マリオンの才能
パタパタと犬のように、いや、蒼い狼のように駆けてきて、マリオンが言った。
なるほど、そういう理由でこっちに仕事を回してきたのか。
嬉しいような、気恥ずかしいような、複雑な気持ちだ。十三歳にそんな気持ちを抱いていると考えると、もっと複雑な気持ちになれる。
「むーっ。何よそのパミュなんかってのはーっ!!」
「言葉のまんまの意味だよ。パミュじゃコスプレして足出すぐらいしか、できることないでしょー。ロゼまで一緒についてくるしさー、恋の神様はマリオンのこと嫌いなのかなー?」
「あたしは協会の規約でここに連れてこられただけです。十五歳以下は一人で仕事するの禁止されているから。まったく、あたしだって休みだったのに。後失礼な言葉禁止。ごめんなさいね? パミュちゃん。この子、本当不器用で」
「あのさー。いつまでも結婚できないからって、人をダシにお母さんごっこ始めるのやめてくれないかなー? マリオン子ども扱いされるの嫌いなんですけどー?」
「あんたみたいな生意気な子供だったらいりません」
「ぷくくー。いらない、じゃなくて、できない、の間違いじゃないのー?」
「あんたっ、ほんっきで、殴るわよーっ」
「おいおい落ち着けって、二人とも。とりあえず、状況把握と役割分担を決めようぜ。現状客は三十数名。パミュのコスプレによって、これから倍々に増えていく可能性あり。問診表見るに、申し出てるのは大体打撲傷。まあ、俺がやったんだけど。多分これから来る奴もそんなところだろう。さて、どう分担していくかだが――」
「そんなの簡単だよ。サンドラ。ケイニーさんの白鍵盤借りるよ」
「え? あ、うん。それは大丈夫だけどー」
マリオンが、白鍵盤、つまり、白魔術師専用のピアノの前に腰を下ろす。椅子を引き、その小さな手には余りそうなほど大きな蓋を、持ち上げた。前屋根は開けなかった。診療所の待合室の広さを考えると、開く必要性は特にないと考えたのか、あるいは単純に面倒だからやめたのか。
ロゼが指を一本立てて、場を密やかにした。
もっとも、そんなことをするまでもなく、場は静かになっていた。
皆が皆、マリオンの才能の渦に、呑まれていたのだ。
マリオンが、一音、鳴らす。
何もかもが静止していた部屋の中に、空気の振動が起こった。
構えた。
上半身を持ち上げ、肩から下ろす。
思った時、旋律は紡がれていた。まるで、心臓の上を駆け回るかのような、ガラアテ作曲、夜光の下の狼の戯れ。
こいつ……すごい。
ピアノの技量も相当のものだ。
しかしそれ以上にすごいのは、魔術の腕前。
白鍵盤は、白魔術専用のピアノだ。
銀器と白魔術。二つの技量が一定水準に達していなければ、そもそも弾けない。
こいつは、それを当たり前のようにこなしてかつ、コンクールで優勝かっさらってしまいそうな旋律を、この年で奏でている。
演奏は、いや、治療は、二分ほどだっただろうか。
マリオンが手を止める。
一拍置いて。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
声が沸き上がった。
しかし一人だけ膨れっ面をしている者もいる。
コスプレ娘、パミュだった。
「まあこんなものかな? 三十人分の治療は」
「え?」
素っ頓狂な声をあげながら、自分の手足、首元、顎、胸などを調べるゴツイ男たち。
「おおおおお!! 治ってる治ってる!! 全然痛くねぇ……あ、やっぱりちょっと痛い」
「まあ完治ってわけでもないんだけど、完全に治そうと思ったら、そうだなー、三日は通ってもらう必要あるかな」
「すごいな、マリオンちゃん。ケイニーさん顔負けじゃないか」
「これは簡単な白銀魔術だからだよ。どんなものでも上限はある。だからこの程度の白銀魔術だったらマリオンでも迫れるよ。総合力じゃ到底及ばないけどね。後二年ぐらいかな」
「二年したらあのケイニーさんに及ぶつもりってか。いやーさすがは」
「ねぇねぇ、そんなことよりさ、マリオンと連弾しない? ビュウお兄さん」
ギロリ。
何人かにおもっくそ睨まれる。
何だよ。
マリオンは十三歳ってこと、お前らわかってんのかよ。
俺は、ちゃんとわかっているつもりだぜ。
「連弾ー?」
「弾けないんだったら、マリオンが教えてあげるからさー? ねー? まあお兄さんに限って、そんなことはないとは思うけどー?」
両手を枕にして、マリオンが言った。
「いやまあ、白魔術と銀器の基本として学んじゃいるけど」
「だよねー」
「ただ、連弾なんて無意味なことしたことねぇからなー。どれどれ」
白鍵盤の元まで足を運び、楽譜をパラパラとめくった。
夜光の下の狼の戯れは暗譜していたのか、楽譜は違うものだった。
ホルザン第一楽章……?
白魔術用の曲じゃないな……。
めくって戻す。
ふと。
マリオンの三角耳が、視界の下に現れた。マリオンの蒼い尻尾が、胸元と、下腹部をこするようにして揺れている。
こいつ……。
座る位置をわざわざ変えてきやがったな?
やや鬱陶しく、やや照れ臭く、真下を見た。
マリオンは、照れくさそうに顔を赤くしつつも、からかうように笑っていた。
俺は楽譜をとって、マリオンの隣に座った。ピアノ側ではなく、外側を向いて、楽譜をパラパラとめくる。ちなみに楽譜は市販のものではなく、幾つもの楽譜を重ね合わせたファイルになっている。
ピトリ。
マリオンが、二の腕がひっつくほど近づいてきた。
目を向けたが、俺の視線から逃げるように、マリオンが俺の懐に入り込んで、楽譜を指さす。
ジッと、マリオンの頭を見下ろしていた。時折髪や耳の隙間から、マリオンの表情が映る。
ふと、マリオンの頭が持ち上がり、顔を向けてきた。
ドキリとした。照れたわけじゃない。
黙って見ていたことへの罪悪感が、目を向けられたことで急速に膨らんだ。
そんな俺の気持ちなどどこ吹く風で、マリオンが、広げた手を下唇にあてて、笑う。
好意が胸一杯に伝わってくる。
それは、ティアラナにも、パミュにもないものだった。
その素直さが嬉しくて、俺は――
「ドーン」
いきなり、押された。
横手から。
俺はそのまま椅子から転がり落ち、受け身をとった。
誰がやったかは――記述するまでもあるまい。
「何しやがる!!」
「え? 救ってあげたの?」
「何から?」
「法律から」
「……」
「はいはーい!! 次あたし!! あたしやりたい!!」
パミュが例によって、やたらとジャンプしながら主張する。
マリオンは口に手を当てながら嘲笑し『どうぞ』とばかりに席を明け渡した。




