怪物
「正確に言えば、あんたがエルメルリアにいれている、間者を俺の下につけてほしいってことなんだけどな。カーヤ、ピシャスも、そうなんだろ?」
クジャの目元が、押し上げられたように細くなる。口端は、嬉しそうに持ち上がっていた。
「魔装から見るに――勘か?」
「勘だ」
クジャは含み笑いを見せるや、脇に置いていた台の上からグラスを取って、回した。グラスの中の赤ワインに、俺の姿を映し出す。
疑似的に作った血の海に人間を沈め、死念を落ち着かせる。高魔力魔術師がよくやる療法だ。
ワインをユラユラと揺らし、さざなみを起こして、止めた。
「くくく。虚装よな」
ピクリと、俺のコメカミが動いた。
虚装とは、思念の量を調節し、魔装を自在に揺らす技法のこと。カーヤはこれでティアラナを欺いていたと考えられる。S2技法に属する。
「庇うことはない。落胆もしなくてよい。虚装を見切ったわけではない。お前がエルメリアに来てからの資料から、この程度の核心をつかむ頭はあると踏んだ。それだけのこと。気づいた切っ掛けはセレンであろう? あやつは、先を読んで話すということを知らぬからの」
セイレーンはティアラナに対し、カーヤとピシャスの秘密について語ることを、上、つまりはクジャから禁じられていると言った。これはつまり、カーヤとピシャスが泳がされているか、クジャの部下かの二択ということを示している。
気づいたのは、クジャが全ての黒幕だとわかった時だ。逆からたどってようやく察した。答えは至るところにあったのだと。
「心配しなくても奴を処断はせぬよ。頭こそ弱いが、急所では使える。それがあたしのセレンに対する評価よな。何よりうちは武官が少ないのでのう。平和になると優秀な武官が減っていく。よい傾向とも言えるが、元軍人としては寂しいことでもあるのう」
「文官の苦衷が見えるようだな」
「ほぉ」
「この国は文官が強いという。あんたのやっていることが常に無茶苦茶だからだ。カーヤとピシャスにしてもそうだ。パミュのためとはいえ、影姫おいてまですることじゃなかった」
嘘だった。
こいつは常に自分のためだけに動いている。
そんなことはわかっている。
だけどそれを、パミュには知らせたくなかった。
親には愛されている。そうパミュには思わせておいてやりたかった。例え白々しくても。
「あんたの親心は買う。だが、カーヤとピシャスでは力不足だ。力はあっても精神があまりにも未熟すぎる。だから、次からは俺が大将の役目を担う」
クジャは何も言わず、グラスの中のワインを回している。
「頼む。カーヤとピシャス。その他の間者も俺の下に置いてくれ」
拳を握りながら、頭を下げた。
しばらくして、クジャの笑い声が響いた。
鈍い音が響く。クジャが持っていたグラスを台の上に置いた音だった。グラスの中の紅い湖面が、静々と揺らめく。
「殊勝なことだ。確かにあたしは、カーヤ、ピシャスを頭に据えて、間者による人の柵を、エルメルリアに構築している。調練も兼ねてな。が、それももう撤去しようと考えておる。理由は聞かずともわかるだろう? 愛しの娘だ。あんな目にあった昨日の今日で、同じ街に送るほど愚かではない」
薄ら笑いを浮かべながら、クジャが言った。
俺は苛立ちの全てを手に集中していた。
「俺が上につけば、あんな事態は起こさせない」
「いいや、起きる」
「見くびるなよ俺を」
「見くびってなどいない。厳然たる事実よな。お前がどれだけ強くとも、元をたどればあたしの部下。起こそうと思えば、起こせる」
こいつ……。
頭の中がカッと熱くなる。
いや落ち着け俺。ただの挑発だ。魔術師は――
「無意味なことはしないもの」
クジャの言葉。
顔を上げた。
恐らく、俺の顔は呆けていたことだろう。
バカな。
どうして俺の整纏を貫ける?
今の俺の思考言語は、この世界にはない、地球の言葉だぞ?
こいつに、俺の整纏は絶対に崩せないはずなのに……っ。
「くっくっく」
クジャが頭を抱えながら、せせら笑っている。
重い。
自分の才能がただただ重いと言わぬばかりの顔で。
『――ハルモニカの前でこんなこと言いたくはないですが、怪物ですよ、完全に』
いつぞやの、セイレーンの言葉。
あの時は、何をバカなと受け流していた。
しかし、今、ハッキリと思った。
「くっくっく……あーっはっはっはっはっは!!」
こいつ……怪物だ。




