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外伝45話:黄金の世代 -Qaljek jna Madel-

'20.09/18 若干の文章修正。

外伝45話:黄金の世代 -Qaljek jna Madel-


 * * *


「風のうわさでお前が来るって聞いたから、遊びにきたんだぜ」


 カリエクは優雅な横目でマーシルを一瞥(いちべつ)すると、淡々と告げた。


「俺は仕事だ」


「それってマジ奇遇(きぐう)。実はオレも仕事だったりする」


「そうか。なら話すことはないな」


 あいさつも早々に試験の様子を見ようと歩きだしたカリエクを、マーシルが引き()めた。


水臭(みずくさ)いぞ、クァル。数ヶ月ぶりに元相棒と感動の再開を果たしたんだぜ。なんか言うことねーのかよ」


 昔使っていた愛称で呼びながら、マーシルはあいさつの抱擁(ほうよう)をと手を広げたが、カリエクはちらりと一瞥(いちべつ)しただけで、ふたたび平然と歩きだした。

 このふたりが黄金世代を築き上げた最強コンビ――だったはずだが、どうやらマーシルが護衛をやめてからは、すっかり疎遠(そえん)になっているようだ。


「おーいクァル? 元相棒を無視すんなよ、なあ!」


 カリエクは元相棒の言には耳も貸さずにその横を通り過ぎ、ハーナムのほうに向きなおると、その生真面目(きまじめ)らしい表情に一片の(した)しみを映した。そのうしろではマーシルが、(あきら)めたように肩をすくめている。

 そういえばこの教え子は、在学時代から相棒のあつかいが雑だったような気がする。どうやらあれから数年()っても変わらないらしい。


「ご無沙汰(ぶさた)しております、ハーナム教官」


「カリエク、元気そうで何よりだ」


 両腕をひらいて、ハーナムは親しく抱擁(ほうよう)()わした。

 叮嚀(ていねい)だが親しげにあいさつするカリエクは、相変わらずの完璧な着こなしだった。乱れることなく頭に巻かれた紫の頭布から、宝石のちりばめられた革製のサンダル、さらには帯にかかる、布の折り目まで美しくそろえられた飾手拭(カツァフ)にいたるまで、彼の恰好は自身の完璧主義をあらわすかのように、見事に完璧にまとめられている。

 最後に会ったのが何年前かは忘れたが、その生真面目(きまじめ)な忠実さだけは変わらなかったらしいと、ハーナムはほほえましい(なつ)かしさをおぼえた。


「この学校も、変わりないようですね」


 カリエクがはるか遠くの地平線の前方にそびえ立つ、白亜の大きな門を(まえ)めながら、優雅な微笑(ほほえ)みを浮かべた。マーシルもその視線を追い、遠くを(なが)めた。


「そーだよな。最近この地区じゃ、ギャングの抗争(こうそう)が激化してるとかで治安(ちあん)が悪くなったって聞いたけど、校内は平和なもモンだよな」


 下の訓練場からは、敵役の訓練兵の物々(ものもの)しい怒鳴(どな)り声が聞こえる。

 訓練兵たちがこれほど訓練に集中できるのは、この学校が平和である何よりの証拠(しょうこ)だ。

 校外に一歩出れば、どこの組の抗争(こうそう)だの、何人が負傷だのと血なまぐさい話を聞くことが多いだけに、この平和は一層大切なものに思えてくる。


「たしかに外はかなり物騒(ぶっそう)になった。おかげで最近は、ここの訓練兵が応援に駆りだされることも多くなったな」


 憲兵学校の近くなど、通常の憲兵署の何倍もの規模(きぼ)で、憲兵予備軍が大勢いるに決まっているのに、どうも鎮圧(ちんあつ)しても鎮圧(ちんあつ)しても、すぐに治安(ちあん)を乱すギャングが後を()たないのだ。ハーナムとしては、憲兵学校の近くで悪さをする彼らの根性(こんじょう)が信じられない。


「しかもこの間なんて、この近くで銃撃戦になったらしいじゃないっすか。ったく近ごろのガキンチョときたら、(じゅう)なんて変なオモチャで遊びやがる。ガキのケンカなら素手(すで)で充分だってのに」


 最近起きた地元の事件を引き合いに出したマーシルは、さすがは監察(かんさつ)官と言うべきか、情報収集に抜かりはないようだった。

 その事件のことをハーナムが知ったのは後日だが、制圧(せいあつ)()り出された息子エズレが被弾(ひだん)したと聞いたときには、さすがに(なみ)ならぬ驚きとともに、(いきどお)りを覚えた。


「少し前までは、悪ガキどもの抗争(ケンカ)と言えば、必ず素手(すで)()り合いだったんだがな」


「時代は変わりましたね」


 屋根で陽射(ひざ)しのさえぎられたバルコニーに、(おだ)やかな(かわ)いた風が吹いた。しみじみと感慨(かんがい)にふけるカリエクの癖のある黒髪が、優雅になびく。

 どうもこの教え子は、昔からよく年齢に不釣(ふつ)り合いな達観した物言いをする。それが彼の端正(たんせい)な横顔の輪郭(りんかく)に、名門官家にふさわしい品格を(にじ)ませていた。

 彼は本当に、屈強(くっきょう)粗暴(そぼう)な訓練兵の連中と三年間ともにした卒業生かと疑いたくなるほど、その立ち振る舞いは出会ったころから変わらない。

 そこで急に彼が入学してきたときのことが思い出されて、ハーナムは思わず、深く(しわ)の刻まれた(ほお)に笑みを浮かべた。


「懐かしいな。官家の色白お坊ちゃまがそこの門をくぐってきたのが、まるで昨日のことのように思える」


 カリエクは思い出したらしく、優雅な微笑みを浮かべた。


「あのとき教官は、私を追い返そうとなさいましたね」


「ひ(よわ)なお坊ちゃまを厳しく(きた)えるのは、少々気の毒だと思ってな」


「今でもそうお思いですか」


「まさか。もっと(きび)しく(きた)えればよかったと後悔しているくらいだ」


 ハーナムの言に、マーシルがこれ以上ないほどの渋面(じゅうめん)を浮かべた。


「ちょっと教官、本気でオレたちを殺す気っすか」


「お前はそうでも、カリエクにはもう少し(きび)しくしてもよかったのではないかと思えてくる。(すず)しい顔で全科目(オール)(アハル)』を取られるとな」


 総合成績をつける段階で、あれほど教官室を騒然(そうぜん)とさせた訓練生は、後にも先にも彼をおいてほかににいないだろう。

 だがさすがに「(すず)しい顔」というわけではなかったらしく、当時のことを思い出したらしいカリエクは、苦々しくかぶりを振った。


「あれ以上の(きび)しさでしたら、生きて卒業できませんでしたよ」


「ウソつけ」


 即座(そくざ)にそれに否定(ひてい)で返したのはマーシルだった。「言っとくけどな、オレは忘れてないぞ。地獄の訓練直後で皆が死ぬほど水を浴びてるときに、ひとりだけティーカップで優雅にティータイムしてたこととかな」


 カリエクはピクリと片眉を上げ、元相棒にふり返った。


「水は普通カップに入れて飲むものだろう。お前たちのように水盤(すいばん)に手を入れて直接水を飲むなど言語道断だ。不衛生(ふえいせい)きわまりない」


「脱水で死にかけてても優雅だからカリエク様だよな。しかもあの時飲んでたの、水じゃなくてお湯だっただろ。あれはマジでぎょっとしたね」


「大多数が手を入れた泥だらけの水盤(すいばん)から、煮沸(しゃふつ)消毒もせずに水を飲めるわけがないだろう。軽く拷問(ごうもん)だ」


 カリエクは(きたな)らしいものを追いやるように、手で振り払う仕草(しぐさ)をした。

 多少(よご)れた水を飲むことが、真夏の暑い時期の(もっと)疲弊(ひへい)しているときにお湯を飲むこと以上の拷問(ごうもん)だというのだから、名門官家で(つちか)われた高潔な精神は健在(けんざい)のようだ。


「あん時な、皆で笑ってたんだぜ。『カリエク様の優雅なティータイム』って」


 実際あの光景に目を()いたのは、訓練生だけではない。教官たちのあいだでも、あのときの事件は大きな話題になっていたのだ。

 だが当人はそんなことは(つゆ)ほども知らないらしく、マーシルの言に不機嫌(ふきげん)(まゆ)をひそめた。


「笑うとはいい度胸(どきょう)だな、マーシル。わざわざ湯を()かしたのは、お前たちがマナーを守らず不衛生なことをしたからだろうが。疲れた訓練直後でなければ、あの場で全員剪定(せんてい)してやっていたところだ。――今からでも遅くはないがな」


 (すご)みを()びた目で見据(みす)えたカリエクに、マーシルは反射的に肩を(ふる)わせた。

 だが直後、彼はなにか思い出したらしく、意味ありげににんまりと笑みを浮かべて尊大に腕を()み、背の高い元相棒を見下ろすように(あご)を上にあげた。


「おっとぉ、調子に乗るのもそこまでだぜ、クァルの旦那(ダンナ)。今のオレはお貴族サマの言いなりだったあの頃とは違うぞ。なんたって憲兵の憲兵、逮捕ピラミッドの頂点に君臨(くんりん)する、監察(かんさつ)官だからな! さあ、(なぐ)りたければ(なぐ)るがいい! オレに指一本でも()れてみろ、お前なんか逮捕(たいほ)して、シマ送りにしてやんぜ! どぉーだ参ったか! マーシル大佐サマの前にひれ伏すが良い、階級がふたつも下のカリエク大尉よ」


 饒舌(じょうぜつ)にまくしたてるマーシルは、得意げだった。

 内部監査課は憲兵部ではなく諜報(ちょうほう)部に(ぞく)しているので、階級のシステムは憲兵のそれとはまったくの別物だ。年功序列(ねんこうじょれつ)の憲兵部に対して、諜報(ちょうほう)部は功績があればどんどん出世していく。どうやらマーシルは新しい職場でもそこそこ活躍しているらしく、怪我(けが)で護衛を退役したために一つ上がった階級に加え、さらにもう一ランク上がっているようだ。

 カリエクは上機嫌な元相棒を冷ややかな目で一瞥(いちべつ)すると、平静な調子でかぶりを振った。


「俺が直接手を(よご)すわけがないだろ」


「ああ、そーいやそうでござんしたねぇ。潔癖(けっぺき)症のカリエク様は、相棒も雑菌と同じで、直接手で(さわ)るのイヤなんザマスぅでござんした」


 肩をすくめて皮肉っぽく言ったマーシルは、突然「あっ」と声をあげた。


「てかお前、さっき所長には手で一回転させた挙句(あげく)、ちゃんと手を差し出してたじゃねーか! なに? オレの清潔(せいけつ)レベルって、あの傲慢不遜(ごうまんふそん)な所長以下なの?」


「所長? ああ、先ほどの憲兵か」


 思い出したように言ったカリエクは、相棒に右手を広げてみせた。「不本意だったが、さしたる問題はない。手袋を二重で着用しているからな」


 彼の両手には、この国ではめずらしい黒革製の、短い手袋がはめられている。さらにその下からのぞかせる手首には、薄手の白い長手袋の布地が見える。どうやら手の防御体勢は万全のようだ。


「教官、成績の評価項目(こうもく)に『人間性』っていうの追加してほしかったっすよ。人を雑菌だと思ってるこの人間的なクズが全科目(オール)(アハル)』なんて、マジでありえないっすわ」


「護衛官としての常識だ。高貴な主君の御身(おんみ)に不潔な手で()れるわけにはいかんだろうが」


 カリエクはあくまで自分以外の連中がおかしいと信じて疑わないらしく、言い訳も毅然(きぜん)としていた。


「そうやって意識高い護衛官ぶってるけど、元相棒のオレは知ってるんだよなぁ。お前は王室護衛官になる前から、失礼なほどの潔癖(けっぺき)野郎だったってことはな!」


「お前と出会うはるか以前から、俺は王家にお(つか)えするための教育を受けている」


「どうだかな。大体、王宮でもそんなん意識してんのはお前だけだっただろ。オレは現役時代、ふつうにちっちゃい王子殿下たちと手つないだりしてたぞ」


 その言葉に、カリエクがぎょっと目を見開いた。


「まさかお前、高貴なる方々にそのマーシル菌を感染(うつ)したのか」


「マーシル菌とかやめて?」


「ふざけるな。お前の(きたな)い手を無理やりつながれた、幼き日のホムラ殿下のお心をお(さっ)ししろ」


「それより元相棒にそんなこと言われたオレの気持ちを(さっ)して?」


「殿下の無念(むねん)を思うと、胸を(えぐ)られるようだぞ」


「だから(えぐ)られてんのオレなんだよ!」


相変(あいか)わらず仲がいいな、お前たちは」


 数年()しとは思えないほど、彼らの会話はかつて在学時代に見た光景そのものだ。微笑(ほほえ)ましい(なつ)かしさをおぼえる。

 だがマーシルは不平らしく、ハーナムの(ひょう)抗議(こうぎ)の声をあげた。


「教官、そろそろ老眼なんじゃないっすか。ていうか、皆クァルの成績にとらわれて高評価しすぎなんですよ。コイツ、伝説級の成績じゃなかったら、ただの潔癖症(けっぺきしょう)失礼お(ぼっ)ちゃまですからね」


「だが伝説級の成績だ」


 ハーナムの簡潔(かんけつ)反論(はんろん)に、マーシルは(あきら)めて降参(こうさん)の姿勢をとった。


「カリエク、お前のつくりだした伝説の数々は、今では後輩たちの良い原動力になっている。手紙に書いたスフィルも、お前のような王室護衛官になると張りきっていてな。今(あこが)れのカリエクが来ていると知ったら、我を忘れて大喜びするだろう。――いや、逆に感極(かんきわ)まって泣きだすかもしれないな」


「そういえば、たしかに泣いてましたね」


 カリエクが思い出したように言った。


「マジかお前、もうスフィル君と会ってきたのかよ。もしかしてここに来るのが遅くなったのは、ファンの後輩たちに握手(あくしゅ)して回ってたからか?」


握手(あくしゅ)だと? ふざけるな。俺が一般人にやすやすと手を差し出すと思うか」


比喩(ひゆ)表現に決まってんだろ。お前が一般人に手袋ナシで手を差し出したら、それこそお兄ちゃん感動で涙出ちゃうわ」


「そんなに泣きたいなら、手より足を出してやろうか。そのほうが効果的だぞ」


「いえいえ、結構ですとも。たしかにお前の殺人(デス)キックは別の意味で泣けるけど、お兄ちゃん命は()しいっす」


「何を言っている。お前は()りの一発程度で死滅(しめつ)する程度の(はかな)い生命力じゃないだろ」


「やっぱお前、元相棒のことしぶとい雑菌か何かだと思ってやがるな!」


「いや、さすがにカビほどしぶといとは思ってない」


「カビと同一線上で比較(ひかく)すんなよ!」


「言っておくが、スフィルはまだ生きている。彼が浴室のカビ並みの生命力なのでなければ、俺の()りが致命傷(ちめいしょう)になるというお前の説が間違っていることになるが」


 マーシルは、なぜここでスフィルの話が引き合いに出されるのかと一瞬考えたように間を開けたあと、やがて信じられない事実にたどり着いた顔をした。

 

「はぁっ?! まさかお前、後輩()ったの?! 信じられねえ! スフィル君死ぬよ?!」


「敵と勘違(カンちが)いされたらしく、向こうから(おそ)ってきた。正当防衛だ」


「オマエの正当性の話はしてねえよ! 問題なのはオマエの()りの致死(ちし)性だよ!」


「だから、スフィルは生きていると言っているだろう」


 カリエクはわずらわしげにそう言ったあと、ハーナムにふり返った。


(ねん)のため確認しますが――生きていますよね、スフィル」


「知らずに断定してたのかよ!」


「安心しろ、カリエク。彼は今唯一(ゆいいつ)生き残っている護衛班の班長(リーダー)だ。今も元気に走り回っている」


「ほら見ろ」


「『ほら見ろ』じゃない!」


 (さけ)ぶ元相棒を華麗(かれい)に無視しながら、カリエクは(すず)しい顔をしてつぶやいた。


「さすが、教官に推薦(すいせん)されただけありますね。()()をまともに食らって、まだ走り回る元気があるとは」


 感心するカリエクのとなりで、マーシルが(あき)れたとばかりにため息をついた。


「スフィルは従軍最低年齢の12歳になるとともに上京して、王室護衛官になるために入学してきた。年齢が年齢なだけに三年間苦労が()えなかったんだが、彼がここまでやれたのも、お前という生きる目標があったからだろう」


「そんな子にお前は、初対面で殺人(デス)キックをお見舞いしたわけだ。さぞかし幻滅(げんめつ)されただろうなー」


「だから正当防衛だと言っているだろう」


 どうやら来る途中で、スフィルと(おだ)やかならぬひと悶着(もんちゃく)があったようだが、何はともあれ、スフィルはよろこんでいるはずだ。なにせ、これから3年間(あこが)れて追いつづけた大先輩に、実力を見せることができるのだから。

 カリエクは普段、ほとんど休みが取れないくらいに立て込んでいるらしいので、こうして古巣(ふるす)まで来訪してくれただけでも奇跡なのだ。


「それにしても、護衛の仕事で(いそが)しいなか、よく来てくれたな。手紙をしたためておいて何だが、親衛隊の採用(わく)にすらならない新兵のことだから、てっきり()に来ることはないかと思っていた。(なか)ばダメ元だったんだが、頼んでみるものだな」


「それはもちろん、ほかならぬ恩師の頼みですので。殿下も(こころよ)くお許しくださいました」


「それはありがたい。殿下の寛大(かんだい)なお心に感謝しなければ」


「先頭の彼ですか、そのスフィル・アクトツィアティク一等兵は」


 カリエクがあらためて、下で護衛班を先導するスフィルの姿を見下ろした。「現在14歳で、もし彼が主席で卒業すれば、憲兵学校史上最年少なんだとか」


「マジっすか。14歳っていうと、ちょうどオレたちが入学した年じゃないですか。スゴいっすね、今の警護課は」


 ふたりの視線につられて、ハーナムも下方へと目をやった。

 広い野外訓練場(グラウンド)の一部に絨毯(じゅうたん)の迷路が張りめぐらされていて、そこを青や黒の頭布(ストール)の訓練生たちが周回する様子がよく見える。

 ぱっと見ただけでもそのほとんどが敵役であることが見てとれるほど、迷路に(たたず)む、あるいは巡回する黒頭布の人間の数が多い。


「この配置――」


 少々考え込むように間をとったカリエクは、やがてハーナムに向きなおった。「(だれ)か、グラム教官の(うら)みでも買いましたか」


 ハーナムは驚きに、(おごそ)かな(しわ)のよった目を見開いた。


「よくわかったな」


「マジかよクァル。なんでわかった?」


「見ればわかる」


 相変(あいか)わらず元相棒の()いにはぞんざいに答え、カリエクはハーナムに怜悧(れいり)な目を向けた。


「それも、関わっているのはグラム教官だけではありませんね」


 ハーナムは瞠目(どうもく)した。瞬時にそこまで見抜くとは、並々ならぬ洞察(どうさつ)力だ。


「その通りだ。実はグラム教官のほかに、もうひとり試験への協力を名乗り出た教官がいてな」


 そう答えれば、カリエクの視線の(するど)さが増したような気がした。


「どの教官ですか」


「リグスラーム教官を(おぼ)えているか」


「たしか、人身捜査課の」


「そうだ。どういうわけかその二人が、今回の試験へ協力すると言ってきたんだ」


「へえ、そりゃおかしな話っすね。公安はともかく人捜課(ジンソー)なんて、確か卒業時期が警護課と同時なんで、今チョーゼツ(いそが)しい時期のハズっすよね。べつに警護課に恩があるワケでもないでしょうに、なんでなんすか?」


 マーシルの疑問はもっともだが、彼らの協力の申し出を二つ返事で承諾(しょうだく)したその頃のハーナムには、そんな単純な疑問がわく余裕(よゆう)もなかった。

 なにせ、カリエクたちの(かが)かしい伝説のおかげか、ここ数年は警護課に入ってくる訓練兵が多く、通常は半年に一度しか行わない卒業試験を、三か月ごとに行うことになったのだ。数年間で訓練兵が倍になっているのに対して教官数は同じなので、それだけ忙しさに拍車(はくしゃ)がかかっている。

 猫の手も借りたい思いでいた、ちょうどそのときだったのだ。他課の教官たちから、ありがたい提案(ていあん)があったのは。

 だが、忙殺(ぼうさつ)されていたことは言い訳にならない。ハーナムは苦々しく息をついた。


「彼らの意図(いと)を確認せずに(たく)した私が(おろ)かだった」


「なにか心当たりはございませんか」


「心当たり、か」


 そう問われてしばらくのあいだ考え込んだハーナムは、たったひとつ思い当たる(ふし)があることに気づいた。


「そういえばグラム教官といえば、去年うちの訓練兵と衝突(しょうとつ)していて、そいつを『絶対に卒業させない』と豪語(ごうご)していたな」


「警護課の訓練兵と? 公安とは普段接点もないのに?」


(くわ)しくは聞いていないが、どうもうちの阿呆(あほう)が、教官の頭に卵を投げたらしい」


「スゲエ。警護課にもそんな勇者がいるなんて」


 マーシルは感心したように笑った。


「じゃあ私怨(しえん)ってことですかね。まああの死神、かなり執念(しゅうねん)深いのは知ってますから、驚きはしませんけど」


「そういえば」


 ハーナムはもうひとつ思い出したことを、彼らに小声で伝えた。「その阿呆(あほう)はたしか、昔リグスラーム教官の良くない(うわさ)を広めた張本人だった」


「良くないうわさっすか」


「彼の名誉(めいよ)に関わるような(うわさ)だ」


「たとえば不倫(ふりん)とか?」


 ズバリ的中だが、さすがに彼の名誉(めいよ)にかかわるので、ハーナムは答えなかった。だがマーシルはその反応で(さっ)したらしく、笑いを含ませた。


「オレたちの時代にも若い()に手出したってうわさありましたからね、あの人。いやぁ、人って変わらないんですね。でもすごいのはそこ警護課の子の反骨(はんこつ)精神っすよ。監察(かんさつ)官としてうちで(やと)いたいっすわ。その子、絶対監察(かんさつ)官の才能ありますよ」


 マーシルはティガルが気に入ったようだった。

 そういえばティガルは、カリエクと同じで官家の出身らしいが、同じ名家でどうしてこうも違うのだろうと不思議(ふしぎ)に思えるほど二人は似ていない。育ちに(はん)するティガルのあのたぐいまれな反骨(はんこつ)精神は、たしかに彼特有の才能なのかもしれない。

 良家の高貴な育ちを体現したような元教え子をじっと観察していると、カリエクはその視線に気づいたのか、ハーナムに問いかけてきた。


「それにしてもスフィルは、敵の配置を把握(はあく)しているようですが」


「マジかよ。どういうことだよ?」


 たしかにスフィルの動きは、実際の状況を(かんが)みて進んでいるようには思えない。まるで最初から、どの道をどう進むか、選択されたルートを進んでいるようだ。

 ともすれば彼は、敵の位置をすべて把握(はあく)しているようにも見える。


「あれは――」


 ハーナムがつぶやきかけたところで、突然うしろから、(りん)とした声が放たれた。


「東方兵法。――そうだろう」


 ふり向いた先、バルコニーに差し掛かる階段の前にいたのは、ふたりの王室護衛官だった。


※すごく細かい補足

王国軍の階級の呼称には「中」がありません。

下から順に、二等兵(訓練兵)、一等兵、准尉、少尉、大尉、少佐、大佐……という順です。

大尉が大佐より「階級がふたつ下」と言われていたのはそのせいであり、誤字でもミステリーとしての伏線でもありません。

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