外伝44話:護衛界の化け物 -elJegen elJc'amse-
'20.09/18 若干の文章修正。
外伝44話:護衛界の化け物 -elJegen elJc'amse-
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「うちのイェルマヒムを、寄ってたかって脱落させるとはけしからん! この試験には息子に対する悪意を感じる!」
「あーもしかして、イェルマヒム君のパパっすかね。新区州憲兵署所長の」
彼は書類にメモする試験官のひとりに掴みかかり、今にも殴りかからん勢いだった。ハーナムはすぐさま駆け寄り、そのあいだに割って入った。
「私がこの試験の責任者、警護課主任教官のハーナムです。どうなさいましたか」
「どうもこうもあるか! なんなんだ、この試験は! イェルマヒムに対する嫌がらせとしか思えん! どいつもこいつも、寄ってたかってイェルマヒムに攻撃して、息子を落とすための悪意に満ちている!」
グラム教官にイェルマヒムを落とす悪意があるようには思えないが、この試験の敵が過剰戦力となっている責任は、主任教官であるハーナムにある。素直に胸に手を当て謝罪しようとしたところで、うしろから上がった声によってさえぎられた。
「べつにいいじゃないっすか、早々に落ちたって」
緊迫した状況にそぐわぬ気楽な声を上げたのは、マーシルだった。
「なんだと」
イェルマヒムの父親が、鋭い目でマーシルを一瞥した。ハーナムは慌てて、マーシルの大雑把な言に口添えした。
「一概に、長く生き残っていたほうが成績が良いとはかぎりません。途中で脱落したとしても、彼ほどの活躍を見せれば、優判定にはなるでしょう」
「優だと?! 息子の実力を踏まえたら、秀は評価されて当然だろう!」
「えっ、秀ですか」
マーシルが神妙な顔で繰りかえした。
このイェルマヒムの父親も憲兵であるのなら、若いころは憲兵学校を卒業しているはずだが、どうやら成績の相場がいまひとつよく理解できていないらしい。
ハーナムは叮嚀に説明した。
「成績は通常、一から四までの数字で表されます。好成績から順に、一・優、二・良、三・可、四・不可です。優判定であれば、充分に好成績と言えますし、進路に影響を及ぼすこともないかと存じます」
「知っている。私は憲兵だぞ。そして当然、最高成績が秀だということも知っている」
秀は「ゼロ」を意味する成績で、優のなかでもきわめて優秀な成績を修めたものに付与される。そのためほかの四成績は常に一定数いるが、この秀にかぎっては、つけられるほうがむしろ稀なのである。
「たしかに最高成績は秀ですけどね」
マーシルはどう説明したものかと一考したように間をあけた。「でもご安心ください。そんな成績取るバケモノなんて、普通いませんから」
「全科目『秀』なら、警護課の卒業生にもいるんだろう。息子の実力がそれに見合わないとでも言うのか」
「あー、あれ」
思い出したように目を端にやったマーシルが、それから口に笑いを含ませた。
「あれは比べちゃダメっすよ。世の中には一般人とは比べ物にならない、生粋のバケモノもいるってことです」
「一般人だと!」
所長が穏やかならぬ声を上げた。「息子が秀でていることは、出身校の誰もが太鼓判を押すところだぞ!」
彼は優秀な息子が「一般人」の枠に一括りにされたことが許せないようだった。ピクピクと頬を痙攣させる彼のことなど気にもとめずに、マーシルは陽気に笑った。
「じゃあバケモノレベルに達するには、全世界の誰もが太鼓判を押すくらいにならないと」
「ふざけたことを言うな! ここの教官も、息子なら確実に秀だと太鼓判を押したんだぞ」
「ハーナム教官、試験前からそんなこと言ったんすか」
ふり返ったマーシルに、ハーナムはかぶりを振った。
「いや、私ではない」
「人身捜査課の教官だ。彼とは同期の卒業生同士でね、よく息子の話を小耳にはさむんだ」
「なぁんだ、人身捜査課ですか。その教官、相当無責任っすよ。警護課は普段、人身捜査課とは何のかかわりもないですからね」
「とにかくだ。こんな悪意に満ちた不適切な試験が、試験として通用するはずがないだろう! この学校の最高責任者はどこにいる。今すぐここに校長を呼べ」
「まあまあお父さん、落ち着いて」
男の肩に手を置こうとしたマーシルだったが、イェルマヒムの父親はぴしゃりとそれをはねのけた。
「お父さんだと? 気安く触るな。私は新区第3分署の所長で、人身捜査課の大佐だぞ!」
「はあ、人身捜査課ですか」
マーシルが神妙な顔をして肩をすくめた。「困りますよ、大佐。警護課でもないのにイチャモンつけられましても。警護課には警護課のやり方ってもんがあるんです」
大佐は顔をしかめてマーシルに詰め寄った。
「あまりナメた口を聞くと、この学校に内部監査を申請するぞ。それでもいいのか? お前たちの憲兵として不適切な恥ずべき行いを、徹底的に暴露させてやるぞ」
「べつにいいですけど、そんなことしてもイェルマヒム君の成績は変わりませんよ」
「内部監査」といえばマーシルが口を慎むだろうと思ったらしい所長は、飄々とした態度を崩さぬ彼に、よほど苛立ちをおぼえたらしい。人目も憚らず、彼はマーシルを大声で怒鳴りちらした。
「大体お前はなんなんだ! ここの教官じゃないな? 部外者の分際で割って入ってくるな! 公務執行妨害だぞ!」
彼のあまりの剣幕に、来賓の和やかな談笑は一瞬のうちに静まり、周りの視線が一気にこちらに注がれた。
「えっ。まさか大佐、息子さんの応援に、公務で来てるんですか。困りますよね、そういうの。公私の分別ははっきりしてもらわないと」
「この私に対して随分と偉そうだが、お前、何様のつもりだ?」
「王国軍本部に勤務のマーシルってもんです。ちなみに元王室護衛官で、ここはオレの古巣です。いちおう階級同じみたいなんで、仲良くしてくださいね、大佐」
マーシルがきらびやかな笑顔で言うと、所長は顔をこわばらせた。このラフなシャツの青年に、社会的地位の高い肩書があるとは夢にも思わなかったような顔だ。
「なに? 元王室護衛官で、さらにその年で大佐だと? ふざけたことを抜かすのも大概に……」
「ちなみに本当に内部監査を申請するなら、オレが相談に乗りますよ。オレいちおう今は監察官なんで、憲兵の不正には目がないっていうかぁ」
マーシルがそこまで言って、突然その目を鋭く光らせた。
「特に公私の分別ができない憲兵の検挙とかも、大好物なんすよねぇ」
「な……監察官?!」
なるほど内部監査課の監察官だったのかと、ハーナムはかつての教え子をふり返った。それなら憲兵署の不正チェックのために、全国各地の憲兵署に出張に行くのもうなずける。
「そんな都合のいい話があるか! くだらない嘘をつくな!」
内部監査を申請すると言ったら、たまたまその相手が監察官であったという確率は、おそらく相当に低い。所長は信じられなかったようで、部下を叱責するような張りのある声に、苛立ちをにじませた。
「オレがウソつきかどうかは、実際に逮捕されてみたらわかりますよ。試してみます?」
挑発するように笑うマーシルに、所長は一瞬たじろいだような目をした。
「おい、やめないかマーシル」
危険な空気を感じて咄嗟に間に入ったが、遅かった。
怒り心頭に発した所長が、勢いよくマーシルの胸倉を掴んだ。それと同時にマーシルのもっていたY字の杖が手を離れ、カランと音を立てて大理石の床に転がった。
観衆が息を飲んだ。
今にも殴りかからん勢いで睨みつける所長に対して、マーシルは平然として言った。
「いいんすか所長。監察官に手をあげたなんて知れれば、アンタだけでなく息子さんのキャリアにまで瑕がつくかもしれませんけど」
なぜそこでさらに挑発するんだと、ハーナムは頭を思わず抱えたくなった。
「オレとしては、ここで潔く殴ってくれたほうがありがたいんすよ。正々堂々とアンタみたいな横柄な憲兵を逮捕できるんで」
それから彼は、とんでもなくしょうもない事情をつけ加えた。「それにウチにもいちおう、ノルマあるんすよね」
「マーシル。逮捕ノルマのために人を挑発するな」
厳かな口調で叱れば、彼はため息とともに肩をすくめた。今までの平然とした態度とは違って、なにか嫌なことを思い出したような鬱々とした表情だった。
「ぶっちゃけオレにしちゃ同じなんすよ。ここでこの人を殴らせて検挙稼がないと、どうせあとで上官に殴られるんで。成績落として殴られるよりは、殴られて成績伸ばしたいっす」
内部監査課はなにをやっているんだと、思わずため息をもらす。不正抑止のための内部監査課が、ノルマのために不正をつくりだしてどうする。
周囲では騒動を聞きつけて、彼らを囲うように人だかりができていた。
「逮捕だと? この私に対してできるものならやってみろ! 無作法な若造の分際で!」
ついに所長が手をあげた。
ハーナムが止めに入る前に、彼の拳がマーシルの顔面へと突き出された。
――否、止める必要がなかったのだ。
所長の繰り出した拳はマーシルの顔のすぐ横の宙を切り、その勢いのまま、彼は前に一回転して床に叩きつけられた。
見物人一同は、唖然としてその様子を眺めた。誰ひとりとして、その瞬間になにが起こったかわかった人間はいなかっただろう。
「どうかなさいましたか」
そう淡々とした声が上がったのは、マーシルの正面、地に伏す所長のすぐとなりだった。そこには、ひとりの背の高い青年が立っていた。
一部始終を見ていたハーナムにはわかる。
彼は今しがた、瞬時に所長の前に手足を回して重心を変え、所長の拳の軌道を逸らした挙句、そのまま一回転させた張本人である。
だが、傍からはとてもそうは見えないほど、彼は今来たとばかりに平然と立っていた。周りで見ていた多くの見物人にとっても、彼がなにかしたようには見えなかっただろう。所長はそれほどに、自然に倒れされたのだ。
思いもよらず床に倒れた所長は、訳がわからない様子で、茫然とその乱入した青年を見上げた。彼は憲兵の制服である黒の短外套に、王室護衛官であることを示す青の懸章を掛けていた。
「今、お前が……?」
若い軍人は優雅にその場にしゃがむと、所長に右手を差し出した。
「大理石の床は滑りやすうございますからね。お怪我はございませんか」
今の大転倒を事故だったことにした青年に、一瞬きょとんとした所長は、だがすぐにそれに乗ることにしたようだ。多くの見物人の前であれほど見事に倒されたとあっては、憲兵署所長としての面目が丸潰れになるからだろう。
「あ、ああ、大したことはない」
顔を赤くした所長は、すぐに立ち上がると、ハーナムとマーシルを憎々しげに一瞥し、足早に去って行った。その際、周りには聞こえない程度の小声で、ぼそりとつぶやいた。
「――クソ、覚えてやがれ、警護課ども」
一部始終を傍観していたマーシルが、やがてどんよりとため息をついた。
「あーあ。せっかくついでにいい獲物見つけたと思ったのに」
監察官としてはとんだ根性だが、明け透けに言い放つマーシルには悪びれる様子もない。やれやれと首を振りながら、マーシルは初めて、正面に立つ王室護衛官の青年をしっかりと見据えた。
「よお、バケモノさん」
マーシルの呼びかけに、彼――《青獅子隊》副隊長のカリエク・イエナザラクは、ぴくりと優美な片眉を動かした。




