ではあるが、内心、ひどく動揺していることをメイベルはすぐに見抜いた。ラリサに近付いてそっと何かを囁いているが、不安そうに暗い青色が彼女の周りで蠢いている。

対して、オリガから何かを聞かされたはずのラリサの色は、揺らぎも変化も見えなかった。


「お客様がいらっしゃったようです。王妃様、どうぞお出迎えを」

「えっ?」


ラリサの色を見るのに集中していたメイベルは、一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

……言われたことを理解しても、今度は何を言っているのかと混乱して、別の意味でラリサが言ったことが理解できなかった。


自分はもう、就寝のつもりですっかり寛いだ格好をしており、ヴァローナ王妃として出迎えられるような姿ではない。肌もよく出ているような夜着だというのに……。ルスラン王以外で、いまの自分の寝室を訪ねてきていいはずがない。


――ルスラン王以外で。

嫌な予感が重りのようになってメイベルの足を引き留めたが、メイベルは部屋の出入り口へ向かった。扉の前で一度大きくため息をつき、ドアノブに手を伸ばす。

この扉を開けたくなくて。ドアノブを押してメイベルは手を止めてしまったが、外にいた男が、無慈悲にも扉を開けた。


「鈴蘭姫直々に出迎えてもらるとは、光栄なことだ。入れてもらえるかな?」


問いかけるような口調だが、部屋の主の返事も待たずにイヴァンカの皇帝ミハイルはメイベルの寝室へと足を踏み入れる。

扉の前で立ち尽くしているメイベルよりもずっと部屋の主らしく気楽に振る舞い、部屋に入ってメイベルの銀色の髪に手を伸ばした。


「ルスランから貴女の部屋を教えてもらったのだが……貴女は、何も知らなかったと見える。仮にもイヴァンカの皇帝を出迎えるのならもっと着飾るものだろう。私のことを強く警戒しているのに」


長い指先に絡めて銀色の髪を弄ぶ男に、メイベルは近付いた。髪を撫でる手の動きが、近くに来いと命じているように感じて。


皇帝ミハイルがまとう黒い色は、不気味に蠢いている。

人の手のようにも見えて……おぞましい黒い手が、近くにいるメイベルをつかもうとするような動きも見せた。これに実体はなく、人や物に触れるなんてことはあり得ないはずなのに、そう錯覚させてしまうような雰囲気があった。


「十年前に会った時も、貴女は最初から私の本性を見抜いて強く警戒していた。私の悪評は有名だが、それでも、初対面で見抜いた人間は少ない。あの時も、私は精一杯猫を被っていたんだけどね」


多少の自惚れ込みで、その手の取り繕いは内面の感情が見えてしまうメイベルには通じるはずがない。

でも、十年前……。兄が即位した時のことだと思うが、メイベルは彼と直接会った覚えはない。怖がりで臆病な自分は、兄が訪問客の対応をしているのを物陰からこっそり見ていただけ。


ルスランにも話したように、その中でこの人が強烈な色を放っていたことは覚えているが……それで余計に怖くなって、絶対に近づかないようにしていたはずなのに……。


「あっ」


自分の記憶を思い起こしていたメイベルは、不意に強い力で腕をつかまれ、身に着けたポーカーフェイスを崩してしまった。

見えたものに反応しないよう努めて感情を抑え込んではいるが、失ったわけではない。不意打ちを食らえば思いっきり顔に出てしまうし、抑えきれなくなることだってある。


メイベルの腕をつかんで引き寄せてくる目の前の男に、一瞬ではあるが恐怖と焦りをはっきり見せてしまった。

――深淵のように黒いミハイル皇帝の色も、一瞬ぼんやりとしたものになったような気がした。表情は変わらず……自分を見つめて、愛想のよい笑みを浮かべているが。


「……こうやって見ると、どこにでもいるただの女にしか見えないが……」


もう一方の手で、メイベルの顎をつかんで上を向かせる。真正面から見つめ合うかたちとなり、メイベルは目を逸らしたい衝動を堪えてミハイル皇帝を見つめ返した。


箱入りの自分は、ルスランよりもずっと幼く鈍感だろう。少し人と異なる能力を持っているから、賢いようなふりができているだけ。

……そして、この目に頼り過ぎた。


色ばかり見て、ミハイル皇帝自身を何も見ていなかったように――もっと、他のことも見なくてはダメだ。

無理やり見つめ合うことになって、彼の目を見て、悟った。鈍い自分でも分かる。ミハイル皇帝は隠すつもりがないのだ。むしろ、気付かせようとしているのかもしれない。


イヴァンカの皇帝は、メイベルの何かを探っている。もしかしたら、メイベルが何か特別な力を持っていることにまで勘付いているのかもしれない。

その力が何かをはっきりさせようとメイベルを試している……その正体次第では、力ずくでも自分のものにしようと……。


ルスランや大勢のヴァローナ人たちの死を招くのは――イヴァンカ皇帝がヴァローナを攻撃してくる原因は、メイベルだ。黒雷がメイベルを手に入れようとして、戦争を起こした。




ミハイル皇帝を歓迎する宴のために華やかに飾り付けられた大広間は、すでに撤収が始まっていた。

主役であるミハイル皇帝がいなくなっては続ける意味もないのだから当然である。


侍従長はミハイル皇帝がいなくなったことも、それであっさり片付けをさせようとする王にも戸惑っていたが、ルスランは構わず命じた。

静かに片付けられていく大広間を少し眺めた後、手つかずで残っていたグラスを取って一杯だけ酒をあおると、自分も大広間を出た。


自分に付き従う陸軍大将が、あからさまに物申したいという顔をしていても、素知らぬ素振りで廊下を歩いた。


「……メイベル様はご承知の上での企てだと、そうおっしゃっていただきたいものですな」

「メイベルには何も言っていない。私が何か企んでいることには薄々気付いているだろうが、何が起きるかは知らないはずだ」


非情な答えを聞き、将軍アンドレイはルスランを咎めるように、わざとらしいため息を吐く。


「何も知らせず、メイベル様を生贄に差し出すと」

「ラリサにはある程度話してある。細心の注意を払い、万一のことがあればすぐ知らせろと」

「その万一に、果たしてメイベル様の尊厳は含まれているのでしょうかね」


幼馴染の親友は、ルスランを非難した。ルスランは部下の反抗的な態度に腹を立てることもなく笑みを浮かべた。


「ラリサも私の命に従順に頷きながら、嫌悪感を示していた――夫として最悪の選択をしたことは自覚している。おまえたちの非難は正しい。私もかなりの苦し紛れだ」


ルスランの言葉に、将軍も非難がましい態度を引っ込める。どういうことかと、無言でルスランに説明を求めた。


「どうやら黒雷は、メイベルを特別視しているようだ。その幻想をぶち壊せれば、と思った。私はイヴァンカ皇帝のご機嫌取りをするためなら新妻をも差し出す愚王で、王妃は夫に言われるがままの、どこにでもいるありきたりな女だと思わせればと」


実際、特別な能力抜きであれば、メイベルはごく普通の少女だ。悲しいことがあれば泣き、不安や恐怖に怯え、好奇心を抑えきれずに知りたがって。


ヴァローナ王妃になってしまったからには、普通の女の子ではいられなくなってしまうことだろう。

――残念ながら、ルスランは彼女が普通の女の子でいられるようにするつもりはない。彼女を大切に守って来たハルモニア王とは違って。


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