危険な遊び (3)
メイベルの腰を抱き、皇帝ミハイルは廊下を進む。とても嫌な予感しかしないが、メイベルは大人しく彼についていった。
エリアス王も、東屋を出た直後は戸惑いを見せたが、メイベルをこれ以上、黒雷と二人きりにさせるのは危険だと考えてくれたらしい。メイベルとミハイルのすぐ後ろからついていきている。
……きっとろくなことにはならないから、彼は自分の部屋に戻ってしまったほうがいいとは思う。
その一方で、ここでエリアス王が一人で逃げてしまうことを、皇帝ミハイルは許さないだろうとも思った。エリアス王の顔には、メイベルが見たくない色が浮かび始めている。
「ミハイル様……。ミハイル様のお部屋は、こちらではありませんよ」
メイベルもヴォルドーの城の主として、皇帝ミハイルの客室がどこになったかぐらいは把握している。
念のために声をかけてみたが、分かっている、とミハイルは答えるばかり。
ミハイルが目指しているのは……妹ダリヤの部屋だ。扉の前に見覚えのある彼女の部下の男が立っているし、間違いない。
ダリヤの部下の男たちは皇帝に恭しく頭を下げ、彼が近付くと当然のように両開きの扉を開けて、中へと招き入れた。
部屋の中に、ダリヤの姿はない。奥で気配がする――寝室に、彼女はいる。
エリアス王は、さすがにそちらに足を踏み入れるのを躊躇っている。
「ダリヤ、入るよ」
寝室は薄暗く、広い天蓋付きの大きなベッドに人がいることだけが見える程度。でも、白い肌は暗闇にもよく浮かび上がっている……中途半端に降ろされたカーテンの隙間から、ダリヤとルスランの姿が見えた。
「……悪趣味なことだ」
ルスランがメイベルたちが入ってきたことに気付き、失笑している。仕方なくついて来たエリアス王は、一糸まとわぬ姿の男女がベッドの上にいる光景に顔をしかめていた。
メイベルも……ただの浮気現場だと思って、顔をしかめていたかった。
横たわるルスランの上に跨るダリヤは突然の乱入者にも美しく微笑みかけ、恥じらう様子もない。その右手に銃が見えた――ルスランの感情の色からしても、おおよそ普通とはかけ離れた男女の情事であることは分かる。
ミハイルは妹の閨を目撃しても一切動揺することなく、ベッドそばのテーブルに近づいていた。
テーブルの上には酒に盃に……蓋の開いた小瓶。
小瓶を手に取って嗅ぎ、ミハイルは小瓶の中身を察した。ニヤリと笑い、ベッド上の男女に視線を向ける。
「相変わらず、君は物騒な薬を持ち歩いているね。これを飲んで意識を保っているどころか、話す余裕もあるルスラン王にも驚きだが」
そう言って、ミハイルは小瓶を盃へと注いだ。それから酒を注いで、その盃を手に取る。
「……さて。どちらが私の酒を受け取ってくれるかな」
メイベルとエリアス王に向け、ミハイルが盃を差し出す。
ルスランが飲まされたものと、同じもの。メイベルがじっと盃を見ていたら、横からエリアス王が手を伸ばし、盃を受け取った。
エリアス王はミハイルを軽く睨んだ後、躊躇うことなく酒をあおる。
嚥下する音が聞こえたかと思うと、途端にエリアス王がよろめく。よっぽどきつい薬なのだろう。あのルスランですら、意識は保っているもののダリヤに抵抗できずにいるのだから。
苦しげな表情で頭を抑えながらも辛うじて踏ん張るエリアス王を、ミハイルが軽く押した――突き飛ばすとも言えないような力のはずだ。
しかしエリアス王はそれだけで広いベッドの余白部分へと倒れ込み、四肢を放り出したまま起き上がれずにいた。
「エリアス様――」
エリアス王を心配したメイベルは、後ろから皇帝ミハイルに組み敷かれてしまった。
仰向けに倒れたエリアス王の上に覆いかぶさる形でメイベルも倒れ込み、そんなメイベルに背後から覆いかぶさるミハイルは、片手だけでしっかり抑え込んでくる。
いかにも軍人王らしいルスランやエリアス王に比べると優男に見えるが、黒雷なんて異名がつくのは伊達ではない――もう一方の手で、皇帝ミハイルがメイベルの背中の紐を解いているのを感じた。
メイベルのドレスは、あっさりと脱げていく。
「このドレス、脱がしやすいのが何より魅力的だ。やはり妹は私の好みをよく分かっている」
彼のお気に入りは、そういう点だったか……。
露出の少ないものだったのに、メイベルの肌はいとも簡単に露わにされてしまう。
ルスラン同様、身体の自由は失ってもエリアス王も意識は失っていない。目前で繰り広げられるメイベルを辱める行為を止めることもできず、目を逸らすこともできず……。エリアス王にとっては、これ以上ない屈辱だろう。
「ルスランの言った通り、とても悪趣味……」
広いベッドは十人単位で横になっても余裕がある。メイベルのすぐ近くには、夫もいるのに……夫が他の女を抱くところを見せつけられ、自分は他の男に抱かれるところを見られるわけだ。
本当に、悪趣味極まりない
「たまには私も、妹にならうことにした。本当はもっと違うやり方がいいんだが……君のすべてを暴く権利は君の夫にあるそうだから、彼にも参加してもらう必要があるかと思ってね」
メイベルは、苦しそうに自分を見上げているエリアス王を見た。
死を予期する不吉な色が、エリアス王の顔から消え始めている。彼の生死は、メイベルの行動次第……。
自分を抑え込んでいた手が離れても、メイベルは抵抗しない。ミハイルは、露わとなったメイベルの肌に改めて手を伸ばした。
「兄上も姉上も超悪趣味。酷いよなぁ、ルスラン王とメイベル妃の仲はズタズタになったかもよ」
一夜が明けて昼近く。
すでにヴォルドーの城を出発した馬車の中で、向かいの席に座る兄姉を見ながらラマンが言った。
ダリヤは鼻で笑う。
「ファルコに逃げられて自分だけ遊び相手がいなかったからって、私たちをひがまないの」
「ちぇっ」
残念ながら弟は、あの金色の鷹に完璧に逃げられてしまったらしい。ラマンの執着をかわし切るとは、弟が気に入るだけあって相当の実力者なのだろう。
恐らくは、あの青年もメイベルを利用すれば釣り出せる。
自分の楽しみを優先したいダリヤは、弟にそのことを教えなかったけれど――今回は兄にメイベルを譲ってしまったので、ルスランだけは何がなんでも逃がしたくなかったのだ。
ルスラン王、エリアス王……それに弟お気に入りのファルコも、全員がメイベルのために動く。
ダリヤたち兄弟にとっても、共通のキーパーソンとなってしまった。
「そう遠くないうちに遊ばせてやる。遊び方はちゃんと考えろ――次に尻拭いをやらせるなら、折檻程度では済まさないからな」
「分かってますって。兄上の寛大さには感謝の思いしかありません」
兄ミハイルの言葉に、慇懃無礼なほどの笑顔でラマンが答える。
黒雷ことミハイルが最も嫌うのは、他人の失敗のために自分が尻拭いをし、頭を下げなくてはならないこと。
皇帝となって、多少は致し方ないことと受け入れて昔よりはずっと寛大になったが……。
……本当に、昔よりかなり寛大になっているのだ。これでも。
皇子時代の苛烈さはいまの比ではない。失敗など一切許さなかった。
「夏のヴァローナとの合同作戦の時だって、完璧に始末するつもりだったんですよ。生き残りが出るなんて計算外でした」
あの虐殺は、間違いなく全員を殺して、証人も証拠も残さないはずだった。疑惑は残るが、それだけでラマンを罰することはできない。
……と考えていたのに、ファルコは生き残ってしまった。殺してやるつもりだったのに、しっかり反撃して、逃げ延びられてしまった。
「今度は不意打ちじゃなく、正々堂々と撃ち合うつもりです。失敗すれば俺が死ぬだけですから、兄上はどうぞご心配なく」
どうせ生き延びたのなら、自分を殺すぐらいのことはしてほしいものだ。
ラマンにとっては、自身の命が賭かった殺し合いすら、楽しい娯楽でしかない。
日の差し込む寝室で、ベッドに腰かけてルスランは水を飲む。
まだ薬の影響は残っており、鈍い痛みが頭を苛む。
眉間に皺を寄せて頭を押さえていたが、背後で眠る妻が身じろぐ気配を察し、振り返った。
目を開けたメイベルはぼんやりと自分を見下ろすルスランを見上げ、ハッとなって起き上がる。
「ここは――他の人たちは……?」
起き上がると羽織っていたシーツが落ちて、肌が露わになる。メイベルは慌ててシーツで自分の肌を隠した。
「僕の寝室だ。僕しかいないから、身構えなくていい」
乱れた髪を整えるように、メイベルの頭を撫でる。
持っていた盃を差し出せば、メイベルはそれを受け取って、ちょびっと口付け……中身がただの水であることを確認すると、自分も水を飲んだ。
あんな場所に、愛しい妻をいつまでも置いておける訳がない。変態兄妹が満足すると、薬など振りきって無理やり動き、メイベルを連れ帰って来た。
あの兄妹は、一時間ほど前に帰国して行ったと報告があったが……。
水を飲むメイベルを抱き寄せて、しばらくの間、銀色の髪を撫でながらルスランは黙り込んでいた。
おずおずと、メイベルが話しかけてくる。
「ルスラン、怒ってる……?」
「それは僕が言うべき台詞かと思っていた」
メイベルの目の前で他の女を抱いたのだ。彼女が短剣を振り下ろしたいと思うのも当然かな、と覚悟していたのだが。
だって、とメイベルはルスランから目を逸らして言葉を続ける。
「ルスランじゃない男の人のために、他の男に抱かれたから……」
「あの状況で君を責めるほど、僕も狭量じゃない」
いま思い出しても、ものすごく複雑な気分ではある。
……が、恐らくは。
メイベルには見えてしまったのだろう。
ここで自分が皇帝ミハイルに逆らってしまうと、エリアス王が殺されてしまうという未来が。
目の前の人間の運命が自分の行動如何で変わるとあっては、メイベルの性格では見殺しにできるはずもない。
モヤモヤするが……やっぱり不愉快ではあるが、今回はルスランが大人の対応をすべきだ。そう割り切るつもりでいた。
メイベルは、抱き寄せられた腕の中でルスランにすり寄る。
「私は……すごく嫌だった。ダリヤ様って美人だもの」
ルスランは目を丸くし、思わずまじまじとメイベルを凝視してしまった。メイベルはシーツをぎゅっと握って、自分の顔まで隠そうとする――真っ赤になって、ルスランと絶対に目を合わさないようにしている。
「……君は、ヤキモチを焼いても可愛いな」
「その褒められ方、微妙……」
ますます顔を隠してしまう妻からシーツを剥ぎ取り、ベッドに押し倒す。メイベルも、自分に覆いかぶさって何度も口付けてくる夫の首に腕を回した。
メイベルが持っていた杯がベッドから床へ転げ落ちようとも、互いに気にすることすらなく。
たしかにダリヤ・フォミーナは美しい女性だ。中身がアレ過ぎるが。普段なら、ルスランも役得と密かに喜んだことだろう。
さすがに、いつ引き金を引くかも分からない女を相手に喜んでいられるほど、能天気にはなれない。
挙句、可愛い妻が他の男の手で乱れる姿を見せつけられ、それをまた別の男に見られているとあっては――薬で意識がもうろうしていたことも加わって、途中からダリヤの存在も忘れがちになっていた。
そしていまも。
まだ薬が抜けきらない自分は、だいぶぼんやりしていたのだと思う。昨夜のもう一人の被害者のことを思い浮かべることすらせず、ルスラン王は妻との情事に夢中になってしまっていた。
真面目な男が良からぬ遊びに巻き込まれてしまって、どのような影響を受けることになるか。
男のルスランが、もっと真剣に考えるべきであった。




