表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/168

逃亡と追跡 (1)


ノルドグレーンに戻るために国境を目指す旅の途中でも、エリアス王はたびたびメイベルを求めた。

メイベルはエリアス王を拒絶したりせず、彼の求めに従順に応じていた。


情事に耽るエリアス王は、そのたびに進軍を止めている。メイベルを捕らえてから三日も経つのにいまだに国境に辿り着けずにいるのは、そのせいだ。

だから、エリアス王に求められることはルスランに助け出してもらうために必要なこととメイベルも割り切っているのだが。


あの薬を飲まされることだけは、どうしても抵抗したかった。


「エリアス様、どうか……それはもう、いや……」


薬の効果が切れそうになると、エリアス王がやって来てメイベルにあの薬を飲ませようとする。

もともとの腕力差もあって抵抗できるはずもないのだが、なんとかそれだけは回避できないかとメイベルは訴え続けていた。


いまも、二人きりの天幕に連れ込まれたメイベルは、まだ薬の効果が抜けきっていない手で必死に自分を抱き寄せるエリアス王の胸を押す。エリアス王はびくともせず、メイベルの口元に盃を押し付けた。

固く口を閉ざしてやり過ごそうとしたこともあったのだが、そうなると、エリアス王は恐ろしいことを言い出してきた。


――あなたが飲まないのなら、他の者にこれを飲ませる。

見える感情の色からも彼の本気が伝わって、メイベルはぞっとした。


ラリサやミンカを自分の身代わりにすることも恐ろしいが、こんな強力な薬を、もし幼いレオニート王子が飲まされたりしたら……。


赤子では、意識の混濁などでは済まずに命を落としてしまうかもしれない。エリアス王がそこまで卑劣な男に落ちるなんて考えたくもないけど。

誠実で硬派だったエリアス王は、メイベルとの淫らな行為の虜になってしまっている。状況次第で、また変わってしまうかもしれない。


メイベルは、諦めて薬を飲むしかなかった。

最後の抵抗として、彼の良心に訴えかけるのが精いっぱいの手段だった。




日中は薬の影響でぼんやりとし、夜が来るとエリアス王との情事に耽るという異常な日々が終わりを告げたのは、五日目の夜のこと。


その夜も野営を敷き、自分の天幕にメイベルを連れ込んでメイベルを求めることに夢中になっていたエリアス王は、ウルリクという部下に呼び出された。

彼は若いながらもエリアス王の腹心の部下の一人のようで、常にエリアス王のそばに控えている。


ひとたびメイベルに夢中になると外からの声かけにろくに反応しなくなるエリアス王も、ウルリクの呼び出しにはさすがに手を止めた。

ウルリクはエリアス王の意思に背くことはめったにないようで、彼がエリアス王の邪魔をするなんて珍しいこと。こればかりは、本当にいますぐに対応せねばならぬことが起きたとエリアス王も察したらしい。


薬のせいで自由を失っているメイベルは、残されたベッドの上で一人、ぼんやりとエリアス王を見送った。

数分と経たずに戻って来たエリアス王は、雑な動きでメイベルにガウンを羽織らせ、いつもよりぞんざいに抱きかかえて天幕を出た。

――何か起きたのだ。エリアス王が大慌てになるほどの何かが。


荷台へと乗せられ、扉が閉められる。窓や隙間もない荷台は、扉が閉まると真っ暗だ。

ラリサやミンカはいない。


エリアス王は普段、ラリサやミンカ、王子のいる専用の馬車にメイベルを乗せている。

だがいまは、馬車を取りに行かせている暇もなかった。とにかく手近な荷馬車を使うしかなかった。

エリアス王が、そこまで慌てる出来事……。


――ルスランがすぐそこまで来ている。

メイベルは渾身の力を振り絞り、四肢を動かした。

薬で視界はぼやけ、頭は揺れて、ちゃんと動けているかどうかも分からない。でも、ここでなんとしても逃げ出さなくては。


暗い中を這い、手探りで扉を探す。

荷馬車は、中から扉を開けられるような作りになっていなさそうだ。ろくに力の入らない手で懸命に押してみるが、動く気配もない。

ルスラン、と声を張り上げて叫んでみても、実際に声が出ることもない。


そんな時、馬車が大きく揺れた。ひっくり返るのではないかと思うような揺れ方で、自分の身体を支えることもできないメイベルは揺れに合わせて身体を馬車のどこかにぶつけて……弾みで、開いた扉から地面へと転げ落ちる。


突然のことと薬の影響でまともに受け身も取れずに砂利の上に転落したから、手や足が痛い。顔も地面に叩きつけられてしまった。

だが、痛みは覚醒ももたらした――かすむ視界も、ぼんやりとした頭も、ずいぶんクリアになっている。


飛び出た先は林の中。灯りはノルドグレーン兵が手にする松明のみ。暗い馬車のなかで目が慣れていたメイベルには、それでも十分だ。


ヴァローナ軍服をまとった騎馬隊が、こちらへ向かってくるのが見える。

騎馬隊の先頭に立つ男の姿は、見間違えたりするはずがなかった。


「ルスラン――」


よろよろと立ち上がり、ふらつく足でメイベルは駆け出そうとする。

背後から伸びてきた手が、メイベルを捕らえた。


馬に乗るエリアス王が駆けつけてきて、馬から降りることもなくメイベルを片手で捕らえると、自分の前にメイベルを乗せて全速力で馬を走らせる。

メイベルを捕らえるエリアス王を、ヴァローナ王ルスランも怒涛の勢いで追跡した。




時は少し遡り、さらわれた王妃と王子を取り返しに向かっていたルスラン王のもとに、将軍アンドレイが報告を持って駆け込んでくる。


「陛下、斥候からの報告です――エリアス王のいるノルドグレーン本隊を確認しました。その際にこちらの斥候も発見され、向こうも急ぎ動き出した模様」

「急襲をかける」


悩む間もなく、ルスラン王は報告を遮る勢いで叫んだ。


「アジン、ドゥヴァ、それからファルコ隊は私と共に全速力で進軍!エリアス王目指して真っすぐに突撃する!他は左右に展開してノルドグレーン軍を挟撃しろ!」


すでに馬に乗っていたルスランは、馬を走らせながら命令を出す。そのせいで命令は中途半端にしか伝わらなかったが、気にする様子もなくルスラン王は駆け出した。

将軍アンドレイが命令を引き継ぎ、全軍に指示を与える。


「目的は敵の撃滅ではないぞ!敵のかく乱、足止めにある――トゥリー隊以下は左右からノルドグレーン軍側面に突撃をかけて混乱させてやれ!同士討ちには気を付けろ!向こうもそれを警戒して、まともに反撃には出れないはずだ!」


ヴァローナ軍が自分の命令通りに動いているのか、ルスラン王は確認もしなかった。

どのような戦場にあっても冷静にある王が、いまだけは激情のままに行動している。ルバルノンの町でオリガたちと合流し、エリアス王によってメイベルたちがさらわれたと気付いて以来、ずっと。


ノルドグレーン軍に護衛されながらクベンコの城から移動したオリガたちは、ルバルノンという町にいた。ノルドグレーン将軍ホーカンの指揮のもと送り届けられて。


王妃と王子はエリアス王の指揮のもと先に城を出てしまって、ホーカン将軍でも所在が分からないらしい。

いまにして思えば、ルバルノンの町でルスラン王にそう説明するホーカン将軍自身も首を傾げているような、主君の行動に疑問を抱いているような様子だった。


その後、ノルドグレーン側の兵士がエリアス王の一行はドヴラートという町に滞在していると報告してきて。

共にドヴラートに向かうはずが、ヴァローナ側は町で準備を整えている間にホーカン将軍率いるノルドグレーン軍は出発してしまった――ヴァローナ軍はチェレンホフの追撃を終えてこちらへ到着したばかりだから、補給や休息が必要だったのだ。


何かがおかしい、とルスランは察し、ドヴラートへと急行した。

そこでもエリアス王やメイベル、レオニートと会うことができず……ノルドグレーンの急ぎようから、二人をノルドグレーンへと連れ去るつもりなのではないかと推測した。


それを裏付けるかのようにノルドグレーン軍は国境へと進路を取っており、ルスランはエリアス王を完全に敵認定していた。


――そして国境の手前十キロ付近で、ついにエリアス王のいるノルドグレーン本隊を捕らえた。


「不自然に護衛の多い馬車や荷台を探せ!王妃や王子を捕らえているのはそこだ!」


全速力で馬を走らせて数分。

肉眼でも逃走するノルドグレーン軍が見えるようになると、ルスランが大声で言った。


それでもまだ距離があって、数も多くて、エリアス王の姿も見えないが……。

ルスランのすぐそばを馬で並走するファルコが、銃を取り出す。人並外れた視力を持つ男は、この暗闇の中でもはっきり見つけていた。


頑丈なカギを付けられた小さな荷馬車がひとつ。やたらと騎馬兵に囲まれて走っている。

馬車の車軸を狙って引き金を引く――百発百中の神業はここでも発揮され、車輪がひとつ取れてバランスを失った荷馬車が大きく傾く。


続けてもう一発。今度は扉を封印するカギを撃った。

カギが外れると同時に傾いた馬車の扉が開き、中からメイベルが転がり落ちてきた。


「ルスラン!」

「分かっている!」


ファルコの呼びかけに、ルスランは短く答える。


ファルコが銃を抜いた瞬間に、彼の視線の先をルスランも追いかけていた。

ファルコの腕前をもってすれば、言葉で指示するより銃を使うほうがよっぽど手っ取り早いのはルスランもよく分かっている。


自分の進路を阻もうとするノルドグレーン兵を容赦なく斬り捨て、メイベルのもとへと一目散に馬を走らせた。


メイベルもルスランを視界にとらえてよろよろと立ち上がり……後ろから全速力で駆け込んできた男が、馬に乗ったまま彼女を片手で捕らえて自分の馬に乗せる。

急旋回して、ルスランを振りきるようにエリアス王は馬を走らせた。


「いやっ!ルスラン――ルスラン……!」


距離があるはずなのに、エリアス王の腕の中で抵抗するメイベルの悲鳴がここまで聞こえてくるようだった。


ファルコが銃を構えるが、すぐ後ろを走っていたバルシューンが馬を急がせ、銃口を遮るように手を伸ばして言った。


「ロドリ薬だ!撃ったらメイベルごと吹っ飛ぶ!」


ロドリ薬特有の臭いをいちはやく嗅ぎつけ、バルシューンがファルコを止める。エリアス王の腹心の部下ウルリクが、ロドリ薬を撒いたようだ。


ロドリ薬は火薬武器の抑止力として開発された薬で、空気中に素早く広がり、火薬に反応してよく燃える性質を持っている。いま銃を使ったりしたら、あたり一面焼け野原だ。

この距離では薬を撒いたほうにも影響があるため、薬の存在に早く気付いてもらえるよう特徴的な臭いを放つように作られている。


エリアス王を撃ち落とそうとしたファルコは、敵意も露わに舌打ちし、銃を降ろした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ