メイベルの秘密 (2)
「イヴァンカ帝国は、ヴァローナにとって同盟国……よね?」
馬車の中、並んで座るメイベルに問われルスランは苦笑する。
「同盟と言ったって、実態はイヴァンカの属国さ。君の国まで侵略しておいてこういうことを言うのもなんだが、これだけ力をつけても帝国には敵わない」
「ルスラン、独立したかったの?」
ハルモニアと変わらない小国だったヴァローナは、ルスラン王の時代に領地を広げ、国力を強めてきている。それでも大帝国イヴァンカには敵わない上に、下手に力をつけてきたものだから、イヴァンカ皇帝から睨まれ始めている自覚もあった。
「もちろん。どこの国の王だって考えることだ。だがやり過ぎれば黒雷が潰しにかかる。慎重に進めてきたつもりだったが……僕は賭けに負けたってことかな」
ハルモニア王国を侵略すると決めた時、かなりの博打になるだろうと覚悟はしていた。ハルモニアは、さすがにいままで侵攻した小国よりも格が違う。
そこまで侵攻を進めるとなると、イヴァンカから危険因子と認定されて築き上げてきたものも無と化すのではないか。リスクを冒した結果、見事に自滅しようとしているわけだが……。
「うーん。毒でも盛ってみるか」
笑いながらそう言ってみたものの、メイベルは反応する様子はなく、いつもと変わらぬ表情だ。
当然か。メイベルからすれば、そんな不謹慎な冗談に笑っていられる心境ではないだろう。
メイベルから死を知らされて以降、ルスランのほうでも回避する方法、対策をあれこれ考えてきたにも関わらず、依然として自分を覆う死の色は消えていないらしい。
何をしていようとも絶望的な色が見えてしまう生活……メイベルの心労は、彼女よりずっと年上のルスランでも推し測ることができなかった。表情の起伏が乏しくなるのも当然だな……。
「ミハイル皇帝は、ヴォルドーの城で出迎えることになった」
「イヴァンカとの国境地帯。ハルモニアにも近い……」
「山岳地帯で、大軍を動かすには不向きな地形だ。最悪の事態が起きても、君が最初の予知していたよりはずっと被害が減らせるかと思う。もちろん、最悪の事態は何がなんでも回避するという意志は放棄していないが」
隣に座るメイベルの銀色の髪を指に絡めて遊びながら、ルスランは言った。
最初は王都でイヴァンカの皇帝を出迎える予定であったが、荒事も想定して場所は変更しておいた。それでも、小手先だけの策にしかならない。イヴァンカの皇帝が本気で全軍を投入してきたら、結局は一方的に蹂躙されて終わりだ。
「黒雷とは面識があったかな?」
「兄が即位したときに、ハルモニアまでお祝いに来てくれて一度」
ああ、とルスランは納得した。
自分がメイベルと出会ったあの時か。近隣諸国が祝いに来ていたのだから、イヴァンカ皇帝も含まれるのは当然だ。そう言えば、日程が被らないよう、当時ルスランも調整していた。
「私は直接顔を合わせたことはなくて、他の国の代表者たちの時と同じように、兄と会っているのをこっそり見てただけ……。小さかったから、顔とかはあんまり覚えてないんだけど、すごく強烈な色を持ってる人だったことだけははっきり思い出せる」
「想像に難くないな」
果たしてメイベルがどのように色を見ているのかは分からないが、黒雷ことイヴァンカの皇帝ミハイルが強烈なオーラの持ち主だというのは納得してしまう。そんな感じしかしない。
「僕もたいがい好戦的な軍人王だが、やつはそんな僕の比じゃない。イヴァンカの場合、内戦もうちとは比較にならんぐらい頻発しているしな」
メイベルは眉を寄せ、わずかに表情を曇らせている。
「すごく怖い皇帝っていうのは、噂でもたくさん聞いてる。処断とか処刑とか、不穏な単語が必ずついてくる人……」
「その認識でだいたい間違いないのが恐ろしいところだ」
ルスランとメイベルがヴォルドーの城へと入った翌日。
イヴァンカからの訪問客を迎える準備を進めていたルスラン王は、イヴァンカ皇帝の大行列が国境を越えてヴァローナに入ったとの報告を受けた。
「こちらもずいぶんと物々しく出迎える用意をするもんだと思ったが……向こうも負けておりませんなぁ」
ルスラン王のあとに関所から届いた報告書を読み、陸軍大将アンドレイ・カルガノフが言った。
たかが同盟国の友人の結婚を祝いに来ただけにしては、イヴァンカ皇帝の一団に人が多すぎる。それに対し、ルスラン王も警護と称してかなりの兵士を連れてきているが。
「陛下が城を出られる時も同じ忠告をしましたが、イヴァンカ側を刺激することになりませんかな?ミハイル皇帝がこれだけの数の兵士を揃えて訪ねてくるのは、こちらを警戒してのことでしょう」
「おまえの心配ももっともだ。私も、これについては自分の判断が正しかったのか自信はない」
メイベルから打ち明けられた彼女の能力のことは、幼馴染で腹心の部下でもある将軍アンドレイ、宰相ガブリイルにすら話していなかった。
能力のことだけならまだしも、ルスラン王の死まで宣告されたとなると、さすがにいまは話せない。
「武装は最低限と兵には伝えろ。ただし、おまえは完全装備でいい。イヴァンカの皇帝を出迎えるとなれば、陸軍大将に正装をさせるのは当然だからな。それぐらいのことは、私のほうで誤魔化す」
イヴァンカ側に敵意がないことを示すため、見え透いたやり方であっても必要以上の武装はさせられない。兵士を揃えるよりは、美女でも揃えたほうが効果はあるような気がするが……。
「毒じゃなく媚薬を盛るか。大帝国の皇帝と言えど男なら効くだろう」
「好戦的なことばかり考えつくな。メイベル様だっているんだぞ。何かがあれば、か弱い女性陣が真っ先に被害に遭うだろうに」
戦争する気でイヴァンカの皇帝を出迎えようとする王に、将軍も思わず敬語を忘れて素で諫めてくる。相変わらず、軽薄なように見えて、軍人として民を守る使命感の強さはルスラン王以上の男だ。
「とりあえず、私も着替えるか。国境を越えたなら、ヴォルドーには二時間もあれば到着する。ラリサに伝えて、メイベルも支度させろ」
イヴァンカ側の思惑がどうであれ、ルスラン王もヴァローナの威信を示すために正装は欠かせない。本来の正装よりは動きやすさを重視して簡略に済ませつつ、ルスラン王もヴァローナ衣装に着替えた。
正装に合う剣を腰に提げ――甲冑を着込みたい気分だが、部屋に置いてあるのを眺めていたらアンドレイに呆れられてしまったこともあって、止めておいた。
メイベルが着替えを終えた頃を見計って、彼女の部屋へ向かう。
扉の前で出迎えるのは女官長のラリサではない。少し早かったか。部屋の中に声をかけると、少しの間を置いてから扉が開いた。
ほとんど着終えてはいたが、メイベルの支度はまだ終わっていなかった。部屋の奥にある衝立の向こうで、ラリサを始めとする女官たちが彼女の衣装を整えている。自分に振り返るメイベルに、よく似合っている、とルスラン王は素直な賛辞を送った。
「まさに鈴蘭姫という賛辞がぴったりな美しさだ。ミハイル皇帝に羨まれそうだ」
ルスラン王の言葉に、メイベルはどこか困ったような表情をかすかに見せた。
照れているのか……状況が状況だけに、自分が王の死因になるようなことを言われて悩んでいるのか。
そばで聞いていた女官たちは前者と考え、クスクス笑っている。
初めて会った時に、成長すればさぞや美しい淑女になるだろうとは思っていた。メイベルとの結婚は政治的判断のもとに選択したことではあるが、美しい花嫁に期待しなかったと言えば嘘になる。
ようやく支度を終えた彼女に手を差し出せば、メイベルも手を伸ばし、ルスラン王の手を取った。
ヴォルドーに到着したイヴァンカの一団を、ルスラン王は城の前で出迎えた。
イヴァンカの皇帝ミハイルは、正装ではなく旅用の衣装のまま――いったん客室に案内して、着替えてもらう時間を作るべきだな。ということを、ミハイル皇帝に挨拶しながら即座に考える。
「お久しぶりです、ミハイル殿。私の結婚を祝うためにかような場所までわざわざ足をお運びくださるとは……」
「三年ぶりに、君の顔を見るのも楽しいかと思ってね。鈴蘭姫と名高いハルモニアの宝石も、せっかくならばこの目で品定めしてみたかった」
美しい笑みと穏和な声色で、ミハイル皇帝はルスラン王の出迎えに応対する。ルスラン王と挨拶の抱擁をかわした後、改めてルスラン、メイベルと向き合い、メイベルをじっと見つめた。
「……なるほど。戦いを愛する君が、心奪われるのも納得の可憐な姫君だ。ヴァローナの新たな女神に、私からもぜひ祝福を」
そう言ってミハイル皇帝はメイベルの手を取り、口付ける。
――いまのところ、大過なく進んでいる……ように見える。ミハイル皇帝から挨拶を受けるメイベルも、動揺するような素振りはない。長年、内面を表情に出さない努力をしてきた彼女の真意は、なかなか読み取りづらいところではあるが。
「歓迎の宴を用意しておりますが、お部屋に案内致しますので、まずは腰を落ち着かれて……急造ながら風呂も用意しました」
「君は相変わらずの風呂好きだな。この私に布教活動をするような人間は、君ぐらいだぞ」
一見すると、旧友同士の和やかなやり取り。
その実、ルスランはミハイル皇帝のわずかな機微も見逃さぬようにするので必死だ。なにせ相手は、笑いながら目の前の人間の処刑を考えられるような男なのだから。
「ルスランに対して、すごく嫌な色向けてた」
ミハイル皇帝が用意された客室へ入って行った後、二人だけになるとメイベルが言った。
そうだろうなとは思っていたが、改めて突きつけられるとルスランも頭を抱えてしまう。
「普通、誰かに敵意を向ける時って、怒りとか、恨みとか憎しみとか、色んな感情の色がぐちゃぐちゃに混ざり合って渦巻くはずなのに、ミハイル皇帝は黒っぽい嫌な感じの赤一色でびっくりした」
「……つまり、もう僕を殺すつもりで決めているということか。やはりハルモニアにまで手を出したのが原因か……?」
ミハイル皇帝がルスラン王を殺すと決めてヴォルドーへ来たとなると、その決定を覆す方法は思いつかない。本当に暗殺でもするか、と投げやりな思考になりつつも、メイベルの前ではそういうことを考えるべきではないな、と打ち切った。
ただでさえ不安なメイベルに、これ以上、嫌なものを見せるべきではない。
メイベルは俯いている――気の毒なぐらいに怯えている、無理もない。と思っていたのだが、違った。
「私……人の周りの色を見ることにばかり気を取られて、相手をちゃんと見てなかった……」
それは、未熟な自身への反省の言葉。メイベルを励まそうとしていたルスランは、「ん?」と間の抜けた相槌を打ってしまった。
「今日会って、気付いたの。会ったのは一度きり。小さかったとはいえ……ミハイル皇帝が黒髪だってことも覚えてなかった」
「それはたしかに大きな見落としだ」
イヴァンカの黒雷ミハイル。その異名は、彼の苛烈さと、長く美しい黒髪に由来している。あれだけ印象的な特徴、むしろ見落とすほうが珍しい。




