零れ落ちた血と信頼
「……ヤ。ョウ。後は……」
断末魔を残し、地面に落下するカルロ。同じく地面に膝をついた俺は、息を切らしながら、魔力の流れを追っていた。
五情の五、恐は、完全に抜けきっているようだ。
カルロの置き土産が功を奏している。
ただし――
あいつらのはな……。
パミュにかけた眩術。
それはまだ、抜けていない。
ポタリポタリ。
額から血がポタポタと落ちてくる。
目を見開く。
どこかに力を込めていないと、倒れてしまいそうだったから。
「はぁはぁはぁはぁはぁ……」
眩術は本来見鬼のカウンター技法。
相手が目に集めた魔力を押し込み、呑み込ませることで効力を発揮するんだ。
パミュは見鬼を使えない。
それでも強引にかけた。
つまり持続時間が極端に短い、ということだ。
多分もって三十秒。
それで眩術は解ける。
だから。
早く、行けよ、俺……。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ」
もう俺しかいないんだから。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ」
理不尽を切り裂き、道理に正すバカも。
俺を節介の道に引っ張り込んでくる女も。
みんな時に殺されて死んでしまった。
だから、俺がやるんだ。
例え――
『この化物共が!!』
悪魔化物と、罵られようとも、俺は!!
跳躍。
駆けた。
十秒。
九秒。
ふと。
上から葉。見上げた時には、もみくちゃになっていた。
俺の頬が浅く斬られている。致命傷ではない。
相手の腹に、竜頭蛇尾の柄を打ち込んだ。しかし、致命傷ではない。
お互い離れた。枝に足。乗せた瞬間、正面から、剣を振りかぶった兵隊が、飛脚法を用いて迫ってくる。
横薙ぎに振るわれる斬撃。
俺は倒れるようにして、それをかわした。
しかし落下はしていない。
手で足場の枝を握っていたからだ。
枝を支柱に回転し、正面を向く。飛脚法を用いて枝を蹴る。蹴った枝がバキリとへし折り、相手の追撃をわずかながら遅らせた。
空を蹴る。枝を蹴る。枝葉を手で払いのけ、ただただ悪意に向かって直進する。
六秒。
五秒。
急遽。
枝の上。
足を止めた。
三百六十度旋回して、今一度、枝を蹴る。
俺に断された追撃兵が、二歩目を踏めず、大木の上から転がり落ちていく。
三秒。
二秒。
指笛。
背中から響いてきた。
その時。
見つけた!!
パミュ!!
だが!!
「なっ!!」
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
視線の先で、パミュが落下していた。
もう一方の方向から、パミュの命を狩ろうと迫ってくる敵兵。
どうせ奪えないなら殺すってことか、くそ!!
俺は、パミュと敵兵の間に、風を纏った剣を投擲する。
瞬間!!
左手。咄嗟に首を二の腕で守る。ギチギチと。肉と骨を食い破り、断ち割ろうとしてくる、白刃。目を向けるが、何も見えなかった。例の姿を消す布を纏っているのだろう。それでも感じる息遣い。押してくる白刃から、相手の気持ちが伝わってくる。
ふざけるなという気持ち。恨めしいという気持ち。こんなバカなという気持ち。必ず仇は討ってやる、という気持ち。
不正で得た力で、相手が生きた数十年と、これからの数十年を散らしていく。こいつらにとって、俺はさながら悪魔同然だろう。
当たり前だが、こいつらとて生きている。きっと何か、背負うものがあるんだ。こいつらは、ただの野盗とは違う。いや例え野盗でも、背負うものはきっとある。
気分次第で、どちらに白黒与えるかを決められる。そんな俺は、誰とも関わらない方がいいのだろうと思っていた。どちらが正義か悪かなんて、俺に決めれるものでもない。だけどよ――
『ビュウーーーーーーーーーーーー!!』
『だからちゃんと残っててよね!! いなくなってたら、あたし泣いちゃうから!!』
『それが今一番の、あたしの願い事!!』
俺も、ここは退けない。
誰に、何と思われようとも!!
刃に押される二の腕。俺は十分懐に引き込んでから、俺は残った手を相手の懐に走らせた。
銀器を発動できず、姿を現した敵兵がドロリと血を吐いた。敵兵の心臓部分に、敵兵が差していた短刀。
俺が抜いて、突き刺したのだった。
もたれかかってくる敵兵の屍体に肘を打ち込み、屍体を足場にして、俺はパミュの元まで直進した。
パミュの命を狩るフリをしていた兵隊が、副長と呼ばれていた男に蹴り飛ばされて吹っ飛んだ。おかげさんで、竜頭蛇尾の一撃が空を切る。
だが――
腕を振るう。腕の中にパミュがいた。ようやく捕まえた。しかし、その先には地面。俺は地面を受け止めるようにして、腕を突き出す。
地面に放射線状のヒビが走った。掌の中で圧縮した風玉が、地面の上で炸裂していたからだ。
奥歯を噛み締めた。パミュを抱く手に力がこもる。もしかしたら、多少傷つけていたかもしれない。
滴り落ちる血が、俺のものか、パミュのものなのか、全くわからない。
パリン。
衝撃を受け止める銀具が、砕け散る。と同時に、俺は横手に跳躍していた。足を引きずり、とにかく衝撃を分散させることに努めた。
音。
振り返る。
背中の大木が、崩れてきていた。
俺はパミュを地面に落とし、そいつを二の腕で受け止めた。
とんでもない重量が、二の腕と、足腰にかかる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
焼けるように喉が痛む。
涎が痴呆のように、ダラダラと口から零れてきた。
パミュがふと、目を見開く。
横手。
容赦無用に突き出されてくる、切っ先。
俺は残った手で受け止めた。
切っ先が目元で止まる。剣先から、血がポタリポタリと落ちていた。俺の掌を、刃が抉り抜いていた。柄ごと、相手の手を握りしめる。
副長が即座に二刀目のナイフを抜いた。逆手で振りかぶる。
「蛇尾!!」
俺は掻き出すようにして、叫んだ。
蛇尾が、俺の背中を通り過ぎ、俺を背後から突き殺そうとしていた兵隊をぶっ飛ばす。
正面。
相手のナイフの切っ先はもう喉元まできている。男は勝利を確信していることだろう。
俺は大木に挟まれて動けない。竜頭蛇尾の助力は背後の敵を狩るのに使った。呪を唱えている暇はない。
普通の魔術師相手なら、これで終わりだ。
『普通の』魔術師が、相手だったらなぁ。
俺は体内にある魔力を練り上げた。身体がバチバチと発光する。男が一瞬目を見開く。夜中。月の光も遮る深い森の中において、相手の顔が、真昼で見るよりハッキリ見えた。
呪も、魔術共鳴も排除した、接手式魔力誘導。俺が今触れているエレメントは、血だけではない。体内を流れる電気信号。すなわち雷。
俺が近代魔術の租と呼ばれている所以を教えてやるぜ。
曰く、龍と対話することなく、術を発動する龍術師。
曰く、本来扱えぬはずの、風を操る龍術師。
曰く、龍術師ではなく、魔術師を名乗る、紅眼の死神。
最初に魔術師を名乗ったのはこの俺。近代呪を編み出したのもこの俺。風の魔術を編み出したのもこの俺だ。
どうしてこんなことができたのか。天才なんじゃない。ただこれが――
お前らが持つ常識がなく、お前らが持たない知識を持つ者の、差だ!!
「雷撃輪舞」
呪を用いることなく発動する雷。『雷撃輪舞』が、漆黒の森の中、爆ぜた。
眼前の男が発狂しながら震えている。男が震える度、剣が掌をえぐり、血をピチャピチャと跳ねさせた。
術を解除する。森の中から光が消えた。男が口を開くと、黒い煙がもうもうと上がった。
「蛇尾、今度は木だ!!」
命じると、すっ飛んできた剣が大木にぶっ刺さり、衝撃で大木を俺の上からどかした。
広げた掌に、風の玉を作る。それを、棒立ちの男の腹に、押し込む。男が全身を打ち付けながら、彼方まで吹っ飛んだ。
俺は伏した大木に突き刺さった神剣を抜き放とうとして、指をどけた。先まであったま場所に剣閃が走る。一人でなお向かってくるか――いや違う。
咄嗟に頭を下げた。頭の上を斬撃が通り抜ける。四人ではなく六人。二人、魔布を被った兵隊が護衛についていたってことか。
一人の敵兵が、被っていた魔布を放ってくる。
視界を消される。
俺は構わず突っ込んだ。
二の腕から血の華が咲く。
拳。振るった。魔布の奥にある何かをつかみ、背負い投げた。相手を地面に叩きつける。叩きつけた相手の喉を踏みつけた。
正面。敵兵がパミュへと肉薄している。
俺は、大木に突き刺さったままの、竜頭蛇尾の柄をつかみ、引き抜き、振るった。
距離はあった。それでも俺の剣は、相手の胴を断ち割っていた。
切り札は最後まで見せぬもの。実は要所要所で使っていたのだが、ここまで大っぴらにこいつらに見せたのは、これが最初で最後である。
俺の竜頭蛇尾は、伸縮自在刀なんだよ。
勢いを殺しきれず、旋回した。同時に周囲を旋回し、振り上げた剣を――一切の躊躇なく、地面に突き刺す。
串刺しにされた敵兵から鮮血が噴水のように上がった。それがまた、俺の身体を紅に染める。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ」
ギリギリだった。身体ももう限界に近いが、それ以上に、神器は気位が高く、手を借りすぎると暴走する。今がその暴走の一歩手前だったのだ。
月の光を受けて、皓皓と輝く竜頭蛇尾の刀身に、今の俺の姿が映っている。
どんな姿だったのか。
そんなもの、考えている余裕なんてない。
酸素を貪ることに、ただ夢中だった。
どれぐらい時間が経ったのか。
一歩、踏み出す。
突き刺した竜頭蛇尾が、背中で消えた。
二歩目。
歩けば歩くほど、呼吸が荒くなる。
三歩目。
自分の流した血で、滑りそうになった。
四歩目。
自分が何を見ているのか、それすらも、わからない。
足を止める。
目下にパミュがいた。
今も呼吸は整わない。
指先から、血がポタポタと垂れている。
あれ? どうして俺は、こいつの前に立ったんだっけ……?
ああそうだ。口を縛る、布だけでも、取ってやろうって、そう思って……。
手を伸ばす。
そして。
反射的に手を止めた。
パミュの黄金の瞳が『来ないで』と、語っていたから。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
赤黒い血の玉が、指先から地面に吸い込まれ、落ちた。




