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メイベルの秘密 (1)


ハルモニアよりヴァローナへとメイベルが嫁いできて一週間。

周囲が戸惑うほどにメイベルはあっさりとヴァローナでの暮らしに馴染み、今日はメイベルの頼みで宮廷に大勢の商人が呼ばれていた。


もともと、ルスランとメイベルの結婚祝いにかこつけて、新しい王妃に気に入られようと商人たちが謁見を申し込んできていたのだ。それをルスランから聞かされ、メイベルは商人たちの申し出を了承した――正直、ルスランはその返事を意外に思っていた。

王族らしい鷹揚さはあるものの、物欲はさほどのように見えたのに……。


おかげさまで、今日の大広間は商人たちが持ち込んだ豪華な品々が並び、いつも以上に華やかで、賑やかであった。

王妃よりも、王妃付きの女官たちが大はしゃぎしている。


「ラリサも、アンドレイ様に何か買ってもらうのよ」

「素敵な提案です――王妃様がおっしゃってくださるのだから、もちろん喜んで買ってくれるわよね?」


突然話題を振られ、女官長の夫は苦笑いだ。

若い女官たちは珍しくも美しい商品に興味津々で、王妃以上に商人たちの熱心な売り込みを聞いている。メイベルも商人たちから売り込みを受けているのだが、いつもの起伏の乏しい表情で受け流していた。


「君も、欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれて構わないぞ」


幼馴染の将軍が妻に引っ張られていくのを見送ったルスランは、のんびりと商品を眺めているメイベルに声をかける。うん、と返事をするものの、メイベルからは特に商品に対する熱意は感じられない。

ルスランにねだる様子は一切ないまま、フラフラと見て回り……銀細工の装飾品を眺めていた女官長のもとへと戻っていく。


「ラリサ」


小さな声で、メイベルがこそっと女官長の服の裾を引っ張った。


「みんなに、あっちの人からはあんまり高い物を買わないよう、さり気なく注意してきて」


女官長は装飾品を選ぶふりをしながらメイベルが指すほうを確認し、自然な流れで移動して他の女官たちへと忠告へ向かう。

やり取りを見ていたルスランも、何気ないそぶりでメイベルが指した商人を見た。


「……やつに、何かあるのか?」

「うーん。極悪人ではないと思うけど」


メイベルが、少し考え込んでいるような表情で小首を傾げる。


「たぶん、すごく嘘つき」




そんな気になる発言をされては、ヴァローナ王としても商人のことが気にならないはずもなく。ガブリイルに調査させてみれば、有能な宰相は多忙な政務をこなしつつ、半日と経たずに商人の正体も突き止めてきた。


「なかなかやり手の詐欺師のようです――詐欺師をそのように評価するのもどうかとは思いますが。店頭に並べられた商品はどれも本物であり値段も問題ありません。それで客の信頼を得たところで、精巧な贋作を裏から持ち出して高額で売り付けるという手を繰り返していた……メイベル様は、よくこの男に気付きましたね」


報告書を読み上げた宰相ガブリイル・エリシナは、顔を上げてルスラン王を見、感心したように言った。

分からん、とルスラン王は意味のよく分からない相槌を打つ。


「どこで見抜いたんだろうな。僕が見た限り、特に不審な言動は見受けられなかったんだがな。あの場に並べられていた商品も本物だったというのに」

「目が優れているんじゃないですか。本人は帝王学も受けておらず、国の主として相応しい能力も持っていないと謙遜していらっしゃったが」


相変わらず王の執務室にサボりに来ている陸軍大将アンドレイ・カルガノフが、笑いながら口を挟む。


「私が見る限り、目下の者への配慮も行き届いておられる。商人を呼ぶことを陛下にねだったのも、ご自分のためというより女官たちのためでしょう。ラリサも良い気晴らしになったようですし」


あれからアンドレイも妻に何か買わされたのかな、と思いつつ、それは口にしないことにした。ルスラン王は腕を組み、うーむと首をかしげる。


「王妃様のおかげで暴かれた犯罪について論じるのは、それぐらいにしましょう」


宰相は、商人の正体とメイベルの慧眼についてはもうどうでもいいようだ。


「それよりも……もう御一方、厄介なお客様がいらっしゃいますよ」


そう言って机の上にすっと差し出されたものを見て、ルスランも一気に国王モードに引き戻された。盛大にため息をつき、机上の手紙を取る。


「黒雷か。私がハルモニアの女主と結婚したと聞いて、無反応なはずがないと思ってはいたが……」


ペーパーナイフで封を開け、険しい表情で手紙を読む。無言だが、ルスラン王の眉間に皺が寄るのを見て、寛いだ様子で長椅子に腰かけていた将軍も姿勢を正した。


「芳しくない内容で?」


宰相の問いに、ルスラン王はもう一度ため息を吐く。


「わざわざ私の結婚を祝いに、ヴァローナにお越しくださるそうだ。ハルモニアの箱入り姫とまで言われた新妻を、ぜひ拝見させてほしい……だとさ。どういう腹づもりだか」


将軍がうわぁ、という声を漏らし、心の内で宰相もまったく同じことを思った。


「歓迎するしかあるまい。イヴァンカ皇帝の申し出を断れるはずもないのだからな。ガブリイル、新しい仕事だ。こちらを急ぎで頼む」


承知しました、と宰相は返事をし、ルスラン王はイヴァンカの皇帝に宛て、返事の手紙を書き始めた。イヴァンカの皇帝が来る――その衝撃に、取るに足らない詐欺師のことなど一同はすっかり忘れてしまっていた。




ルスランが件の詐欺師のことを思い出したのは、一日の政務を終えて自室に戻る時であった。

部屋の扉の前にラリサが立っているのを見て、メイベルが今夜も自分の寝室にいること――そこから、彼女が見抜いた詐欺師のことも芋づる式に思い出したのだ。


おかげで犯罪者を捕らえることができた礼を述べるついでに、なぜあの男の正体が分かったのか、コツでも教えてもらおうか。

そんなことを考えて寝室に入ったルスランは、寝台の端に腰かける彼女を見つけて、足を止めた。


今夜の彼女は、あの本を読んでいない。表情の起伏が乏しい少女ではあるが……なんとなく、いつもと違うとルスランはすぐに察した。


「どうかしたのかい」


メイベルの隣にそっと腰かけ、彼女の頭を撫でる。メイベルは、真意の読めない表情でじっとルスランを見上げた。

真っすぐに自分に向けられる瞳から、ルスランは目を逸らすことなく彼女を見つめ返す。


やがて、メイベルのほうがルスランから目を逸らした。うつむき、ぎゅっと自分の手を握り締めている。


「……ルスラン。近く、戦争をする予定がある?」

「いや。ハルモニアとの戦も終わったばかりで、これ以上は国を疲弊させるだけだ。当面はやりたくないな」


すでに次の戦の計画を立ててはいるが。

という本音は口に出さないまま、しばらく戦はしないという部分だけは正直に打ち明けた。


上目遣いに、メイベルが自分を見ている。


「……突拍子もない話だから、信じてもらえないかもしれないけど」


メイベルが、握りしめた手をさらに強く握った。


「私、普通とは違うものが見えるの……。人の周りに、不思議な色が見える――オーラというか、相手の感情というか……私以外にこんな変わった力を持ってる人がいないから、本当に正確かどうかは分からないんだけど……」

「人の周りに、不思議な色」


なら、いま自分の周りにもメイベルは何か見えているということか。いったい何色なのか、聞きかけて止めた。

彼女の言う通り突拍子もない話なのだが、メイベルが何を打ち明けようとしているか、その先を察してしまったからだ。


こういう直感の良さも、一種の不思議な力みたいなものだろう。そう思うと、人と違うものが見えるというメイベルの話も、それほど異常ではない……ような気がした。


「その色が相手のどんな感情を表しているのかは、全部、私がこれまでの経験から勝手に判断してるだけ……。でもその中で、ひとつだけはっきりしてる色がある。相手のオーラを侵食するように黒い色が見え始めたら……そう遠くないうちに、その人は亡くなってしまう」

「そしていま、それが僕の周りにも見えている」


事も無げに、ルスランは彼女の言葉を継いだ。


「戦争ということは、僕以外にもそれが見えたんだな。軍人、兵士を中心に大勢」


だからメイベルは、戦争の可能性を真っ先に思い付いたのだろう。ルスランでも、その条件で死者が出ると聞いたらそう考える。

メイベルが静かに頷いた。


「しかし……本当に戦争の予定はないんだが。冬も近付いてきたこの時期に、喧嘩を吹っかけてくるような命知らずにも心当たりはないな……。最近見えるようになったのかい?」


メイベルが今度は首を振る。


「夕方頃から、急に色んな人に死の色が見えるようになった。大勢だから、最初は病気でも流行するのかと思ったんだけど……ラリサたち女官には誰にも見えなかったし、見えてる男の人が、全員軍人か兵士だってことに気付いて……ルスランとアンドレイ様にも見えたってことは、戦争ぐらいしか」

「アンドレイまでもか。そうなると、君の言うように戦争が原因でほぼ間違いなさそうだ」


陸軍大将が国王と同時期に命を落とすような要因となれば、やはりそれしかあり得ない。

いったいどこの誰が、冬を目前に戦を仕掛けるような馬鹿な真似をするのか――それを考えていたルスランは、視線に気づいて顔を上げた。


メイベルが、わずかに困惑した表情でルスランの顔色をうかがうように見つめている。


「私の話、信じるの……?」

「うーん……冷静に考えると、こんな突拍子もない話を信じる僕は、とんでもない愚か者なのだろうが……。自分でも不思議なんだが、君の話を信じると、すべてが腑に落ちる」


メイベルがぱちくりと目を瞬かせた。


人とは違うものが見える。メイベルの秘密。

それを知ると、頭の中で色々と引っかかっていたものがスルスルと解決していくような気がした。


「以前、君は兄上の死が分かっていたと話したことがあっただろう。あの話しぶりが実はずっと気になっていた。予感めいたものではなく、事実として把握していたような言い方……君は、兄上の時も見えたんだな」


メイベルが頷く。


「物心ついた時には見えてたから、兄が初めてじゃない。小さい頃はよく分かっていなくて、考えなしに口にして……周囲も自分もひどく困惑させてた」

「その表情の変化の乏しさも、人とは違うものが見えてしまう能力の副産物か」


メイベルがまた頷く。


相手の死や感情が見えてしまうとなれば、幼いメイベルはさぞ混乱したことだろう。

なぜ目の前の人物は、言っていることと感じていることが異なっているのか。そして、目の前の人物が遠くないうちに失われてしまう事実を一人知ってしまって。


それをいちいち表に出していては、とてもまともに人間社会で暮らしていけない。

ハルモニアの城から出ることなく、限られた人間としか接しないようにしていても……見えてしまったものに、精一杯反応しないよう努力したに違いない。


「打ち明けてくれてありがとう。勇気が必要だっただろう」


隣に座るメイベルを抱き寄せ、自分にもたれかかる彼女の頭を撫でる。握りしめていた手で、メイベルはおずおずとルスランに抱きついた。


信じてもらえなかったら――拒絶されたら。

きっとメイベルは、その苦悩と葛藤の末に打ち明けることを決めた。ルスランとヴァローナ人たちの死を回避したくて。彼らを見捨てて、ハルモニアの利益だけを優先することもできたのに。メイベルはヴァローナの王妃として考えてくれた。


彼女への感謝の思いがこみ上げると同時に、厄介な悩みも浮かび上がってくる。


「今日の夕方、か……」


メイベルの銀色の髪を撫でながら、ルスランが呟く。

今日の夕方頃から、急に死が見えるようになった。つまり、その時間に行った何らかの選択が、自分たちの死を招き寄せた。


それだけ条件が絞られると、ひとつ、大きな心当たりが思い浮かぶ。


――イヴァンカ帝国の皇帝だ。

イヴァンカの皇帝の手紙に対し、彼の訪問を受け入れる返事を送った。彼が自分たちの死因か……。



登場する国のモデル

イヴァンカ帝国→ロシア帝国


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