外伝30話:協力者か敵対者(前編) -elZemwan nur elZektar-
'20.01/29 一部修正。
'20.08/31 演出を大幅変更後、長くなったので分割しました。
'20.09/15 またもや演出を大幅変更しました。
外伝30話:協力者か敵対者(前編) -elZemwan nur elZektar-
* * *
スフィルは白い倉庫の壁の前に立ち、先ほど倉庫の中から拝借した木炭を押し当てた。粗い漆喰の壁に、たちまち黒い粉が線状に付着する。
これから、この倉庫の壁に、脱出ルートを描き出す。
地図は頭に入っているとはいえ、より正確に現状を把握するためには、敵の配置と周回ルートを、視覚的に確認する必要があるのだ。
まずは、今回の試験会場の見取り図だ。
今回の会場は、南部の月神州の州都に実在する首長官邸をモチーフにしている。
建物の護衛上の特徴としては、出入り口がひとつしかない小部屋の数が多いことが挙げられる。農業が盛んな広い州なので、酒蔵や穀物庫などの物置部屋が多いのだ。
そのような小部屋には、絶対に入ってはならないというのが、護衛のセオリーである。敵から逃げて一度でも間違えて入れば、袋の鼠となってしまうからだ。
(でも、だからこそ、そんな小部屋に兵を配置することなんてムダなこと、しないでしょう。――あなたなら)
あのサトリ憲兵を思い出し、スフィルはその場でほくそ笑んだ。
敵の合理的な配置から、彼の合理的思考が、手にとるようにわかる。
絨毯をくぐり抜けるという奇策を編み出した今、皮肉にも、先ほどまで恐れていた彼の戦略の完全性が、逆にスフィルに安心感をもたらした。
(ノワン君の言ってたとおりかもしれませんね。――今思えばあの人は、とても慈悲深い)
現在地から、一本の太い線を引いていく。
通るべきは、敵のいない場所だ。
護衛が避けて通る場所。敵がいても無意味だと考えられる場所。
――視える。
完璧な理論。完全な戦略。それが手にとるようにわかる、安心感。
(さあ、一発逆転の番狂わせの始まりです)
スフィルの思考は加速した。
頭に描き出されるのは、巨大な迷路の地図だ。ゼロ地点から生えた新芽が、二本三本と枝分かれしながら、迷路の「壁」をものともせずに、縦横無尽に突き進む。
蔦の勢いは止まらない。
ただひとつ、絨毯を乗り越える。それだけの単純な発想によって、この最も難解な迷路が、最も攻略しやすい会場へと変貌する。
もはや、裏をかかれる疑心暗鬼に苛まれることはない。
たしかな目標に向かって――最終地点の第六ステージ奥の馬車に向かって――蔦は迷路を加速する。
スフィルはまるで、なにかに取り憑かれたように描き進めていた。思考は手にもつ木炭に直結して、次々と新たな道筋を描き出す。
漆喰の剥がれかけた白い壁は、みるみるうちに、綿密に地図の描き込まれたカンバスへと早変わりした。
うしろで地面に座りながら眺めていたエズレは、ごくりと唾を飲みこみ、その様に圧倒されていた。
「まさかあいつ、迷路の地図、全部憶えてるのか……?」
エズレは完全に私情を忘れて、スフィルの仕事に見入っていた。
そのつぶやきに答えたのはティガルだった。
「ま、地理の把握は護衛の基本だからな」
当然のように答えたティガルに、エズレは初めて、卒業生をナメていたのかもしれないと、心のなかで浅はかだった自らの認識を悔いた。
「ってことは、当然ティガルもなんですよね」
「地理の把握はスフィル担当で、オレは空気の把握担当だぜ」
直後エズレは、自分の認識を悔いたことを悔いた。
思わず声を荒らげて先輩を見上げる。
「なんなんですか、空気の把握って!」
「場の空気を読むことは、護衛の基本だってことさ」
「うわ、一瞬でもスゲーと思って損した!」
呵呵と笑うティガルに、エズレは呆れのため息を漏らした。
ちらりととなりを見ると、ノワンが膝立ちの状態で、装備の過不足を確認していた。
「ティガルってさ、あんなバカなのに、よく卒業試験までたどりつけたよな」
「ああ」
とノワンは、こともなげに返した。「『バカとハサミは使いよう』だからな。あいつの唯一の長所は実のところ、空気じゃなくて時間の把握だ」
「時間の把握?」
「班の貴重な時計係だってことだ」
ティガルは訓練兵には珍しく、愛用の懐中時計をもっている。
そんな高価な私物をもつ訓練兵は彼のほかにいないので、訓練の途中で現在時刻を確認したいときなどに、皆に頼りにされているのだ。
ノワンは閉じたかばんをぐるりと腰に巻きつけ、立ち上がった。
「ティガル。今、何時だ」
「おいお前、今、時計係が唯一の長所とか言いやがったな。テメエは時間訊くだけで、いちいち人の神経逆撫でするようなこと言わないと気がすまねーのか? ったくよぉ……」
ティガルは無遠慮な同僚に文句を垂れながらも、帯から時計を取り出して見やった。
「現在時刻は――」
だが、それ以上ティガルがつづけることはなかった。
彼は帯から取り出した懐中時計を凝視したまま、固まっていたのだ。
「ティガル?」
不審に思って問いかけたエズレに対して、ティガルから返ってきたのは、悲鳴にも似た叫びだった。
「だぁーっ! オレの時計、完全にブッ壊れてやがる!」
エズレが立ち上がって身を乗り出して覗きこむと、たしかに彼が取り出した銀時計の、文字盤を覆うガラス部分に、ヒビが入っているのが見えた。
「うわっ、ほんとだ。こりゃひどいな。そんな立派な銀時計でも、壊れるモンなんですね」
時計の針は、完全に止まっているようだった。これで完全に、現在時刻がわからないことになる。
「ウソだろ? これ、すげー小さい頃にもらった大事な時計だったってのに」
「随分高そうな時計ですけど、誰に貰ったんですか?」
ティガルはその場で、ガックリとうなだれた。
「昔できた年上の友達だよ。って言っても、当時のオレは小さすぎて、顔も名前も憶えてねーんだけどな。何かの催しのときに、一緒に遊んですげー仲良くなった友達ってのは間違いねーんだけど」
「そんな立派な銀時計をプレゼントしたってことは、その友達ってヤベエ金持ちですよね。その子も官家なんですか」
「ああ。オレが何かの拍子で泣いてたら、慰めてくれて、自分の時計をくれたんだよな。五年くらい年上だったと思うんだけど、スゲーいいヤツだった。オレ、それまで兄貴以外で同年代の子供と遊んだことなかったから、初めてできた友達だったんだよな」
ティガルは思い出して余計につらくなったのか、重々しくため息をついた。それから懐中時計をまた叮嚀に帯にしまいこむと、恨みがましく拳をにぎった。
「これ割れたの、絶対あのカリエクの蹴りのせいだぜ。今度剣で決闘申し込んで、弁償させてやる……!」
「一回惨敗した相手なんでしょう。勝てるのか……?」
見上げたエズレに、ティガルは指をコキコキと鳴らして闘志を示した。
「勝つんだよ、意地と怨念でな! 十年以上大事に使ってた友達の時計なんだ、この恨みはデカいぜ!」
ティガルは剣を抜くと、その場でヒュンと八の字に振ってみせた。流れるようにごく自然に、違和感しかない軌道で、剣先が残像を描いた。
エズレには目視できなかったが、おそらく途中で剣を離して、紐による遠心力を使っているのだろう。
「しかもだぜ、よりによって時針が、五十刻で止まってやがったんだ。五十刻だぞ、五十刻! 『五』なんて中途半端な数字、サイアクに縁起悪いじゃねーか、クソ!」
「お前、そのくだらんジンクスで一喜一憂する癖、どうにかなんねえのか」
腹立たしいとばかりにその場で剣を振るティガルに、ノワンが呆れの声を上げた。
「たしかにこれから先、時間がわからねえのは地味に痛手だが、壊れたものを今つべこべ言ったところで仕方ねえだろ。高価な銀時計くらい、お前ならいくらでも買い直せんだろ。金持ちのくせにいちいち騒ぐな」
「買い直せるとか、そういうのじゃねーんだよ。これにはその友達と、ここ十年の思い出が詰まってんだからよ」
ノワンはため息を吐いた。
「いいかげん、『縁起が悪い』とか『友達の思い出』とか、ぐだぐたとくだらねえこと言ってんじゃねえ。お貴族様の不安定な情緒で士気を乱すな。迷惑だ」
「くだらねーだと? オレの大事なモンを、テメエは今、『くだらねえ』だと?」
ノワンに振り向き、穏やかならぬ声をあげたティガルは、今にも本気で斬りつけんばかりの勢いだった。愛用の時計が壊れたショックから、その目は黒黒と据わっていた。
ティガルの並ならぬ雰囲気に圧されたエズレは、恐怖に表情を引きつらせた。
「ノ、ノワンお前! ティガル煽ってんのか?」
「何がだ?」
ノワンはエズレの狼狽もまったく気にした様子もなく、平然とつづけた。
「大体、十年以上前の友達とか、クソどうでもいいだろ。くだらん感傷に浸ってねえで、任務に集中しろよ。次の敵がいつ来るかわからねえんだ。気を引き締めて、今のうちに出立の準備をしておけ。――エズレ、お前の不要な荷物だが、この場に置いていくことも考慮するべき……」
言いたいことを言って踵を返したノワンは、ぴたりとその場で静止した。
彼の首筋に、背後から、白い布の巻かれた剣が突き立てられていたからだ。
「何のつもりだ、ティガル」
「待てよノワン。お前に煽ってるつもりはねーんだろが、こちとらテメエの発言に、クッソ腹が立ってんだよ。オレにも言いたいこと言わせろよ。でなきゃ公平じゃねーだろ」
「悪いが任務に関すること以外、聞くつもりはねえ。スフィルに喧嘩するなって言われてんだろ。オレはお貴族お坊ちゃまの不安定な情緒にかまってる暇はねえし、そんなにかまってほしいなら、屋敷に帰ってパパ上か執事にでも言えよ」
「テメエ……っ!」
ティガルがノワンの首元に巻かれたストールを掴み、ぐいと引き寄せた。
「前から思ってたけどよぉ、テメエのそのファッション、クソ痛々しいぜ。前髪で片目隠して常に首にストールなんか巻きやがって、ダークな見た目の孤高の自分カッコいいとか思っちゃってる系だよな。お前は友達いねえから知らねーだろうけどな、皆お前のこと、『痛いヤツ』って陰で笑ってんだぜ」
ティガルの挑発に、ノワンは淡々と返した。
「なるほどな。他人のファッションとかくだらんことを考える余裕があるから、お前らはいつまでも成績悪いんだな。スフィルやほかのトップの連中とは比べ物にならない意識の低さだよな。そんな低レベルな意識で、スフィルの相棒名乗るの、やめたらどうだ。お前は陰口叩く連中と群れてんのがお似合いだよ」
「てんめえ……!」
ティガルがノワンのストールを掴んだ手で、彼を突き飛ばした。数歩のけぞったノワンは、右足がもつれてそのままうしろに倒れた。先ほどの足の怪我が響いたようだった。
「お、おい! やめろよふたりとも!」
駆け寄ろうとしたエズレは、だがすぐにその場で静止した。
怒り心頭に発したはずのティガルは、ノワンのストールを掴んだまま、その場で硬直していたのだ。
その視線の先には、倒れるノワンがいた。倒れた拍子に首元を覆っていたストールは剥がされ、首があらわになっている。
その左首には、鎖骨から頭部にかけて、いくつもの太い切り傷が平行線状に並んでいた。何年も昔の傷だとわかるが、浅黒く灼けた肌にすらくっきりと浮かび上がる切創は痛々しく、明らかに人為的なものだとわかるのがまた、一層グロテスクだった。
「おま……もしかして、今までソレ隠して……」
言いかけたティガルに、起き上がったノワンは、すぐに傷口を手で隠してギロリと睨みつけた。
「殺す」
ただならぬ殺気を向けるノワンに、ティガルはすぐさま奪い取ったストールを投げてよこした。
「お、おい待てよノワン。ちょっと一旦落ちついて話そうぜ」
「もういい。こんな足手まとい、いっそ俺が脱落させてやる」
語調から彼の本気をうかがったエズレは、引きつった声で制止をかけた。
「お、おいノワン! やめろよ! おれを護るやつがひとり減るだろ!」
言いながらも、エズレは慌てて、近くの木の陰に回り込んで避難していた。もはや口で言って止められる状態ではないほど、ノワンの纏う空気は冷えきっていた。
「ま、待てってノワン。カッコつけてるとか痛々しいとか言ったのは悪かったよ。だから一旦落ち着こうぜ?」
ティガルは剣を鞘に戻して両手を挙げたが、ノワンは構わず、淡々とその場で剣を抜いた。
「て、てかよぉ、そんな隠すことねーだろ? 怪我は男の勲章って言うだろ? ホラ……」
「死ねっ!」
剣を構えたノワンは、瞬時に地を蹴り――
直後、不意にその動きを止めた。
飛びかかる彼の首元に、いつの間にか黒々とした「時計の針」が突き立てられていたからだ。
「……スフィル」
「お待たせしました。突破ルートができました。――それとも、ふたり仲良くハンバーグルートのほうが、ご興味おありですか」
ノワンは数秒間呆然としたのち、ようやくいつもの冷静さを取り戻したらしい。すぐに剣を収めて、倉庫の壁を見やった。
「いや……悪かった」
「ナ、ナイスタイミング! チョーゼツ助かったぜ、スフィル!」
ティガルとエズレは、心の底から安堵のため息をもらしたのち、スフィルの描いたルートへと視線を動かす。
壁に描かれた迷路のような図には、いつの間にか、黒く太い一本の線が、端から端まで貫かれていた。




