外伝55話:剣術天邪鬼 -elHalcatak Tegark-
外伝55話:剣術天邪鬼 -elHalcatak Tegark-
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「間に合わなかった、のか……?」
マーシルは語尾を上げて、自信なさげにそうつぶやいた。
手に汗握る緊迫状況から一転、現在、バルコニーには不思議な静けさがただよっていた。
突然大勢の敵に見つかり、護衛班は慌ただしい危機を迎えたが、それも一種の決着がついたかのように思われた。――護衛対象エズレの背中に振り下ろされた、一筋の鋭い打撃によって。
スフィルとダカが助けに動いていたが、それもあと一歩のところで間に合わなかった。
エズレは崩れるように地面に突っ伏し――ハーナムたち観覧者が把握できたのは、そこまでだった。
エズレが倒れた場所はちょうど高い絨毯の壁の奥になっており、その壁に遮られているおかげで、彼がどうなったのか、飾手拭は敵に取られたのか、こちらからはそれすらもわからない状況なのだ。
この観覧席からわかることは、王子役の護衛対象エズレが倒されたこと、そして、それに一歩遅れてスフィルとダカが、体当りするような勢いで駆けつけたことだけだ。駆けつけた彼らが、エズレが飾手拭を取られる前に敵を倒せたのかどうかは、把握しようがない。
あまりにも絶妙なタイミングで障害物に遮られたおかげで、観衆は今か今かと動きを待ちながら、奇妙な沈黙を保っているのだ。
「どちらにせよ、まだ終わりじゃない。護衛対象はもうひとりいる」
カリエクが示したのは、剣を交えるティガルのうしろで縮こまってる、国王役の護衛対象だった。
この主席が決まる大事な試験で、主席候補であるスフィルの班員が、もうひとりの主席候補であるイェルマヒムの班の護衛対象を必死に護っている。なんとも奇妙に感じられる光景だ。
この奇跡ともいえる、ライバル班との協力関係。果たしてこれが、吉と出るか、凶と出るか。
それはすべて、これからの彼らの勝負にかかっていた。
「それにしても敵さん、かなり警戒してんな」
つぶやいたマーシルは、現在ティガルに対峙する二人の敵を眺めていた。
彼らはティガルの間合いに入るでもなく、互いに様子をうかがっている。
「あれは、間合いに入りたくても入れないんだろう」
これは傍からは敵が隙をうかがっているように見えるが、そうでないのは、実際にティガルと対峙すればわかる。動きがあまりに読めないため、はからずも、半永久的に隙をうかがい続けることになるしかないのだ。
「たしかに、なんか珍しい動き方してますね、あの子」
「呼び名はティガルという。今期一の剣の使い手だ。変幻自在で動きが読めないことから、天邪鬼剣術などと呼ばれている。あいつは教官に卵を投げて喧嘩売ったりと、性格も天邪鬼だからな」
「へえ。あの子が例の、反骨精神あふれる勇者様ですか。内部監査課にスカウトしてぇな。――いやでも、相手に間合いに入らせないあの技術は、ふつうに護衛官向きだな」
感心したようにつぶやきながら、マーシルはちらりと横の元相棒を見上げた。「どっかの【不可侵領域】の誰かさんを彷彿させるな、クァル君よ」
「――ああ、だからか」
ぼそりとつぶやくと、彼は納得したように首を振った。
「先ほどから、妙に動きが読みやすいと思っていた」
カリエクはハーナムにふり向いた。
「彼は神家の子息ですか」
「いや、違うが」
意外だとばかりに、カリエクは優雅な眉を上げた。
「あの剣は、日天神殿系列の剣舞の動きをベースにしているように見えましたので」
「どっから来るの、お前のその謎の博識は」
「昔剣舞を習っていた。それだけだ」
「だからか。なーんかお前の【不可侵領域】に似てると思ったんだよな、あの剣筋」
「だからその変な呼び方やめろ」
「いいじゃんよ。お前ら《青獅子隊》は全員、変な特殊能力名あるんだからさ」
カリエクはその呼び方が不満らしく、眉をひそめて不快感をあらわにした。
彼の【不可侵領域】の二つ名は、彼のつくりだした数々の伝説とともに、すでに現在の訓練生のあいだに広く浸透している。今の世代にその二つ名を広めた元凶がハーナムであることは、本人には黙っておいたほうがよさそうだ。
厳かに咳払いひとつしたあと、ハーナムは告げた。
「ティガルはお前と同じ官家の出身らしいぞ」
その言葉にカリエクは、長いまつ毛をぱちくりとしばたかせて驚きを示した。なんでも瞬時に把握してしまうこの優秀な教え子が、これほど不意を打たれた表情をするのは、滅多にあることではない。
新鮮な気持ちを抱くハーナムに対して、カリエクは何か思い当たる節があったようで、尋ねてきた。
「ティガルってまさか、ファルスラーマク家の次男のティガル君ですか」
「そうだ」
「知り合い?」
「ああ、ファルスラーマク家は数百年間お世話になっている御家だ。ティガル君とは催しの際に何度か顔を合わせているが――」
そこで一度言葉を切った彼は、訝しげにつぶやいた。「名門官家のご子息が、なぜ憲兵に」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやりたいっての」
呆れたように笑ったマーシルに対して、カリエクは目を細めた状態で、ぴくりとも動かずに固まっていた。なにかとんでもないミスに気づいた直後のような顔だった。
「――どーしたの、クァル」
「数百年続いたファルスラーマク家との関係に……ヒビが入るかもしれない」
その言に、マーシルは「まさか……」とつぶやいた。
「お前、ティガル君も蹴ったの?」
カリエクの表情は、固まったままだった。否定しないところを見ると、どうやら図星らしい。
「ファルスラーマク家のご子息だと知っていれば、せめて手技を使ったし、懐中時計らしきものも壊さなかった」
「はぁ?! お前ティガル君の懐中時計も壊したの!? この破壊魔! いや破壊神め!」
「だから、ファルスラーマク家と知っていれば……」
苛立たしげにそう言いかけたカリエクは、途中で諦めたように息をついた。
「まあいい。ファルスラーマク家には、次男ティガル君卒業のご祝儀として懐中時計を贈っておく」
「またそうやって、すぐ財力で解決しようとする」
「十年ほど前にも一度、ティガル君には懐中時計を贈っているからな。元々面識はあるし、不自然ではないはずだ」
「おま、よくもまあ面識ある子を蹴ったよな」
「十年前だぞ。わかるわけないだろ」
渋い顔をする元相棒を、やれやれと横目でみやると、マーシルは手すりに乗り出して下の訓練場を見下ろした。
「それにしても、まだ隙をうかがってますね、敵さん」
ティガルの戦線は膠着していた。
動きたくても動けないでいるのは、ティガルも同じようだった。うしろに護衛対象をかくまっているため、ひとりと戦いだせば、もうひとりに護衛対象が襲われる危険性があるのだ。
だが、膠着状態だった戦況をいち早く打ち破ったのは、ほかならぬティガルだった。彼はついに、攻撃に転じる覚悟を決めたらしい。
ティガルは剣をもつ肩の力を抜き、その影響で剣先が上下にぶらりと揺れた。彼が攻撃の直前に無意識のうちに振るこのかすかな揺れが、攻撃の合図だ。
――来た。
瞬間、ティガルは一人の敵の顔面めがけて剣を突き立て――たかと思うと、自然な軌道で横にすべらせ、反対側の敵の頬を、剣の地で殴打した。
のけぞった敵にの腹に容赦なく小杖を見舞い、その手で飾手拭を回収する。
もう一人がまばたきをする間もなく、敵は地に伏した。
残すところ、あとひとり。
敵がひとりしかいない以上、もはや護衛対象の前に立ちはだかる必要はない。
ティガルは瞬時に地を蹴り、間合いを詰めた。
剣を防ごうと敵が構える――が、ティガルの剣は相手の予想だにしない軌道で弧を描き、敵の横腹を殴打した。
敵が横に飛ばされるより、ティガルの次の手のほうが早かった。
手首を叩いて剣を落とさせると、素早くうしろに回り込む。
あっという間に、敵の帯から飾手拭が絡め取られた。
これで、対峙していた敵は全滅した。
「やっぱあの天邪鬼君、『不可侵領域』の親戚だわ。お前ら超似てる」
「たしかにファルスラーマク家は、母方の遠い親戚だが――」
「えっ、マジでクァルの親戚なの?」
「別に驚くことじゃない。官家はふつう官家同士でしか結婚しないから、大方皆遠い親戚だ」
「お前らの世界って、果てしなく狭いんだな」
マーシルが肩をすくめて言った。
下の訓練場では、ティガルが剣を鞘に収めて国王役の護衛対象の手を取り、先ほどエズレが倒れた地点へと小走りに向かっていた。




