表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/168

過ぎた日は戻ることなく (4)


「王妃様もおっしゃっていたように、陛下は女に現を抜かすあまり、ガブリイル様やファルコ様――陛下に忠実な部下を冤罪で逮捕させるという大失態を犯してしまった。臣下からの信頼を失い、王としての立場も危うくなるほどにね。でも、臣下の立場で表立って国王を責めることができるわけがない」

「それで……王妃様が、ことさら強く陛下をお叱りになったと?」


オリガが話そうとしていることを察し、ミンカが考えながら言った。オリガが頷く。


「陛下を容赦なく叱り飛ばせる人間なんて、王妃様だけだもの。あえて公の場で、大勢の前で陛下の失態を責めることで、諸侯たちの不信や不満を代弁して、それ以上陛下が責められないようになさったのよ。事実、あなたたちも王の失態より王妃様の激昂したお姿ばかり印象に残ったでしょう?」


王が署名を偽造されて偽の命令書を作られてしまうなんて、とんでもない大問題だったはずなのに。オリガの言う通り、話題になるのは王妃に顔を引っ叩かれ、母親に叱られた子どものようにしゅんとなっていた王のことばかり……。


「やっぱり王妃様はご立派ですねぇ」


ニラムは王妃の判断を素直に感心し、ニタクはため息をついて、でも、とちょっと異論を唱える。


「一番大変な目に遭った王妃様が陛下のためにそこまでしてあげなくちゃいけないなんて。王様の妻をするのも大変ですねぇ」

「それもそうね」


王妃の苦労を傍で見ていると、えらい人のお嫁さんになんてなるものではないと痛感する。

――なんて、若い三人娘が口々に言い合うのを、オリガは苦笑いで黙って見ていた。口にはしなかったが、正直、彼女たちの言い分には完全同意だ。




仕事を終えて屋敷に帰った将軍アンドレイも、妻に真っ先に話すのは昼間のこと。ラリサの耳にも、事の顛末について多少の情報は入っていたらしい。


「自分の目で見ることができなくて残念だわ」


ルスラン王が王妃に引っ叩かれた件について、ラリサはくすくす笑いながら言う。アンドレイも笑った。


「ご両親にもぶたれたことのない王にとっては、衝撃的な経験だったことだろう。一度ぐらいは、そういう経験をなさるのも良いと思う」


ルスランは、両親にぶたれるどころか、まともに叱られたこともない――彼の両親は、息子に無関心だったから。

だからアンドレイも、王を厳しく叱りつけた王妃に肯定的だった。もちろん、彼女があえてそう振る舞った意図と王への配慮も理解している。


「……それで。今回の逮捕と命令書の偽造について、どのような対応を取ることに?」

「陛下がエリザヴェータ様を一顧だにすることなく王妃様のもとへすっ飛んでいったことで、王妃様を軽んじていた連中も考えを改めた――王妃を侮る気持ちが完全に消えたわけではないだろうが、そのような態度を見せることがいかに危険な振る舞いか、思い知ったことだろう。すぐに王妃様にすり寄って、助命や自身の無実を嘆願しに行った」


茶番劇が終わった直後、メイベルのもとには王妃の情けにすがろうとする貴族たちが詰めかけてきて、彼女はゆっくり休む暇もなかった。

……いや、無視してやっても良いところを、彼女はすべて、きちんと対応した。おかげで宰相もかなり仕事がはかどったようだが。


「ガブリイルの執務室に行ったら、すでに事件に関わった者への処遇の仕分けが終わっていた」


宰相の机には三つの山に分けられた書類が並んでいた。

ガブリイル曰く、王妃が全員と面会して、相手の真意や危険性を見抜いて宰相に教えてくれたのだとか――三名が即座の処刑、十一名が処刑は回避したものの、厳しく動向を監視して場合によっては処刑の追加、残りの者は注視しつつも一旦は無罪放免……ちなみに、メイベルたちを直接逮捕にやって来た警視総監は完全に無罪放免である。

彼については、他ならぬメイベルが王にその処遇を訴えていた。


「ルスランの署名がされた命令書を突きつけられては、彼も仕事をしないわけにはいかないもの。命令書に不信は感じていたようだけれど……個人的な感想と判断で警視総監が王の命令書に逆らうべきではないと、私心を捨てて職務に忠実であろうとしただけ。そういう忠実なところが気に入って、あの方を警視総監に選任したのでしょ?なら、彼を罰するのは間違ってる」


メイベルにまでそう諭されては王も反対できるはずがなく。

こうして、警視総監は王と王妃の裁量に深く感謝し、改めて忠誠を誓うと共に再発防止に努めることを力強く宣言していた。


一見すると王妃に一番の無礼を働いたように見える警視総監が王妃の嘆願で助命されたことで、事件に関わった貴族たちも王妃に命乞いすればいいと安易に考えたのだろう。

王妃はそれを逆手に取って、事件関係者全員を把握することに成功した……というわけである。


そう、と相槌を打つラリサは、表情を曇らせている。彼女が何を気にしているのかは、アンドレイにも分かっていた。


妻が尋ねるよりも先に、かの人のことを話す。


「エリザヴェータ様は、王都からの永久追放に決まった。彼女の助命に関しては、王妃様が真っ先に王に申し上げていらっしゃったよ。それでも陛下もしばらく悩んでおられたようだが……ハンス様も、母親の助命を嘆願なさって」


ハンスも直接は王に会えていない。あの後、エリザヴェータは何度も王に謁見を求めたが、ルスランはすべて冷たく跳ね除けていた。甥のハンスとも、会おうとせず。

王に代わってハンスに直接対応したのはアンドレイで、ルスランが命までは取らないと決定したことも、アンドレイが直接伝えた。


「結局、王妃様の涙の訴えに陛下の御心を動かされたようだ」

「そう、王妃様が……。本当に……今回のことは、何からなにまで王妃様のお優しさとご聡明さに甘えきりね」

「私もそう思う。すでによそに嫁いだ身とは言え、義理の姉まで処刑するとなれば王の評判にも関わる。陛下や周囲にいた私たちの判断が甘く、そのせいで王妃様に多大な迷惑をかけたというのに、尻拭いまでさせてしまった」


そして彼女はきっと、それについて恩着せがましく振る舞うこともなく、これからもルスラン王に尽くすことだろう。

彼女をヴァローナの王妃に迎えられたことは、王にとっても国にとっても幸運であった……。


「……ハンス様は、修道院に入られるそうだ。今回のこと……あの方は何も知らず、無邪気に陛下を慕っていただけだったが……母の愚行は自分が原因だと、ご自身を責められていた」


自分がいるから、母エリザヴェータは余計な夢と野心を抱いてしまった。ハンスはそうアンドレイに語った。


だから自分は、僧籍に入る、と。二度と母がこのようなことをしでかしてしまわないよう、俗世と完全に縁を切る――この決断を聞いて、エリザヴェータも崩れ落ちて泣きじゃくったらしい。

若く才能もあるハンスの未来は絶たれ、二度と会うこともできない。そうなったのも、すべて自分のせい……エリザヴェータにとっては、これ以上ないほどの罰だ。


ハンスの決断を、アンドレイも心苦しい思いで聞いた。だが、彼の決断を立派にも思った。

これでルスラン王も、甥を処断しなくてはならないような事態は回避できる。


「ハンス様が修道院に入るとご決断なさって以降は、エリザヴェータ様もすっかり大人しくなられた。彼女も尼僧になるそうだ」

「きっとそれが、いまの彼女にとっては最善でしょう」


そう言いながら、ラリサも少し悲しげな表情だ。


短い付き合いだがラリサも彼女と交流があり、ジェミヤン王子と結婚していた時代の彼女を知っている。

早くに夫を亡くして、息子ハンスだけが心の支えだっただろうに……。自業自得とは言え、こんなにも早く、彼女は息子まで失うことになってしまって。

ラリサ自身も母親になったことで、よりいっそう彼女に共感してしまう。


そしてそれ以上に、こんな結末になってしまったことに王妃が心を痛めているだろうと思うと……。


「私、もう休暇を切り上げてお城に戻ることにするわ。イグナートは可愛いし、そばにいてあげたいけれど、王妃様のことが気になって仕方がないもの」

「そうか――私は君の選択を尊重するよ。まだまだ、王妃様も落ち着かない日々が続くだろうからね」




事件が起きた翌日の早朝には、エリザヴェータ、ハンス母子はひっそりと城を出て行った。

城の人間に与える影響を考えると、彼らのほうも見送りなんか望まないことだろう。


オリガや若い女官たちは、城の窓からそっと出て行く彼らを見送る。


「あの人たちのせいで王妃様はさんざんな目に遭って、早く出て行ってほしいって思ってたけど」


ミンカが呟き、ため息を吐く。ニラムもため息を吐いて言った。


「いざこうなった姿を見ると、さすがにちょっと可哀相ね」

「彼女たちのせいで王妃様はたしかに迷惑したけど、一番悪いのは陛下だもの」


ニタクが厳しく言う。


「ハンス様可愛さに中途半端に厚遇しちゃうから、エリザヴェータ様だって増長しちゃったのよ」

「王城に関わるということがどういうことなのか、あの方たちには覚悟が足りなかった」


オリガがぴしゃりと言った。


「王の御心ひとつでいとも簡単に変わってしまう立場にあることが、どれほど危ういことか。王の寵愛にすがるしかない生き方など、覚悟がなければすべきではない」


これはエリザヴェータに限った話ではない。王に寵愛されて取り立てられても、王の心が移ってしまえばすべて消え去る砂上の城の主でしかなくて。

それを分かっていたからこそ、十二年前のエリザヴェータはルスラン王太子のもとを去ったのだろうに……。


「でも、もうこれで陛下の身内に悩まされるなんてことはないですよね!もう陛下にご兄弟は、外国に嫁がれた姉君様しかいらっしゃいませんし」


ニラムが明るく言えば、オリガがぴしりと硬直する。

え、とニラムも笑顔を引きつらせ、ニタクも困惑して双子の話を継いだ。


「た、たしか、姉君様もすでに御夫君と死別なさって、ご自身は尼僧院に入り、先妻のお子様たちが跡を継いでいらっしゃるんですよね」


ルスランの異母姉も後妻として嫁いでいき、自分は夫との間に実子がないまま死別している。ただし、彼女は継子たちとの関係も良好で、いまも非常に慕われているらしい――ルスランの母親のことがあるから、後妻の自分が余計な足枷になってしまわないよう尼僧となってはいるが。

継子を見守りたいと、彼女はヴァローナに帰ってくる気は一切ないとか。


オリガがため息を吐く。


「陛下にはもう一人、兄上様がいらっしゃるわ」

「え、お兄さん?」

「年上の兄弟がいるのに、王太子はルスラン様だったんですか?」


思わず質問してしまったが、まずかったかな、と双子たちも反省した。オリガの表情から察するに、あまり話題にして良いことではなかったようだ。


「性格がものすごく悪かったって聞いてる。それこそ、弟のルスラン様が王太子に選ばれても、城の人間全員が納得するレベルで」


ミンカが答え、双子たちは言葉を失う。オリガは、ぽつりと呟いた。


「あれほど善良な同母兄妹がいらっしゃって、なぜあの方だけああも捻くれたのか。王城最大の謎とまで言われたほどよ……」




事件も一通り終息した後の夜、ルスランはメイベルの部屋を訪ねた。

本当は彼女に改めて謝罪し、ルスランのほうが妻を労うべき立場にあったのだが……優しく自分を受け入れてくれるメイベルにすっかり甘え、ルスランは長椅子の上で膝枕をしてもらい、妻に慰めてもらっていた。


「……すまなかった。君にあれほどの忍耐を強いておきながら、結局、すべて台無しにしてしまった」


ルスランも、王妃の優しさにつけこんで我慢を強いている自覚はあった。

親しかった兄を亡くした彼女が、ルスランが自分の兄の忘れ形見と仲良くすることを止められるはずがない――それを良いことにハンスを可愛がって、エリザヴェータのことも許して。


なのに、すべて自分たちでダメにした。メイベルはもっと腹を立てて、容赦なくルスランを責めてもいいはずだ。

だが彼女はいまも、ルスランを責めるどころか労わってくれて。


遠い日の思い出も、甥も……ルスランはすべて失ってしまった。そんなルスランを慈しむように、メイベルは夫の髪を撫でていた。謝罪もそこそこに、ルスランはまた彼女に甘えてしまう。


「私、必ず元気な子を生むから」


妊娠が分かった時にも言ってくれた言葉。言葉の意味は、少し変わっている。その言葉を受けるルスランの心情が変わったからかもしれない。


ルスランは起き上がってメイベルと向き合い、彼女をそっと抱き寄せる。メイベルも静かに目を閉じて、自分に口付けようとする夫を受けとめた。




「エリザヴェータめ……。あれほど焚きつけてやったというのに、何もできぬままとは無能な女だ」


ヴァローナから離れた異国で、報告を受けた男は忌々しげに吐き捨てる。用意された酒を、見えない誰かに向かって投げつけるかのように、壁に叩きつける。


「……まあ、いい。あの女は所詮、ルスランの味方であることは分かっていた。十二年前も俺が情けをかけてやろうとしたのに、俺を見もせずにルスランのことばかり……」


エリザヴェータからすれば、自分を娼婦扱い……金銭という対価のある娼婦のほうがましなぐらいの扱いをしてくる男など、まともに対応したくないのも当然だ、と反論したくなるような言い分だが。

そんなことを考えるはずもない男は、自分よりも弟を選ぶ女の見る目のなさを恨んだ。そしてそれ以上に、弟のことも恨んでいた。


「ルスラン……!いつまでも、その玉座が自分のものだと思うなよ!いずれ必ず、正統な王が取り返してやる……!」


こうして、エリザヴェータ、ハンス母子の一件は、ささやかな事件として終わった。王城の人間たちを大きく振り回しはしたが、結果だけ見れば何か被害があったわけでもなく。


何がエリザヴェータを動かして王城へと向かわせたのか、その真相までは調べられることもなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ