黒い滝
なるほどな。
俺はバカだから、気づかなかったよ。
眩術は感情を乗算させる術。
初めからないものにはかけられない。
つまり。
お前が恐れていたのは、あの状況に、ではなく……
!!
反射的に俺は、守るべきパミュをほったらかしにして、後ろに大きく下がった。指と膝を地面に噛ませ、面を上げる。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
パミュの前には、先程はなかった槍が突き立っている。俺の周りにも、計七本。天上から投擲してきた槍だった。
風が暴れ回っている。何匹もの装甲機竜が、翼をはためかせながら、降りてきた。下地(竜から下りること)した騎兵が、俺を囲むように槍を突きつけてくる。
眼前では、パミュを遮るようにして、一際豪奢な黒竜が、翼を広げていた。下地した黒騎士が、腰の剣を抜き放つ。
「大丈夫、ハルモニカ!! 今、布を――」
「ぜぇ、ぜっ、バッ――」
止めようとした矢先、石突きの一撃を後頭部にお見舞いされる。
このガキ……っ。
「黙れ。次に許可無く発言したらその足を落とす」
振り返った俺の顔は、相当引きつっていたことだろう。頭に血が上るとはこのことだ。
ビリビリビリ。
布を斬る音がした。
それで俺は我に返った。
「このバカが!!」
周囲に巨大な竜巻を発生させてから、俺は言った。槍を突き付けていた騎兵らが、雲を突き抜ける勢いですっ飛んでいく。本来は相手をバラバラにした上ですっ飛ばす術だが、その辺は手加減しておいた。全員竜騎兵のところに飛ばしたはずだし、まず死んではおるまいよ。
「うわーっ!! 一人がそのまま落ちていったぞ!!」
「仕方がない。あいつだけあんなに遠くに飛ばされてしまってはな。しかしなんて魔術師だ。まるで軍人時代のクジャ国王陛下を見ているようだ。迂闊に近づけん」
ま、一人だけミスっちまったみたいだけど、そんなことはどうでもいい。運がよければ木がクッションになって助かってるだろ。問題はこっちだ。
黒騎士はパミュの本名を連呼しながら、パミュの肩を揺すっていた。パミュの目からはもう、光が消えている。
トラップだ。
布に綴られていた呪が、今はパミュの龍壺、つまりは魂に移動している。
死んだわけではない。血が流れていないわけでもない。ただ魂が静止している。例えるなら、五感を塞がれた状態で転がされているようなものだった。もって数分。十分も経てば精神に多大な障害を負うことは間違いない。
とにかく言えるのは、急を要するということだ。こいつを罵倒している暇すらない。
「アッハッハッハ」
火急の事態で響く笑い声。振り返ると、先程、俺が風玉ぶち当ててふっ飛ばした男が、窪んだ眼と口端から血をドバドバと零し、笑っていた。
「強兵が弱兵に引っ張られる。軍じゃよくあることだが、見事に――ゴホッ、ハマったな」
「貴様~……っ」
黒騎士が迂闊に近づこうとしたので、俺はそれを片手で制した。
「よせ……。ヴァルドロンドも風玉も、とっさに魔力で外に流したんだろうが、それにしたって限界はある。こいつはもう虫の息だ。それより今は、パミュのことをゲホッ……最優先に考えろ」
「そうだな。どうせ死ぬ。そこの娘もだ。く、ははは。バカな奴だ。裏切るからだ。どうせ見ているんだろう? 聞いているんだろう? 人の皮を被った化物が。だが俺にはわかっているぞ、気づいているぞ、お前は、お前は……」
ふいごのような音。兵隊の口から漏れていた。
「組長……志、遂げること叶いませんでした。後……これ、言……いや。
後は……託したからな!! お前に!!」
頭が落ちる。口と破裂した目玉から、血がドロリと落ちていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ」
託……した? どういうことだ? 生き残ってる奴が、まだ……。
『ちょっとちょっと組長』
『借りは返しますよ。あいつの――兄様として』
「はぁ……はぁ……はぁ……」
周囲を見た。
いない……。
恐らく、決死組の中で、一番厄介だと思えた相手が。
いや待てよ。
息を切らしながら、頭の中で、回想する。
そして、ある考えに至った。
まずいな……。
俺の予想が正しければ、あいつの他に、後二人、斬り損ねた奴がいる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
だが、今はダメだ。
今は、それどころじゃない。
「……はぁ、はぁ。いいか。お前はギルドフルーレに行って、ティアラナがいたらこっちに連れて来い。パミュは俺が見ている。間違っても上の竜騎兵を下地させるなよ。殺したくないならな。お前らがいたところで邪魔にしかならねえ」
「何ですっ――」
俺は黒騎士に言うべきことだけ告げるや、腰を下ろし、パミュの衣服を上衣だけ、無理やりはだけさせた。止めようとする黒騎士を無視して、黒騎士が切り裂いた魔布(現在ただの布)で、その上半身をくるむ。
この布は呪にとって古巣のようなもの。またこの布も魔力を吸収しやすいように編まれているはず。気休めだが、少しはマシになるはずだ。
柏手を打った。解呪の方法はいくつか思いつく。
印を結んで、悪意を巻き取るというのが一つ。
魔力の伸縮性を利用して、呪を魔布の側まで引っ張り上げるというのが一つ。
魔糸を体内に潜りこませ、呪を釣り上げるというのが一つ。
蟲式(多分)が生きているという性質を利用して、どこか望みの場所に誘導するというのが一つ。
残り数分。いやボカした言い方をしたが、実際二分あるかどうかだろう。印は遅すぎる。伸縮性を利用しての方法も右に同じ。糸で引き抜くには技量が乏しい。蟲式の性質を利用するには知識が足りない。そもそも蟲式かどうかも怪しい。とすれば――
目蓋を開く。黒騎士はいつの間にか、どこぞへと消えていた。
不本意だが、これしかあるまい。
パミュの胸に両掌を押し込んだ。全身から魔力を放出する。叩き込んだ。ありったけを。
パミュの身体が電気でも流されたように、ピクピクと動く。注ぎこみすぎて、パミュの身体が変獣しようとしているのだ。
本来、脳の回路を遮断されている人間は、変獣しない。もしくはしづらい。悪意の果てにあるのが変獣であり、脳がないと、その悪意をまず認識することができないからだ。にもかかわらず、パミュが変獣しかけているということは、やはりこのやり方は、間違っていないということだ。しかし……。
一分経った。
二分経った。
血と交じり合った汗が、ポタリと手の甲に落ちた。
やっぱり、足りないな。圧倒的に。魔力量が。
パミュに放り込む魔力と、自分の傷口を縫い合わせる魔力。この二つを両立できず、俺の全身から血がドバドバと、バケツで浴びたように流れ落ちてくる。
やっぱ、昔のようには、いかねえか……。
俺は魔術師だが、竜頭蛇尾という神も宿している。こういった神器を宿した存在のことを、神仙と呼ぶ。
神仙になっちまうと、莫大な神意をその身に宿すことになる。神意と死念は相殺関係にあるが、神仙に対しては、そもそも死念が寄ってこない、という現象が起こる。恐らく、死念が死界に引きずり込みたいのは人間であって、神ではないからだろう。
俺の今の魔力量は最下位の一位。先述の通り、神仙でこれはありえない。最下位とかそういう次元ではなく、神仙は魔力を纏えない、すなわち、魔力量がゼロ位になるはずだからだ。
どうして俺が、最下位の一位とはいえ、魔力を持っているのか。
それは、俺が元いた世界で使っていた肉体が、その世界で四散していて、今使っている俺の肉体からは、莫大な死念が放出されているからだ。
騙し騙しやってきた。
あたかも人間のように振る舞い。
あたかも魔術師のように振る舞った。
しかし、魔法が溶けたということだ。
パミュが恐れていたのは俺だった。わかっている。状況が引き起こしたものだって。俺の弦術が、心の底に小さく溜まっていたものを、膨らませただけだって。
許してやれよっていや、その通りだ。何だったらこれは、俺のせいでもある。だから怒ってるんじゃない。
単に、これは答えなんだ。
いずれたどり着く万人の答えに、一足先にたどり着いただけなんだ。
どうして愛されるだろう?
どうして隣に立ってくれるだろう?
何も語れねぇ。
故郷も年も経緯も全てを。
語ったら、何もかもが終わってしまうから。
俺が隠しているのは、八百年生きている、なんて、ちょっとした愛があれば乗り越えられるような、小さな真実だけじゃない。
本当は……。
『むーっ。これで人の字が見つからなかったら、ビュウのせいなんだからね!!』
消えて然るべきだ。
『やっぱりビュウの間違い。ちゃんと仲良くなってきてるでしょ?』
精一杯やった。
『いなくなってたら、あたし泣いちゃうから』
精一杯やったよ、俺は。
『それが今一番の、あたしの願い事』
誰も褒めなくても俺が褒めるよ。
誰ができる?
言語もなかった。
圧倒的な魔力量は扱い方もわからなかった。
ずっと一人でやってきた。
この世界だけじゃない。
元いた世界でも、ずっと一人でやってきたんだよ、俺は……っ!!
『せっかくだから、一度考えてみていいと思うよ?』
パミュの顔。
『あたしは――あたしは、ティアラナさんも、マリオンも、大好きだから、だから、みんなが幸せになってくれたら、すごく嬉しい』
頭に浮かぶ。
何度も何度も何度も。
笑っていた。泣いていた。怒っていた。落ち込んでいた。喜んでいた。
そして――
恐れていた。
知らず知らず見上げていた頭上。
見つめて、笑った。
唇を噛みしめる。
手に力を込めた。
絶対に助けてやるからな、パミュ……っ!!
虫の声。
木々のざわめき。
森の夜音。
それを貫くようにして。
暴風が、正面から通り過ぎて、俺の背後に。
物音と魔力の波動に敏感な俺だが、何の反応もできない。
これが敵なら、完全に詰みだ。
スタスタと、背中から迫ってくる足音。
ヌッと、後ろから顔が飛び出してきた。
誰なのか。
確認する力もなかった。
もたれかかりそうになって、それは堪える。
息が切れる。
ふと。
足元に目をやった。
血の池ができている。
なるほど。
なるほどなるほど。
死んだな、これは。
喜びで嗤った。
しがみつくようにして、ずっと握っていた意識。
フッと放した。
特に何も感じなかった。
そうすべき時だと、不思議にわかった。
しかし。
突然だった。
いきなり口を封じられた。
黒髪が滝のように流れ落ちて、唇の上に、柔らかい感触が、重ねられている。
これは……え……?




