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危険な遊び (2)


宴の間を抜け出すのは、ミハイル皇帝だけではなかった。

ミハイルの妹ダリヤも、ルスランとのダンスの後、彼と歓談して、わざとらしくよろめき……ルスランは、彼女を客室まで連れていくことになった。


「ありがとう、ルスラン。優しいのね」


美しく微笑んで礼を述べるダリヤに、愛想笑いを顔に貼り付けてルスランは応える。


――ルスランが連れて行くしかないような雰囲気を作っておいて白々しい。

彼女にも専属の部下がおり、本当に体調が優れず客室に戻るしかないなら、彼らで十分のはず。

なのに美しく装った男たちはふらつく女主から距離を取ってルスランに恭しく頭を下げ、こちらへ、と案内するだけ。


部屋に到着しても、両開きの扉を男二人が丁寧に開けるばかりで、相変わらずルスランに連れて行かせようとする。

どう考えたって、扉を開けてる連中がやればいいだけのことなのに。


それでも、ヴォルドーの城の主としての務めとしてやらないわけにもいかない。

部屋の奥へと進み寝室のベッドにダリヤを座らせると、ダリヤはベッドの端に寄って、窓を覗き込んだ。


「素敵なお部屋……。ここからも、中庭が見える」


何を見ているのか、尋ねる必要もない。彼女の意地の悪さはルスランもよく分かっているつもりだ。


「可愛い奥様のことが、やっぱり気になる?」


ちらりと横目でルスランに視線を向けながら、ダリヤが愉快げに問う。

もちろん、とルスランも笑顔で答えた。


「最愛の妻ですから。ミハイル帝のような色男と二人きりにして、不安にならないわけがありません」


メイベルがここにいたら、二人の表情と口調に対し見える感情の色がちぐはぐ過ぎて怖い、と言われたことだろう。


ふふ、とダリヤは笑い、立ち上がってルスランの腕にしなだれかかってきた。


「本当に可愛らしい子。お兄様が気に入るのも当然ね。もっとも……お兄様が関心を抱く理由は、私とはちょっと違っているみたいだけど」


ベッドそばの窓からは、中庭にある東屋が見える。暗く、遠い東屋にいる二人の表情までは見えないが、ミハイル皇帝がメイベルの髪に手を伸ばしているのは分かった。


「お兄様はあなたのことも気に入っているわ。そっちは……私も分かる気がする。とても素敵な人だもの」


今夜のダリヤはドレスを着ており、右肩を露出させていた。

男装の多い彼女があえてドレスを着ているのは、右肩のこの傷を見せつけるためだろう。ルスランに撃たれた銃創を……。


「あんな目に遭わされておいて、すすんで私と二人きりになりたがるなど、あなたも変わった女性だ」

「私にこんなものをぶち込む男なんて、初めてだもの。とても忘れることなんてできないわ。いまも――」


ルスランの腕にするりと自分の手を絡め、身をすり寄せながら、ダリヤがルスランを見上げる。


「笑顔を貼り付けながらも、私のことを殺したくてたまらないという目を隠そうともしない。愛しいメイベルを傷つけた私のことが、大嫌いなのね」


嫌悪感と敵意を真っすぐに向けられて喜ぶダリヤに、ルスランも嘲笑するような笑みを浮かべた。


「そうと分かっていて、私の手の届くところに平然と近付いてくるあなたには負けますよ」


ルスランの腕力があれば、ダリヤの細い首など簡単にへし折ってしまえる。いくら彼女でも、男女差もあって実力行使に出たらルスランに敵うはずないことは理解しているはずだ。

それなのに、殺意を隠す気もない男を自分の部屋に招くのだから……苦々しい思いしかない。


ダリヤはルスランから離れベッドそばの小さなテーブルに近づく。

テーブルの上には酒と盃が用意され、ガラスの小瓶も置かれていた。ダリヤは盃を一つ取って酒を注ぎ、小瓶を手にする。

ルスランに見せつけるように小瓶の中身を盃へと入れると、それを持ってルスランのそばに戻って来た。


「メイベルはお兄様に取り上げられちゃったから、今夜はあなたと遊びたいわ」

「無防備が過ぎるのでは?遊びに見せかけて、貴女を本当に殺してしまうかもしれませんよ」


そう答えながら、ルスランはダリヤが自分に差し出してくる盃を受け取る。分かりやすい挑発だが、逃げるという選択肢はなかった。


ダリヤは楽しそうに笑う。


「素敵な口説き文句。もちろん、いいわ。分かっていて私の罠にはまってくれるあなたに、それぐらいのご褒美はあげなくちゃ」


沈黙して盃の中身を一瞥した後、ルスランは一気にそれを飲み干した。ふう、とため息をひとつついた途端、即効性の薬が、すぐにルスランの身体を支配し始めた。

視界がかすみがかったようにボヤけ、足元がぐらりと揺れる――よろめきそうになって、ぐっと踏みとどまった。


ダリヤは、またルスランの腕にするりと絡みついて来る。

――自分の腹に銃口が突きつけられているのを、混濁する意識の中でルスランは感じ取っていた。


「意識を失うなんて興ざめなことはしないで頂戴ね。もしそうなったら……今度は私が、気付け代わりにぶち込んであげる」

「あなたも、素晴らしい殺し文句をご存知のようだ」


薬に支配された身体は、ダリヤに引っ張られただけでも逆らうことができず、ルスランは仰向けにベッドへと倒れ込む。ほとんど受け身が取れなくて舌打ちするルスランの上に、ダリヤがのしかかってきた。


自分の服を脱がせようとする彼女に手を伸ばし、ルスランもダリヤのドレスを脱がしにかかる。

――やられっぱなしになってたまるか、というルスランのプライド高さは、薬の効果など跳ね除けていた。




即位したばかりのハルモニア王コルネリウスを祝いに来たミハイルは、挨拶の後、イヴァンカより持参した祝いの品を差し出す。

実際に持ち運ぶのはイヴァンカから連れてきた彼の女官たち。謁見の間へと祝いの品々を運び込んでいた女官の一人が、緊張や疲れもあったのだろう、足を滑らせて転倒した。


青色の美しい模様の描かれた食器が彼女の手から滑り落ち、無残に割れてしまった……。


「これは我が国の女官が失礼した。一枚でも欠けると、美しさが損なわれてしまうものだというのに……」


すぐに謝罪をした皇帝ミハイルは膝をつき、転んだ女官は完全無視で割れてしまった食器の破片を拾う。

割られてしまった芸術品を、本当に残念に思っているような表情だ。


「ミハイル帝、どうかお気になさらず。そのような素晴らしい品を送ってくださろうとしたあなたのお気持ちだけでも、私には過分な頂き物です」


コルネリウス王は粗相をしてしまった女官のフォローも込めてそう言った。失敗した女官は蒼白な顔で呆然としている。


謁見の間の物陰から一部始終を見ていたメイベルは……ミハイル皇帝の感情の色を見て、悲鳴を上げなかった自分を褒めた。

あんなにも……ゾッとするような真っ黒な怒りの色を見たのは初めてだ……。


その後、ミハイル皇帝が謁見の間を退出して自分用の客室へ戻って行くのを確認すると、メイベルは兄の手を引っ張って廊下へ出た。

突然の妹の行動に面食らいながらも、兄は大人しくメイベルについて来る。


「お兄様。この絵をいますぐあの人のお部屋に届けさせて――あの人、この絵が気に入ったみたい。少しは機嫌を直してくださると思うの」


廊下に飾られているのは、芸術に造形の深かった亡き父が集めた絵画の数々。皇帝ミハイルはこの廊下を何気なく歩きながら、一枚の絵に強く惹かれていたのをメイベルは見抜いていた。


皇帝へのご機嫌取りに、この絵を。

メイベルの主張を、妹の特殊な能力を知っているコルネリス王は真剣に聞いていた。


「あの女の子、このままじゃ殺されちゃう。あの人、とっても怖い……」




この兄妹のやり取りを、皇帝ミハイルも実は見ていたらしい。それは……まったく気付かなかった。

ミハイルから直接聞かされ、メイベルは思った。


「あんなにも短いやり取りで、的確に私を見抜いた相手は君が初めてだ。それもまだ、たった五歳の女の子に」


ゆったりと東屋のベンチに腰かけるミハイルは手を伸ばし、すらりと長い指でメイベルの銀色の髪を絡め取る。

自分が鎖で縛られたような感覚に陥りながらも、メイベルは自分を見つめるミハイルから目を逸らすことなく、まっすぐに見つめ返した。


目を逸らしたくてたまらない衝動に駆られるが、ヴァローナ王妃としての矜持で、懸命に堪えた。

ここまで来たら、何でもない女の子のふりはできない。前回は、ただの女だとミハイルが捨て置いてくれたが……。


「女は秘密を着込むことで美しく見せ、男を惹きつける生き物なのです。ご期待に沿えず申し訳ありませんが……私のすべてを暴く権利は、いまは夫だけのものですので」


秘密を明かすつもりはないと、遠回しにだがメイベルは拒絶する。精いっぱい、黒雷の興を削ぐことのない言葉を選びながら。


嫌な経験だったが、ダリヤと向き合ったことは無駄ではなかった。彼女のおかげで、皇帝ミハイルにどのように接するべきか、何となく分かったようにも思うのだ。

言葉探しをするには、チャンスの少なすぎる男だ――妹のダリヤのほうは分かりやすくメイベルを気に入ってくれていたから、彼女で試すことができた。

まだ、本当にこれで大丈夫なのか心配は尽きないけれど……。


少なくとも、目の前の男はあの時のような恐ろしい色は見せていない。

笑みを深め、髪を絡めた指で自身の手を握る――髪を引っ張られ、メイベルは否応なしに彼と距離が近付く。


「――この私に、生意気な女だ」


ミハイルが顔を近づけてくる。だが唇が触れる寸前で、別の男の声がした。


「メイベル殿」


この状況で自分たちに声をかけてくる胆力のある男なんて、ルスランを除けば一人しかいないだろう。

ノルドグレーン王エリアスが、勇敢にも割って入って来た。


東屋の入り口に立ち、何も気付いていない、見ていないふりで話しかける。


「このような寒空の下での長話は、そろそろ打ち切ったほうが良い。ミハイル帝、私が彼女を部屋まで送っても構わないだろうか」


エリアス王は、心からメイベルの身を案じてくれたのだと思う。

皇帝ミハイルの機嫌を損ね、怒りの矛先が自分に向かうことになろうとも――むしろ、メイベルが咎を負うことのないように積極的に自分が不興を買おうとしているかのように、ミハイルをわざとらしく無視して無遠慮にメイベルに手を差し出してくる。


ミハイルは、じっとエリアス王を見ている。

どんな表情をしているのかはよく分からない。ただ、初めて彼を見た時に見えた色が、彼の後ろで渦巻いている。


メイベルの髪をつかんでいた手が離れ、ミハイルが立ち上がった。


「……エリアス王の言う通りだな。ここは寒い――場所を変えて、話の続きをしよう」


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