外伝46話:軍略の女神 -Dihra Bahrka-
'20.09/18 演出を大幅変更、文字数を大幅削減しました。
外伝46話:軍略の女神 -Dihra Bahrka-
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今しがた声を発したのは、どこか異国感のある凛々しい顔立ちの若い陸軍人で、そのとなりには、透きとおるような白い肌の小柄な少年が佇んでいる。少年のほうは見知らぬ顔だが、陸軍人のほうはすぐにわかった。
サイラ・マファルカ陸軍少佐。20という若さにして、ホムラ王子の親衛隊隊長をつとめ上げる、名門武家の息女だ。
「おや、サイラか。これは久しぶりだな」
艶のある黒髪を相変わらず無造作に束ねたサイラは、バルコニーの奥に立つハーナムの姿を認めるなり片眉を上げ、その愛想のない顔に、一片ばかりの親しみを映した。
「久しいな、ハーナム。エズレは達者か?」
一瞬の間のあと、ハーナムは慌てて答えた。
「ああ、おかげさまで。今、下で護衛対象役として試験に参加している」
息子は現在、怪我人にもかかわらず、父の言うことを聞かずに護衛対象役など務めている。ゆえに元気かどうかは微妙なところだが、それも言いようによっては、元気だからこその反抗とも言えるのだろう。
「今も活躍中か。将来が楽しみだな。――仕事で忙しいだろうが、たまには、またエズレと共にうちに来るといい。祖父上は待ちわびているぞ」
「そうか、では近いうちにお邪魔させてもらうとしよう。息子も姉貴分に会えたらよろこぶだろう」
彼女の生家マファルカ家とは、ハーナムが若いころからの長いつきあいである。
元々武家出身でもないハーナムが、王室護衛官を志すとともに門戸を叩いたのが、王国一の名門武家であるマファルカ家だった。門下生として住みこみで修練を積んだ時期から、現当主であるサイラの祖父には、目をかけてもらっている。
ここ数十年、毎年欠かさず新年のあいさつに伺っているので、サイラとは、彼女が生まれたころから知り合う間柄だ。師匠のお家のお嬢様ということで、彼女が幼いころにはよく、稽古につきあったものだ。彼女が「彼女」と言うに似つかわしくない風貌と口調に育ってしまったのは、おそらくハーナムのような門下生の男たちに囲まれていたせいだろう。
あいさつも早々に下の訓練場を一瞥したサイラに、マーシルが声をあげた。
「それで隊長。どういうことだよ、『東方兵法って』。一応確認するけど、陸軍で習う兵法体系ってことで合ってるよな?」
マーシルは、昔同じ部隊の護衛官だった名残で、まだサイラのことを「隊長」と呼んでいるらしかった。
「ああ。この迷路の敵は、その基礎理論にきわめて忠実に配置されている」
「基礎理論って、コレのどの辺が?」
「そうだな、たとえばあの場所か」
サイラが腰から抜いた指揮棒で示した地点には、ふたりの黒頭布の見張りが立っていた。
「最初の分岐点で見張りはふたり、次の分岐点でも見張りはふたりいる。そうなると、次の似たような分岐点にもふたりいるだろうと、人間は勝手に考えるものだ。人間とは、一定の規則に従った偏見で思考する愉快な生き物だからな。そういう人間の思考的弱点を活用し、実際より敵を多く見せたり少なく見せたりして、自分の思い通りに敵を誘導する。それが東方兵法のテクニックの前提となっている理論だ」
「なるほどな。ただ敵の人数が多いだけじゃなくて、あの場所は思考的な罠だらけってワケか。さすがは隊長の専門分野だな」
「ナメたことを言ってくれるな」
サイラは淡々とかぶりを振った。「この程度のこと、兵法を聞きかじった程度の訓練兵でもわかる。程度が浅すぎるんだ。この指揮官が相手なら、我々ならものの数刻で一網打尽に駆逐するぞ」
「いやそりゃ、隊長が相手なら、並の指揮官なら大体皆、ものの数刻で決着だろうけどさ」
「この指揮官の問題は、専門家でもなんでもない訓練生たちにさえ、簡単に手の内が読まれていることだ。『兵は詭道なり』といってな。兵法の本義は、敵を欺き勝利すること、その一点につきる。つまり理論に忠実に兵を置いたがゆえに敵に策を読まれていたら、本末転倒も良いところなんだが――この指揮官は、よほど陸軍指揮官としての実戦経験が浅いようだ。しかも使用されているのが、十年以上前に指導されていた古い理論ときている。同じ王国軍の指揮官として、呆れを通り越して羞恥すら湧いてくる。願わくはすぐにでも滅ぼしたいものだが」
ちらりと横の副隊長を見やったサイラに、カリエクはすぐに首を振った。
「今日はおとなしくしてろ、サイラ」
サイラはつづいて、ハーナムを見上げた。
「ハーナム、貴公の要請なら、この憲兵学校の腑抜けた指揮官共を鍛え直してやってもいい」
ハーナムは、あの豪宕なベテラン教官グラムに、サイラが容赦なく説教する珍妙な情景を想像して、彼女からの申し出に、鄭重に断りを入れた。
マーシルも似たような想像をしたのか、愉快とばかりに笑った。
「それはさすがにやめたげよーよ、あの教官プライド超高いからね。そりゃーね、面白そうだし、ちょっとは見てみたいけどさ」
「でも、奇妙だな」
突然そうつぶやいたのは、今まで黙っていた少年憲兵だった。《青獅子隊》をあらわす徽章こそつけているものの、小柄な文官の少年といった印象が抜けない容姿である。身の丈に合わぬ大きな短外套を羽織っているのが、その原因かもしれない。
「指揮官が東方兵法に疎いことは一目瞭然だけど、それならなぜ、指揮官は東方兵法なんて分野外の理論を用いる必要があったんだろう。自分の得意な領域で勝負できない理由でもあったのかな」
言われてみればたしかに、グラムが得意とするのは、正真正銘の真っ向勝負であり、元陸軍ゆえに東方兵法を知っていたとしても、決してそれを活用することが専門分野ではないのだ。
「訓練兵にやさしいセッティングだけど、慈悲は『感じない』しね」
少年のその言葉に、ハーナムはふと、スフィルの姿を思い出した。
スフィルはよく、相手の戦略や戦術について、奇妙な言い回しをするのだ。
「このやり方にウソは『視えません』が、徹底的な悪意を『感じます』。一時の情動による攻撃と考えていいと思いますので、感情を煽って相手の戦術を誘導しましょう」
と、こんな具合だ。
敵の意図を感覚器官で読み取っているような言い回しが、あまりに似ていたからだろう。ハーナムの目には、この目の前の小柄な護衛官の少年が、スフィルの姿と重なってみえた。
「直接視ないことにはなんとも言えないけど、指揮官には自分の領分を発揮できない事情があって、それは別の人間の作為によるものかもしれない。――この試験は、一筋縄ではいかなさそうだね」
それだけ言うと少年憲兵は、ハーナムの視線に気づいたらしく、精巧につくられた人形のような微笑みを浮べた。
「私もスフィル一等兵と似たようなタイプでございまして。大抵のことは、視ればわかるのです」
少年の見透かすような瞳に見つめられながら、ふとハーナムは思った。
彼らは似ているようでいて、実は間逆なのかもしれない。
スフィルが消えることのない情熱の灯火なら、この少年は、底の見えない深い海だ。圧倒的な観察眼で他人に灯火を伝播させるスフィルに対して、この少年の瞳には、他人を引きずり込むような吸引力があった。
そこまで考えたハーナムが不意に懐かしさにとらわれたのは、彼のような吸い込まれるような魅力を具えた人物を、よく知っていたからだ。ハーナムが想起したのは、かつての君主にして最大の理解者であり友人でもあった、先代国王だった。
「それでどうだ、カリエク。期待のスフィル・アクトツィアティク一等兵は」
サイラが副隊長に、スフィルの評価を尋ねた。
現在も着々と迷路を進むスフィルを直接見ることもなく、同僚にそう尋ねたのは、彼女の本業が王国陸軍の中隊の指揮であり、護衛の動きに関しては専門外だからなのだろう。専門外にもかかわらず護衛部隊を率いている理由は、彼女が王子の幼馴染であること以外には、ハーナムには思いつかない。
カリエクはスフィルたちの動きをちらりと見やると、予想だにしなかった評価を下した。
「このまま任務成功できるかという問いなら、否だろうな。今のあいつには、大事なものが欠けている」
「ほう?」
興味深いとばかりに訊き返すサイラに、カリエクは淡々と野外訓練場を見下ろしながら言った。




