外伝53話:突撃の射手 -T'aka lakahr-
外伝53話:突撃の射手 -T'aka lakahr-
* * *
(クソ、俺のミスだ!)
ダカは走りながら、大きくかぶりを振った。
(なんとしても、ミスを取り返さねえと……!)
走りながら小杖を投げ捨て、肩にかけた弓に持ち替える。手元を一瞥することもなく、腰の矢筒から矢を右手の指ではさみ、取り出した矢の先端を左の指にかける。
「ダカ君! 今出ていったら、死に――」
ダカはスフィルの叫びにふり返ることなく、心の中でそれに答えた。
(かまわない!)
走る標的の数歩先は、曲がり角になっていた。一発で当てなければ、次はない。仲間を呼ばれたらおしまいだ。
矢をつがえたダカは一度止まり、走り去る黒い背中に向かって、瞬時に弓を引いた。
もはや体の一部と言っていいほどに馴染んだ道具が、この日ばかりは別物のように感じる。それも当然だ。矢は安全のために鏃を外され、代わりにその先端には、分厚い布が巻かれているのだ。重さの違う矢は、とくに先端部分が違う矢は、もはや別の生き物だ。
それでも、当てるしかない。
でなければスフィルは――彼の描いた夢は、死ぬ。
見開かれれた目が、自身の浅黒い肌に対して、強烈な白さを放った。その中心で黒い瞳は、まっすぐに標的を捉えたまま離さない。
(俺は脱落したってかまわねえんだよ、スフィル)
イスカ人は、大嫌いだ。
彼らは冷淡で、身勝手で、自分のルールこそ至高だと信じて疑わず、異民族をバカだと思って見下している。ここ数年ずっと思い続けてきた彼らの印象は、未だに変わることがない。
きっかけは、突然村にやってきた、明るい色の肌の連中だった。好ましい笑みを浮かべた彼らの言葉は、たどたどしい通訳によって聞かされた。だいたいこんな意味だった。
「同じイスカ人として、ともに豊かになろう」
その提案を、彼らはビジネスと呼んでいた。ただでさえ珍しい外部の客の、これまた珍しい提案に興味津々だった村人は、全会一致で彼らに協力することを決めた。具体的にどんな協力をしたのか、まだ幼かったダカは知らない。だが直後に村に起こった変化なら、鮮明に憶えている。数月も経たずに村の皆は、今まで食べたことがなかったような珍しいものを食べ、今まで来たこともなかったような美しい服を着られるようになった。何もない砂と草原に囲まれた村で、珍しさはすぐによろこびへと直結した。幸せな時が流れていった。
それから一年後、またあのイスカ人の集団がやってきた。来たときとは打って変わって、彼らは深刻な表情だった。
「借金を返してもらわないと」
そう言ったらしい。生活するものは見渡してのとおりそろっていたのに、彼らは足りないのだと言った。何が足りないのかと問えば、彼らは数枚の紙を取り出し、ヒラヒラさせた。村の皆は、顔を見合わせるしかなかった。最初からありもしない紙を、彼らはまじめに、足りないから生み出さねばならないと言った。皆は笑った。大まじめに紙きれがどうだのと力説する彼らがおもしろかった。
だがその数日後、悲劇は起こった。
突然大勢のイスカ人たちが、大量の荷馬車とともにやってきた。茫然とする皆に、彼らの通訳がたどたどしい発音で、だがハッキリと言った。
「借金を返すために、村の子供を売らなければならない」
反発した皆は、悲痛な叫び声を上げ……上げ……
――それからなにがどうなったのか、ダカには記憶がない。
確かなのは、気づけば知らない大きな砂の砦の中にいて、そこでイスカ人たちの用心棒として、特訓させられていたことだけだ。
ダカ与えられた仕事は、砦に近づく敵を、矢で射ち殺す仕事だった。よほど恐ろしい動物が近くに住んでいるのかと思ったら、来るのは人間ばかりだった。
ダカにはイスカ人らしい呼び名が与えられた。雇い主たちは全員イスカ語を話したため、ダカも自然とイスカ語を覚えた。その砦で一番偉いと思われる人間に、最高の射手だと褒められたこともあった。悪い気はしなかった。
数年経ったある日、突然黒い短外套の軍団が、砦に攻めてきた。ダカはいつも通りに敵を排除したが、それでも数がものを言った。彼らはあっという間に砦の内部になだれ込み、中の人間を次々と捕縛した。ダカもその一人となった。
その後ダカをどこか別の場所に連れ去った彼らは、あらゆることを問うてきたが、砦の見張りしかしていなかったダカは、聞かれたことのほとんどを答えられなかった。しかたがなく今までの経緯を話して聞かせたら、相手の黒い短外套のイスカ人は、きまりの悪そうな顔をした。
「言いにくいんだが、その君の故郷――ウマト村は、なくなったんだ」
見開いた目が、閉じられなかった。硬直した瞼のあいだから、こぼれるように涙があふれ出た。
それから、ウソだ、と叫んだ。
イスカ人はウソつきだから、きっとこれもウソに決まっていると、自分に言い聞かせた。それでも目は固まったまま、閉じられなかった。本能が彼はウソつきでないことを、知ってしまっていたのかもしれなかった。
「村の皆は」
「わからない。我々憲兵が駆けつけたときにはすでに、村は全壊して、村人はひとりもいなかった。――となりの部族に聞いた話では、ここ一年くらい、まったくなんの音沙汰もなくなったそうだ。もしかしたら君と同様、ほかの皆もバラバラに連れ去られたのかもしれない」
ダカは狂ったように泣き叫んだ。そのあいだ「憲兵」と名乗ったイスカ人は、腕を組んだまま向かいに腰かけていた。
その後その憲兵によって、ダカは初めて、自分の身に起きた一部始終が、どういう経緯で何が起こっていたのかを、客観的に知ることができた。
そのときまでダカは、自分がこの国で最も悪名高い犯罪組織の砦の警備をしていたことなど、まったく知らなかった。確かに彼らは平気で暴力を振るい、弱者をいたぶり、そして心底大切そうに「紙」の束を数えては、にんまりとほくそ笑んでいたが、イスカ人は皆そういう悪魔のようなやつらなのだと思っていた。
憲兵は利用されていただけのこの少年を、気の毒に思ったらしい。すくなくとも、「シマ送りにはしたくない」と言っていた。「シマ」とはなにか尋ねる前に、憲兵がかなり先回りした提案をした。
「君にはこれから生活するのに困らない場所を用意しよう。――ちょっと王都にツテがあるんだ」
「イヤだ」
ダカは即答した。イスカ人の持ちかける聞こえの良い話は、ダカの経験上、ほぼ百パーセント悪い話である。
だがダカの拒否にもかかわらず、憲兵は勝手に話を進め、しまいには、ダカを強引に王都へ向かう馬車に突っ込み、送り出してしまった。
「その弓の腕を、この国のために役立てるんだぞー」
そんなことを言いながら、彼はダカを笑顔で見送った。
「生活するのに困らない場所」とは、なんて聞こえの良い話だろう。――つまり絶対ウソだと思いながら、ダカは王都カルタゴの憲兵学校の敷地に足を踏み入れることになった。
王都の人間はきつい訛りで話をしたため、最初は何を言っているか、半分もわからなかった。それでも憲兵学校のイスカ人は、ダカの知っているイスカ人より温厚で、悪い人間ではなさそうだと思った。
――が、その翌日、ダカはひとりでに叫ぶハメになった。
「やっぱりウソつきやがったな、あのクソ憲兵め!!」
平穏は初日から崩れた。
あいさつもそうそう、先輩らしい連中に連れ出された挙句、いわれのない怒声を浴びせられた。それも、何度もだ。ただでさえ訛りがキツいのに、怒声となれば、もっと言っていることが理解できなかった。
それからは、遠巻きにヒソヒソとうわさされるようになった。すでに皆に疎まれているのは明らかだった。
当然のように筆記の宿題が出され、ちらりと中をのぞけば、ヘビがうねうねと這っているとしか思えないような模様が並んでいた。イスカ文字なんて読めるわけがないと、ため息をつく。
しかたなく教官に何が書いてあるのか聞きにいけば、これ以上にないほど恐ろしい顔をされた。それから長々と説教された。何がいけないのかよくわからなかった。
この場所に味方はいなかった。朝から晩まで、すべてが理解できないことに覆われていた。すべてが理不尽だった。今すぐに故郷に帰りたいと願うものの、帰る故郷がないことを思い出せば、よけいに涙がわきあがってきた。
――皆に嫌われてるのは、顔だちが違うから? 肌の色が違うから? 言葉が違うから? なにもわからないから?
自問したところで、答えがわからないことに変わりはない。
夜は部屋のすみの窓際で、小さくなって寝た。相部屋たちは、直射日光があたるからといって敬遠していた場所だった。窓から外を見上げれば、雲のはざまから、月がおぼろげに照らし出されるさまが見えた。この世界で故郷にいたころから変わらず存在し続けているのは、月だけだった。
すべての疑問が解明される大事件が起こったのは、その翌日のことだった。
「あの、ダカ・ウマティク君、ですよね」
いつものようにひとりぽつんと食事をとるダカに、珍しく話しかけてきた人物は、イスカ人には珍しい赤髪で、しかも子供のように小さかった。
「ボクはスフィルっていいます。教官に宿題をやるよう説得を頼まれたんですが……」
スフィルは、緊張しているようだった。
その話によると、どうやら教官が同期のスフィルに、ダカに宿題をさせるよう頼んだ――より正確に言うなら、命令したらしかった。
「同じ外国人同士だ、お前の説得ならあいつも、言うことを聞くかもしれない」
などという無茶な理由だった。
「ボクもダカ君も、純ターク系じゃないだけで、イスカ人ではあるんですけどね」
と、スフィルは苦笑いしていた。
ダカはなんとなく、スフィルなら自分のことをわかってくれそうな気がした。
これまでのことを長く語って聞かせたら、聞くスフィルの顔が、だんだん険しくなっていった。そして、すべて話し終わったとき、スフィルが最初に言った言葉がこれだ。
「もしかしてダカ君――正しいイスカ語、知らないんですか」
訛っているのは王都の人々のほうだと思って、そう言ったら、スフィルはかぶりを振った。
「違うんです、訛りとかそういう次元の話じゃなくてですね」
戸惑いがちに切り出したスフィルは、どう言ったものかと一考したように間を開けたあと、ゆっくりと続けた。
「ダカ君、皆が君に怒った謎が解けました。一番簡単な例から説明しますと、イスカ人は、呼ばれるときに『クソ』をつけられると、喧嘩を売られていると思います。ボクも最初、『クソチビ』と呼ばれたときは、ダカ君は怒っているのかと思いました。でも話を聞いてて、なんとなくそうじゃないことがわかってきました。――ダカ君はもしかして、とんでもなく物騒な人から、とんでもなく物騒なイスカ語だけを学んでしまったんじゃないですか」
「えっ……?」
「ほかに例を挙げますけど、『野郎とビッチ』ではなく、正しいイスカ語では『男性と女性』と言います」
「野郎とビッチじゃ……ねえのか?」
「それはかなり品のない言い方です。昨日女子寮の人が、ダカ君にカンカンに怒ってました。とりあえず彼女には、あとで誤解を解いておきますね」
ダカは呆けた顔をして、ぽかんとスフィルを見上げていた。
当然だと思って話していたイスカ語が、じつは相当品がないとは。まさに目から鱗だ。
「じゃあなんて呼びかければいいんだ? 『おい、クソビッチ』じゃなくて……『おい、女性』?」
「性別ではなく、名前で呼んであげてください。あと、『おい』はちょっとガサツです。代わりに『あの』と話しかけるようにしてください」
ダカはコクコクとうなずいた。こんなにわかりやすく話してくれたイスカ人は、ここに来て彼が初めてだった。
「ダカ君、皆が怒った理由は、君の言葉づかいで、侮辱されてると誤解しただけなんです。正しいイスカ語を身につければきっと、関係は今よりずっと良くなると思います」
「マジでか?! じゃあクソチビ……じゃなくて、チビ? 俺にクソ正しいイスカ語を教えやがれ」
高揚しながらそう頼むと、なぜかスフィルは神妙な顔をした。
「ダカ君、君は完璧に美しいイスカ語を身に着けるまで、しゃべらない方がいいかもしれません。もうこの際、イスカ語初心者だと思って、最初から勉強しましょう。今まで覚えたイスカ語は全部忘れるか、別の言語だと思いましょう」
「しゃべらねえ……のかよ?」
「ええ、もともと母国語じゃないわけですから、話せなくても不自然ではありません。むしろ、変に横暴な話し方のほうが不自然です。というわけで、今まで覚えた言葉は忘れて、新しく勉強し直しましょう! ボクが全力で、お手伝いしますから」
ダカは感謝を述べようとして口を開いたが、お礼に該当するイスカ語を知らないことに気づいた。故郷ではよく使っていた言葉なのに、数年のイスカ人たちとの生活の中では、一切出てこなかった。
「なんつーんだ、チビ! 人が、俺に……クソ良くしやがるとき……正しいイスカ語、なんて言いやがんだ」
スフィルは驚きに目を見開いた。それから傍からもわかるほどに、目に悲しみを宿した。今にも涙が浮かびそうなほどだった。
「ありがとうを知らないところで育ったんですね、ダカ君」
スフィルが独り言のようにつぶやいた言葉は小さく、ダカには聞き取れなかった。「あ?」と聞き返したダカに、スフィルは今度ははっきりとした声で告げた。
「ありがとう、って言うんです」
「ありがとう!」
ダカは瞬時に、今しがた覚えた言葉を返した。
「どういたしまして」
スフィルは笑った。
ダカはこのとき、生まれて初めて、きちんとイスカ語が通じたような気がした。
それからスフィルは、宣言の通り、本当に何から何まで、叮嚀に教えてくれた。まともなイスカ語の話し方から、イスカでの伝統や文化、さらにはまったく理解不能だった文字の読み書きまでもを、すべて教えてくれた。
当時入学したばかりだったスフィルは、体格は人一倍小さく、語る高い志とは裏腹に、実際の成績はかなり下のほうをさまよっていた。スフィルは誰よりもそれに危機感を抱いていて、夜遅くまで自主的に訓練して、人一倍努力を重ねていた。ダカは知っていた。本当は人にものを教えている場合ではないほど、自分の夢を叶える努力で精いっぱいだったということを。
それでもスフィルは、どんなに疲れていても、そんなことはおくびにも出さず、晴れ晴れとした表情でダカの学習につきあってくれた。
イスカ人という人種は、冷淡で、身勝手で、自分のルールこそ至高だと信じて疑わず、異民族をバカだと思って見下している。――ここ数年ずっと思い続けてきた彼らの印象は、やはり変わることがない。
だがスフィルだけは、ダカの知るイスカ人像とは違っていた。彼はイスカの文化に浸り、なおかつこよなく愛しながらも、性格だけはどこか違って、温かみがあって、人に対して親身で、なにより異民族にもほかの誰に対しても、敬意をもって接していた。
弓ひとつで憲兵学校に放りこむなど、かつての憲兵のやり方はじつに横暴だったと、今でも少し、彼を恨むところはある。だが弓ひとつではなにも解決しなかった問題を、スフィルがすべて解決してくれた。ダカにとってスフィルは、ただの班長以上であり、いわば恩人というべき存在だった。
ダカは今でも、イスカ人が大嫌いだ。
だが現実、半年間の基礎訓練を終えたあと、ダカはイスカ人を護る職種を選んでしまっていた。
世界にたったひとり、護りたいイスカ人がいたのだ。
彼のためなら、この国を護ってやってもいいと思った。
「絶対……逃がさねえ!」
めいっぱいに張られた強弓から、放たれた矢は、虚空を駆けぬけた。
それは走り去る黒頭布の男の、背の真ん中に命中した。
黒頭布の敵は、その場で倒れこむように地に伏した。
分厚い布を巻いているとはいえ、その衝撃は計り知れない。彼は倒れたまま、痛みに背を丸くした。それが今にも起き上がろうとしているように見えて、ダカに焦りがつのった。
(制限時間は、あと12秒……!)
この試験のルールでは、一度矢に当たったら、12秒間倒れていなければならない。その12秒の間に二発目を当てるか、あるいは近づいて飾手拭を奪わなければ、また逃げられることになる。
咄嗟にダカが二本目の矢をつがえ、引く。
腰をあげて丸まる背中をめがけて、狙いをさだめた、その時。
突如横から、鈍く光る剣筋が舞った。




