外伝65話:事件の真犯人 -elZacajm elQwumak-
外伝65話:事件の真犯人 -elZacajm elQwumak-
* * *
同日、時刻は夕刻。憲兵学校本館。
カルマは人身捜査課の棟の廊下を、足早に歩いていた。先ほど警護課の試験を終えたばかりで疲れているからか、あるいは明日に控える卒業試験に備えているためか、廊下を出歩く人身捜査課の訓練生の数は少なく、閑散としている。中庭から小さく虫の声が聞こえてくるほどに、あたりは静かである。
歩く先で、夕刻の廊下に暖色の光がもれ出ている部屋があった。そこからは、静かに談笑する人の声が聞こえてくる。
その部屋の前で立ち止まると、カルマはその入り口を見上げた。
白い石造りの壁のアーチ状の入り口上部には、「教官室」と彫られている。人身捜査課の教官のつどう部屋である。夕刻時のこの時間は、彼らは各々食事している頃だ。
大きく息を吸い、吐き出す。
そして決意を胸に、足を踏み入れる。
ここですべての決着をつけてやるのだ。あの男と。
「失礼いたします」
軽い敬礼ととともに、教官室に入る。その瞬間、否応なしに目に飛び込んでくるのは、細身の男。
人身捜査課、リグスラーム主任教官。
白い長衣をゆるりと羽織り、三方を囲うソファーの端に腰掛け、優雅に珈琲を飲んでいる。
ちょうど夕食後の一服をしているところらしく、彼の正面の膝丈ほどの机に置かれた上の金属製の盆には、珈琲ポットと小皿に取り分けられたチーズ、それから一房の葡萄が置かれている。
彼は基本的には穏やかな性格で、訓練生への対応は優しい教官である。
だが、カルマは知っている。彼には、裏の顔があるのだ。
「カルマ君か。どうしたんだい」
リグスラームはいつもどおりに、余裕の笑みを浮かべていた。髪は明るい茶色だが、目はこれでもかというほど暗い色をしている。そのどこまでも黒い瞳に対峙すると、まるでそこの見えない闇に吸い取られるようで、本能的にぞっとさせられる。
だが、怖じけずに彼を睨みつける。
この男が、最愛の妹シオナを苦しめたのだ。カルマの成績を盾に、脅迫などして。
「なんだい、その目は」
彼は早々に、カルマの向けるただならぬ殺気に気づいたらしい。
「私の記憶するところでは、君は人にそんな目を向けるような訓練生ではなかったと思うがね。とりわけ恩師に対して、害虫を見る目を向けるような人間ではね」
真実を知ったあとでは、彼の平静な仕草のすべてに対して、演技くさい気がしてくる。
「恩師? 笑わせないで。恩師どころか、今のあたしは、アンタを目上の人間とも思ってない。アンタは社会の檻に封じられるべきクズ野郎よ!」
「ほう、いきなり随分な言われようだ」
リグスラームは、さも他人事のように片眉をぴくりと上げた。
「あたし今日、ようやく知ったのよ。アンタがあたしの妹を苦しめた犯人だってこと。証拠だってある! それを今すぐ、この教官室の教官たちの前で公表してあげてもいいのよ!」
カルマは目を瞠った。
啖呵を切った彼女に対して、教官は穏やかな笑みを浮かべたのだ。
シオナを脅迫して関係を迫ったことを公表すれば――とりわけ彼の奥さんの離婚弁護士にそれを悟られれば――彼はタダでは済まないというのに。
「いかん、いかん。私に対してその目は良くない」
そう言うなり、リグスラームは突然、カルマの手首を掴んだ。彼の腕の力によって、カルマはぐいと引き寄せられた。
「いいかい、カルマ君。私の最も嫌いなものはねえ、愚かにもこの私に歯向かおうとする人間なんだよ。私の思い通りに動かない人間。そんなヤツは人間のクズだ。人身捜査課にいる価値がない。私の前で生きる価値がない」
凄みを帯びた低い声で、彼は耳元で囁いてきた。先ほどまでの穏やかな調子とは違って、その語調には、まるで少しでも逆らえば殺されるかような鋭さがあった。
それから彼は周りの教官の目を慮ってか、ふたたび穏やかな調子に戻った。
「どうやら、なにか誤解があるようだね。指導室でゆっくりと話そうか」
腕を離そうとしたが、掴まれた手首はどうあがいても離れなかった。
彼はカルマの手首を強く掴んだまま、もう一方の手で盆を抱え、ソファーから立ち上がった。
例の部屋につれていく気なのだ。
この憲兵学校の校舎に、扉で区切られた部屋はほとんどない。扉などで閉めてしまっては、中庭から差し込む光が部屋に届かなくなってしまうからだ。
だが、数は少ないものの、例外は存在する。それが木の扉が括りつけられた、「その」部屋だ。
噂によると、もともと不要物を置く雑多な物置として使われていたらしいが、リグスラーム教官が、その部屋を利用するために、人身捜査課の先輩たちを使って物を一掃させたらしい。以来その部屋は、「指導室」と呼ばれ、彼が訓練生と個人的な話をするときに用いられている。
嫌な胸騒ぎがした。
先輩たちの噂では、一度この部屋に入れられた者がたどる末路は、二種類しかないという。すなわち、完全に彼に対して従順になるか、あるいは、自主的に憲兵学校を去るか。
そんなおぞましい噂が囁かれているのに、この指導室の扉の向こうで何が行われるのか、それは誰も知らないという。
「どうしたんだね。入りなさい」
リグスラームに連れられて、教官室からコの字型に歩いた先。照らされる照明も薄れるほどの廊下の端に、例の指導室は存在している。
その薄気味悪い分厚い木の扉の前で立ちすくんでいると、教官がその木戸を押し開き、入室を促してきた。ギギギと不気味な音とともに、真っ暗な闇がカルマを出迎える。
ここでこの下衆教官に怖気づくわけにはいかない。
たとえこれから彼が何をする気だろうと、心を強く保たなければならない。何よりも、大切な双子の妹のために。
覚悟とともに個室へと足を踏み入れれば、教官はようやくカルマの手首を離した。
教官はあいた手で分厚い木の扉を閉めると、すぐに内側から鍵を掛けた。扉はひとつしかないので、彼によって密室がつくられたことになる。かろうじて奥の高いところに小さな小窓が存在しているが、あいにく夜なので、月明かりすら照らさない。
この闇に加えて、こもった埃の重いにおいが、精神を圧迫してくる。
「さて――カルマ君」
彼はライターで扉近くのランプに火を灯し、その横に盆を置いた。あたりが仄赤い光に包まれて初めて、そこに机と椅子が置いてあるとわかった。
彼は椅子にもたれかかるように腰掛け足を組むと、初めてその場で立ちすくむカルマのほうを向いた。
「さっきも言ったが私は、私の思い通りに動かない人間が大嫌いなんだ。そんなヤツが私の前で生きる権利は認めない。たとえばそう、あのティガルとかいう警護課の腐れ貴族のようなヤツだ」
言いながら、彼はプチリと盆の上の葡萄を一粒もぎ取ると、ピンと指で弾いて盆の端に転がした。よく見るとその一粒は黒く腐っていた。
「数年前にヤツが私の邪魔をした時、私はグラムを利用して、落第するほど成績を下げさせてやった。だがヤツは、それでも今日までしぶとく生き残りやがった。まったく、あの腐れ貴族だけだよ。ここまで私をコケにして、憲兵学校で生き延びたヤツは。だからアランキムの私情を利用して、ヤツの仲間共々、卒業成績を下げてやったのさ。任務失敗を言い渡されたときのアイツらの顔を見たかい? 実に滑稽だったよ。あの腐れ貴族は、この試験で成功しようと失敗しようと、任務失敗を言い渡される運命だったんだよ」
「まさかアンタが警護課の教官を利用したっていうの?! 上官でもないのに、そんなのできっこないでしょ!」
「おや、なにか忘れていないかい。君の妹は他課の人間だが、私に従順な『いい子』になってくれた。つまり、どんな課の人間だろうと関係ない。すべての人間は、私に従順な『いい子』になる運命なんだよ。もっとも、腐れ貴族のような、ごく一部の腐った例外を除けばだがね」
彼はポットから新たに珈琲を注ぐと、カルマに穏やかな笑みを向けた。それが下からのランプの明かりに、不気味に照らし出された。
「そう。君もだよ、カルマ君」
彼は赤子に言い聞かせるような声音で言った。「君は、従順ないい子になる」
気持ちが悪い。この男には、本能的に嫌悪を感じる。
背中にえも言われぬ悪寒が走った。
「あたしの成績を盾にするつもりなら、その手には乗らない。言っておきますけどあたし、今日アンタを逮捕するつもりですから。そしたら明日の最終試験の試験官はアンタじゃない。あたしの成績を操作することは、アンタにはできない!」
「やれやれ、まったく、君はまだ何もわかっていないようだな」
彼は嘲笑を浮かべた。「私が何年この学校の教官をやっていると思っているんだい。仮に君が今日私を逮捕することに成功したとしても、無意味だ。なぜなら人身捜査課の副教官は、すでに私の従順な駒だからだ。私は彼の弱みを握っているからね。つまり私が落第だと言えば、カルマ君、君は永遠に、卒業することもできないんだよ」
ありえない。こんな腐りきった根性の人間が、憲兵にいるなんて。
訓練生も、はたまた同僚の教官でさえも、平気で自分の駒にする。
彼には端から、憲兵としての正義の心がないのだ。
「そんなことで、私が諦めるとでも思ったわけ? ふざけないで! アンタの犯罪を見逃さないと卒業できないっていうなら、あたしはこの学校の卒業資格なんて要らない! アンタが他州に高跳びする前に、絶対に逮捕してやる!」
「威勢がいいのはいいが、私に歯向かうのは良くないね。この私に楯突く愚か者は、人間のクズだ。――だが、君はひとつ、大事なことを忘れているようだね」
「何よ。あたしが自分のキャリアのために、アンタのような下衆野郎を野放しにするとでも思ったわけ?」
「いいや、君の家庭の話さ。君に卒業を逃せる余裕などないことを、私は知っているんだよ」
リグスラームは不敵に笑いながらつづけた。
「君の家は母子家庭で、実家は貧しいらしいね。それでさらに、君たちは双子の姉妹ときている。姉妹のどちらかが一刻も早く卒業しなければ、今かなり経済的に厳しいそうじゃないか。だが君の双子の妹は警護課なんかに行っちまったから、卒業までにあと2年もかかる。なのに君の事情で卒業を遅らせるなんて――訓練兵の微々たる給料で、ちゃんと母親に仕送りできるのかい」
「な……っ? あたしたちの家のことまで……?!」
「ここで卒業を逃すと、一番困るのは君の母親だ。君は孝行娘だから、母親のために頑張って人身捜査課に入ったんだろう。だから安易に卒業を逃すことはできない。君の妹ですら、それを思って私に従ったのに、よもや妹よりも数段賢い君なら、それくらい、よくわかっているハズだと思うがねぇ」
この男は、ほかでもない家族を盾にして、シオナを脅迫していたのだ。カルマが家族のために人身捜査課を目指したことも、それを知るシオナが、カルマのキャリアを守ろうとしてことも。すべて知った上で脅迫したのだ。姉妹の経済事情という、どうすることもできない弱点につけ込んで。
リグスラームは、いかにも誇らしげにつづけた。
「憲兵の情報網を使って、事前に周りの人間の弱みは徹底的に調査しておく。それが捜査の基本だよ、カルマ君。だからこそ私のまわりの人間は全員、従順な私の駒となるんだよ!」
この指導室に入った訓練生は、出るときには憲兵学校を去るか、あるいは彼に従順になる。その意味が今、ようやくわかった。
彼の武器は、情報だ。訓練生の家庭の事情を掴み、それにつけこんで脅迫する。
だから今まで、彼に目をつけられてまともに反抗できたのは、ティガルひとりだったのだ。ほかでもない、「貴族」のティガルには、ほかの誰よりも安定した経済基盤がある。卒業できなくても平気。家族を守る必要もとくにない。そんな彼は、リグスラームにしてみれば、脅迫のタネのない無敵の存在だったのだろう。だからこそ、直接脅迫はせずに、カルマを焚きつけて「妹にふさわしくない悪いヤツ」との情報を植えつけることしかできなかった。
そこまで考えて、はっとする。
カルマもいつの間にか、彼の駒として利用されていた存在のひとりだったのだ。妹の苦しみも知らずに、ただ利用されていた存在。
「この卑怯者! 下衆野郎!」
叫びながらも、涙が出そうになる。
この男に対して、腸が煮えくり返る思いになると同時に、今までひとりで苦しんできたシオナの想いを考えると、胸が張り裂けそうになる。
「さあ、カルマ君。私のために『いい子』になるんだ。これ以上お母さんの生活を苦しめたくはないだろう。君の妹だって、君が反抗して卒業をフイにすることなど、望んじゃいないさ。だからこそ、彼女は『いい子』に私に従ってくれたんだからね。まったく、健気な子だよ。君と違って成績優秀じゃなくて人身捜査課に入れなかったことに、負い目を感じてる。だから私に従ってくれたんだ。これ以上君にも、そして君たちの母親にも、迷惑はかけられないからとね」
「このクズ野郎……」
シオナを苦しめておいて、この男はいけしゃあしゃあとそんなことを言った。
「もっとも、せっかく従順になってくれたのに、途中で腐れ貴族の邪魔が入ったおかげで、シオナは私のモノにはならなかったわけだが。――だが、君はどうだろうね、カルマ君。君は妹よりも責任感が強くていい子のハズだよねぇ? 家族のためなら、卒業までのあと数週間くらい、我慢できるだろう?」
噛みしめた歯が軋む。
憲兵として、姉として、娘として。今ここでどうするべきか、暗闇のなかで逡巡する。
黙ったままうつむいていると、教官は反抗の意思はなくなったと判断したらしく、立ち上がってカルマに近づいてきた。
「さて、カルマ君。君が従順な『いい子』になった証拠を見せてもらおうじゃないか。――まずは服を脱ぐんだ。この私の前でね」
「は……?」
頭の中が真っ白になった。
「何のことはない、『いい子』は皆そうする。いいかい、私の最も好きな瞬間はねえ、弱みを握った若い女を、この私の前で脱がせる、その瞬間なのだよ!」
「こんのド変態野郎が……っ!」
「そんな蔑みの言葉は許可しない。君は黙って、私の言われたとおりのことをするんだ。そうすれば今年、無事に卒業させてあげよう。――ハハっ! 今期の女子で最高に美人と定評のシオナを逃したときはあの腐れ貴族を呪ったものだが、どうやら再び、私にツキが回ってきたようだ! 彼女と一卵性双生児の君なら、妹と同じ最高評価に値する身体をしているだろうからね! どんなものか、実に愉しみだよ」
リグスラームは、一歩一歩とカルマに近づいてきた。
身体を舐め回すのようなその視線が気持ち悪い。
「安心したまえ、いい子に私を満足させてくれたら、明日の卒業試験で『秀』をあげるからね」
急いで逃げようと扉のほうへと走れば、彼はまた手首を掴んできた。どう捩っても、掴まれた手は離れなかった。
「そうか、嫌か。なら、私が直々に脱がせてやってもいい」
耳元で、気色の悪い声が囁かれる。
――もう、限界だ。
こんな部屋で、こんな気持ちの悪い男とふたりきりで話すなど、もう限界だ。
目に涙が浮かぶ。
「アンタなんか、蛮族に喉を針でぶっ刺されて、もがき苦しめばいい……!」
「また随分と奇妙な罵り方をしてくれる。それはいったい、どういう意味だい」
「こういう意味ですよ」
その瞬間、リグスラームの首が後方へと引っ張られた。
彼が何か声をあげたかと思うと、次の瞬間には口もとを手で押さえられたような、くぐもった悲鳴が聞こえていた。
「ぐえっ、ゲホゲホっ……なんだ、お前は……!」
四つん這いになって首を押さえたリグスラームが、上に立つ人間を見上げた。
カルマのほうではない。部屋の奥にいる、ほかの人影に。
最初から部屋の奥で彼を待ち構えていた、ふたりの人影に。
「どうでしょうか、リグスラーム教官。蛮族に喉を小槍でぶっ刺されて、もがき苦しまれたご感想は」
「それだけじゃ足りねーぜ、スフィル。そいつのタマふたつ取り出して、パチンコつくろうぜ。こいつオレのこと、6回も『腐れ貴族』って言いやがったんだぞ」
声の主は冗談まじりにそう言いながら、手元のランプに火を点けた。
その瞬間浮かび上がるふたつの人影。
警護課の訓練兵、スフィルとティガルだった。
「馬鹿な! 腐れ貴族と蛮族小僧が、なぜここに?!」
教官が狼狽した声をあげた。
「感謝しなさいよね、警護課。アンタたちのご要望どおり、教官をここに連れてきてあげたんだから。でもさすがに、猥褻行為で現行犯逮捕できなかったことは我慢しなさいよね」
「ご協力ありがとうございます、カルマさん」
「『連れてきてあげた』だと? どういうことだ!」
リグスラームが目をつり上げてカルマを見上げた。
「あたしが公然とアンタの悪口を言えば、アンタは必ずこの部屋に連れ込むってわかってた。だから敢えて挑発したのよ。アンタはあたしを連れ込んだつもりなんだろうけど、実際は逆。あたしがアンタを、この指導室に連れ込んだのよ!」
教官はあんぐりと見上げている。まさか罠だったとは、気づきもしなかったという顔だ。
「いっそ現行犯で捕まえてやろうと思ったけど、さすがに予想以上にキモくて、あたしのほうが限界だった。キモ過ぎて命拾いしたわね。――でも、アンタの素性、もう聞かれちゃったから。今まで通り平然と暮らせると思わないことね、このド変態野郎!」
リグスラームは黙ったまま歯ぎしりした。
本当はシオナを苦しめた件で、この男を告発したい。だがとうのシオナがそれを望んでいない以上、カルマにはどうすることもできない。――ただし、「その件」ではだ。
彼にはもうひとつ、言い逃れできない罪がある。
それを見つけたのは、ほかでもない警護課の彼らだった。
だからこそ、彼らに協力したのだ。絶対に彼を逮捕してみせると、スフィルがそう、カルマに約束してくれた。カルマはそれに賭けたのだ。
「あとは任せたわ、警護課」
奥のふたりに目配せすれば、彼らは真摯な目でうなずいた。
* * *
スフィルが教官の首に小槍を軽く刺してから、数十秒が経過した。
絨毯に伏していたリグスラームは、ようやく立ち上がり、スフィルとその横のティガルを見据えた。
「君たちは警護課の……いや、驚いたよ。実にね」
驚いたことに教官は、変態発言を聞かれたことを焦るでもなく、スフィルが小槍を刺したことを恨むでもなく、何事もなかったかのようにそう言った。
彼の本性が訓練生に見破られたところで何の問題ないと、高を括っているのかもしれない。
「こんな回りくどく私を呼び出すようなマネをして――何かい、今日の試験の不満でもぶつけに来たのかい。それなら相手を間違えているようだ。文句ならすべて、評価を下したアランキム教官に言うといい。私はたしかに彼を利用したが、だがあの評価はあくまで、アランキム自身の選択だからね」
リグスラームは、白々しく肩をすくめてみせた。
「いいえ、試験への文句ではありません。ボクらが個人的にリグスラーム教官に会いたかったのは、別件です。――先ほど、ハーナム教官が逮捕されたんです」
「ああ、その話は聞いたよ。まったく、驚くべきことだね。あの高潔な元王室護衛官ともあろう教官が」
教官は言葉とは裏腹に、さして驚きもせずに言った。
例の「事件」をスフィルたちに悟られたところで、証拠はなにもない。そう考えているのだろう。
だが、知らないふりをしていられるのも今のうちだ。絶対に自白を取って、罪を認めさせてやる。
「ハーナム教官の罪状は、廃棄武器の横領とのことでした。それについて何かご存知でしたか」
「いいや、知るわけがない。だがもしそれが本当なら、同じ憲兵として軽蔑に値する。決してあってはならない重罪だよ」
彼はあくまで、知らぬふりを決めこむようだ。
それなら筋道立てて、順を追って教えてやるまでだ。王都の治安とこの学校を結びつける、ひとつの事件を。
「近ごろ、地元のギャングの勢力が拡大しつつありました。そしてこの間、とうとう銃の撃ち合いによる、大規模な抗争が起こった。その一件で押収された銃器について、妙な噂を耳にしました。この憲兵学校の廃棄武器が利用されているのではないかという噂です。この学校の教官が、廃棄武器を横領してギャングに横流ししていたのです」
「つまり、その犯人がハーナム教官だったのだろう」
「ボクたちは、ハーナム教官は、何者かに無実の罪を着せられたと考えています。真犯人は、この学校の教官のなかの誰かです。憲兵として、捜査のプロフェッショナルであるリグスラーム教官に、真犯人を出頭させる協力をお願いしたいんです」
ほう、とつぶやいた教官は、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「仕方がない、そういうことならいいとも。それで、真犯人の目星はついているのかね」
「はい」
スフィルはリグスラームを正面に見据えた。
「リグスラーム教官。あなたが真犯人です」
「ほう……そうかね」
そこでようやく、彼は顔色を変えた。今までの穏やかな表情から一転、真剣な面差しになった。
「そういうからには、証拠があるんだろうな。事件と私を結びつける、決定的な証拠が!」
スフィルは何も言わずに、挑発的にリグスラームを見上げた。
実は、決定的な物的証拠は、なにもない。
だからこそ、わざわざ彼を個室に呼び出したのだ。ここで推理を広げることで、彼から自白を引き出すために。
これは推理ゲームだ。
無数の事実を論理的に並べて、ひとつの道をつくりあげる。そして辿り着いた先こそが、逃れようのない真実なのだ。
今ここで、論理の道をつくってやる。
そう、まるで――今朝出会った、あの《青獅子隊》のふしぎなサトリ憲兵のように。
絶対に彼に、すべての罪を認めさせてやる。
認めさせて、無実の罪で捕まったハーナム教官を助け出し、そして、この奇妙な試験から始まった事件に終止符を打つ。
「覚悟してください。徹底的に証拠を並べて追い詰めて、あなたをハーナム教官の前で自首させてやりますよ」
ハーナム教官は今、この学校のどこかで聴取を受けている。それが終わって彼が憲兵署に移送される前に、この真犯人から自白を引きずり出さなくては。
時間がない。ここで彼を追い詰められるのは、今しかないのだ。勝負はここからだ。
スフィルの深緑の瞳に、たしかな闘志が宿った。
「――さあ、ゲーム開始です」




