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過ぎた日は戻ることなく (2)



バーベリの城に移って以来、エリザヴェータのもとには毎日のように客が訪ねてきていた。


その大半がハンスに会いに来たルスランであったが、時には知人とも呼べない程度の面識しかない貴族もいて。

彼らの目的をエリザヴェータは見抜き、常に冷ややかな対応をして、とっととお帰り頂いていた。


……十二年前は、あれほど自分を見下し、蔑み……悪意を隠そうともしなかったくせに。

ルスラン王の寵愛を得たらしいという勝手な憶測でエリザヴェータに近づいてきてゴマすりをするのだから、乾いた笑みしか出ない。


今日もルスランが訪ねてきてハンスを連れ出した後、城に残っていたエリザヴェータのもとに、一人の貴族が訪ねてきた。

彼はいつも、群れの中にいる――この男と同様、一人では何もできない臆病者集団に属して、十二年前も仲間と共にコソコソとエリザヴェータを嘲笑していた。


そんなことは都合よく忘れて、苛立つほどの愛想笑いを浮かて貴族は語り始めた。


「私は、エリザヴェータ様こそ陛下に相応しい女性だと考えております!」


思わず鼻先で笑い飛ばしそうになりながら、エリザヴェータは貴族を見ることもなく長椅子に座っていた。

いつもこうやって取りつく島も与えずに訪問客の話を無視しているのだが、今回の客は構わず食い下がって来た。


「王妃メイベルは、ファルコという外国人の男と通じておるのです。あのような裏切り者を、王妃と仰ぐことなどできません!陛下の寵愛を良いことに、どこまでも増長しおって……!」

「ファルコ……あの金髪のサディク人のことね」


エリザヴェータは、つい話に反応してしまった。


直接紹介されたことはないが、特徴的すぎる容姿を持つ美しい青年のことはエリザヴェータも知っていた。

ルスラン王のもとにやって来たサディクからの人質……そんな噂も聞いたことがある。


たしかに、王妃があの青年と一緒にいる姿を何度か見かけたことがある。親密そうな雰囲気で、エリザヴェータも、ちらっと邪推したことも。

例えやましいところはないにしても、年の近い男をそばに置くこと自体、王妃としては危うい行為なのでは……と思っていたが。


「でも、ルスラン様もいらっしゃる城で、そんなことできるはずがありませんわ。陛下はそこまで節穴ではありませんもの」


あのルスランが、妻の浮気に気付かないとは考えにくい。付き合いの長くないエリザヴェータですら、王妃とサディク人の親しげな様子を何度も目撃しているのだ。ルスランもとうに、二人の仲は把握しているはず……。


「宰相のガブリイル・エリシナが、裏で糸を引いているのです。陛下はやつを全面的に信頼している――エリシナならば、陛下の目をすり抜けて二人が逢瀬を繰り返す手引きぐらい容易にできましょう」

「ガブリイル様……」


その名前に、エリザヴェータは好意的になれなかった。

ルスランの私的な面も理解しているアンドレイ・カルガノフと異なり、あの男は職務に忠実で、ルスランの道を阻むものを嫌っていた。


ルスランがまだ王太子だった頃……彼がエリザヴェータに恋していたことに露骨に眉をひそめ、はっきり反対していた。

エリザヴェータがルスランに近づくことを嫌がっていたし、今回も、エリザヴェータやハンスの滞在を快く思ってはいない。


ただそれでも、ルスラン王を裏切るような真似だけはしない男のはず……。


「時が経てば、人も変わるものです。宰相となってあの男も変わった――自分の権力に固執し、自分にとって不都合な者を排除することに熱心になった。王妃メイベルとサディクの皇子ファルコを懐柔してハルモニア、サディクとの繋がり強化したいのです。自分のために――そして陛下を傀儡にして、自身がヴァローナ宮廷の政治を取り仕切ろうと企んでいる」


実際はルスランが面倒がって押し付けてくるものを宰相として引き受けてこなしているだけ。

もし王妃やサディク人に取り入っているのだとしても、それはルスラン王やヴァローナ王国の利益を考えてのこと。

……きっとそうなのだろう、とエリザヴェータも頭の片隅では理解していた。


ガブリイル・エリシナは自分に対して決して好意的ではなかったが、彼は筋を通す男だった。目の前でわざとらしい愛想笑いを浮かべ、猫撫で声でエリザヴェータにすり寄ってくる男共とはまったく違う。こんな下衆たちと、比較にもならない。

――そう分かっているのに、エリザヴェータの心は、どうしようもないほどドス黒い感情に支配されていた。


「……王妃様がルスランを裏切って、他の男と……。それは間違いないの?」


王の妻でありながら。王の寵愛を受けながら。

……許すことのできない恥知らずな行いだ。


静かに問いかけるエリザヴェータに対し、貴族はニヤっと笑った。


「間違いのない事実です。でなければ、いくらなんでもここまで大胆な計画は立てません」


エリザヴェータはシンプルだが美しい装飾が入った机に近づき、引き出しを開けて、小さな箱を取り出す。


小さなカギで、その箱を開けて。

中に入っていた手紙の束から一通取ると、貴族に向かってそれを差し出した。




ルスラン王不在の城に残って留守役を務めていたメイベルは、多少の政務を終えて自室に戻ったところであった。


長椅子にゆったりと腰かけて寛ぎ、女官たちが用意してくれた温かいミルクを飲んでいると、にわかに部屋が騒がしくなる。


部下をぞろぞろと連れ、警視総監がいかめしい顔でメイベルの許可もなく部屋へと入って来た。


「王妃様、陛下のご命により貴女を逮捕します」


警視総監の言葉に、メイベルが反応するよりも先に女官たちがサッと立ちふさがる。オリガも、警視総監の前に進み出てすぐに抗議した。


「陛下がそのような命令をなさるはずがない!王妃様を逮捕など、何かの間違いです!」

「このように、陛下が署名なさった命令書がある。姦通罪で、王妃様とファルコ殿を逮捕せよと――」


警視総監は手にしていた書類を見せつけ、メイベルは眉をひそめる。


「その書類……ルスランの筆跡じゃない」


メイベルの指摘に対し、うっ、と警視総監が言葉を詰まらせる。彼も、命令書を書いたのがルスランではないことは分かっていたのだろう。ただの罪人ならまだしも、王妃を逮捕しようという命令書なのに。

そしてこの反応から察するに、直接ルスランから命じられたわけではない。だからこそ、ルスランの署名が入った書類なんか振りかざしているのだ。


「し、しかし――署名は陛下のもので間違いない。署名さえ陛下が記入なさったのであれば、命令書は王が発したものとして有効だ」

「それはたしかに……。私も、署名はルスランが書いたものに見える」


命令書は書記に書かせ、自分は署名だけ、という形式もよくあること。

メイベルは座っていた長椅子から立ち上がり、警視総監が見せつける書類を手に取って自分でも確認した。


「姦通罪と王への不敬の共謀罪として、私とファルコと、ガブリイル様を逮捕しろと書かれてる……」

「はあ?」


ファルコが即座に反応する。


「俺は身に覚えしかないけど、ガブリイル宰相まで?あり得ないだろ」


他ならぬルスランが唆したとは言え、姦通罪を持ち出されてはメイベルとファルコには心当たり……というか事実しかない。しかし、宰相まで逮捕するとは乱暴が過ぎる。


「これほどの命令なら、やはりルスランの署名だけでは納得しかねる。あなたも、内心ではおかしいと思っているのでしょう?」


部屋に入って来た時から、警視総監が何かに強く迷い、ためらっているのは見えていた。

しかし、ルスランの署名入り命令書がある以上、彼も仕事をしないわけにはいかない。


「おかしいという個人的判断だけで、私は私がなすべきことを変えるわけには参りません。この命令書に従ってエリシナ氏、ファルコ氏の両名を逮捕し、王妃様を拘禁させていただきます」


オリガが憤ってまた反論しようとしたが、メイベルが止める。


「命令書には私を含めて三人の名前しか書かれていない。ということは、ここにいる女官たちについてはあなたに何の権限もなく、彼女たちは何の制限も受けない」

「おっしゃる通りにございます」


警視総監は丁寧に同意し、メイベルはミンカに振り返った。


「ミンカ。すぐにバーベリに向かって、陛下にこの命令書の真意を問い正してきて。私はガブリイル様やファルコの処遇について、陛下のご判断であろうともおおいに異議を唱えます――そう伝えて」

「は、はい!直ちに!」


返事をするや否やミンカは部屋を飛び出していき、警視総監も連れてきた部下に合図を出して、彼女を追いかけさせた――バーベリへ向かうのであれば馬を飛ばしたほうがいい。

ミンカを、部下が走らせる馬に乗せようとしてくれているのだろう。本当は彼も、命令書の真偽を疑い、ルスラン王の直接の指示を仰ぎたいと考えている……。


「ファルコ。ルスランに問いただして、必ず命令は撤回させるから。少しの間だけ、我慢してほしい」

「……そんな申し訳なさそうに言わなくていいよ。俺はもともと、ルスランの目こぼしで自由が許されてる身なんだから。ルスランの心ひとつで処遇が変わるのは覚悟の上だ」


警視総監の別の部下が複数近づいてきて、大人しく従うファルコを連れて部屋を出る。

メイベルは警視総監に視線を戻した。


「ガブリイル様は……」

「宰相閣下のもとにもすでに部下を向かわせており、恐らくはあちらも身柄を拘束した頃かと。王妃様には――」


みなまで言う前に、また女官たちがサッとメイベルの前に立ちふさがり、警視総監たちを睨みつける。この迫力には、彼らもタジタジだ。


「このお部屋を出ませんよう、お願い申し上げます。見張りをつけますゆえ」


分かりました、とメイベルは頷く。


「ルスランからの返事を待ちましょう――椅子に座っていても?」

「もちろんでございます」


メイベルは改めて長椅子に座り、大きくため息を吐いた。

女官たちは男たちを少しも近づけさせないという意気込みで長椅子の周りに控え、警視総監はメイベルから距離を取って部屋の真ん中あたりに立つ。彼の部下たちは、扉の前で待機だ。


王の命令書を前に、警視総監もぎりぎりの配慮をしてくれているのは分かるが、やはりメイベルにとっては不快な状況であった。


ルスランがこんな命令を下すはずがないことは分かっている。これについては微塵も疑っていない。

では誰がこんな茶番を仕組んだのか。


――心当たりがあるだけに、この後の展開を考えると、非常に気が重い。


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